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●  君が帰る場所-7-  ●

 ぼそぼそと会話らしきものが聞こえたような気がした。一つはオレがよく知っている、愛しい者の声。その声を追うようにうっすらと目蓋を開けると、見覚えのない天井が目に飛び込んできた。
 あれ、オレ、なんでこんなところで寝てるんだ?
「ギイ、気がついた?」
「託生……?」
 心配そうに覗き込む瞳の後ろに白い壁が見える。周囲を見渡し、ここが病室であることを認識した。
 あぁ、そう言えば朝から続いていた鈍い頭痛がひどくなり、車に乗り込むまでは覚えているが、眩暈を感じたあとの記憶がない。
 しかし、頭痛そのものはずいぶんマシになっていた。
 ゆっくりと髪を梳いてくれる託生の手の動きが穏やかな気分にさせてくれ、また睡魔に引きずり込まれそうになり目蓋を閉じたとき、
「お仕事は明後日まで休みだから。今日はここでゆっくりしてね」
「え?」
 託生の強烈な台詞に、一気に覚醒した。
「疲労が溜まってるんだって。島岡さんが調整してくれるから、お仕事は気にしない……」
「じゃなくて、入院?」
「一泊だけね。ぼくもいるから」
「嫌だ」
「あのね……」
 間髪入れずに拒否したオレに、呆れるような眼差しをして託生が大きな溜息を吐いたが、一泊とは言え入院なんて真っ平ごめんだ。
 それに託生が付き添いをしてくれるのは嬉しいが、託生の体のことを考えれば、ペントハウスに返すしかない。けれども、それはそれでオレが寂しい。それならオレがペントハウスに帰ればいいだけの話。我侭だとか子供みたいだとか言われようがカ・ン・ケ・イない!
「もう、大丈夫だ」
「そんな顔色でなに言ってるんだよ?」
「ペントハウスに帰るぞ」
「ギイ」
「なぁ。大人しくベッドにいるから、帰っていいだろ?」
 言いながら点滴のストッパーをすばやく止めると、
「なにしてんだよ?!」
 託生が慌ててナースコールを押した。
 ま、それがオレの狙いだったのだが。
 託生の声をはばかり「ドクターを呼べ」と一声かけて、慌てて飛んできた医者を脅しつけ退院許可をもぎ取り「してやったり」と振り向くと、唖然と口を開けていた託生の眉が釣りあがった……。


「託生。せめてシャワー……」
「一日くらいシャワーを浴びなくても死なないよ」
「汗が気持ち悪いんだけど」
「そのくらい我慢して」
 無理矢理病院をあとにしたオレに怒りを表しつつも、病人のオレに大声で怒鳴りつけることもできず、託生がつっけんどんに対応する。
「着替えて」
 と差し出されたパジャマをのろのろと身につけ、
「さっき寝たから眠くないんだけど」
「眠くなくても、とりあえずベッドに横になって。大人しくベッドにいるんだろ?」
 訴えても聞く耳持たず、ぐいぐい押されてベッドに横になり託生がシーツをかけた。そして、ぷいっと後ろを向き隣の居間に向かう。
「怒ってるのか?」
「呆れてるだけ。あんなこと言われたら先生も退院許可を出すしかないじゃないか」
 そりゃ、いきなり百万ドル単位の商談が飛んだら責任を取ってくれるのか?なんて言われたら、普通の人間は逃げ出すよな。
 託生は隣の部屋から椅子を持ってきてベッドの横に置いた。そして「仕方がないなぁ」と大きな溜息を吐いて、
「眠くないのなら話をしようか?ここのところお互い忙しくて、ゆっくりできなかったし。その代わりベッドから起き上がらないこと」
 ベッドに頬杖をついて覗き込んだ。
 どうせなら託生を抱きしめていたいが、ここにいてくれるのなら、まぁ、いいか。
 了承を含んでゴロンと横向きになり……あぁ、この角度懐かしいな。305号室で風邪を引いたとき、託生が椅子に座って看病してくれたときと同じだ。
「託生、試験は?」
「終わったよ。九月から四年生決定」
「そうか。頑張ったな。おめでとう」
 ということは、やっと夏休みに入れるんだな。毎日大きな腹を抱えて通学していた託生をハラハラしながら見ていたが、それも終わりか。
 次に大学へ行くときには、子供も生まれている。
 出産後、託生が大学に行っている時間はシッターを頼むことが決まっているが、産後一ヶ月というのに大丈夫なのだろうか。
「あのさ。なにかギイ悩んでる?」
「はい?」
「たまに、ぼくの顔見ながら、辛そうな表情するときがあるんだ」
「そんなことはないぞ?」
 特に託生と一緒にいるときは、余計な心配をかけないようにポーカーフェイスを被っている。今日、倒れたのは予定外だ。これ以上心配させるわけにはいかない。
「気のせいなのかな」
 託生は小首を傾げて呟き、オレに向き直った。
「ぼくと子供のこと、負担になってる?」
「まさか!喜び以外ないぞ?」
 これは、はっきり言える。託生と子供が負担になるなんて、世界がひっくり返ってもありえない。
「………じゃあ、親にお金を返したから、その分がんばらないととか思ってない?」
「ベッドに引きずり込まれたいか?」
「ご……ごめん!」
「だから、オレは悩んでることなんてないって」
「でも……」
 納得しないのか「これでもないんだ」とぶつぶつと呟いたかと思ったら、
「じゃあさ。ギイ、この子と自分を重ねてない?」
「……え?」
 子供とオレを……?
 いや、そんなことはないと否定しようとして、喉に張り付いたように言葉が詰まった。
 何故だ?オレは、託生と子供を守りたいと、そう思っているだけだ。だけのはずだ。重ねるなんてことはしていないはず。なのに……。
 自分の気持ちがまるで掴めない蜃気楼のようで、そのもどかしさに頭痛がひどくなったような気がした。
 黙ったままのオレに、原因を見つけたとばかり託生が勢い込んで続けた。
「ギイ。祠堂に入るまで、同年代の人と一緒にいることがなかったんだろ?幼稚園だって半年しか行ってなかったらしいじゃないか。いつも回りに自分より年上の人がいて、寂しい思いをしてたんだろ?この子もそうなっちゃうんじゃないかとか考えてない?」
 いや、そんなことは………。
「ギイは先のことを考えすぎだよ。なるようにしかならないし、この子の人生はこの子にしか切り開けないから、ぼく達は見守るしかないと思うんだ」
 託生の言葉に目を見開いた。と同時に、オレの中で隠れていた本音に気付かされる。『守る』という言葉の裏に隠された、オレの本心に。
 『守る』と『見守る』。似ていて否なるもの。
 託生は子供が生きていくであろう現実を見守ると言い、オレは子供を現実から遠ざけたいがために守ると言っていたんだ。
 誰もオレ自身を見てくれない。家族以外信じられるものは誰もいない。そう思っていた子供時代。
 こういう人生を子供にも歩ませるのかと、まだ産まれていない子供の人生を無意識にシュミレーションして、オレと同じ思いをするだろうからと勝手に決めつけ、それから遠ざけたかったんだ。
 どんな人間でも挫折を味わうことがある。ときには傷つくこともある。
 それらを知ってこそ人の痛みがわかるのに、オレは『守る』という言葉の影に隠れ、自分の都合を押し付けていたのか。
 託生と子供を、自分が安全だと思い込んでいる籠の中に閉じ込めようとしていたのか。
「ギイ?」
「もしかしたら、オレ、ものすごい過保護かもしれない」
「今頃気付いた?」
 呆然と呟いたオレを揶揄しながらも、髪を梳く手は優しい。
 オレ自身が自分の変化に気付かなかったのに、託生は気付いていた。確信できるものはなにもないのに。そして色々と考えてくれていたのだろう。
「悪い癖だよな、先走るの」
「いいんじゃない?ぼく、目の前にあることしか考えられないから」
 溜息混じりに零した台詞を、あっさりばっさりぶった切られて力が抜けた。託生にとっては、そんなに些細な軽いものなのか?
 割れ鍋に綴じ蓋。
 瞬間、頭を横切ったことわざを、どう受け止めたらいいのだろうか。
 こっそり悩んでいるオレに、
「でも、たぶん、マタニティブルーなんだと思うよ?」
 託生が思いもよらなかった突飛なことを言い出して、今度こそ枕に沈んだ。
「マタニティブルー………」
「そうそう。男の人でもなるんだって」
 真面目に考えすぎる人ほど、なりやすいらしいよ。特に新米パパさん。
 オレの鼻の頭を、クスクスと笑いながら人差し指で突く託生を力なく見返す。
 たぶん、違うだろうけど。思い込みの激しい、オレの性格が問題なのだろうけど。
 ちょっとずれた的外れな見解は、託生の十八番。
 でも、真剣に考えてくれたことだから、そういうことにしておこう。
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