● ● 家族の食卓(2012.10) ● ●
崎家では、なにかしらの個人的用事がなければ、食事は基本全員で取る。
これは、お袋が習慣づけた。 めいめいが好き勝手にダイニングルームに集まると、シェフとメイドに迷惑がかかるというのは建前で、本当は親父のためらしい。 忙しい親父が家にいることなんて滅多にない。いたとしても、オレ達と擦れ違いになることが多い。 それなら、せめて食事の時間だけでも家族の顔を見れたらと、この時間なら家族が揃っているからと、抜けられるときは仕事を抜けて食事を取りに親父は帰ってきていた。 いつだってオレ達家族を思っていてくれることは子供心にわかっていたし、親父の肩に何万もの人の生活がかかっていることも理解していたけど、やはり一般家庭のように休日に家族が揃う生活というのは、内心羨ましかった。 それを補う以上に、お袋はオレ達に愛情を注いでくれたが。 食事の時間というのは、小さかったオレ達が親父と触れ合うことができる数少ない時間の一つだった。 総帥となった今では、なかなか抜けることなどできなくなったが、やはりこの習慣は続いている。 朝食を取ろうと階段を上ろうとしたオレの視界に、大きな背中が見えて足を止めた。 オレの気配に気付いた親父が振り返り、 「おはよう、一颯」 軽く手を挙げる。 「おは……よう……、あれ?」 「おいおい、そんなに驚くことはないだろうが」 「だって、父さんがこの時間にいるなんて、数ヶ月ぶりのことじゃないか」 苦笑しながら階段の上で待っている親父の側に駆け上がり、一応反論する。 出張からそのまま直帰することもあるから夕食時はまだマシだけど、朝食のこの時間にいるなんて、本当に数ヶ月ぶりだ。雨でも降るんじゃないか? 「休みの日くらい、一緒に食事しようと思ってな」 「休み?」 「オレだって、休みくらいあるさ」 ダイニングルームに入って席に着くと、メイド達が手際良く料理を運び込んできた。 しかし、テーブルの上のカトラリーはいつもどおり四人分。かといって、メイド達が親父の姿に慌てる素振りはなく、もう一人分のカトラリーを用意する様子もない。 首を傾げたとき、 「お父様!」 兄貴と一緒に部屋に入ってきた咲未が、嬉しそうに親父の下に駆け寄った。 「お、咲未、おはよう」 親父が目尻を下げ、咲未をハグしながらキスをする。 男親は娘が可愛いとは言うけれど、溺愛しているお袋そっくりの咲未だ。その可愛らしさは倍増されているだろう。 それに兄バカだとは思うけど、実際、咲未は可愛いと思うし。 「父さん、おはようございます」 「大樹、おはよう」 兄貴と咲未も席に着き、お袋直伝「いただきます」と手を合わせ、フォークを手に取る。 しかし、こうして家族全員が揃っているのに、お袋がいないというのが、どうにも腑に落ちない。お袋の性格を考えれば、なにがなんでもこの場に来るはずだ。久しぶりに家族全員揃った食卓なのだから。 「お父様。お母様は?」 同じことを思ったのか、咲未が不思議そうに問いかけた。 ほんの少し動きが止まったように見えたが、 「まだ寝てるよ」 何事もなかったかのごとく、涼しい顔で親父は答えた。 「お母様、体調が悪いとか?」 「いや、昨日少し眠れなかったようだから、今日は仕事も休みだし起こさなかったんだ」 「ふぅん」 ………なるほど。 オレ達が久しぶりに会ったのだから、お袋だって同じ。 眠れなかったんじゃなくて、寝かせてもらえなかったんだな、親父に。 この万年ラブラブ夫婦め。 兄貴とオレの呆れた視線に気付かない振りをして、熱いコーヒーを一口飲み、 「ところで、今日、お前達の予定はどうなってる?」 あからさまに親父が話題を変えた。 「大学です」 「同じく」 「咲未も学校よ」 「………そうか。学校か」 オレ達の答えに、親父は目に見えてがっくりと肩を落とした。 その様子に、あぁ、と思い出す。 咲未はともかく、兄貴とオレなんて親と遊ぶ歳でもないのに、親父はとにかく休みになると、オレ達を遊びに連れて行きたがった。 わざわざ朝食の席についたのも、オレ達とどこかに行く気だったのか。 「なぁ、みんなで遊びに行かないか?一日くらい学校をサボったって………」 案の定、親の風上にも置けないようなことを言い出した背後から、 「ギーイーーっ!自分の子供に悪事を教えない!」 眠そうに目をこすりながらダイニングルームに現れたお袋が怒りの声を上げた。 「託生?朝食ならあとで持っていってやったのに」 「あのね、今日は平日なの。子供達だって学校があるのに、寝ているわけにはいかないだろ?」 自分の椅子に腰掛けながら、オレ達に「おはよう」と挨拶し、親父に向き直る。 「だってな。せっかくの休暇なんだぞ。オレだって家族と遊びたい」 「それとこれとは別だよ。学校はきちんと行かなきゃ。進級したばかりなのに。それに誰かさんのように、ふらふらと授業を抜け出すようになったら困る」 お袋の正論にうっと言葉を失い視線をはぐらかす親父に、やれやれと溜息を吐いた。 学生時代、よくサボってたんだな。この不良親父め。 バタバタと予定外のお袋の食事を用意するメイド達に、 「ごめんね。ゆっくりでいいから」 と声をかけたお袋の髪の毛からポツリと雫が落ち、親父が執事に指示してタオルを持ってこさせ、 「濡れてるぞ」 食事の手を止め、甲斐甲斐しくお袋の髪を拭う。 シャワーを浴びて、ろくに拭きもせず、慌てて飛んできたんだな。お袋らしいけど。 親父のするがままに大人しく座っているお袋の顔が、なんだか、いつもと違うような気がする。親父には死んでも言えないけれど、よくよく見ると、我がお袋ながら今日はやけに艶っぽいぞ。 それに、親父とお袋の間になんとも言えない甘い空気が流れているような……。 黙々と食事をしているオレ達の前で、しばし二人の時間を味わい満足したのか、親父がタオルを自分の椅子の背もたれに置き、食事を再開したそのとき。 「お母様」 「うん、なに、咲未?」 にっこりと笑って咲未を振り返ったお袋に、 「今日のお母様、すごくお肌が綺麗」 前触れもなく、咲未の天然爆弾投下! お袋は笑顔のまま凍りつき、隣の親父はスクランブルエッグを喉に詰まらせ、兄貴は飲みかけのコーヒーにむせ返り、オレはパンにフォークを突き刺した。 咲未、お前、はっきり言いすぎ。 「そ……そうかな?」 「うん。お肌がぷるぷる」 にこにことお袋の肌を褒め称える咲未を横に、お袋より早く立ち直った親父がニヤリと笑う。意味深に。 あー、もう、息子に自慢してどうする? これがFグループ総帥なのか?ただのスケベ親父じゃないか! とたん、 「てーっ!」 「お父様?」 「………いや、なんでもない」 と言いつつ、恨めしそうに親父がお袋を見、お袋は目尻を赤く染めて親父を睨んでいた。 はいはい。そういうことは、子供達の前でやらないでください。一応、思春期真っ只中なんだぞ、オレ達。 咳き込んでテーブルナプキン一枚を台無しにした兄貴がやっと立ち直り、コホンと咳払いをし、 「父さんの休暇は今日だけですか?」 話題を修正した。 あー、そうだ。元々、遊びに行くかどうかの話をしていたんだった。 「いや、明後日まで」 おや、珍しい。 せいぜい一日オフになればいいほうなのに、三日間の休暇とは。 「じゃあ、休暇の前半は母さんと、後半は家族で過ごすというのはどうですか?俺達も、明日と明後日は休みですし。一颯と咲未はどうだ?」 兄貴の提案に異論はなく、オレも咲未も頷いた。 親父のことだ。家族で過ごすとなると、なにがなんでもどこかに行こうとするだろう。 しかし、その顔色と目の下に飼っているクマを見れば、最低でも一日はゆっくりしてもらわないと、いつ倒れるかハラハラしどうしになるのは目に見えている。 お袋が側にいるなら、親父も大人しくペントハウスにいるだろうし、たとえ二人でデートに出かけたとしても、たった一日なら遠出なんてしないだろう。 だいたい、こんな中途半端な時期に三日間の休暇ってのは、親父を休ませるために島岡さんが調整したのだろうし。 兄貴の言葉に少し考え、親父がお袋を振り返った。 「そうだな。託生は予定あるか?」 「ううん。レコーディングが終わったところだから、当分休みだよ」 「じゃ、今日は託生と過ごすことにするよ。明日は一泊でどこかに行こうか」 「うん、いいよ」 みんなが納得する案に、この休日の予定は決まり、ホッと安堵の溜息を吐く。 そのとき、居間の時計が八時を指した。 それを合図に、あとから遅れて来たお袋の食事に付き合うつもりの親父を残し、三人立ち上がる。 「あ、咲未。ちょっと待って。すぐ用意するから」 「母さん、いいですよ。今日は俺が咲未を学校に送ります」 「兄さん、オレも一緒に行くよ。どうせ一限は休講だし。荷物持ってくるから待っててくれ」 食事途中で慌てて立ち上がろうとしたお袋を制し、咲未の送迎を買って出た。 お袋が咲未を送るとなると、これまた親父がくっついてくることは簡単に予想できる。そうすると、親父のことだ。ペントハウスに戻らず、そのままの足でデートに繰り出すに違いない。 今日はとりあえず休んでもらわないといけないから、お袋をエサに置いておかねば。 「「「いってきます」」」 「三人とも、いってらっしゃい」 「気をつけてな」 ホールまで見送りに来た二人に手を振ってエレベーターに乗り込み、ドアが閉まる寸前、親父がお袋の肩に回していた手を頬に移動させ………。 ガコンと動き出したエレベーターの中、 「お父様とお母様、ラブラブね?」 「………あぁ、そうだな」 「………相変わらずな」 なぜか嬉しそうな咲未の声に、兄貴とオレはげっそりとした気分で、先程の光景を頭から振り払う。 結婚して十八年。いつになったら、あの二人は新婚気分が抜けるのだろうか。 「明日はみんなでお出かけなのね。楽しみ〜」 はしゃいだ様子の咲未に手を引っ張られながら、三人でマンションを出る。 久しぶりの家族だけの時間。 嬉しそうな咲未の顔を見ていたら、オレもなんとなく楽しみになってきた。 小さい頃のように、朝起きたら窓の向こうに孔雀がいた、なんてことはないだろうけど、海か山か、はたまた砂漠のど真ん中か。 さて、明日はどこに行くんだろうな。 懲りもせず、一颯語りの未来番外編でした。 「万年ラブラブ夫婦め」と一颯がブツブツ言っている夢を見まして; ちょっとした崎ファミリーのワンシーンですが、楽しんでもらえたら嬉しいです。 しかし、ギイタクからどんどん離れていくな……; (2012.10.20) |