● ● 君が帰る場所-9-完(2012.5) ● ●
臨月に入り、島岡が出来る限りNYから離れないようスケジュールを組んでくれていたが、先月終わるはずだったプロジェクトが数日伸び、最終確認のためオレはロサンゼルスに来ていた。
「義一さん」 支社にて細かい状況をチェックし、そのまま成功を祝うパーティに出席していたオレに、足早に駆け寄った島岡が小声で呼んだ。 「どうした、島岡?」 「パーティはキャンセルです。NYに戻ってください」 「なにかトラブルでも?」 オレがいなくとも支障はないが、長い間頑張ってくれた社員を労うのがオレの役目だ。それによって、今後のモチベーションが変わってくる。 「トラブルではないですが、とにかく早く」 そんなことは百も承知の島岡が、こうも慌てているのには理由があるのだろうが、さすがにこのまま帰るわけにはいかず、プロジェクトチームの一人一人に労いの言葉をかけ、パーティを中座する侘びを入れる。 「急いでください」 と言いながら島岡が向かった先はヘリポート。 それほど一刻を争う状態なのか? 一気に上昇し空港に向かうヘリの中、 「なにがあった?」 これほどまでに急ぐ理由を問いただす。 島岡はオレを連れ出せたことに落ち着いたのか、いつもの冷静な表情に戻りオレに向き直った。 「さきほど、NYより連絡がありました。託生さんが破水したそうです」 島岡の言葉に、思考が停止する。 託生……破水………。 「……って………産まれるのか?!」 「そうです」 「まだ予定日には三週間も早いぞ?!」 「臨月に入っているんです。いつ産まれてもおかしくはありません」 それはもちろん知っている。知ってはいるが、こんなに早まるとは予想していなかった。 「もう、すでに陣痛は始まってます。しかも、破水直後から一気に進んだらしく、分娩まであまり時間がないかもしれないそうです」 それは、暗に出産に間に合わないかもしれないということか。くそっ! 「情報はそれだけか?!帝王切開に移ったという話は?!」 「まだ、入ってません」 託生………! 元々、託生の出産は帝王切開を奨められていた。それは造膣したからだ。人工的に作った膣を赤ん坊が通り抜けられるのか疑問の声が上がったのだ。 さすがのオレも、この件に関してはリスクの張る普通分娩は考えられず、医師の指示に従うつもりだった。託生と子供、二人の命に関わることなのだから。 しかし、当の託生は断固として拒否した。 医師の説得もオレの懇願も跳ね除け、絶対に普通分娩で産むのだと言って引き下がらなかった。 それならばと、予定日の十日前に陣痛促進剤を使って陣痛を起こし、時期を見て麻酔を入れ、管理下のもと無痛分娩する手筈になっていたのだ。いつでも、帝王切開に切り替えられるよう、医師を揃えて。 今の状態はどうなっているんだ? NYにいれば、託生の側についてやることもできたのに。今更言っても仕方のないことだが、この距離が腹立たしい。 完全に着陸を待つのももどかしくヘリから飛び降り、ついでチャーターしたジェットに乗り込み闇に包まれたロサンゼルス空港を離陸する。 国内とは言え大陸の西と東。ロサンゼルスからNYまで約六時間。着くのは……四時過ぎか。 これほどまでに時間が経つのを遅いと感じたことはない。一秒の長さでさえ今のオレには疎ましく、祈るように時間が過ぎるのを待った。 頼む。産まれていてもいいから、どうか無事でいてくれ……! 真っ暗な大陸を強調するように、前方の空がブルーのグラデーションに彩られてきた。あと一時間もすればオレンジの帯が輝くだろう。NYはもうすぐだ。 ケネディ国際空港に着きすぐ側に準備されていたヘリに移動して、乗り込むと同時に離陸した。 東の空が明るくなり始め、NYのビル街の影が長く尾を引いている。 病院の屋上のヘリポートが見えてきた。誰かが手を振っている。 「ギイ、早く!」 ドアの前に立っていたのは、絵利子だった。 ヘリの強風にあおられながら、ごう音にも負けずオレを怒鳴る。 「託生は?!」 「もうすぐ産まれそう!早く!」 質問したくてもそれどころじゃなく、明け方の病院なのだと自覚はしていたが、それを配慮できるだけの思考は残っていない。 絵利子の先導で産科の病棟前まで来ると、看護師が電子ロックを解除してドアを開けていてくれた。 廊下を走りぬけ角を曲がった先に、お袋と親父の姿が見える。 「義一、早く!」 飛び込んだ病室には、分娩のために形が変えられたベッドを白衣の人間が数人取り囲み、その中心に託生がいた。 オペの準備をしている気配はない。このまま産むのか。 「託生……!」 素早く託生の頭側に移動して額に流れる汗をハンカチで拭き、グリップを握り締めている託生の右手を包んだ。 麻酔を使ってはいても、分娩の瞬間は感覚を殺してしまわないように量を調整すると言っていた。完璧に痛みを覆うようなことはできない。 「ギ………く………っ」 オレを認識した託生が振り向くも、横に置いてあるモニターの波形が大きく揺らぎ顔を痛みで歪ませた。 「息を吸って……息んで!」 ドクターの声に、握り締めて白くなった手に力が入り託生が腹に力を入れた。 瞬間、産声が緊迫していた部屋に響いた。初めて聞く我が子の泣き声。 「産まれた……」 呆然と呟く託生の声にドクターや看護師の「おめでとう」の声が混ざり、廊下から歓声が聞こえる。 産まれた……のか? 「へその緒を切りますか?」 ドクターの声で我に返り、託生と赤ん坊を繋いでいるへその緒を手に取る。指示された箇所に渡されたハサミを当て、力を込めて一気に切った。 手ごたえのある感触と、これで赤ん坊が一人の人間としてこの世に存在するものになったと認識したとき、現実に追いついていなかった心が一気に加速して溢れ出した。感動と感謝がない交ぜになり、初めて知る感情が胸に込み上げる。 「ギイ?」 「ありがとう、託生……お疲れさん……」 ポツリと落ちた水滴に、託生の目が優しく微笑む。ついさっきまであれだけ苦しんでいたのに、綺麗な笑顔を見せてオレの目尻に手を伸ばした。 最高の宝物を、ありがとう。幸せを増やしてくれて、ありがとう。 託生の胸の上に、生れ落ちたばかりの我が子が乗せられた。 「はじめましてだね。生まれてくれてありがとう」 そう、託生は愛しそうに声をかけ、オレを見上げた。 「ギイ、抱っこしてあげて」 恐る恐る託生の腕から赤ん坊を両手で抱え、ゆっくり胸元に引き寄せる。 少し力を入れたら潰れてしまいそうなくらいふにゃふにゃで小さくて、しかし泣き声には生命力が溢れている。 託生とオレの血を引いた子供。愛し合って産まれた一つの命。 「あ……」 目が開いた。 オレよりも濃く、しかし託生よりも薄い色素を持つ茶色の瞳。 お前はこの瞳で、何を見てどんな人生を送っていくんだろうな。できることなら、幸せなことばかり見せてやりたいが、長い人生そういうわけにはいかないだろう。 だから、この七十億の人間の中から、たった一人の愛する人を見つけたオレのように、お前もたった一人の大切な人を見つけろよ。それだけで、どんな困難でも幸せに変えていける力を持てるから。 ………急がなくてもいいけどな。 廊下で待っていてくれた親父とお袋と絵利子そして島岡に、産まれたばかりの我が子を見せ、皆ひとしきり騒いだあと帰っていった。 オレと託生と赤ん坊。家族だけになった静かな部屋に、太陽の光が差し込む。 「ギイ、名前考えてくれた?」 「あぁ。大きいに樹木の樹と書いて大樹。どうだ?」 「うん……君の名前は大樹だって。よろしくね、大樹」 託生から名前を決めて欲しいと言われてから、ずっと考えていた。厳しい冬を越え満開の花を咲かす桜の木のような強さと、託生のような大きな心を持ってほしくて決めた。 赤ん坊……いや、大樹は口元をむにむにと動かし、いつの間にか夢の世界に行ってしまったようだ。 「ギイ、明日、お仕事休める?」 「休めるよ。大丈夫だ」 言わずとも、今頃、島岡が調整してくれているだろう。親父も協力してくれるに違いない。 「じゃあ、明日、迎えに来てくれる?一緒に家に帰ろうよ」 オレ達の家。 これから幾つもの思い出を重ね、家族の歴史を刻んでいくであろう我が家。 「一緒に家に帰ろう?」 「あぁ……あぁ、託生」 小さなベッドの中ですやすやと眠る大樹を連れて、オレ達の家に帰ろう。 七月十三日。オレ達の家族が一人増えた。 お読みくださり、ありがとうございました。 まず妊娠週数のことなのですが、日本とアメリカでは数え方が違うらしいです; 日本では、28日を1ヶ月として合計10ヶ月280日。 アメリカでは、最初の月と最後の月を42日、その他の月を28日とし、合計9ヶ月280日なのだそうです。 でも、日本人の私としてはすごくわかりにくかったので、その辺りは日本式に10ヶ月としております。 また無痛分娩の話は、色々な体験談を読んだ上でのフィクションです。とは言っても少しだけですが。リアルには書けませんよね、出産シーンは; 本編Lifeを書いてから今まで、ワンシーンだけの話というのが結構フォルダ内にありまして、今回子供が産まれLifeとしては一区切りになると思いましたので、それらのエピソードを入れつつ書きました。 なので、今までの話の伏線のようなものがあると思います。 基本、Lifeは託生くんの心の傷や親との関係などを中心に進めてきました。でも、ギイも心の傷を持っているだろうな、と。 なので、今回はどちらかというと、ギイにスポットをあてて書き進めたつもりです。 でも、依存共依存や傷の舐めあいのような後ろ向きな言葉ではなく、お互いが想いあい信じあい助け合い、前に向かって一歩ずつ歩いていってほしい、そういう気持ちで書いております。 少しでも伝われば嬉しいです。 また、小話ついったーの方では、すでに未来編(?)として、今回生まれた、長男大樹(だいき)、そして次男一颯(いぶき)、長女咲未(さくら)の三兄妹が出ておりますが、小話ついったーだけの話になるか、Life続編として書いていくのか、その辺りはまだまだ決まっておりません。 Lifeの時間軸の中での短編はあると思いますが……。 今回、サイト開設10年に合わせて書いていたつもりですが、結局は間に合わず連載という形になってしまいました。 元々、マイペースにやってて、計画的に……という文字は私の辞書にはないんです(笑) 気付けば10年。 これからどのくらい続けていけるかは神のみぞ知る……ではありますが、萌えが続く限り運営していきたいと思っています。 これからも、Green Houseをよろしくお願いいたします。 (2012.5.25) 【妄想BGM】 ⇒家族になろうよ(動画サイト) |