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●  沈丁花の香りが包み込む時 -5-  ●

 無言のまま上った屋上には、冷たい風が吹いていた。人影のない場所まで移動し、三洲が足を止める。
「第一ボタンの理由が知りたいか?」
「ぜひ……」
 仕事用の笑みを消し親しい友人だけにしか見せない素の表情で三洲が問いかけ、長野はそれに疑問を持つこともなく静かに頷いた。
「赤池。当事者から話してくれないか?」
 長野の返事に軽く頷き、居合わせたただ一人の人間である僕に後を任せ、三洲はすぐ側の壁にもたれかかる。なにかがあればすぐに動ける位置だ。
 思い出すことも口に出すこともためらわれる、あの出来事。僕の脳裏にあの情景が浮かび、一瞬奥歯を噛み締めてから、気持ちを静めるために大きな息を吐いた。
「葉山は死んだ恋人の後を追おうとして、大量の薬を飲み首を切った。16年前のことだ」
 そして、一息に事実を伝える。
 僕の言葉に長野の顔色が紙のように白くなった。
「手を傷をつけるとその恋人が怒るからって、ためらい傷一つなく、ここをすっぱりとね」
 自分の首の右側を手で真横に引き、状況を説明する。いや、本当はこんなことまで言う必要はない。けれども、こいつには言わなければならないのだと本能が言っていた。

 アメリカから帰り、葉山をマンションに送り届けたまではよかった。
『大丈夫だから』
 微笑みながら手を振った葉山に、何故疑問を感じなかったのか。何故あんな笑みが浮かべられたのか、どうしてその場で追求しなかったのか。
 電車に揺られながら突如胸騒ぎを覚えた僕は、途中下車をして元来た道を戻り、インターフォンを連打した。返事のない扉。回したドアノブがすっと開き、独特の匂いが鼻をつく。
「葉山!!」
 玄関を開け目に飛び込んできたのは、血の海の中に横たわった葉山の姿だった。意識はすでになく、側には大量の睡眠薬の包み紙と首を切った包丁が転がっていた。
 すぐに救急車を呼び一命を取り留めたものの、ぼんやりと目蓋を開けた葉山の目には絶望が浮かんでいた。
『ギイを失っても、生きていける?』
 あの時、葉山は僕にそう問いかけた。裏を返せば、葉山はギイを失ったら生きていけないことを意味する。
 ギイのいない世界が葉山に絶望を与えるのだとしても、それでも、僕はもう見たくはなかった。
「頼む!僕の大切な友人を、これ以上奪わないでくれ!」
「……赤池君」
「ギイの分まで生きろよ!生きて生きて、生ききって、向こうに行ったときギイに文句を言えよ。早すぎるんだよ、バカって!」
「赤池君……ごめん……ごめん………ね」
 相棒をなくした僕。恋人をなくした葉山。二人して抱き合い声が枯れるまで泣いた。

 長野は右手で口を覆い、崩れるようにその場に膝をついた。支えにしていた歩行器が、反動で横に転がっていく。
 ただの葉山のファンならば、ここまで動揺することは考えられない。
「ど……うして………」
「微笑んでさえいたよ。あの血の海の中で」
「どうして………どうしてだよ、章三?!」
 同じく膝をついた僕の腕を掴み、長野が……いや、ギイがしぼりだすように叫んだ。そのままずるずると腕を落とし、コンクリートの床に頭をつけて嗚咽を漏らす。
「託生……託生………!」
「ギイなんだろ?全てを思い出しているんだろ?」
 しばらくしてこっくりと頷いたギイの頭を片手でぐいと抱え込み、
「この、バカヤロウ!」
 16年前、冷たくなったこいつに投げつけた言葉を、今度こそ言わせてもらった。
 勝手に逝きやがって。どれだけ……あれからどんな思いで今まで生きてきたか……。
 三洲を見上げると、
「輪廻転生って、本当にあったんだな」
 赤くなった目を隠しもせず、皮肉っぽく笑った。


 三洲が看護師に呼び出され、ベンチに二人で座り直し温くなった缶コーヒーのプルトップを開けた。
「飲めよ」
「あぁ」
 ぼんやりと缶コーヒーを見ていたギイに勧め、僕もぐいっとコーヒーを飲んだ。半分ほど飲んで、やっと一息つけたようだ。
「昔からギイの記憶を持っていたのか?いつ、気付いたんだ?」
 僕の疑問に、ギイは諦めたように口を開いた。
「事故にあって目が覚めたときだ。だから、すごく混乱した」
「そりゃ、混乱するだろうさ」
「いや、一気に崎義一の記憶が戻ってきたものだから……あの事故の後だと思ったんだよ」
 あの事故……。ギイが死んだ思い出したくない過去。
「それにしては、三洲が白衣着て目の前にいるし、それなりに歳も取ってるし。長野と呼びかけられて、自分が誰なのかわからなくなった」
 それは、確かにパニックになりそうだ。
 あの事故当時、ギイは20歳。そして今は16年後の世界。こいつでなければ、なかなか順応できなさそうだ。
「何故、前世の記憶があることを三洲に言わなかったんだ?」
 三洲は、ずっとお前を疑っていたのに。
「普通、信じられるかよ、こんな話?……それに、なんのために、前世の記憶なんかよみがえったんだろうって考えてたから」
「え?」
「今は、幸せなのか?結婚しているんだろ?」
 ギイが苦しそうに言う。
「誰が?」
「………託生が」
「葉山は結婚なんてしてないぞ」
 僕の言葉に、信じられないものを見るように目を見開いて驚くギイに、僕こそ驚いた。いったい、どうしたらそういう勘違いができるんだ。
「託生の薬指に指輪が……」
「あれは、お前が買った指輪だろうが。日本に帰るときに島岡さんが空港まで届けてくれたんだ。それ以来、葉山はあの指輪を外してはいない」
「あのときの………」
 思いだしたのか、ギイがポツリと呟いたのを見て、はたと気付く。
「お前、まさか、葉山が結婚していると思って、僕達にも悟られないようにしていたのか?」
 バツが悪そうな顔をして缶コーヒーに口をつけるギイに、大きな溜息を吐いた。
「バカか………」
「章三」
 頬を赤くして睨むギイに、笑いがこみ上げてきた。
 葉山が絡むと突っ走るその癖、いいかげん直したほうがいいんじゃないか?生まれ変わっても、こんなに葉山バカでどうするんだよ?
 腹を抱えて爆笑する僕に釣られ、ギイも笑う。
 こんなに笑ったのは、あの日以来初めてだ。あぁ、きっと太陽が涙で滲むのは、笑いすぎたせいだ。
「葉山に会うよな?」
「あぁ」
 清清しい見慣れた表情で答えたギイの目も赤い。
「章三、気付いてくれてありがとう」
 照れ隠しに、ギイの頭を一発殴っておいた。
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