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●  受け継ぐ心、伝える想い-5-  ●

 当初の予定では成田に降り、そのまま日本支社にいる親父と合流後、熱海の旅館で両親と会う手筈になっていたのだが、生憎、羽田も成田もプライベートジェットの離発着に制限がある。
 なので急遽静岡空港に行き先を変更し、そこから熱海まで移動した。
「離れ?」
「あぁ、ここの客室は離れしかないんだ。足元に気をつけろよ」
 ホテルを使うよりも客同士の鉢合わせが少ない。しかも今日は貸切にしたから、客そのものがいない。面会をするなら打ってつけの場所だ。
 親父から三十分程度遅れるとの電話に、ついでにと話し合いの内容によってどのように対処するかの打ち合わせをし面会時間を迎えた。
 島岡に案内され、託生の両親が弁護士と共に入ってくる。四年前より、少しやつれたような印象を受けた。
 元々、オレと親父の二人だと伝えていたのが、オレと託生に変わっていることに動揺したのか父親が立ち止まった。いや、託生のいでたちにだろう。
 託生と両親が最後に会ったのが、高校三年の冬休み。その頃の託生は、普通の男子高校生として生活していた。
 しかし、今ここにいる託生は、この四年の間に女性らしく変化した体を桜色のワンピースで飾り、控えめにキラリと光るアクセサリーの数々を身につけ、夏から受けていたレッスンの成果か、毎日見ているオレでさえ見惚れるくらい凛とした立ち姿でいた。
 どこをどう取っても、上流階級に属する人間に見えるだろう。
 飛行機が日本に降り立つ一時間前に、託生が着替えてきたのだ。
「今の自分の立場を考えたら、こうした方がいいかなって」
 崎一族の一員だと、両親に一目でわかってもらう為なのだと、託生は言った。
「お久しぶりです。どうぞ」
 託生の声に止まっていた時間が動きだし、促されるまま両親と弁護士がソファに座った。
 こちら側には、オレ、託生、弁護士、そして少し離れた場所に島岡。
「ご足労いただき、ありがとうございます。崎夫人もご両親にお話したいことがあると来日されましたので、ご同席いただきました」
 顧問弁護士の声に頷き、託生が母親を向き合った。
「お母さんが手紙に書いてあるような事はいっさいありません。ぼくはギイと結婚し、そして崎の家族にも良くしていただき、幸せな毎日を送っています。ですから、お母さんからの手紙は迷惑です。今後送るのは止めてください」
 託生が母親の目を見て、はっきりと宣言する。
 それなのに、
「それは言わされているんじゃないの?そこの人に」
 と、母親はオレに視線を向けた。
「いいえ、ぼくの意思です」
「託生は優しいから……。未成年の貴方をたぶらかすなんて、この人にとっては赤子の手をひねるのと同じことでしょ?託生の意思だと思わせられるわ。騙されているのよ。日本に戻って考えてみて。すぐに騙されていると気付くから」
 「騙されている」と決め付ける言葉に、託生の眉が寄る。
「四年前、貴方は崎夫人には二度と会わないとおっしゃったのをこの耳で聞いていますが、なぜ今頃崎夫人を呼び戻そうとされるのですか?」
 顧問弁護士が疑問を投げかけた。
「あのときは混乱していたんです。それが証拠にサインしてないじゃないですか」
 念書にサインは貰っていない。
 しかし。
「確かに。貴方からサインは貰えなかった。それは、ここにいる弁護士と島岡から聞いている。でも、貴方が病院で言ったんですよ。『私の子供じゃない』ってね」
 この耳ではっきりと聞いた。あの腸が煮えくり返るような、熱さを通り越して氷のように芯まで冷えた気分を味わったのは、あのときだけだ。
「混乱していたのよ!」
「こちらには証拠があります」
 母親の言葉を奪うように言葉を沿え、ディスクとメモリーカード。そして託生の部屋の写真をテーブルに置いた。
「病院内の監視カメラの映像。念書にサインを貰いに行ったときのやりとり。託生の部屋の様子。どれを取ってみても、貴方が託生を捨てたのは明白。今更、託生を日本に戻そうとする理由はなんですか?」
「自分の子供を守ろうとするのは、当たり前でしょ?勝手にアメリカにまで連れ去り洗脳するなんて。ましてや結婚?絶対認めません。託生を返してください」
 どこが、託生を守る、だ。託生の意思を無視して、託生を束縛しようとしているだけだろ?
 それが理由だとは、まったくもって信じられるわけがない。


 話し合いを始めてそろそろ三十分。これ以上続けても平行線だ。それに、この面会が託生の体に多少なりともストレスになっているのは、わかりきった事。
 横目で合図を送り、島岡が静かに部屋を出た。
「貴方は血の繋がりのない他人を信じると言うの?」
「はい。ぼくは離婚もしませんし、日本にも帰りません」
 ―――――――奇妙な間があった。
 母親を包む空気がゆらりと揺れたような気がした。
 母親のクスクスとした声が空気を振動させ、部屋全体にヒステリックな笑い声が響き渡る。
「貴方がそう言っても無理よ。離婚させられるわ」
 母親の顔が……晴れやかに笑っている顔が、あの病院の応接室で見た嫌悪感に染まる顔と重なった。
 誰に、離婚させられるって?
 そう聞こうとしたとき玄関先が騒がしくなり、音を立ててドアが開きお袋が飛び込んできた。
 親父が来ることは予定していたことだが、お袋まで合流するなんて聞いてないぞ。
 お袋は咄嗟に立ち上がった託生の頭を抱きしめたあと、母親に向けて何かを放った。
 エアメール?
「貴方がなにを言おうと、託生さんはもう私の子供です」
「奥様、騙されてますよ。そんな淫乱な子供、Fグループの嫁だなんて汚らわしいだけです」
「いいえ。託生さんしか私は認めません」
 両親と兄貴から虐待を受けていたとは話していた。しかし、内容に関しては伝えていない。そこまで話す必要もないからだ。
 手紙になにを書かれていたのかが、母親の台詞でわかった。託生にもわかっただろう。顔色を変え微かに震えだした託生の体を、お袋がしっかりと抱きしめた。
「なにも心配しなくていいんですよ」
 託生の目をしっかりと見詰め微笑んだお袋に、おずおずと託生が頷いたのを確認し、お袋が母親を睨む。
「託生さんは、私の息子義一と結婚し、崎託生としてアメリカで暮らしています。私達の大切な家族です。貴方方がそれを邪魔をするのであれば、こちらも徹底的に戦います!」
 お袋の言葉は、この母親に取って計算外だったのだろう。わなわなと握り締めた拳が震えている。
 誘拐罪云々の脅しも、兄との関係も、オレ達家族の絆を引き裂くには程遠い材料だったな。いや、どんな事があったとしても切れない、強固な絆だ。
 そして、秘書の高木と共に入ってきた親父が、母親の前に書類を置いた。
「二度と託生さんに関わらないという念書です。四年前、サインをいただけなかった。今度こそ書いていただきます」
「託生は私の子供です。赤の他人に命令される覚えはありません」
 書類に目もくれず、母親が親父を睨みつける。
 父親でさえ、Fグループ総帥の登場に青ざめているのに、この母親の精神力はどこから来ているのか。託生の過去を暴露してまでも、日本に戻そうとするのはなんだ?
 緊迫した空気の中、父親から微かな振動音が聞こえてきた。
「電話が鳴ってますよ」
「あ………すみません。少しだけ……」
 親父の言葉に、父親は携帯のディスプレイを確認し、反対側を向き着信ボタンを押して耳に当てた。
 それを見て、親父がニヤリと笑う。
 あぁ、あれか。
 先ほど島岡が親父に連絡し、ここに来る直前に投石してもらった。さて、父親はどういう反応を示すのか。
 ぼそぼそと聞こえていた話し声が、大きくなっていく。
「解雇?!え、私がなにを?!社長?!社長!」
「数分前連絡したところなのに、早いですね」
 飄々と呟いた親父の言葉に、切れた携帯を呆然と見詰めていた父親が振り向いた。
「いったい何を……」
「簡単なことですよ。貴方の勤めている会社の株を五十一パーセント手に入れたんです」
 横から口を挟んだオレに、父親の視線が移る。
「そ……そんな事。それにグループ会社の一つですから、身内で株券の過半数を持っているはずです。五十一パーセントの株券を手にすることなんて不可能……」
 その事くらい、とっくの昔に承知している。だから、もしものときの為に四年もの月日をかけて、株券を集めていたんだ。ただし、オレが集めたのは四十八パーセント。あと三パーセント足りなかった。それを補うために取ったのは……。
「M&Aですよ」
「M&A?」
 聞きなれない言葉なのか、青ざめた表情のまま問い返す父親に説明する。
「法人売買ですよ。グループ内でも、色々な会社がありますね。……それこそ、借金だらけで経営困難なところとか。だからといって親会社がなにかをしてくれるってこともありませんから、株券を後生大事に持っていても仕方がない。動産、不動産、経営権、ようするに資産も負債も全てひっくるめて買うって言ったら、両手を挙げて喜んでましたよ。それに、そこで働いている従業員もね」
 天下のFグループ傘下だ。ちっぽけな日本のグループ内にいるよりも聞こえはいいし、こちら側としても建て直し可と判断して購入したんだ。経営陣を総入れ替えすれば、数年後には充分利益が上げられる。
「最終的に、五十一パーセントの株券を手に入れた。よって、筆頭株主として、どんな案件に対しても決定権を持っているということです」
 それがどういう事になるのか、社に属するものなら予測できるだろう。青ざめた額に冷や汗が浮かぶ。
「それを社長に伝えた。震え上がるでしょうね。自分の社長の座を次の株主総会で追われるかもしれないんだから。そして目的はなにかと聞かれたから……」
「それが、私の解雇………」
「簡単に言えばそういうことです」
 解雇にすれば三ヵ月間の給料を払わないといけないが、それを上回るメリットがあるなら、当然そちらを取る。これから先、経営に口出しされることを考えれば、それくらいの金は惜しくないだろう。微々たる金だ。
 それに、元々こちらも乗っ取るつもりでもないし。
「貴方が今ここで奥さんに念書にサインをさせるか、明日会社を解雇されるか、選択権は貴方にあります。どちらにしても、手に入れた三社はそのままFグループ傘下で……それに関しては相手方も元々見放している所だから納得してますが、株券に関しては来週にでも時間外取引で売買して返す予定です」
「どうして、そこまで………」
 たった一人の社員を解雇にする為、丸ごと手に入れるのかって?
「自分の子供を守るのに手段がいりますか?」
「お義父さん……」
 成り行きを見ていた託生の呟きに、親父は安心させる為か託生に笑いかけ、もう一度父親に向き直った。
「託生さんは、私達の子供です。私達は子供を傷つけた貴方方を決して許さない。今回のことは、託生さんをこの世に生み出してくれたことに対する譲歩です。本来なら、とことんまで追い詰めている」
 死んだほうがマシだというくらいにな。
 親父の心の呟きが聞こえてきた。呆れるくらいオレと親父は正真正銘の親子だ。
「書け!」
「どうして?!私の尚人がいないのに、どうしてこの子だけ幸せになるのよ?!この子は、不幸にならなきゃいけないのよ!私の尚人を殺したのに!」
 母親の悲鳴のような叫びに、本心が滲んだ。
 あぁ、これが望みなのか。託生を不幸にしたかったのか。
 目の前が赤く染まっていく。あの時の怒りが、オレの中で眠っていた感情がよみがえってくる。
 どこまで託生を傷つけたら気が済むんだ?!これが、血の繋がった親のすることか?!
「いいかげんにしろ!明日から路頭に迷いたいのか?!」
「あんたは、私達に償うべきよ!幸せになんかさせない!育てた恩を仇で返すなんて、許さない!日本に帰ってらっしゃい!」
 父親の言葉に耳も貸さず激高している母親を前に、抱きしめた腕の中で託生は落ち着いた表情を崩さなかった。まるで、こう言われるのをわかっていたかのように。
「お母さん、もう、お祖父さんはいないんだよ」
 そして、母親の目を覗き込むようにして言った。
 託生の言葉に、母親が目を見開く。
「誰も、お母さんを怒る人なんていないんだよ。褒めてもらおうと一生懸命にならなくてもいいんだよ。幸せを幸せだと思っていいんだよ」
 託生の声が部屋に響く。
 託生………?いったい、なにを?
 部屋の中にいた全ての人間が、凝視していた。託生を。そして、母親を。
 先に視線を逸らしたのは母親だった。
 目の前に置かれた念書をじっと見詰めたままの母親に、託生がペンを差し出した。それを受け取り、素直にサインする母親に皆が息を飲む。
 その紙を弁護士に渡し、頷いたのを確認して、
「取引成立ですね。高木、すぐに先方に連絡しろ。解雇の話はなしだ」
「わかりました」
 親父に付いていた高木が、部屋を抜けた。
「今後託生には、二度と接触しないでいただきます。エアメールを送ってこられても、その場で破棄。例えアメリカまで来られても、話をするまでもなくSPが身柄を確保し警察送りです。全て、弁護士を通してください」
「わかりました」
 と答えたのは父親。
 母親は考え込むように俯き、自分の握った手を見ていた。
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