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●  沈丁花の香りが包み込む時 -3-  ●

 元の体力が違うのだろう。意識が戻った長野の回復力は目を見張るものがあり、数日後には一般病棟の個室に移すことになった。あとは、怪我の具合と相談し、リハビリを始める時期を決めるだけだ。
「ソーシャルワーカーの方から聞いたのですが、長野君、親戚の方がいないそうです」
「そうですか……」
 回診に付き添っていた看護師の言葉に、眉間が寄る。
 薄々は感じていたが、やはりそうだったか。
 ここに運び込まれ、ニュースでも事故の件が何度も流れていたが、誰一人として親戚は来ていなかった。慰謝料や保険金で当分金には困らないだろうが、この歳で天涯孤独になるのは辛いものがあるな。俺の管轄外だが。
「でも、普通の高校生には見えないんですよね、彼」
「とは?」
「やけに大人びているというか、冷静というか……」
 怪我の痛みが落ち着いた頃、家族の話をしたのだが、すでに覚悟を決めていたのか、取り乱すこともなく淡々と落ち着いた表情で受け止め、
「わかりました。お伝えくださり、ありがとうございました」
 深く頭を下げた。
 無表情ではない。それどころか、いつも柔和な微笑を浮かべている。しかし、相手に自分を読ませないよう、幾重にも防御しているようにもを見えて、昔の自分を見ているような複雑な気分になった。
 そう言えば、あいつも俺と同じだったな。喜怒哀楽を表しているように見えて、実は全てが計算されていた。あいつが本気で顔色を変えるのは、葉山のことだけだった。
 同族嫌悪。だからこそ、あいつの無念がわかる。最後の最後まで、考えていたのは葉山のことだっただろうと。
 長野の個室のドアをノックし部屋に入ると、小さくバイオリンの音が流れていた。その音源を捜し、テレビに映る人物を確認して声を上げた。
「ほぉ、葉山か……」
「お知り合いですか?」
「あぁ、高校時代の友人だ。忙しいやつだからな、年に一、二度、日本に帰ってきたときに飲みに行く程度だが」
 長野の声に頷き画面に目をやる。
 30を当の昔に回っているのに、童顔のせいか今でも外国に行くと、20代にしか見てもらえないと文句を言っていた。オーケストラをバックに従え、引けを取らず堂々と奏でる姿に、華奢な体のどこにあれだけの力があるのかと、いつも不思議に思う。
 個人的に会うときは、相変わらずの天然なのにな。
「体は……」
「うん?」
「いや、葉山…さん細いから、そんなに忙しかったら体調崩さないのかと思いまして」
「まぁ、大丈夫だろ?昔はぶっ倒れるまでバイオリンを弾いていたが、今はセーブしているはずだ」
 答えながらガーゼを捲り傷の具合を確かめる。どこも化膿している箇所はないな。この分だと、軽くリハビリを始めてもいいだろう。
 されるがままにガーゼ交換を受けていた長野の視線が、画面から離れないのを見て、
「君は葉山のファンなのか?」
と問いかけた。
「えぇ、まあ」
「そうか。今度、葉山に会ったときに言っておくよ。だいぶ良くなったし、そろそろリハビリの時間も入れていこう。理学療法士と話を詰めておく」
「わかりました」
 次の回診に行こうと病室のドアを開け、ふと振り返った目に映ったのは、長野が口唇を噛み拳を握り締めて画面を睨みつけている姿だった。
 ファンと言うには、あまりに奇妙な構図。まるで裏切りにでもあったかのような、痛みを写した瞳。
 ―――――似ている。葉山と心がすれ違ったあいつが時折見せていた瞳に。
 釈然としないなにかを感じながら、静かにドアを閉めた。


「未成年のオレが押印しても、後見人が取消権を行使すれば無効だ。さっさとケリをつけたいのだろうが、これ以上無理強いすると脅されていると訴えるぞ」
 ドア越しに漏れ聞こえた声に、遠慮なくドアを開ける。
 そこには、保険屋と思しき人物が二人、書類と筆記用具……勝手に用意してきたのか印鑑を持ち、ベッド脇に見下ろすように立っていた。
「後見人が決まるのは、だいぶ先のことでしょう?それまで、お困りになるでしょうし……」
 威圧的な態度に臆せず冷ややかに睨みつけ、かつ正論を言い放つ長野に気押されしつつも、食い下がる根性は認めるが。
「誰の許可を持って、長野君の病室に入っているのでしょうか?」
「えっ…あの……」
 突然の俺の声にばつの悪そうな顔をし、目配せをする。
「長野君の面会には、私の許可が必要です。患者の治療の邪魔をしないでいただきたい」
 既に家族が亡くなっていることを伝えてはいるが、その患者によっては容態が落ち着くまで伏せている場合もある。そんなときに保険金の話だなんて、医者の立場でなかったとしても、目を疑う行為だ。
 第一に、まだ本人が自由に体を動かせない状態で示談だなんて、侮辱するにも程がある。子供相手だからと、いいように話を進めようとするところが気に入らない。
「未成年後見人が決定するまで、長野君への接触は許可しません。ナースセンターにも話を通しておきますので。ご退出願います。」
 目を見合わせこそこそと退室していったやつらを見届け、
「こういうときは、遠慮なくナースコールを鳴らしてもらってかまわないから」
 長野に声をかけた。
 そのままベッド脇のパイプ椅子に座り、長野に向かい合う。
 リハビリテーションセンターから、長野のことを聞いていた。素直にリハビリを受けてはいるものの、本人のやる気が見えないと。
 今になって己の現実を認識し自暴自棄になっているのであれば、カウンセリングを受けさせないとと思い、一度長野とじっくり話をしたかった。
「未成年後見人なんだが、親しい知り合いとか頼めないかな?」
「そういう知り合いはいませんから、裁判所が選定した未成年後見人でかまいません。高校も寮に入ることが可能ですし。ご心配、ありがとうございます」
「そうか……」
 うろたえることもなく、あっさりと自分の考えを述べる長野に、自暴自棄になっている様子は見えない。それどころか、ここまで冷静に現況を受け止め、自分自身のこれからについて考えられる人間はなかなかいないだろう。
 高校生らしくないどころか、歳を騙しているんじゃないかと思うほどに。
「なにか困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。アドバイスくらいはできると思う」
「お気遣い、ありがとうございます」
 カウンセラーは俺の分野じゃない。だから、長野の話を聞いてもどうしようもない。しかし、この言いようのない違和感が胸の奥でくすぶり続け、長野の本心を聞いてみたくなる。
 お前は、いったい、誰なんだと――――――。
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