● ● Love & Peace-3- ● ●
親父が銃撃されたニュースは速報で流れ、しかし、あの男が言っていた通り「容態は不明」以上の情報は得られなかった。
こういうことが起きる可能性は、いつも心の片隅に置いてあった。 オレ達にSPがついているのも、幼い頃から護身術や格闘技を叩き込まされているのも、崎家の人間である限り命の危険が伴うからだ。 それと同時に、覚悟を決めていた。 ある日突然、大切な人間が傷つけられるかもしれないことも、この世から消えてしまうかもしれないことも。 しかし、いざそのような状況になれば、オレの覚悟なんて、なんと薄っぺらいことか。 冷静に判断しているつもりでも、どこかぼんやりとして輪郭が崩れ、気付けば悲しみと怒りにすりかえられている。 逃げることのできない現実。 無意味に流れる時間の中、今はただ、親父が無事でいてくれることを祈るばかりだ。 「母さんは、咲未と一緒にいてもらえますか?」 夕食を終え、誰ともなしに居間に集まり、テレビから流れてくる同じフレーズの情報を何度も目に写し、けれども、もう今日は各自部屋に戻って休もうと、プライベートスペースの階下に下りたとき、兄貴が咲未の肩を押した。 「そうだね。咲未、今日は、ぼくと一緒に寝ようか?」 「うん」 こっくり頷いてお袋に抱きついた咲未は、まだ一度も涙を零していなかった。キュッと口唇を噛み締め、涙を堪えている。そんな咲未を見るのなら、泣き喚かれた方が、よほどマシだ。 オレ達でさえ耐え難い現実なのに、十一歳の咲未に受け止めろなんて言えるはずがない。だから、今はお袋の側にいたほうがいい。 「大樹、一颯」 「なに?」 「母さん?」 自室に戻ろうとしたオレ達を、お袋が引き止める。そして、右手でオレの、左手で兄貴の頭の後ろに腕を回し、お袋がギュッとオレ達を抱き締めた。 とたん、鼻先にお袋の甘い匂いが漂い、幼い頃、抱き締められた懐かしさが胸を横切っていく。この腕の中にいるときは、何物からも守られているような安心感を感じていたことを思い出した。 「ギイは大丈夫だから。なにも心配いらないからね」 「………うん」 「はい」 お袋にとって、いつまでもオレ達は子供。そして、オレ達にとっても、いつまでもお袋だ。 図体がデカくなっても、この腕の中はこんなにも安らぎを感じるものなのか。 「明日になったら少しは落ち着くだろうから、秘書の人に連絡が取れるかもしれない。本社にも詳しいことが入るかもしれないしね。だから、今日はゆっくり寝よう?」 「うん、母さんもね」 「咲未も、しっかり寝るんだぞ」 「うん」 お袋と咲未が部屋に入るのを見届け、オレと兄貴は各自の部屋に戻った。 形ばかりシャワーを浴び、重い体をベッドに投げ出す。 あの男が帰ったあと、兄貴が執事にマンションの出入り口全てを確認するよう指示を出し、その結果、正面玄関はもちろん、裏口、搬入口、地下駐車場にゴミ収集所までも、SPに囲まれていることが判明した。それと同時に、使用人達も外出禁止にされたことを。 崎の家族ではないが、脅しの道具に使われる可能性が高いということで。 体のいい軟禁状態。 ペントハウス内に入ることを拒んだ意趣返しか、必要以上のSPを配備させてある。 本宅にも絵利子さんのところにも、なにも情報は入っていなかった。 それどころか、オレ達と同じようにSPが周りを固め、一線を退いたとは言え元総帥である祖父が上層部に進言しても、なぜか現場にはその指示が下りてこない。どこかで誰かが故意にストップさせている。いや、たぶん、あの男だろう。 普段なら、こんな状況にならないだろうけど、今はFグループ内が大混乱を起こしているだろうことは想像に難くない。片付けることが多すぎて、誰もが手一杯で気付いてもらえないんだ。 否が応にも、数日経てば誰かと連絡がつくだろう。でも、それじゃ遅い。一秒でも早く親父の状況を確認しなければ。 「いつも通りの朝だったのにな」 普段と変わらない朝を迎え、いつも通り大学に行き、そして………。 しかし、お袋も使用人達もいつもと変わらない穏やかな笑顔を浮かべ、ともすれば、親父が海外出張に行っているだけだと勘違いしてしまいそうになった。 大人達が、オレ達子供を必死に守ってくれている。 しかし、安心させるように笑っているお袋だけど、ショックを受けていないわけがないんだ。 親父の愛情表現が派手だからあまり目立たないけれど、お袋だって親父に負けないくらい親父のことを想ってる。 執事の報告によると、マンションを包囲しているSPは、正面玄関だけでも軽く十人は越えていた。 オレも兄貴も腕に自信はある。しかし、さすがにあれだけの人数を相手に立ち回るのは不可能だ。しかも、相手はプロのSPだしな。 オレ達の力で、この包囲網を抜けることも、開放させることも無理だけど、せめてお袋だけでも、ここから抜け出せないものか………。 ゴロリと寝返りを打った視界に、大学から帰ってきたとき、机の上に放り投げたままの教科書が目に入った。 今は、大学なんてどうでもいい……け……ど………。 「あ………!」 ガバリと飛び起き、閃いた自分の案に瞬きをした。 「そうか………これなら抜け出せるかもしれない」 ベッドを飛び降り、オレは廊下に飛び出し隣の兄貴の部屋のドアを叩いた。 「兄さんっ」 「一颯、まだ起きてたのか?」 言いつつも、兄貴自身寝ていたような素振りはない。部屋の電気は消えてはいたが、机の上には情報を集めていたのか、なんとか誰かに連絡を取ろうとしていたのか、ノートPCのディスプレイにいくつもの窓が開いていた。 いや、それよりも。 「いい案を思いついたんだ!」 「試してみる価値はあるよな」 「だろ?」 どうせなにをしたって、ここから出られないんだ。それなら、手当たり次第やれることをやりたい。それに、もし失敗したって相手は総帥夫人のお袋だ。手荒な真似なんて絶対にできっこないのだから。 「説得はお前に任せるからな」 「うん」 兄貴はオレの肩をポンと叩き、壁にかかってある時計を確認して、 「これ以上調べても、なにも出そうにないな」 口元を歪ませノートPCを閉じた。低くうなっていたファンが止まり、静粛が訪れる。 「兄さん、ここで寝てもいい?」 「………あぁ」 狭いからと追い出されることもなく、ベッドに潜り込んだオレの隣に、兄貴が体を滑り込ませる。 カチッカチッと時を刻む針が焦燥感をかき立て、いても立ってもいられない状態に、兄貴の名を呼んだ。 「ねぇ、兄さん」 「なんだ?」 「父さん、大丈夫だよね?」 オレ達を置いていくことなんて、ないよね? 目の奥が熱くなって、歯を食いしばる。 咲未でさえ必死に我慢しているのに、誰よりも親父を必要としているお袋が笑顔を浮かべているのに、オレが泣いている場合じゃない。 でも………。 兄貴がコロリとこちらに寝返りを打ち、オレの頭をポンポンと叩いて、 「父さんが、母さんを置いていくことなんて絶対ないさ。今回は連絡の行き違いか、誰かの思惑が入っているだけだろ。大丈夫だから安心して寝ろ。寝不足で頭が動かないと困るぞ」 そう言って笑った兄貴の目も、暗闇の中、月の光に反射して光っている。 「………うん、わかった。お休み」 「お休み」 どんなときも、どんなことがあっても、体が動けない状態にしてはいけない。食事も睡眠も取れるときに取っておきなさいと、耳にタコができるくらい言い聞かされている。 どれだけ眠れるかわからないけれど、今は、とにかく休もう。 全ては明日に………。 |