● ● 沈丁花の香りが包み込む時 -7- ● ●
泣きじゃくる託生を抱えるようにして車に乗せたものの、胸を叩かれながら散々託生に文句を言われ、また泣かれ………。
「寝たか?」 「あぁ」 時差ぼけも相まって、泣き疲れて眠った託生の肩を抱き寄せ髪に口唇を寄せた。 「これで30代なんだよなぁ」 バックミラー越しに合った章三の目に、 「可愛いだろ?」 ニヤリと笑う。 とたん、わざとらしい溜息を吐いて、 「……お前の目、老眼入ってるんじゃないか?」 「まだ16だ」 「いやいや、見せかけかもしれん」 軽口を叩く。 託生のマンションまで車を走らせ、しかし、ぐっすり眠っている託生を起こすのは忍びなく、ポケットから取り出した鍵を使って中に入り、ベッドに託生を寝かせた。 「30分もすれば起きてくるだろ」 「そうだな」 頷いてリビングに移動する。 「一人暮らしにしては、広そうなマンションだな」 「世界的なバイオリニストだからな。防音室もあるし。一部屋くらい余っているだろうから、転がり込むことは可能だぞ?」 「当然だ」 三洲の説明に、すっかり転がり込む算段をする。託生の泣き顔を見て、もう二度と離れないと決めたんだ。さすがに託生も追い出しはしないだろう。 「なにもないな。なにか買ってくれば良かった」 ダイニングから聞こえてきた声に振り向くと、章三が冷蔵庫を開けながら思案していた。相変わらず主婦魂が抜けていないのかと笑ってしまう。 そうだ。託生のことばかりで、こいつらのことを何も聞いていなかった。落ち着いたら、ゆっくり聞かせてもらおう。 ドタン!バタン! 「あー、起きたな」 章三が入れてくれたコーヒーを飲んでいると、廊下からバタバタと足音が近づき、リビングのドアが勢いよく開いた。 「ギイ!」 「どうした、託生?」 「………夢かと思った」 立ち上がったオレとは反対に、へなへなとそこに座り込んだ託生に慌てて駆け寄る。 「オレなら、ここにいるから」 「うん」 驚かせたことに対する意趣返しのつもりか、腹立ち紛れにオレの胸に頭をぐりぐりと押し付けるさまに頬が緩んでくる。 どうして、こう、こいつはこんなに可愛いんだ。 「添い寝してやればよかったな」 「な……」 咄嗟に上げた頬にキスをして、ぎゅっと抱きしめた。とたん、ぽてっと体の力を抜いて肩に頬を預けてくる。 しばし託生の感触を楽しんでいると、 「おい、そこのバカップル。コーヒー入れなおしたぞ」 「あああ……赤池君!」 オレの影に隠れて見えなかったのか、オレしか見ていなかったのか、章三の声に飛び跳ねるように託生が離れ尻餅をついた。 「でも、いったい、なにがどうなって、どうなってるの?」 ソファに座ったとたん、託生が頭にはてなマークを盛大に飛ばし小首を傾げた。 それはそうだ。託生には、まだなにも説明していないからな。突然現れたオレに混乱するのは当たり前だ。 手短にトラック事故からの経緯を話した後、託生が顔を曇らせた。 「じゃ、ギイ。一人なの?」 ぎゅっとオレの手を握り、辛そうにオレを見上げる。 「葉山が未成年後見人になればいいんだ」 「あ、そうか」 三洲の言葉に、託生が納得したように頷いたのだが。 天涯孤独の今のオレの立場と、これから先託生と一緒にいることを考えると、託生がオレの後見人になるのが、一番の得策だとはわかってはいるが……。 微妙な顔をしたオレを、託生が覗き込んだ。 「ギイ?」 「託生がオレの後見人ってのは、かなり複雑なんだが」 まだ章三や三洲の方が……と言えば、託生が拗ねるのは目に見えている。だが、やはり、恋人が未成年後見人というのは、複雑だ。 「仕方ないだろ?ギイは未成年で、ぼくは、一応、世間に認められている大人なんだから」 「一応とつけるところが、葉山だな」 三洲の言葉に、託生が頬を膨らませる。 あれから16年も経っているのに変わらぬ仕草に吹き出すと、「ギイ」これまた見慣れた表情でオレを睨み、笑いが止まらなくなる。後ろ向きの思考ばかりしていた反動か、今日のオレはおかしいらしい。 「とりあえず、今日は外泊許可を出しているから。明日、病院に戻ってくれ」 「わかった」 「ギイ、まだ怪我が……」 「いや、もう、ほとんど治ってるよ」 正式な身元引受人が決まらないと、退院したあと面倒なことが起こるかもしれないので、退院手続きを取っていないだけだ。本来なら通院だけで事足りる。 「弁護士を紹介してやるよ。手続きはそいつに全部丸投げしたらいい」 そう言い置き、章三と三洲が席を立つ。 玄関まで見送りにいくと、ドアを開けながら三洲が振り返った。 「葉山、崎を襲うなよ。淫行だぞ」 「三洲君!!!」 ニヤリと笑い素早くドアの向こうへ消え、二人きりになる。当然のように託生を抱き寄せ口唇を重ねた。 「託生……」 「ん………」 ひとしきりのキスをして離すと、託生がクスリと笑った。 「……なんだよ」 「身長が同じくらいだなと思って」 「これから伸びる予定なんだから、気にするな」 ウインクを一つつけて託生を抱き上げ、さっき運んだ寝室に足を向けた。そしてベッドに下ろして慌てて起き上がりかけた託生の腕と足に体重をかけ、脱出を阻む。 「あ…あの、ギイ」 「うん?」 「み…三洲君が言ってただろ?あの……」 「あぁ。託生がオレを襲ったらダメなんだよな。オレが託生を襲うんだから関係ない」 「そういう問題じゃ……」 「そういう問題だって」 「それに……」 「それに?」 「ぼく、ギイより20歳も年上なんだけど……」 「託生は、いくつになっても可愛い」 「………っ!」 顔を赤くして押し黙った託生の口唇にそっと重ねた。硬く緊張している託生を怖がらせないように、何度も重ねて緊張を解していく。 口唇を頬に滑らせながらシャツのボタンに手をかけ、襟元を広げた。シャツの襟に隠れる箇所に残る大きな傷跡。 「あ………」 咄嗟に傷跡を隠した託生の左手を外し、そこに口唇を落とす。 「ごめん……ごめんな、託生」 こんなこと、させてしまって。自分で命を絶つような、辛い目にあわせてしまって。もしも、託生が死んでいたら、すぐに後を追っていただろう。 生きててくれて、ありがとう。 「………ギイともう一度会えてよかった」 「あぁ。オレも、もう一度託生に会いたかった」 意識がなくなる瞬間まで、ずっと託生のことを想っていた。 「託生、愛してる」 「うん、ぼくも………愛してる」 時空を越え、巡りあえた奇跡。 どうか……どうか今度こそ、二人で生きていきたい。 |