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●  未来への結晶(2010.12)  ●

 託生が入院して九日目の午後。
 祠堂に帰ってきていたオレは、託生からの連絡にいつでも応えられるようにと、できる限り寮に戻り勉強やその他の雑用を片付けていた。
 ふいに胸ポケットで震える携帯。
 相手先を確認して、溜息を吐き天を見上げた。
 ………ついに来るべきときが来たか。
 避けて通るわけにはいかないのに、オレは未だに迷っていた。いや、自分の決断に迷いはない。対処が間違っているとも思えない。
 しかし、彼らの関係から言えば、オレは第三者だ。第三者の人間が、彼ら……託生の家族を引き裂く権利など、どこにもない。
 託生の恋人であるだけの立場からすれば、越権行為も甚だしいこの行動を、非難こそすれ賛同する人間なんて皆無だろう。
 それでもオレは、許せないのだ。あの父親を。あの母親を。
 自分が命を張って守りたいと思っているものを傷つけられる痛み。それは憎悪を募らせ、時には殺意をも生む。
 あの時、母国にいたならば、怒りのあまりに護身用の銃で撃っていたかもしれない。
 人殺しにならなかったことだけは感謝するが、今の問題は託生の気持ちだ。
 このまま話を進めていいのか否か。
 震え続ける携帯に覚悟を決め、オレは通話ボタンを押した。


 島岡の報告を聞き終え、携帯をベッドサイドに放って、オレはベッドに体を投げ出した。乱暴な所為に、古いベッドが抗議するように悲鳴を上げる。
「明日か………」
 両親の話は、託生が落ち着いてから話そうと思っていた。
 いや、ただでさえ、自分の事でパニックになっているのに、その上両親が自分の子供ではないと突き放した事、オレが怒りに任せて絶縁を言い渡した事、託生の事なのに託生なしで話が進んでしまっている事をどう話せばいいのか迷って、言い出すタイミングを計っていたのだ。
 しかし、妙なところで感のいい託生に、ポーカーフェイスを完璧に被っていたのにも関わらず気付かれてしまった。


「ねぇ、ギイ」
「どうした?」
「両親には連絡行ってるよね?」
「………あぁ」
「じゃあ、どうして来ないの?」
「託生が寝ている間に一度来られたよ。ただ、親父さんも仕事が激務で、お袋さんも今、親戚関係で忙しいらしくてな、オレが付いているから大丈夫ですと帰ってもらったんだ」
「………ギイ、ぼくに嘘つかないで」
「嘘なんかついてないぞ」
「絶対、嘘だよ」
「どうして、そう思うんだ?」
「……ほら、嘘だ。疑問に疑問を返すようなこと、ギイは誤魔化すときしか使わない」
「!!」
「ギイ、お願いだから、本当の事言って」
「託生………」


 託生の真剣な瞳に誤魔化しきれないと諦め、己の感情は入れず事務的にあの日あった事を託生に伝えた。
 託生は、大人しくオレの話を聞いた後「そう」と一言だけ呟き、シーツを頭から被りオレから顔を背けた。
 オレの勝手な行動を責めているかのような小さな背中に、何の言葉をかけることもできず、その日は無言で託生の背中を見ているしかなかった。


 今、託生がどう思っているのか。
 まだ親の愛情を求めているのか。いつか愛してくれるのだと信じているのか。それとも、自分を二回も捨てた親を諦めているのか。
 聞きたくはあったが情緒不安定の託生に聞く勇気も持てず、ぐずぐずしている間に祠堂に戻ってしまい、今も聞けずじまいだった。
 しかし、明日、弁護士と島岡が実家に赴く事は伝えなければならない。
近づけさせたくないと思っているのはオレの勝手であって、託生の気持ち次第ではストップをかけなければいけないからだ。
 それがオレの意思に反していても、だ。
 放り投げた携帯を手に取り、自分の気持ちを押し殺すように慎重に短縮ボタンを押し、回線が繋がるのを待った。
”もしもし?”
「託生?」
”ギイ、どうしたの、こんな時間に?”
「ん、いや、託生はなにしてた?」
”ぼく?えと、診察受けたあと、そのまま散歩していたところだけど”
「迷子にならなかったか?」
”もう!迷子になったの一回だけじゃないか”
 ボソボソと拗ねる託生の可愛い声に頬が緩むが、オレの頭は託生にどう切り出そうかとそればかりを考え、一瞬奇妙な間が空いてしまった。
”ギイ、なにかあった?”
 心配げな託生の声にハッと自分の失態に気付き、でも伝えなければいけないことに変わりはなく、オレは覚悟を決めた。
「………明日、託生ん家に、弁護士と島岡が行く事になってる」
 回線の向こうで託生が息を飲む気配がする。じっと言葉を待っていると、
”………そっか”
 あの時と同じように、一言呟いた。
 側にいたあの時でさえ何もできなかったのに、顔が見えないこの状況では託生が何を考えているのかわかるはずもなく、咄嗟に携帯に縋っていた。
「ごめん、託生。でも、もしお前が」
 嫌がるなら、と続けようとした声をはばかり、
”いいよ”
 静かな落ち着いた託生の声が耳に届く。
「託生………」
”いつもギイはぼくの事考えてくれてるでしょ?そのギイが決めた事だもん。詳しく教えてくれなかったけど、両親がよほどの事を言ったんだと思う”
 絶縁なんてやりすぎだと。親子の縁を勝手に切るなと。そう怒って当たり前なのに、託生はオレの決めた事なら従うと言ってくれているのだ。絶対的な信頼感。恋人にそう思われて喜ばないヤツはいない。
 しかし、これとそれとは別だ。
「すまない、託生」
 心の底から謝罪する。お前から親を奪う権利なんてオレにはないのに、強硬に推し進めてしまって、ごめん。
”謝らなくていいってば。それに……たぶん、いつかはこうなってたんだよ”
「託生?」
”ぼくは、兄さんじゃないもの”
 憂いを含んだその一言に、全ての想いが篭っていた。
 オレが気付かなかっただけで、もしかしたら託生は、帰省するたび両親の思惑を節々に感じていたのかもしれない。葉山託生という人格を無視し、兄貴の身代わりを求めている両親の真意に。
 それでも、世間並みの親子のように接する事ができると喜んでいた託生の姿が、今は痛ましくもあり、それ以上にいつも笑っていられるような愛を託生に与え続けたいと気持ちを新たにする。
”島岡さんも行ってくれるんだよね?今、電話しても大丈夫かな……”
「大丈夫だろうけど、どうした?」
”うん。持ってきて欲しいものがあるんだ”
 寮に入っていたとは言え、十八年暮らしていた部屋だ。アルバムや手紙など、持ち出したい物もたくさんあるのだろう。本当なら全部持ってきてやりたいところなのだけど、そういうわけにもいかない。
「スーツケース一個分くらいなら、大丈夫だろ?」
”そんなにはないけど、あとで電話してみるよ”
「島岡は見かけによらず力持ちだからな。遠慮せずどんどん持ってきてもらえよ」
”ギ・イ”
 茶化すように言えば、いつも島岡に無理難題を言うオレを諌めるような低い声が聞こえてきて、声を上げて笑った。
”ぼく、そろそろ戻らなくちゃ”
 神崎さんに怒られちゃう。
 少し慌てた声に「託生!」と呼び止める。
”なに?”
「託生、愛してるよ」
 感謝と謝罪と恋情と。全ての想いを込めて。託生の心に届くように。
”うん……ぼくも、愛してる”
「無理はするなよ。じゃ」
”うん”
 回線が切れたのを確認して携帯を閉じ、手探りで取り出した煙草に火をつけ深く紫煙を吐くと、自分が思っていた以上に緊張していたのか、肩に入った力も一緒に抜けていく気がした。
 ベッド下に置いてある空き缶を探り、灰を落とす。
 念書に両親のサインを貰えば、法的な効力はないものの、ある程度の抑止力にはなるであろう。やっと託生をあの両親から引き離す事ができる。無事、交渉が成立する事を切に願った。


 翌日の夕方。呼び出しの放送がかかり一階の面会室に行くと、島岡が待っていた。
 東京から静岡に行き、また東京に戻って託生の病院へ、そして山奥祠堂。普通の人間であれば移動だけでバテそうな強行軍だが、日頃世界中を飛び回っている島岡には、このくらい朝飯前の事で、案の定疲れの一つも見せてはいなかった。
「病院から直接来たのか?託生の様子はどうだ?」
「はい、だいぶ顔色も良くなり、リハビリの時間も長くなっているようです」
「そうか……」
 電話での声は元気そうだったが、最後に見た顔色の悪さを覚えていたオレは、島岡の言葉にホッと息を吐く。
「託生さんから、義一さんに持っていてほしいと、これを預かってきました」
 スーツの内ポケットから出された、一冊の通帳と印鑑ケース。
「……これは?」
「えぇ、父親から託生さんに渡して欲しいと預かったのですが、病室に置いておくには物騒だからと」
 託生の大学資金と生活資金ということか。オレには手切れ金にしか見えないが、託生への慰謝料代わりだと思っておくことにしよう。
「わかったよ。預かっておく。で、どうだった?」
「はい。念書にサインをもらって十分ほどで退席しましたので、書類の説明と今後の話を少ししただけです。通帳に対する受領証は、明日弁護士の先生が作成されるそうなので、後日託生さんのサインをもらい、実家の方に郵送する事になっています」
「十分とは……腹が立つくらい、すんなりサインしたわけだ」
 二度と自分の子供に会わないという書類だったのに。
「ただ、サインが父親しか貰えなかったんです」
「母親はなくてもいいぞ。ってか、託生に会う気なんてさらさらないだろ、あの母親は」
 実際「自分の子供じゃない」と言い切ったんだからな。しかも変な生き物を見るような目で。
 思い出して、また腸が煮えくり返り、ギリリと奥歯を噛んだ。
 そんなオレを見ながら、島岡は困ったように首を横に振った。
「いえ、サインできる状態じゃなかったんですよ」
「どういうことだ?」
「あの母親、精神的に少しおかしくなっているようですね」
「おかしく?」
「えぇ。私達が訪問したときは普通だったんですが、託生さんの名前を出したとたん激高しまして……」
 その時の様子が浮かんでいるのか、島岡の顔に苦いものが走る。母親が何を口走ったのか簡単に想像でき、話を先を進めるよう目で頷いた。
「それで、父親が母親を宥めている間に、鍵をお借りして託生さんに頼まれた物を取りに部屋に入らせていただいたのですが、ベッドもカーテンも刃物で切ったかのようにズタズタになっていました」
 託生の部屋の有様を思い浮かべ、ぞっとした。ここまで、我が子憎む事ができる母親がこの世に存在するのだろうか。
 皆が気付かなかっただけで、兄貴が死んだ時から、母親の精神は狂い始めていたのかもしれない。それを補うために優等生であった兄貴の代わりを託生に求めたものの、別の人間である限りそれは叶わず、加えてそれまでの自分達の所為で託生は心を閉ざしていた。
 思い通りにならない託生を見ながら、溺愛していた息子を思い出して懐かしむのは不思議ではない。その息子が執着していた託生が女性だと発覚して、一気に負の感情の矛先が託生に向かい精神が崩壊したのだろう。
 お互いの為にも、託生を家族から引き離すのは賢明な判断だったのだと、島岡の話を聞いて改めて強く感じた。
「そんな状態じゃ、探すの大変だったろ?」
「いえ、すぐ見つかりましたよ。頼まれたのはペットボトル一本でしたから」
「…………は?」
 ペットボトル?わざわざ島岡に電話してまで頼んで持ってきてもらったのがペットボトル一本?
 オレのポカンとした顔に噴き出しつつ、島岡は説明を付け足した。
「えぇ、ペットボトルです。ギイからの初めてのプレゼントだからと」
「!!」
「病室で雪の結晶を見せていただきましたよ。ギイ、意外とロマンチストなんですね」
 笑いを含む島岡の声に、俯いて口元を手で押さえオレらしくもなくうろたえた。
 二年前の、まだ託生に想いを伝えられず焦っていたあの頃。熱で倒れた託生に初めて触れ、胸の鼓動が収まらなかったあの時。少しでも喜んでもらえたらと、無記名のメモを添え託生の枕元にペットボトルを置いた。
 あんな子供のおもちゃみたいなものを、二年も大切に持っていてくれたとは。
 驚きと感動に浸っているオレに、島岡は更に驚くようなことを言った。
「あとは、全て処分してくれと」
 ゆっくりと顔を上げ、信じられないような思いで島岡を見る。
「全て………か?」
「はい、他には何もいらないからと」
 オレの身勝手な行動を許してくれるだけじゃなく、託生がオレの意向に添う決断を下した事に胸が熱くなる。
 自分の体の変化についていくだけで精一杯のはずなのに……。
 一生かけて託生を守り愛し続ける事を、今一度、心の奥底に刻み付けた。
「両親については定期的に報告書を送ってもらうよう、手配しておいてくれ。何かあったときは、実子の託生に義務が生じるからな。託生に話が伝わる前に処理したい」
「承知しました」
 島岡は心得たとばかりに微笑み、オレは安心して事後処理を一任した。


 島岡を正門まで見送り部屋に戻ったオレは、すぐさま託生の携帯にかけた。この時間なら、まだ夕食前のはず。数回のコールのあと、
”もしもし、ギイ?”
 今日かかってくるとは思わなかったのか、意外そうな声で託生が出た。
「うん、オレ。島岡から通帳と印鑑預かったから」
”えぇっ、もう行ってくれたの?!”
 心底驚いたような声に、
「島岡は見かけどおりタフなんだよ」
 とからかうように応えると、
”島岡さんに、迷惑かけちゃったなぁ……”
 申し訳なさそうに情けない顔をした託生が目に浮かび、噴き出した。
「いや、オレも別件で話があったし」
”………本当に?”
 胡散臭げに聞く託生に苦笑しつつ、既に島岡から聞いて知ってはいたものの、託生の口から直接聞きたくて問いかけた。
「託生に嘘はつかないって。それより、託生、実家から持ってきたものって……」
”うん!雪の結晶が降るペットボトル”
 嬉しさを滲ませた弾む託生の声を聞き、今更ながら照れくささを感じたオレは、口早に異論を言った。
「………そんなものより、他にもあっただろう?アルバムとか手紙とか」
”だって、ギイからの初めてのプレゼントだよ?これ以上に大切なものなんて、部屋には置いてないよ”
「託生………」
 あっけらかんと、他の物は必要ないと言い切る託生に言葉が詰まる。どうして、お前はそうオレを喜ばす事が上手いんだよ。
”ギイ、お礼が遅くなってごめん。雪の結晶、ありがとう”
 優しく澄んだ託生の声に、記憶の中の二年前の託生と今の託生が一つに重なって、オレに微笑みかけた。瞬間、あの時のオレの気持ちが胸の中で忠実に蘇り、心が打ち震えるような切ない想いが込み上げ、目の奥が熱く潤んでくる。
「いや……オレこそ、ありがとうだ」
 震えそうになる声を叱咤して、わざと明るく言葉をかければ、
”ぼくが貰ったのに、お礼なんて………”
 ボソボソと腑に落ちないような声が耳に届き、クスリと笑った。………うまく笑えていたかはわからないが。
”あの時嬉しかったんだ。利久以外に、ぼくを気にかけてくれる人が祠堂にいるんだって。それが、ギイだったんだってわかったとき、もっとギイを好きになった”
 託生の告白に、オレの心に幸せが流れ込む。満たされて、溢れて、緩やかに全身を包み込んでいく。託生を愛し、託生に愛される喜び。
 お前がいなければ、今のオレはここにはいない。
「……本当に、それだけでよかったのか?」
 しかし、オレだけがこんなに幸せを貰っていいのだろうか。過去を全て捨てるような選択をして、託生は後悔していないのだろうか。
 胸の奥に巣食う罪悪感が黒い猜疑心を揺るがし、確認するように慎重に問うと、
”ぼくは過去より未来の方が大切だよ”
 きっぱりと、濁りのない真っ直ぐな意志がオレの心を突き刺した。
「………託生」
 おもちゃのようなオレからのプレゼントを、未来だと言ってくれるのか?お前の未来に、オレがいる事を許してくれるのか?
 託生を守っているつもりなのに、気がつけばいつも託生の強さに守られているオレがいる。包み込むような優しさで、時に凍り付いてしまう心に温もりを与えてくれる。
 オレ達の未来は重なっているのだと言ってくれるのなら、託生がどんな選択をしようともオレは託生に従うと約束するよ。
 だから、ずっとオレの傍で生きてほしい。
 思い描いた二人の未来は、雪の結晶のように輝き、そして永遠に覚める事のない夢となる。




別名「Life9.5」でした。
なかなかタイトルが浮かばなくて、ずっと9.5と呼んでいたものです。
何故、9.5かと言いますと、元々Lifeを書いている時、これも入っていたんです。で、途中まで書いたものの、どうも本筋からずれているような気がして、別枠で書いたほうがいいかなぁと、取り出しておきました。
初めLifeが11話か12話と言っていて最終的に10話になったのは、この部分を省いたからで。
思っていたより長くなったのは、ちょっと計算外でしたが、ペットボトルの話が書けて私的には満足してます。
(2010.12.1)
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