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●  雪に残った足跡-11-  ●

 シャワーを浴び、興奮状態のせいか余り眠気はないけれど、少しだけ横になろうと託生の隣に滑り込んだとき、その微かな振動に託生が寝返りを打った。
 朝まで寝かせようと思っていたけど、そろそろ起きても可笑しくない時間だ。
「ん………」
「託生?」
 小さく呼ぶとパチパチと瞬きを繰り返し、託生はあっさりと目を覚ました。そして、周りを見回して、
「あれ?」
 途切れた記憶に首を傾げる。
「ごめん。オレが託生に睡眠薬を飲ませた」
「………あぁ」
 昨晩も同じような表情を見たなと思いつつ、謝罪と説明を口にすると、あのときのことを思い出したのか、軽く頷いてさらりと納得し、
「よく寝たような気がするよ」
 なんて、欠伸をしながら暢気に言ってくれるものだから、肩からガクリと力が抜けた。
 なんの薬かもわからず、ありえないけれど究極毒薬かもしれないのに、託生はオレを信用し舌で押し返すことなく飲み下した。託生に聞かせたくないだけで睡眠薬を飲ませるなんて、オレの我侭でしかないのに。
 しかし、激怒されても仕方がないこの行為は、託生の中では消化され終わった話になっているようだ。それどころか、この一瞬思い出しただけで充分とばかりに、もう必要のない記憶みたいなものに分類され、すでに託生の中には欠片もないのかもしれない。
「熟睡してたもんな」
 さらりとシーツに落ちた黒髪を撫でれば、くすぐったそうに首を竦め目を細めて笑う。
 あまりオレを甘やかすなよ。
 心の中でそう指摘しながらも、この心地よい空気を何度も味わいたくて、また甘えてしまうんだろうなと思う。
「あれから、どうなったの?わかってもらえた?」
「あぁ、きちんと理解してもらった。週明けから託生に近づかないはず」
 相変わらず婚約者云々が問題だったのだと勘違いしている託生に、もう心配することはないのだと微笑みかける。
 ヤツの退学を知っても、正真正銘、立派な理由があるのだから、託生が責任を感じることはないだろう。裏で佐智が動いていることなんて、知る必要はない。
「ありがとう、ギイ」
 こんな形でしか守れないオレなのに、無邪気に笑いかけてくれる託生に感動しながら、数時間ぶりのキスをした。


「ギイ。本宅に帰らなくていいの?」
 託生がベッドの上に起き上がったので、サイドテーブルの灯りのスイッチを入れた。
 ぼんやりと浮かび上がった光景を見て、今朝、起きたときと同じベッドなのに気付き、託生が聞く。
 今回のことは絵利子が両親に話しているだろうし、落ち着くまでは二人きりの方がいいと判断した上で五番街に滞在しているのだが、こういうことが初めてなので不思議に思ったらしい。
「あぁ、別にかまわない。絵利子が数日分の着替えを持ってきてくれているし」
「わざわざ?ぼく、同じのでいいのに」
「『女の子は同じ服を二日続けて着ちゃダメなの!』だそうだ」
「………女の子って大変だよね」
 絵利子の物真似をしながら言うと、らしくなく、託生が諦めたような溜息を滲ませ苦く笑った。
 その顔が、こちらに来た当時『椅子に座るときは足を閉じる』などの最低限の立ち居振る舞いを、お袋や絵利子に習っていたときに何度か見た表情と重なる。
 たしかに、託生は女性であることを選んだ。
 それは、オレの希望でもあったが、二人の未来を考えた末に託生が決意してくれたこと。
 しかし、託生自身が納得して選んでくれたことでも、やはり『女性である』ということに、違和感を感じているのは、医師から聞いて知っていた。
 だから、託生も承知の上で習っていた立ち居振る舞いではあるが、託生の中で葛藤があったのだ。
 昨日、あの雪の中で、繰り返された言葉が浮かんでくる。

『日本にいた葉山託生とぼくは、違う?』

 日本にいた頃の託生は男。今は女。
 外見が変わったことは、充分託生も認識しているのだから、これに関しては今更だ。
 では、何を持って、託生は自分が違うと思ったのだろう………。
 勘違い男の件を解決するのに躍起になっていたが、根本的にオレはなにかを見落としている。託生が言っていた違いってなんだ?
 あの頃と変わったのは、託生の体。住んでいる国。………と周りにいる人間。
「あ………」
「なに、ギイ?」
「もしかして、託生。女性扱いが慣れない?」
 男らしくとか女らしくとか、そういうものに囚われず、託生は託生らしく生きていってほしいと思っているが、世間の目は外見から判断する者も多い。
 その判断の最初にあるのは性別だ。
 一目見て男女の違いを瞬間的に判別し、その人間にあっているだろう対応をする。だから、日本にいる頃と今では、託生に対する対応が違うはず。
「え?」
 大雑把過ぎる質問の意味が分からず、ポカンとオレを見上げた託生に、
「周りの人間の対応に、違和感を感じてないか?」
 と、わかりやすい言葉で慎重に聞いた。
 託生の中のなにかを思い出させても今はオレが側にいるし、この浮かんだ推測が当たっていたとしたら、それこそ託生にきちんと説明しなければならない。
 息を詰めて待っていると、託生は口の中で「違和感……」と繰り返し呟き、少し遠い目をして悲しそうに俯いた。
「………祠堂の友達とは全然違うよね」
「どう、違う?」
「腫れ物に触られてるような気がする。丁寧すぎると言うか『自分でできるよ』と言っても、『いいから、いいから』って」
「託生が違和感を感じたのは、大学に行ってからだよな?」
「うん」
 こっくり頷いた託生に、たぶんオレの予想が当たっているだろうことを確信した。
 ALPに通っていた頃には、すでに女性らしい体つきをしていたが、ALPは大学ではなく語学学校。人間の出入りが頻繁に行われ、親しくなる前に各自の進路に進む。
 それに、日本からの留学生で何人かの害虫はいたが、基本的に異国の地で自由に母国語を話せる仲間みたいなもの。
 オレが蹴散らしたあとは諦めてくれたのか、コロンビア大学で見かけても、同じ留学生だという枠からはみ出すことなく集団行動をしていたみたいだ。
 しかし大学では、そういうわけにはいかない。
 しかもマネス音楽院は元々学生の数が少ないから、数ヶ月で全学年顔見知りになるだろうし、勘違い男事件の発端となったようなデュオやトリオ、オーケストラ練習などで、親しくなる人間も多くなる。
 そうすれば、おのずと託生と接するときは、女性として扱うことになる。
 自分は変わっていないつもりなのに、周りの対応が違う。もしかしたら、自分が気付かないだけで、自分は変わってしまったのかもしれないと、不安になっていても可笑しくない。
 そのグラグラの状態のところに、あの勘違い男が究極の女性扱いをし、兄貴のことを思い出させ、パニック状態になったのではないか。
「あのな、託生。腫れ物に触っているわけでもないし、丁寧すぎるわけでもないんだ」
「でも、祠堂の友達と違うよ?」
「それは、託生を知っているからだよ。あいつらだってオレと同じように、男とか女とか関係なく、『友人の葉山託生』としか見てない」
「じゃ、今はなぜ?ぼくの体が変わったから?それとも、ぼく自身が変わっちゃったの?」
 指摘したことで、今まで託生が抱えていた疑問が噴き出す。
 泣き出しそうな顔をして、噛み付くように訴えかけた託生を、落ち着くように抱き締めた。
 やはり、そうか。
 もっと早くに、気付いてやればよかった。そして、きちんと説明しておけばよかったんだ。そうすれば、心のバランスを崩すような、辛い思いをさせることもなかったはずなのに。
 いつも楽しそうに大学に行っていたから、音楽の勉強ができて嬉しいと言っていたから。
 言い訳になってしまうけど、気付いてあげられなくて、ごめん。本当にすまない。
 託生の頬を両手で包んで、視線を合わせた。
「託生は変わってないんだ。たしかに、大学の奴らは初めから女性の体つきをした託生しか知らないから、託生を女性扱いするんだろうけど、こっちはレディファーストの国だからさ。どうしても女性を見ると、手助けをしないといけないと思ってしまう」
「レディ……ファースト………?」
「だから、託生が戸惑いや違和感を感じるこの対応は、託生に対してだけじゃないんだ。全ての女性への対応なんだ。こればかりは戸惑うと思うけど、こちらの習慣だと思って割り切ってほしい」
 自分に原因があるのではなく、相手の事情なのだとわかれば、託生は納得して受け入れてくれるヤツだ。
「じゃ、ほかの女性に対しても同じってこと?ぼくが変わったからじゃなくて、ぼくの外見で判断してるだけなんだよね?鈍いから鬱陶しがられてるんじゃないんだね?」
 案の定、オレの袖を握り締め、確認するように聞いてくる。
「そういうこと。託生に対してだけじゃない」
 と答えつつ、外見で判断なんて言われると、こう、託生のスタイルの良さとか胸の大きさとかを見られているような複雑な気分になるのだが。
 でも、疑問が一気に晴れて「よかった」と涙ぐむ託生に、胸がズキリと痛んだ。
 昨日のことはともかく、勘違い男のことは、託生にとって本当に他愛もないことだったんだ。入学して三ヶ月も経つのに、ずっと悩ませていたなんて。
「こういうことこそ、オレに話してくれよ」
 自分の不甲斐なさを反省しながら、託生の心を軽くするように、明るい口調でぼやけば、何度も頷いてオレの胸に顔を埋めた。
 他人行儀に見えていたのかもしれないけど、なにも心配することはないぞ。あれだけの味方が託生にはついているのだから。
「忘れるなよ。託生は託生だ。オレの、たった一人の託生なんだ」
「うん」
 こっくりと頷いた託生の頭を撫でれば、目尻に涙の粒を残しながら嬉しそうに微笑む。
 その可愛らしい笑顔を堪能しながら、ふとあることを思い出した。
 言ったら怒られそうだけど、いつか言っておきたいと思っていたし、しっかりと託生に認識してもらいたいことでもあるし………。
 託生は、兄貴とオレ、経験した人数は二人だと思っているけれど。
「それと、もう一つ」
「なに?」
「オレは、託生を抱いた初めての男だ。託生の最初で最後の男」
「な……なに言っ…………あ………」
 おー、見事だな。顔も耳も真っ赤だ。頭の天辺まで赤くなってるんじゃないか?
 託生が女性と判明してから託生を抱いた、最初の男で最後の男。
 十九の誕生日、そのときは半年間の禁欲生活で悶々としていたから、そこまで考えが及ばなかったが、それに気付いたとき自分の幸運に身悶えた。
「託生?」
「………ィの………バカーーーッ!」
「うわっ、おい、こら、止めろ!託生!」
「そんな恥ずかしいこと、真顔で言うな!」
「じゃ、どんな顔で………わかった!わかったから!痛いって!」
 託生の手から枕を奪って部屋の隅に放り投げ、羞恥心に暴れる託生を羽交い絞めるように抱き締めベッドに押し倒す。
 「バカ」やら「ギイのスケベ」やら、言いたい放題文句を並べて暴れていた託生が、疲れたのか諦めたのか急に体から力を抜き、とたんペチョッと自分の体が託生に圧し掛かり、慌てて肘で体重を支えた。
 赤く上気させた顔に汗が光り、それはまるで瑞々しいリンゴのようで、思わず齧り付きそうになったとき、
「………わかってた」
 ボソリと託生が呟いた。
「へ?」
「だから!ギイが、その、初めての人になるんだってこと、佐藤先生に言われたときに、わかってた」
 佐藤先生って、日本での主治医の?まだ退院もしていなかった頃に、そんなこと考えてた?そのあと半年も禁欲生活に入るのに?
 オレから視線を外しながら、顔を真っ赤に染めて暴露した託生が可愛くて可愛くて、可愛すぎて口元が緩んでくる。
「託生」
「なんだよ?!」
「愛してる」
 押し黙った託生が上目遣いに睨みつける。赤い目尻が堪らなく色っぽい。
 昨日の今日ってのは、やっぱ負担をかけちまうかな。
 でも、どうしようもなく託生が欲しい。
「え、なに、ギイ?」
「熟睡したから、大丈夫だよな」
「な……なにが、大丈夫って………ギイ!ちょっと、どこ触っ……!」
「朝まで充分時間があるし、二人の愛を深めようか」
「バカーーーッ!」
 託生の文句をキスで黙らせ、体を重ね。そうして、五番街の夜は更けていった。
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