● ● 沈丁花の香りが包み込む時 -4- ● ●
依頼主との打ち合わせの帰り。
「あぁ、三洲の病院が近所だったな」 目に入った総合病院の名前に、それを思い出した。 今日はこのまま直帰しても問題がない。長い間、三洲とも会っていなかったことも相まって、僕は病院の駐車場に車を向けた。 ナースセンターに顔を出し三洲の行方を聞いてみると、まだ一般患者用の診察室にいると言う。 エレベーターで1階まで下り、すでに診察時間が終わった人気の少ない廊下を歩き『三洲 新』のネームプレートが差し込まれたドアを軽くノックする。返事を待って、スライド式のドアを開けた。 「よ」 「赤池じゃないか」 くるりと椅子を回し、白衣を着た三洲が振り返る。 「近くまで来たから、三洲が暇ならお茶でもと思ってな」 「暇じゃないが、付き合ってやってもいいぞ」 相変わらずの毒舌に笑い「光栄です」と、三洲を促した。 他愛無い近況報告をしながら、ロビー横の喫茶室に向かっていた僕達の前に、小ぶりの中庭が現れる。数個置かれたベンチには、入院患者と思しき人達が数人座っていた。春の訪れには早いが、陽射しは暖かそうだ。 そのベンチの向こう、同じく中庭に面した廊下を歩いている男に足が止まる。 まさか………。 「どうした、赤池?」 「あいつ。あの紺のガウンを羽織った……」 「………あぁ、長野一也か」 「長野?」 「先日のトラック追突事故の……生き残りの長男だ」 あぁ、あの事故の。確かニュースで16歳だと言っていた。僕達に気付かず歩行器に肘を乗せ、ゆっくりと廊下を歩いていく。 あいつは、死んだんだ。16年も前に。 なのに、なんだ、この違和感は。僕の本能が、なにかが違うと叫んでいた。 「赤池?!」 「君、ちょっと待ってくれ」 三洲の声を背中に受けながら中庭を横切り、ゆっくりと廊下を歩く長野の肩を掴み引き止める。振り返った長野の瞳をじっと見詰め、自分のとんでもない発想を打ち消そうとした。しかし、その瞳の奥に追い討ちをかけられたような気分になる。 こんなことが現実にあるのか? 僕の無遠慮な視線に、長野は不快感を表し、 「なんでしょうか?」 冷たく突き放すように言い放った。 「少し話がしたいんだ、君と」 「見ず知らずの人間と話をする義理はないので」 「長野君、すまないな。昔、君によく似た友人がいたので、懐かしくなって呼び止めてしまったようだ」 言い捨てて、その場を去ろうとした長野を、柔和な笑みを浮かべ三洲が引き止めた。僕がどうして話しかけたのか、わかった上での行動か? 振り返ると三洲が目配せをし、言葉を続ける。 「こいつも、俺の高校時代の友人でね。……葉山の一番親しい友人でもあるんだ」 葉山の名前を出したとたん、一瞬長野の顔が痛ましそうに歪んだような気がした。同時に僕の疑問を的確に捕らえた三洲を認識し、この場の主導権を三洲に渡す。 僕が感じるまでもなかったということだ。三洲も長野に同じ疑問を持っていた。 「葉山のファンなんだろ?こいつは葉山の七癖まで知ってるぞ。それと……葉山が第一ボタンまで留めている理由を知る、数少ない人間の一人だ」 「第一ボタン……?」 「葉山はプライベートでも、必ず第一ボタンまできっちりボタンを留めているんだ。理由知りたくないかい?」 「三洲、あれは……」 口を挟んだ僕に「黙ってろ」と視線を寄越し、もう一度挑発するように長野を眺め、 「葉山のファンなら、そういうちょっとしたところとか気になるんじゃないのかい?当分喫茶室にいるから、マニアックな話が聞きたくなったら来てくれ」 そう言い置いて三洲は僕を促した。喫茶室に入るまで、長野の視線が背中に突き刺さるのを、僕は感じていた。 置かれた冷水を一気に飲み、大きく息を吐く。動揺に手が小刻みに震えている。こんな夢物語のようなことに遭遇するなんて思いもしなかった。 「三洲……あいつは………」 「……生まれ変わりって、あると思うか?」 「そんなおとぎ話のようなことありえない。でも、あいつは、ギイだ。どこがと言われても困るが。直感であいつはギイだと感じるんだ」 一目見たとき、ギイだと思った。16年前に死んだのだと認識しているにも関わらず、ギイなんだと僕の本能が叫んだ。 「三洲も、なにか感じていたのか?」 そうでなければ、あそこで援護射撃はないだろう。 「俺は、崎と特別親しかったわけではないから、感覚的なものはわからない。ただ、行動が重なるときが何度かあった。でも、まさか、こんな非現実なことがあるとは信じられなくてな」 お互い根っからの現実主義。特に医療に携わっている三洲は、自分の目で見た物だけが真実なのだ。科学的事実がなければ信用しない。そのポリシーを覆うような、根拠もない事柄に三洲も戸惑っていたのか。 「あいつが崎なら、さきほどの理由を知りたいと思うだろう……ほら」 三洲の声に振り向くと、硝子のドアの向こうに長野一也の姿が見えた。 |