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●  受け継ぐ心、伝える想い-1-  ●

 本社に戻り車を降りたオレの視界に親父を見つけ、足早に駆け寄った。
「会長。お帰りになってたんですか?」
「あぁ、早く片付いたからね。時間があるのなら、私の部屋でコーヒーでも飲んでいくか?」
 親父の言葉に苦笑して、オレは頷いた。
 オレとコーヒーを飲みたいわけじゃなく、託生の様子を聞きたいのがバレバレだ。
「託生さんの具合はどうかね?」
「えぇ、悪阻の方も治まったらしく、今はトマトばかり食べてます」
 コーヒーをオレに手渡し、案の定、早速問いかけてきた親父に近況を伝える。
「……トマト?」
「冷たくて食べやすいとか」
 レモンとかオレンジとか酸味のある柑橘系を好むのだろうと予想していたオレに、あの大量の赤いトマトは衝撃だった。朝から晩までひたすらトマト。他の物には見向きもしない。普段の量では足りなくて、厨房ではトマトを箱買いしたらしい。
 おかげで一口も食べることなく、オレはトマトを食べた気になっている。
 妊娠すると、ここまで嗜好が変わるんだな。人間の神秘だ。
「あー、母さんもそうだったかな」
 親父が当時を思い出すように、遠い目をした。
「トマト?」
「いや、義一のときはチーズバーガー。絵利子のときはフライドチキン」
「……なんというか、肉食系だったんですね」
 お袋らしいというか、そのまんまだというか。
 外面のいい……基、エレガントな会長夫人が、朝からチーズバーガーを貪り食う姿を想像してげんなりした。トマト尽くしの皿を見て子供のように目を輝かせ、嬉しそうに、これ以上の物はないというくらい美味しそうに食べている託生がとても可愛く思える。
「そう。一日中そればかりで、さすがに心配になって他のも食べてみたらと言ったら……」
「言ったら?」
「『貴方は私に食べさせたくないのね!』って泣くんだ」
 親父の苦労は想像に難くない。お袋の機嫌を損ねたときには、数日口を利いてもらえなかったことだろう。
「……妊娠中は情緒不安定になるって言いますもんね」
「だから、今は食べたいものだけ食べさせるのがいいぞ。それとなニンニクは要注意だ」
「ニンニク?」
「ベッドに入れてくれなくなるからな」
 またもや渋い顔をして、親父がアドバイスした。
 あぁ、これも苦い経験なんだな。
 しかし。
『ギイ、あっち行って!』
 とベッドを追い出されたら、本気で浮上できなくなりそうだ。
「わかりました。外食に注意します」
 経験者の言葉は、真実味を帯び実感として沸いてくる。オレは、親父の助言を頭に叩き込んだ。


「あぁ、義一さん、こちらにいらっしゃったんですね」
 軽いノックのあと、親父の返事にドアを開けたのは島岡だった。
「どうした、島岡?」
「さきほど日本からこれが届いたものですから」
 オレを親父の部屋まで探しにくるほどの急ぎなのか、島岡は白い封筒をオレに渡した。
 差出人は………。
「弁護士事務所?」
 なんだ、これは?
 封を切り、取り出した手紙を読んで………。
「は?」
「どうした、義一?」
 そのまま手渡した手紙に目を通し、親父が盛大に噴き出した。
 だよなぁ。そこは、笑うところだよな。
「義一さん?」
「オレ、誘拐犯だってさ」
「はぁ?」
 目を丸くした島岡に、親父が笑いをこらえながら手紙を渡す。
 そこには、オレが未成年であった託生を誘拐してアメリカに渡り、尚且つ洗脳して騙しこみ結婚したことは許されるものではなく、即刻託生を日本に返せと書いてあった。しかも、未成年誘拐罪の罪で訴える準備もできていると。
「全然、意味がわかりませんね」
 一通り目を通した島岡が、オレに手紙を返しながら首を振った。
「こいつ、本当に弁護士なのか?」
 なんの意味もなさない物を送りつけてくるなんて、バカらしい。
「一応調べたところ、正真正銘の弁護士でしたよ」
「弁護士なんて所詮代理人だからな。顧客からこうしてくれと言われたら、法に触れない限り金のために動くだろうし。これ一通出すのにも、結構な金を貰ってるだろうね」
 冷静に判断して、親父が島岡の言葉を補完した。
 しかし、金のために送ってきたとしても。
「だいたい、オレを誘拐犯で訴えられるのは託生だけですよ」
 そう。当事者の託生のみが告訴できるもの。しかも、結婚をしていた場合、婚姻の無効・取消の裁判が確定した後でなければ告訴できない。
 ようするに、弁護士を代理人として連絡してきた母親には、オレを訴える権利なんてものはないのだ。
「その辺りは計算しているようだな。突っ込まれないように『誰が訴える』という明記がない」
 なるほど。きちんと抜け道を用意している。
「申し訳ありません。あのとき母親にサインを貰っていれば……」
「いや、島岡のせいじゃないさ。サインできる状態じゃなかったってのは、オレにだってわかる」
 あのときの母親は、ヒステリックに逆上して誰の言葉も耳に届いていなかった。全て自分の保身のため、そして事実を折り曲げ託生に責任を擦り付け、親の義務を放棄したのだ。
「未成年誘拐罪の時効は五年?」
「いや、それは日本にいた場合の話だろ?海外に渡ったと同時にカウントはストップされるはずだ。時効の停止ってやつだな」
「では、別に慌てる必要はないということですね」
 島岡は確認するように呟き、首を捻った。
 そこが問題なのだ。なぜ今なのか。今でなければいけない理由があるのか。あれほど託生を憎んでいる母親が、どうして今頃になって託生を日本に戻すように画策するんだ。
「準備はしているんだろう?君がこれを予想しなかったとは思えないが?」
 親父の顔を見て、ニヤリと笑った。
 何事に対してもリスクヘッジをするのは、企業家なら当たり前。しかも対象が託生となれば、最大で最善のことを考えておくのは常識だ。
「えぇ。両親がなにを考えているのか確認してからですけどね。状況によっては父さんの力を借りることになるかもしれません」
「そのときは喜んで協力するよ。遠慮なく言ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
 最高の味方を手に入れ、早速調査に乗り出そうとしたオレに、
「義一」
「はい?」
 何かに気付いたように、親父が少し顔を曇らせてオレを呼んだ。
「この母親、託生さんに直接手紙を書いてるなんてことはないだろうね?」
「まさか……」
 慌てて執事に確認を取ったオレの耳に、容赦なく「開封済み」の言葉が届いた。
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