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●  君が帰ってくる場所-3-  ●

 なぜ、オレは、今、タクシーに乗っているんだろう。
 いつの間にかお袋と兄貴の間で話がまとまり、今夜は東京に戻らず近場の温泉街で泊まることになっていたのだ。
 兄貴のヤロー。オレがお袋を避けているのに気付いているはずなのに、なんてことをしやがる。
 オレが勝手にお袋に対してお門違いの怒りを持っているだけと言われればそうかもしれないが、こんな状態で一泊したってぎくしゃくして、それこそなにも会話なんてないぞ。重苦しい空気が流れるだけじゃないか。
 内心ブツブツと文句を垂れている内に、熱海駅を出発してから十分ほどでタクシーが止まった。
 足取り重く車から降り見上げた先には、
「すげっ」
 純日本建築の立派な門構え持つ老舗の旅館があった。
 広い中庭を抜け案内された離れに一歩足を踏み入れると、畳の独特な匂いが鼻をつく。
「懐かしいなぁ」
 中庭が見える障子を開け、お袋が呟いた。
「来たことがあるんですか?」
「うん、昔にね。大樹も来たことがあるよ」
「え?」
「ここにいたけど」
 と自分の腹を指差し笑った。
 まだ親父とお袋が二人のときに来たのか。
 仲居さんが入れてくれたお茶を前に、三人で座椅子に座ったとき、
「今まで葉山のこと、話したことがなかったよね?」
 お袋が小首を傾げて問いかけてきた。
 話したことがなかったということは、やはり故意に話さないようにしていたのか。それが、どういう意味を持つのかオレにはわからないけれど。
「大樹、一颯。ぼくの過去は、あまり人には言えないようなことが多いんだ。それでも、葉山の話を聞く?」
 お袋が二者択一を迫る。
 聞きたくないのなら、聞かなくてもいいんだと。
 でも、オレは聞きたかった。
 普段のお袋からは想像できない場所にあった、あの墓石。そして、お袋自身、人には言えないと断言した過去。
 幸せそのもので生きてきたと思い込んでいたお袋になにがあったのか知りたいと思った。
 兄貴とオレがその場から動かないのを見て、お袋は覚悟を決めたように一つ大きく息を吐いた。
「さっきのお墓は、十九歳で亡くなったぼくの兄の墓なんだ。六つ年上の」
 ということは、当時お袋は十三歳……今のオレと同じか。
「でも、ぼくは兄さんが亡くなってから三年間、墓参りに行ったことがなかった」
「なぜですか?」
「……それはね。兄から性的虐待を受けていたから」
「………え?」
 今、お袋はなんて?
 久しぶりに真っ直ぐに見たお袋の顔は、初めて見る哀しげで苦しそうな表情だった。
「性的虐待……ですか?」
 兄貴の声も震えている。
 その伯父が亡くなったとき、お袋は十三歳。なら、どれだけ幼い頃から虐待されていたというんだ?
「ギイが背中を押してくれなかったら、ぼくはいまだに兄のことを許してないと思うよ」
 許さないなんて言葉がお袋の口から出たのを、呆然と見ていた。
 お袋はいつだって、包み込むような大きな心で家族を愛していた。それだけじゃない。他人に対してもいつも優しく、困っていたらすぐに手を差し伸べるような人だから。
 誰かを憎むお袋なんて、想像ができない。
 性的虐待のことだけでも衝撃を受けたのに、話はそれだけでは終わらなかった。
 お袋は自分の親のこと、インターセックスであること、虐待によるアダルトチルドレンであったこと、そして今は葉山の家と絶縁していることを説明した。
 淡々と語ってはいるけれど、どれも耐え切れない苦しみを負い、オレから見れば狂ってしまったほうがマシだと言いたくなることばかりだ。
 人の何倍もの辛酸を味わった、お袋の壮絶な人生。
 いつもニコニコと笑っていたから、なんの苦労もなく生きてきたのだと思っていたのに。
「でもね、ぼくにはギイがいたから。だから受け入れられたし、乗り越えられたんだよ。だから、今はすごく幸せだと思ってる」
 そう締めくくったお袋の微笑みは、幸せに満ちていた。
 あぁ、だからか。お袋がいつも笑っていられるのは。
 辛い日々があったからこそ、笑っていられるんだ。
 お袋はもちろんのこと、オレと同じ十代の頃から支え続けた親父の精神力。
 それだけの力も覚悟もないのに、生意気にお袋にはわからないと決め付け、遊び歩き、八つ当たりしていた自分が恥ずかしくなった。崎の家に生まれたことに対する不満なんて、お袋の人生に比べたら無に等しい。
「ということで、ぼくの話はおしまい。なにか質問ある?」
 コトンと小首を傾げたお袋に、
「あのさ」
 三ヶ月ぶりに口を開いた。
「うん?」
「母さん、ごめん」
 八つ当たりして、ごめん。こんな子供でごめん。
 目を見開きとても嬉しそうに笑い、お袋はくしゃくしゃとオレの頭を撫でた。
 その手の暖かさに、ホッとした。なんだか久しぶりに家の温もりに包み込まれた気分だ。
 図体ばかりデカい頭でっかちな子供なんだと自覚したよ。
 涙腺が緩みそうになって歯を食いしばったとき、
「でも、母さん。どうして話そうと思ったんですか?」
 兄貴がタイミングよく、話を反らしてくれた。
 実は、オレも思っていたんだ。
 今まで隠しているつもりはなかったのだろうけど、どうして話をする気になったのかと。
「んー、ぼく側の身内の話、一切してなかっただろ?不思議に思っていたと思うんだ。でも、内容が内容だから理解してもらえそうな歳になるまで待ってた」
「それが、今?」
「だって、大樹も一颯も女性を知ってるだろ?だからこういう話をしても大丈夫かなぁって」
 突然前触れもなく落とされた超特大級の爆弾発言に一瞬意識が遠のき、オレだけじゃなく兄貴まで慌てふためいて、わけもなく、
「かかか……母さん!」
 なんて叫んでるオレ達を、クスクスと笑う。
 って、女を初めて抱いたのつい二ヶ月ほど前なのに、なんで知ってるんだよ!
「ギイもそうだったみたいだし、色々と考えるところがあるだろうし、ぼくはなにも言わないけどね」
 ついでに、さらっと親父の過去を暴露し、
「けど、大樹はほどほどにしないと。赤池君の耳に入ったら知らないよ?」
 もう一発兄貴に爆弾を落とした。
 赤池君ってのは、親父の相棒って人だよな。ということは……。
「もしかして兄さんの好きな人って美波ちゃん?!」
 って、咲未の一つ下の……御年十歳……。
 直撃を連続で食らった兄貴は、もう憤死しそうだ。
「兄さん、生きてるか?」
「………死んだ」
 そんなオレ達をコロコロと笑い、
「大樹は運命の人を見つけたみたいだし。一颯も見つかるといいね」
 オレに優しげな視線を向ける。
「……それを言うなら咲未もだろ?」
 お袋に女性関係がバレていたことを引きずって、つっけんどんに返事をしたら、
「咲未はとうの昔に見つけてるよ」
 目の前が真っ白になるくらいの信じられない言葉に、即リミット解除。
「「なんだってーーーっ?!」」
 兄貴とオレの声が重なる。
「いったい、どこの誰なんです?!あの可愛い咲未をたらしこんだヤツは?!」
「そうだ!あの純真で天使のような咲未を騙すなんて!オレが八つ裂きにしてやる!」
 身を乗り出して激高するオレ達をチロリと見て、ずずずと一口お茶を飲み、
「ふぅん。『お兄様、大っ嫌い!』って泣かれてもいいんだね?咲未に、口きいてもらえなくなるかも?」
 ガーーーーーン。
 あの可愛い咲未に『お兄様、大っ嫌い!』なんて言われたら、オレ、生きていけないかも……。
 ズーンと落ち込んだオレ達に、
「だから、これはギイにも内緒ね」
 口の前に人差し指を立てて、片目を瞑る。
 あぁ、確かに親父の耳に入ったときには、それこそ世界経済がパニックに陥るだろう。
 しかし、お袋はいったいどこまで知っているのだろうか。のほほんとしているようで、全てを把握してそうなお袋に身震いがした。まさか、相手の女全て知っているわけないよな。
「以前、お義母さんに聞いたんだけど、崎の人間は一生に一度しか恋をしないんだって」
 そんなおとぎ話のようなことは信じられないが、裏を返せば親父も爺さんも初恋を実らせたってことで。
「もしも、その恋がかなわなかったらどうなるんです?」
 その初恋をリアルタイムでしている兄貴が恐々と聞く。
「さぁ?お義母さんに聞いておこうか?」
「いや、いいです!」
 お袋と兄貴の会話を聞きながら、オレの初恋っていつなんだろうなぁなんてことを考えた。
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