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●  沈丁花の香りが包み込む時 -8-  ●

 数日後。言葉通り、三洲が病室に弁護士を連れてきた。
「真行寺?」
「へ?…………ギイ……せんぱ……い?」
 何も知らされず、未成年後見人の選任申し立てと相続手続き、ついでにと保険会社や加害者の会社相手の損害賠償請求の窓口など、それこそ全てを丸投げさせるつもりの三洲に連れてこられ、しかし、オレの顔を見たとたんポカンと口を開け、その後真行寺は盛大に泣いた。
 そのうち見舞いに来ていた託生も釣られてぽろぽろと泣き出し、この湿っぽい空気をどうしようかと思案するも、
「お前は、仕事一つスムーズに進められないのか?」
 三洲の一蹴で事態はあっけなく収拾した。
 真行寺は三洲の鉄拳に頭をさすりながらも全ての手続きを迅速かつ完璧にやってくれ、無事託生が未成年後見人となり、今日は退院日。
「着替え買って帰る?それとも取りに行く?」
 迎えに来た託生に聞かれ、一度も家に帰っていなかったこともあり、そのまま長野の家に寄ることにしたのだが……。
「……大丈夫か?」
「もう、失礼だな。免許暦は長いんだよ。それに、カーナビもついてるし」
 ………託生、免許暦じゃなくて運転暦だ。それとも……いや、深くは考えまい。いざとなればオレも運転できるし。無免許だが。
 多少不安はあったものの、無事、長野の家にたどり着けた。
 鍵を差しこみ玄関のドアを開けると、閉め切っていたためか、どんよりとした篭った空気が漂っている。
 玄関横のリビングに入ると、時計の秒針がやけに大きく響き、シーンとした空間が広がっていた。
「親父がいて、お袋がいて、小生意気な妹がいて………」
 耳の奥に、笑い声が聞こえる。部屋の中が暖かい色に染まってくる。
 そこにお袋が立ち、妹が手伝っているのか邪魔しているのか、お袋に料理を習っていた。親父がその椅子に座り、オレ相手に晩酌しようとしてお袋に怒鳴られていたっけ。
 視界が涙でぼやける。
「ギイ……」
「まだ12歳だったんだ……」
 託生がオレの頭を抱きしめ、優しく髪を梳いてくれた。
 その守られているような感覚に、オレは自分が親を亡くした子供だったことを思い出した。この世に生を受け、親の加護の中、今までぬくぬくと生きてこれたのは、家族があってこそだ。
 託生の肩に額を押し付け嗚咽を堪える。
 事故にあい意識不明の間に葬儀が行われ、気付けばもう全てが終わっていた。家族を失った現実が、やっとオレの中に流れ込んできた。
 オレは今、崎義一の記憶があるけれど、16年もの間、長野一也で生きてきたのは紛れもない事実。ここには、長野一也の家族の記憶が残っている。
「すまない」
「ううん」
 二階にある自分の部屋に入り、とりあえずの着替えを鞄に詰め、部屋をぐるりと見回した。
「荷物を運んだ後は、この家を処分するよ」
「え、どうして?残しておいてもいいじゃないか。家族の思い出だろ?」
 交通事故の生き残り。それだけで興味本位な目を向けられる。現に、さっき車から降りたオレ達を取り囲みたそうな他人の目に反吐が出た。
「ここに思い出があるからいい」
 心配そうにオレを見る託生に笑いかけ、自分の胸を指差す。
 オレを愛してくれた長野の両親、そして妹。気に病んでいるかもしれないけれど、オレは一人じゃないから。最愛の恋人に、もう一度巡り会えて幸せだから。心配しないでくれ。


「おはよう、託生」
「おはよう、ギ……」
「ん、どうした?」
「ギイ、学園なんだ…」
 久しぶりに腕を通した制服を見て、託生が懐かしそうに目を細めた。祠堂学院と祠堂学園。微妙にデザインが違うが、胸のマークは同じだ。
「院とは、また趣向が違ってて面白いぞ?」
「へぇ」
 やっと生活が落ち着き、体のほうも生活に支障がなくなった。そろそろ学校に行ってもいい頃だ。2年生に進級してから一度も学校に行ってなかったしな。
 ヨーロッパツアーが終わり休息期間なのか、託生の仕事もそれほど忙しくはない。
 一緒に朝食を食べ食後のコーヒーを飲んでいると、
「ギイは、将来の進路とか決めてるの?」
「いーや、全然。普通のサラリーマン家庭に育ったからな。普通にサラリーマンでもするよ」
「ふうん」
 託生は不思議そうに軽く頷き、
「ね、どのくらいギイなの?」
 よくわからない質問をしてきた。ま、言葉が足りないのは昔からだ。
「どのくらいって?」
「ギイの人生、どのくらい覚えてるの?」
「………多少な。でも、託生のことは、全部覚えてるぞ」
 ウインクを一つしてにっこり笑ってやると、
「ぼく洗い物してくるよ」
 赤くなった顔を隠すように託生が逃げ出した。
 ……………本当は、全て覚えている。
 長野一也の記憶が上書きされたわけではなく、人間二人分の記憶がオレの中にあった。
 元々、崎義一の記憶力は優秀だったんだ。オレが死んだあの事故の直前まで鮮明に思い出せる。
 学校の授業なんて、本当は退屈なだけだ。記憶だけじゃなく知識さえも全て戻っているのだから。
 それでも、今のオレはただの高校生。何物にも邪魔されない託生との生活を楽しむため、精一杯今の状況に甘えようと思っていた。
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