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● ● 沈丁花の香りが包み込む時 -9-完(2011.8) ● ●
一学期の期末テストが終わり、あとは終業式を迎えるのみ。打ち合わせのため事務所に行っていた託生が、客を連れて帰ってきた。
「義一さん………」 「島岡……?」 「もう一度、ギイに会えるとは思いませんでした」 白髪としわが増え、それでも紳士的な態度は昔のまま目を赤く潤ませ、島岡がオレの手を握る。 「託生?!」 崎の家に携わる者には連絡するなと言ったはずなのに、何故? 「島岡さん、中でゆっくりお話されてください。ギイも………」 託生は島岡にソファを勧め、オレ達二人を残してダイニングに消えた。 「託生が連絡したのか?」 「はい。『ギイが生まれ変わって、今、側にいる』と。意味がわかりませんでした。託生さんには申し訳ないのですが、どうかされてしまったのかとも思いました。それで心配になり、赤池さんに連絡を取ったんです」 「……それで?」 「詳細を全て教えていただきました。にわかには信じられず、実は一週間ほど前に日本に来たんです。一目で本物だとわかりました」 確かに島岡ならオレを見ただけで、わかるだろうな。 ただ、オレに会いに来たのなら、そのときに声をかければよかっただけの話。一週間経った今、こうして現れたということは……。 「島岡。お前がここに来た本当の理由はなんだ?」 「義一さん。Fグループを継いでいただけませんか?」 「島岡………!」 「会長も、まだ後継者に悩んでいます。義一さんほどの人間がいないからです。いつかはと思いながら、今まで決められなかった。でも、さすがに、もう限界で……」 「ぼくは、それがいいと思う」 「託生?!」 トレイに乗せたコーヒーを島岡とオレの前に置き、託生がオレに向き直る。 「側にいたらわかるよ。ギイ、ニュースや新聞見てるとき、歯がゆそうな顔してる」 「そんなこと………」 この失業者が溢れる不況の中。これ以上失業者を出さず、そして企業をどうやって生き残らせていくのか。空回りを止める一点がどこかにあるはずなのに、中核から外れて生きているただの高校生のオレには、その材料さえ与えられない。 託生の言うとおり、もどかしい思いでこの世界不況を見ていた。 しかし……。 「島岡。オレは、長野一也として新しい人生を生きている。ゆくゆく普通にサラリーマンをして、託生と一緒に暮らしていきたいと思ってる」 せっかく時を越えて託生と巡り合えたのに、また日本とNYなんて真っ平ごめんだ。今度こそ、託生と添い遂げたい。Fグループの後継者なんて邪魔にしかならないんだ。 いつの間にか握り締めていた拳を、託生の手が包んだ。 「ギイ、昔、ぼくに言ったよね。バイオリンが染み付いてるって。だから、ぼくはバイオリニストの道に進んだんだ。同じように、ギイは経営者に向いていると思う」 「託生………」 「義一さんにしか、あのFグループを引っ張ることはできないんです。これは、会長の希望でもあります」 オレを確認した後、NYに戻っていたんだな。そして親父まで話が行ったのか。 しかし、仮にオレが了承したって問題がある。 「あのな。中身は崎義一でも、DNAは長野一也なんだぞ。どこの馬の骨ともわからない人間が、あのFグループを束ねるなんて幹部連中が許さないだろ?」 「ですから、あと10年。会長が引っ張ります。いえ、貴方が認められるまで、全力でバックアップします」 「島岡……」 必死の形相で、島岡が言葉を重ねる。 オレが崎義一であったとき、生まれた瞬間から引かれたレールの上を歩いていた。だからと言って不満があったわけじゃない。むしろ、それにやりがいを感じていた。何万人という従業員や家族の生活がオレの肩にかかっていようが、それこそが励みになっていた。 「それと、義一さん。後継者云々は別にして、会長がぜひ一度会いたいとおっしゃっています。お母様も絵利子さんも」 「………あの現実主義の集まりのような人間が、信じてるのかよ?生まれ変わりなんて作り話みたいなことを」 「えぇ、信じてます。本当に喜んでおられました。一度、こちらに戻っていただけませんか?」 戻る……NYへ………? 「ギイ、ぼくも行くから」 「託生?」 「ぼくの後見人、ギイのお父さんなんだ」 「親父が?」 それは初めて聞いた。 「うん。ギイの代わりにって。あの子を愛してくれてありがとうって、そう言ってくれたんだよ。だから、ギイがNYに帰るなら、ぼくも拠点をNYに移すよ」 親父……。 親より先に逝くような最悪の親不孝をしたのに、オレの愛した人を認め、オレがするはずだったバックアップを名乗り出てくれていたのか。 胸の奥が熱くなる。長野の家族、崎の家族。オレは、どれだけ愛されていたのか。 「わかったよ、島岡。会うよ」 親父も60に手が届いているはずだ。今、会わなければ、たぶんオレは後悔する。 オレの言葉に、島岡は胸を撫で下ろし、託生は目を細めて笑っていた。 「託生、用意できたか?」 「うん!」 文字通り空になったマンションの鍵を閉め、スーツケースを引き寄せた。 数日前、卒業式を終え、オレと託生はこれから成田空港へ向かうところだ。 1階まで下りマンションを出ると、風に乗ってほのかに柔らかな香りが漂ってきた。 「沈丁花だったっけ?」 「あぁ」 「もうすぐ春が来るんだね」 「そうだな」 結局、オレは高校卒業後、崎の家に戻ることになった。 島岡が訪ねてきて以来、長期休暇のたびにNYに戻り昔のように親父の仕事を手伝い、しかし、昔と違って仕事が入っていないときには託生がNYまで来てくれたおかげで、それほど寂しい思いはしていなかった。 崎の親父との養子縁組も手続き中である。 親父が基本他人のオレを後継者に選んだ前例があるので、オレが子供を作らず他人の誰を後継者に選ぼうと文句はないだろう。それは、託生との生活を邪魔されないことにも繋がる。 「今度こそ、二人で生きていこうな」 「……約束だからね、ギイ」 お互いの左手には誓いの指輪。 時を越え、空間を越え、オレ達は何度でも巡りあい、そして、愛し合う。 「ある意味、死にネタ」で「ある意味、ハッピーエンド」の夢でございました。 夢で映画のように見たのを文章化したものです。 ですが、やはり死にネタには違いがないので、自分のポリシーがぁぁぁと思いつつ、頭から出ていってくれず、書いて追い出しちゃえと書いてしまいました。 私が死にネタ書きゃ、結局はこうなるという、典型みたいなもんです; (2011.8.24)
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