● ● 受け継ぐ心、伝える想い-4- ● ●
母親からの手紙を、いつまでも放っておいていいわけがない。
託生を信用しているが、あの甘い文面にいつ付け入れられるか、それが心配なんだ。 アメリカに連れてきて結婚もして、今度は子供が生まれる。 毎日が幸せで、幸せすぎて、だからこそ、この幸せを失ったらと考えると気が狂いそうになる。託生のいない人生なんて、オレにとっては『無』でしかないから。 内ポケットに入れていた携帯が響いた。 ディスプレイを見て慌てて通話ボタンを押す。この電話を待っていたんだ。 『義一、計画通り手に入れたぞ』 「ありがとうございます!」 『で、どうする?』 「父さんは、まだそちらにいるんですよね?」 『あぁ。他の仕事もあるしな』 「じゃあ、アポを取ったあと改めて連絡します」 『わかった』 携帯を切り、すぐに島岡を呼んだ。 もしものときのために準備はしていたが、本来なら使いたくはなかった。 使う状態である、イコール、葉山家の介入だったからだ。もう二度とあの人間を見たくなかったのだ。 「今度こそ、引き離す」 必ずだ。 両親、双方の弁護士とアポを取り付け、面会の場所も決まった。 「向こうの弁護士はそのとき限りだったようで、ここまで大事になるとは思ってなかったようですよ」 あまり仕事がないんでしょうね。 同情半分、面白半分、島岡が笑う。 ようするに弁護士対策はしなくていいってことだな。誘拐罪云々だって、元からできるなんて思っていなかっただろうし。それ以前にやっかいな事に首を突っ込んだと逃げ腰になっているかもしれない。 日本に渡るため、寝る間を惜しんで仕事を詰め込み、その合間をぬって託生に連絡した。 「託生と話せるかわからないから。明日から出張なんだ」 『そうか。お仕事大変だね』 「大人しくしてろよ。絶対走るなよ。重いもの持つなよ。高いところには登るなよ。それから……」 『あのね……。大丈夫だって。大人しくしてるから』 「絶対だぞ」 『わかってるよ。ギイこそ、気をつけてね』 案の定、仮眠を取るくらいの時間しかペントハウスには戻れず、託生の寝顔にキスをして早朝マンションを出た。 「義一さん、そろそろ時間です」 「あぁ、すぐ行く」 出発時刻ギリギリまで仕事をこなし車に乗り込んで、ホッと一息吐いたときオレの携帯が鳴り、ディスプレイに表示された名前に慌てて取ると、声を上ずらせた執事のとんでもない報告にクラリと眩暈を感じた。 「なんだと?!託生が日本に?!」 『はい!お止めしたのですが、すぐ帰ってくるからと』 あれだけ大人しくしていろと言ったのに!しかも日本だと?! 「急げ!」 託生のヤロー。とっ捕まえてやる! ケネディ国際空港の周囲を縦横無尽に走る一方通行の向こうに、黒塗りのリムジンが見えた。 あれだな。放っておけばイエローキャブに乗りそうな状態だったからと、執事が無理矢理うちの車に乗せたらしい。 当たり前だ。どんな人間が運転しているかわからないようなイエローキャブなんて言語道断。もう少し危機管理を教え込まないと。 車が止まり車外に出た運転手がオレの顔を見て、ホッとしたような表情を浮かべ後部座席のドアを開ける。中から託生が俯き加減に降り、そして顔を上げたとたん仁王立ちのオレに気付き固まった。 「………げ」 こめかみに青筋が一本増えたような気がする。 「愛しの旦那様に対して、ご挨拶だなぁ、託生」 「ギ……ギイ、出張って………」 「ほー。オレの出張をわざわざ狙ったってことか」 「あ、いや、そういう訳じゃ……」 「たーくーみーーー」 地を這うようなオレの声に、顔を引きつらせながら託生はがっくり肩を落とした。 捕獲完了。 屋外で立ち話なんて託生の体に障るからとラウンジに引っ張っていき、ソファに座らせた。 VIP専用ラウンジには人気がなかった。まばらにSPが散らばり、島岡も少し離れた場所で待機している。注文を聞きにこようとしたスタッフを片手で追い払い、託生と向かい合った。 「で、どういうことなんだ?お前、まさか……!」 「違うよ!里帰りとかじゃないよ!」 睨みつけると託生はわたわたと両手を振り、即座に否定した。 「両親と話をしてこようと思って。もうアメリカから帰るつもりはないから、手紙を送ってもらっても迷惑だって」 「だったら、どうして、オレに一言言わないんだ?」 「だって、ギイ、反対するじゃないか」 「当たり前だろ?お前、妊婦なんだぞ?」 「だから先生の許可貰ってきたよ」 「そういう問題じゃ………!」 もちろん長時間のフライトも心配だが、それ以上に母親の言動が怖いんだ。 甘い言葉を言っているうちは、まだいい。あのときのような言葉を投げつけるかもしれない。もしかしたら暴力まで振るうかもしれない。 なにを考えているのかわからない状態では予測不可能だ。 託生と子供になにかあったら、オレはオレを殺すぞ。 「ギイに任せっぱなしだったから、自分で断りたかったんだ」 「任せるって、あれは、オレが勝手に……」 絶縁を………と続けようとした瞬間、 「てーーーっ!」 託生の両手挟みパンチが炸裂した。 お前、今、本気で叩いただろ?! 散っていたSPがその音にギョッと振り返り、いっせいにあちらこちらに視線を彷徨わせたのが横目に見える。 託生はオレを睨みつけ、 「ギイが悪いんだからな。その考え方、ぼくにもこの子にも失礼だよ」 一気に言い切った。 「アメリカに来たのは、ぼくの意思。ギイと結婚したのも、ぼくの意思。ギイが言ったからじゃない。嫌だったら、アメリカにも来てないし、ギイとも結婚してない。日本に帰ってる」 「お……おいっ」 「確かに絶縁を両親に言ったのはギイだけど、了承したじゃないか。両親と離れたのはぼくの意思だ。ギイが引き離したんじゃない。母が手紙で言ってるの、ぼくの意思とは違うってことはわかるだろ?ギイが考えていることは母と一緒。ぼくの意思を無視してるんだ」 「………ごめん」 託生の勢いに飲まれ、ポツリと謝った。 託生をアメリカに連れてきてから、ずっと思っていた。託生はなにも言わないけど、本当は絶縁なんてしたくなかったんじゃないかと。仕方なく、もしくは、オレに遠慮して了承したかもしれないと。 「これからもギイの側にいたいんだ。だから、行かせて?」 「どんな言葉を投げかけられるかわからないんだぞ?」 「うん」 託生は口元を引き締め頷いた。 なにもかも承知の上ってことか。 大きな溜息が零れ落ち、天を向いた。仕方ないな。 「わかった。行き帰りはプライベートジェット。これは絶対譲れない」 「ちょ……プライベートジェットなんて、ぼく一人で……」 「オレも行くぞ?」 「ダメだよ!出張だろ?仕事に穴を開けるなんて」 「あー、ごめん。出張じゃない」 「……じゃない?」 「オレも日本に行く予定だったんだ」 オレの言葉に、託生の目がすっと細くなる。 あ、もしかしてヤバイ? 「ふうん。ギイの出張、嘘だったんだ」 「ごめん!」 ゆっくりと噛み締めるように、確認するように、言葉を紡ぎながら数度頷いた託生に、パンと手を合わせた。 「ギイ、ぼくに嘘ついたんだ」 「オレが悪かった!」 「そうか。ぼく、これからギイが出張だって言ったら、浮気かもって疑わないといけないんだね」 「浮気なんて絶対ない!嘘ついて悪かった!このとおり!」 ギョッとしてテーブルに手をつき平謝りしながら、ふと思った。 怒っていたのはオレだったのに、なんで謝ってるんだ? 「次に嘘ついたら、ぼく本宅に帰るからね」 いや、ちょっと、それはなにか違うだろ?と突っ込みそうになりながらも、あの邪魔者だらけの本宅での暮らしを思い出して、コクコクと首を振る。 その様子を見て笑った託生にホッとして島岡を振り返り、 「島岡、旅券のキャンセルとプライベートジェットの用意……」 「あと五分で滑走路に入ってきますよ」 島岡の返事に「うん?」と首を捻った。 何事も先手を打ちそつなく動く島岡でも、これは少し、 「早すぎないか?」 問うたオレに、 「そうですか?貴方が託生さんに勝ったのを見たことがなかったので、車の中で連絡してました」 しらっと澄ました顔で言われ、ガックリとうな垂れる。 確かに一度も勝ったことないけどな………。 向かいの席で託生がクスリと笑った。 |