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●  Go for it!-4-  ●

 結局、託生と話すことができなかった。いや、託生自身、自分の本心に気付いていないのだから、オレが振らなければ話題にすらならないんだ。
 バイオリンに携わる仕事を大まかに分ければ、自分が演奏する側になるか、指導する側になるか、二通りだ。
 託生は指導する側にはなれないだろう。それは、大学時代のディベートでわかっている。どんな演奏でも、個性だと思ってしまうのなら無理だ。
 残るは、演奏する側。所謂、バイオリニスト。しかも、佐智が推しているのはソリストだ。
 オーケストラで経験を積んでからソリストに転向する人間もいるが、託生は大学院を卒業してからの時間が経ちすぎている。オーディションを受けたとしても、そのブランクがネックになるだろう。
 それに子供達のことを考えれば、年間でスケジュールが決められてしまうオーケストラの仕事は、託生の意思と反する。
 それ以前に、佐智が反対しているのだ。託生は、最初からソリストとして活動するべきだと。託生の音楽が潰されてしまうのを、佐智は恐れていた。
 佐智があそこまで推しているのなら、ソリストとしてやっていける腕を持っているのだろう。資金だって、曲がりなりにもオレの妻でFグループ副総帥夫人なのだから、全く問題ない。
 問題なのは、託生の意思とオレの本音………。
「バイオリニストか………」
 考えていなかったわけではない。託生はバイオリンを弾き続けていたのだから、いつかこのような話が出てくるかもしれないと。
 オレは、気付いていて見て見ぬ振りをしていたんだ。子供達の側にいたいという託生の言葉を隠れ蓑にして。
 結婚して子供が三人も生まれて、これ以上ないくらいの幸せに包まれながらも、オレはもっと託生を欲していた。
 できることならば、このまま託生を家に閉じ込めておきたい。誰にも見せることなく、オレだけの託生でいてほしい。
 まるで底なし沼のような独占欲。どこまでも続く甘く暗い闇の中にいるようだ。
 お膳立てしてくれた佐智には悪いが、オレは託生に気付かせたくなかった。
 なぜなら、託生が自分の本心に気付けば、もう止められないだろう。そうなれば、オレだって応援せざるを得なくなる。託生の一番の理解者であるという立場を守るために。
 託生が自分の本心に気付かなければ、こんなオレの黒い感情が表に出ることはない。


 レコーディングから一週間が過ぎた頃、本社でデスクワークをしていたとき、珍しく託生からメールが入ってきた。
 キーボードを叩く手を止め、胸元からプライベート専用の携帯を取り出して受信メールを開けてみると、
『今日は帰ってこれそう?』
 そっけない、たった一言が表示された。
 しかし、滅多なことでは仕事中に連絡を取ることをしない託生が、暗に帰ってきてほしいと打ってきた。その事実に、嫌な予感が脳裏を駆け巡り鼓動が早くなっていく。
 バイオリンの話か?いや、子供に関する話かもしれない。
 瞬時予想を打ち消すも、大樹と一颯がまだ帰ってくる時間ではないことはわかっている。咲未になにか………そこまで早急な用事なら、託生は躊躇わず携帯にかけてくるはずだ。
 返事に戸惑っていると、ディスプレイのメール画面がふっと消え、小刻みに震えだして着信を知らせた。表示された相手の名前に、オレの予感が当たっているのだと確信する。
 オレが出るまで鳴らし続けそうに震える携帯に、溜息を飲み込んで通話ボタンを押した。
「Hello」
「やぁ、今いいかな?」
「………佐智」
 今、一番話したくない相手だよな。こいつの用件も簡単に予想できるが、考えることを頭が拒否している。
「なにか用か?」
「時間がないから率直に聞くけどさ、義一君、託生くんがバイオリニストになるの反対じゃないのかい?」
「………どうして、そう思う?」
 確信的な問いに肯定も否定も出来ず、唸るように言葉を吐き出した。
 呆れるような大きな溜息がラインの向こうから届き、
「やっぱりね。託生くんの言うとおりだ。疑問に疑問を返すのは、なにかを隠している証拠だってさ」
 投げやりな佐智の声が聞こえた。
「佐智、なにが言いたい?」
「君、託生くんの人生をどう思ってるんだよ?家に置いておくお飾り人形?あのとき言ったよね?活動場所を限定すればいいって。なのに、まだ話していないってのは、どういうことなんだい?」
「オレは、託生と話をするなんて一言も言ってないぞ」
 もうすでに、オレが反対なんだと知られているのなら、遠慮する必要はない。どれだけ佐智に非難されようと、託生に気付かせるわけには………。
「『バイオリニストになるためには、まず、なにをどうしたらいいのか』」
「………え?」
「託生くんから質問を受けたよ。義一君がどう思ってようと、もう、決めたみたいだね」
 佐智の言葉に、呆然とする。託生が真っ先に佐智に相談したことも、バイオリニストになると決めたことも。
 無意識に、オレが反対なのだと感じていたのか?
「それで、託生には………」
 なんて………。
「義一君に言えば、全て整えてくれるから、任せればいいって応えたよ」
「………佐智っ!」
 そう言われれば、オレが動かざるを得ないことがわかった上で、託生にアドバイスしたな?
 しかし、佐智が託生に伝えた助言は、無意識にオレを避けた託生の感覚を、それは間違いでオレは託生の味方なんだと、やんわり訂正しているようなものだ。
 託生に的確で最適なアドバイスをし、そしてオレのフォローまでして、尚且つ託生をバイオリニストしたいという自分の願望まできっちりと叶えるとは。
 この知能犯が………!
 佐智が井上産業を継いでいたら………考えたくもない。
「託生くんの信頼を無にするような男じゃないよね、僕の幼馴染は?」
 してやったりと笑いながら、佐智が釘を刺す。
「コンサートのプログラムには、『バイオリニスト タクミ・サキ』で印刷してるから」
「さすが、佐智。用意周到だな」
 皮肉を言っても、こいつには通用しないだろうけど。
「Fグループ副総帥夫人がデビューするんだ。Fグループと崎家のプライドにかけて、手を抜くことは許されないよ」
 自分の気持ちを優先して、おざなりのデビューをさせるのは許さないと。
 その後、バイオリニストとして成功するかどうかは託生の腕次第だが、天才バイオリニスト サチ・イノウエのコンサートでゲスト出演し、Fグループ副総帥崎義一がパトロンについておきながら、誰からも注目してもらえないような無様なデビューだけはやってくれるなと。
 佐智との電話を切り、再び表れたメール画面を数秒見つめ、『今夜は早く帰れそうだ』と手早く打ってデスクに携帯を放った。
 椅子の背もたれに体を預け、左手で目を覆う。
 もう、託生を止めることは不可能なのか?どう足掻いても、無理なのか?
 オレは覚悟を決めなきゃいけないのだろうか。
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