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●  Go for it!-1-  ●

 毎日慌しいけど、今日は特別に慌しい朝。
 早朝より緊急の会議が入ったらしいギイを見送り、自分の用意を済ませて大樹の部屋を覗いた。
「大樹、おはよう。起きてる?」
「………おはようございます」
 起きてはいたみたいだけど、ぼーっとベッドの淵に座ったままの大樹に、朝の挨拶をしてバスルームへ促し、隣の一颯の部屋へ。
 大樹は、もう自分一人で用意ができるからいいけれど、一颯はまだ三歳。たまにボタンがずれたり、靴下が逆だったり、朝の支度はまだまだ手がかかる。
 一颯がのろのろと着替えているのを見守っていると、開けっ放しのドアの向こうに咲未がポテポテと走っていくのが目に入りギョッとした。
「大樹ーっ、咲未、捕まえて!」
「はーいっ!」
 寝起きに泣かれるのも困るけど、咲未のように目覚めと同時にベッドを抜け出し、ハイテンションで遊ばれるのも困る。なにかあったときのために、施錠はできないし。
 パジャマのままの咲未を上手くキャッチしてくれた大樹に礼を言い、一颯の支度ができたのを確認して、今度は咲未の着替え。
 四人で朝食を取ったあと、大樹をスクールバスの停留所まで送り、その足で一颯を幼稚園まで送り、ペントハウスに戻ってきたときには、すでにシッターが着いていた。
「じゃ、咲未。シッターさんの言うこと聞いて、いい子にしててね」
「まみ、ばっば」
「咲未を、よろしくお願いします」
「はい。お気をつけて、いってらっしゃい」
 玄関先で咲未をシッターに預け、執事に手渡された荷物とバイオリンを手に、エレベーターホールにUターンした。
「時間………、はぁ、間に合った………」
 腕時計を覗き込んで、約束の時間に遅れずにすみそうな状態を確認し、大きく肩で息をする。
 ギイのおかげで、ぼくは家事を一切することがないのにも関わらず、朝これだけ忙しいのだから、世の中の主婦の人は大変だ。ぼくだったら、絶対パニックになってしまうだろう。
 エレベーターに乗り込み、一階のボタンを押すと静かにドアが閉まった。
 小さな箱の中が外の音を遮断したと同時に、ぼくの中に音が流れ込んでくる。
 気持ちを切り替えようと意識する必要もない。自分の内側から堰き止められていた音が、噴水のように湧き出てくる様に逆らうこともなく目を閉じた。
 今日は、佐智さんのレコーディング最終日。
 五年前、大学を卒業し、でも、まだ一歳にも満たない大樹を置いて音楽活動することに躊躇ったぼくは、ギイの助言を受け、そのままマネス音楽院のディプロマ(大学院)に進学した。少しでも、バイオリンとの接点を残しておきたかったから。
 しかし、大学院を卒業する数ヶ月前に一颯が生まれ、一颯から手が離れかけたら咲未が生まれ………。
 なにかしらの音楽活動を始めるタイミングが、ずれていたように思うし、第一に親から相手にされていなかったぼくは、出来る限り自分の手で子供と接していきたいと思っていた。だから、シッターを頼むのは、こういう特別なときだけ。
 自分が話を聞いてもらえなかったから、話を聞いてあげたい。褒めてもらえなかったから、褒めてあげたい。抱き締めてもらえなかったから、抱き締めてあげたい。信じてもらえなかったから、信じてあげたい。
 自分が受けた思いを子供達には絶対させたくなかったから、小さな内は側にいたかった。
 そう言ったぼくに、
「一人で抱え込んで、無理だけはするなよ」
 と、ギイもぼくの好きなようにさせてくれている。
 九月から一颯も幼稚園に行きだし昼間は咲未一人になったから、多少楽になったとは思うけど、その分、習い事が増え、子供達の世話に追われる日々。
 だから、バイオリンに触れる時間が減ったのはどうしようもないことだ。
 大抵は、子供達が寝たあとに、二時間ほど練習をするくらい。
 指慣らしをして、数曲練習して、腕は落ちていないだろうけど、今のぼくには確認するすべがない。ただ黙々と、個人的に練習を続けているだけだ。
 そんなぼくに「レコーディングを手伝ってほしい」と佐智さんが声をかけてくれ、数年前から半年に一度、二週間ほどレコーディングに参加させてもらっている。
 事前に送られてくる楽譜を丁寧になぞりながら、楽譜が擦り切れるくらい練習し、限られた練習時間ではあるけれど、それだけバイオリンに集中して没頭できる時間は幸せだった。
 そして、レコーディングに入れば、思う存分に音と戯れ、弾く喜びと楽しさを満喫し、佐智さんと音楽を語らい、一人の演奏をする人間としてスタッフの人にも受け入れてもらっていた。
 その後、一つの形ある物として残るCDは、ぼくの宝物だ。
 慌しい日常が不満と言うわけじゃない。
 子供達は可愛いし、ギイは変わらず、その、恋人気分が抜けない状態だけど、家族仲良く暮らしている。
 でも、たまにふと、なにかが頭の中を掠めるように通り過ぎるんだ。
 ぼくはこのままでいいのか、と………。
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