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●  今日はなんの日?(2013.1)  ●

 エレベーターのドアが開いたとたん、どこからか漂う香りに鼻がひくついた。とは言っても、このエレベーターホールに目新しいものはない。朝、大学に行ったときと同じだ。
 やっぱり家からなんだろうなぁと玄関のドアを睨みつけると、隙間から見えないはずの煙みたいなものが、くすぶっているような気がする。
 このドアを開けた向こうには、いったいなにがあるのだろうか……。
 ゾクリと鳥肌が立ち、逃げ出したくなるような気分だが、こうして突っ立っていても仕方がない。
 意を決してドアを開けると、もわっとした香りと共に、視界に溢れんばかりの色の洪水が流れ込んできた。
 こんなことをする人間は、この家に一人しかいない。
 あんのバカ親父、なにしてやがる!
 思わず呼吸を止めてしまいたくなるような光景の中、
「一颯お兄様、お帰りなさい」
「あ、あぁ。咲未、ただいま」
 リビングから、ひょっこりと咲未が顔を出した。花の中から現れたように見えたのは、たぶんオレの気のせいじゃない。
 花に囲まれた咲未は妖精のようにとても可愛いが、よくこの中に普通にいれるよなと感心する。匂いだけで酔いそうだ。
「綺麗でしょ?」
 綺麗……なんだろうな。これが屋外ならば。
 しかし、ここはペントハウス。閉め切った空間。
 これだけの花の匂いは空気清浄機でさえも、消し去ることはできないらしい。てか、こういう事態なんて想定外だろ。
「なんだ、これ?」
 玄関ロビーで固まってしまったオレの背後から驚きの声が聞こえ、振り向くと兄貴がエレベーターから出てきて鼻を押さえていた。
 あー、ドアを開けっ放しにしていたから、エレベーターホールにまで、この匂いは充満してしまったな。
「兄さん、お帰り」
「一颯、これは………」
 一歩ドアからずれ、中の光景を指差すと、兄貴の眉間の皺が深くなった。
 足の踏み場もないくらいの花の数々。花屋一件丸ごと総ざらいで買ってきたような花達を見て、兄貴が腕を組み何かを思い出すように宙を睨んで、深い溜息を吐いた。
「今日は1月31日だったな………」
 確かに、今日は1月31日だけど、この眩暈を感じるくらいの花の山となにが関係してるんだ?
 しかし、わからないのはオレだけのようで、兄貴の台詞に咲未が答える。
「うん。だからお父様がお店の人と一緒に、花束を抱えて帰ってきたわよ」
「へ?父さん、もう帰ってきているのか?」
 オレ達よりも早く?まだ夕方だぞ?姿が見えないってことは、自室がプライベートルームだろうけど。
 てっきり配達を頼んだだけだと思っていたのに、親父も帰ってきていたとは。
「『1月31日は愛妻の日。男は花を持って家に帰ろう』」
「は………?」
 愛妻の日ぃ?
「日本愛妻家協会が決めた、愛妻の日のスローガンだよ。去年、それを知った父さんがこっちに持ち込んで、全米愛妻家協会の会長になって広めているらしいぞ」
 ………顎が落ちる。
 愛妻家の代表はオレだってか?クソ忙しいくせに、なにやってんだ、あの親父。
 だいたい、日本語での語呂合わせを、アメリカに持ってくるなんて、お門違いにも程がある。
「ついでに、午後8時9分はハグするんだと」
「今更だろ?」
 いつでも、どこでも、あの万年ラブラブ夫婦はいちゃついてるんだから、時間を決めたって意味がない。
 なんだか、別の意味で眩暈を感じてきた。
「それで、母さんは?」
「まだ、お仕事よ」
「だから、このままなんだな」
 兄貴が唸るように吐き出し、顎に手を添える。
 親父のヤツ、お袋を花で出迎えようって魂胆なんだろう。
 しかし、さすがにこれは、キツイ。雪が吹き込むから窓は開けられないし、かと言ってこのままだと頭がくらくらする。
 メイドも執事も、これじゃあ仕事にならんだろう。親父の限度のなさに、苦労かけるよな。
 同情しながら、あんな親父で申し訳ないと心の内で謝りつつ、
「とりあえずどうする?」
 と兄貴を仰ぎ見る。
「ちょっと母さんに電話してくるよ」
 お袋へのプレゼントなんだから、そうするのが一番だよな。親父に進言したって、事態は変わらないだろう。
 兄貴がこめかみを押さえながら自室に向かい、オレもこのむせ返るような花の香りに耐えられず、部屋に逃げ込んだ。


 そして、30分後。
 ペントハウス内にお袋の怒号が響き渡り、玄関ホールに足を向けた。
 そこには、無理矢理渡されたらしく、えらく重そうなブラックティを両腕で抱えたまま怒鳴っているお袋と、言い訳のような主張を繰り広げる親父が対峙していた。
「オレの愛を表そうとしたら、これくらいじゃ足りないんだぞ!二百本でも三百本でも一万本でも………!」
「だから、いらないって言ったじゃないか!限度を考えろ!気持ちだけでいいから!」
「この溢れる愛を伝えるには、気持ちだけじゃ無理だ!」
「ばっ………な、なに言って………」
「日々大きくなっていくんだぞ?愛してるって伝えるだけじゃ……むぐっ」
「充分伝わっているから………黙れ」
 そりゃ、毎日のようにベタベタしている状態なら、本人だけじゃなく周りの人間にも、親父の気持ちは充分伝わっている。
「とにかく、この花はここに置いておけないからね」
「…………わかった。この花に値すればいいんだな」
「はい?」
「この花と同等の愛を伝えることにする」
 言うなり花束を抱えたままのお袋を抱き上げニヤリと笑い、親父はスキップをするように一段飛ばしに階段を降りていった。
 あんなに不安定な状態じゃ、いつ落とされるかさぞかし恐怖だろう。
「待って!大丈夫!ギイの気持ちはわかってるから!ギーーイーーっ!おーろーせーーっ!」
 夫婦仲のいいことは、良きことだ。うん、そういうことにしておこう。
 お袋の声が階下に移動し、フェードアウトした。
「お母様、ドナドナされちゃったね」
「まぁ、ディナーの時間には出てくるだろう」
「それより、兄さん、これどうする?」
 生温い空気が漂う中、不安そうな顔で集まってきた使用人と一緒に花を見やる。
「処分するわけにはいかないから、手分けして配るしかないだろうな………」
「だね」
 そうして適当な数の花を残し、コンシェルジュを巻き込んでマンション住人に花のおすそ分けという前代未聞の事態になった。


 プレゼントは、相手と周りの人間の迷惑を考えほどほどにしましょう。
 誰か、親父に理解させてくれ。




1月31日は愛妻の日だと見かけて、小話ついったーで流そうと思ったんですけど、流せる長さを超えてしまったので、こちらに。
(2013.1.31)
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