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●  雪に残った足跡-10-  ●

 五番街のペントハウスに戻り、各方面からの報告を受けたり、指示を出したりとしている間に、もう翌日に差し掛かる時間になっていた。
 通いの使用人が、食事を作り置いてくれていたが、寝室からはコトリとも物音が聞こえてこない。
 即効性ではあったが軽い睡眠導入剤のはずなのに、これだけ託生が眠り続けているのは、昨日、無理させたせいだと自覚している。
 案の定、様子を見ようと覗いた寝室には、深い寝息の託生が、寝返りもせず横になっていた。
 その安らかな寝顔に、このまま朝まで休ませようと静かにドアを閉め、最後の報告をと携帯を手に取りソファに座った。


「どうして、ここまで気付かなかったんだい?義一君ともあろうものが。一緒に住んでる婚約者じゃなかったっけ?そんなに託生くんを放ったらかしにしてるの?変なところだけ独占欲丸出しで、託生くんの邪魔をするくせに」
 気持ち悪い妄想を聞かせられた八つ当たりも入っていただろうが、ここぞとばかりに嫌味満載で激怒していた佐智。
 情報提供をありがたいと思いつつも、それこそ託生を日本に連れて帰りそうな勢いに、オレは慌てて島岡に男の調査を依頼した。
 今回、ここまでスムーズに事が運んだのは、この島岡のおかげだ。
 佐智と絵利子を送り出し、託生から話を聞き終わったときには、男の経歴から家族の情報、レイプ事件の全容、全てが出揃っており、それどころか優秀な秘書は、当時の被害者へのアポイントまで取り付けていたのだ。
「ギイはこう動くと思いましたので」
 そういい置いて、その足で島岡は自ら現地に飛んだ。しかも、Fグループ内で男の親と同業の子会社をいくつかピックアップして。
 託生のことなら一も二もなくオレ自身が動くところを、今は託生の側についてろと言わんばかりの素早い行動に、島岡の友情に感謝したのだった。
 由緒あるマネス音楽院。
 性犯罪者が犯罪歴を隠して在籍しているなんて、同じ大学で学ぶ学生としては許されないことだろう。
 アメリカでは、ミーガン法により、性犯罪者の情報をウェブサイトなどで誰でも閲覧できるシステムを取っている。ただし、掲載されるのは有罪になった者のみ。親の金と力で示談にさせ、なにもなかったことにした勘違い男に関しては、その枠に当てはまらない。
 島岡は、そのときの被害者から、当時交わした念書などのコピーを譲り受けたのだ。これしか、男がレイプした証明が残っていないから。
 その一式を、男を退学にさせたいのなら使えと、条件付きで学生自治会に渡した。証拠のために。犯罪者としてデータが残っていないのだから、大学側が調べてもなにも出てこないはずだと。
 今までの男の素行、託生へのストーカー行為。
 腹立たしく思っていても、これだけじゃ、さすがに退学にはできないが、犯罪となると別。
 だから、ここぞとばかりに男を退学させるため、学生達は動いたのだ。
 本当は、この件で、退学だけじゃなく、犯罪者として逮捕させることも考えた。日本のように、時効があるわけじゃない。
 しかし、そうすれば当時の被害者を、法廷の場に引きずり出すことになる。
 レイプは心の殺人とも言われるものだ。
 兄貴の件とは似て非なるものだけど、託生と彼女が重なり、あの男への復讐のためとは言え、そこまでのことをオレにはできなかった。
「もう二度と、私と同じような目にあう人が、いなくなってくれれば」
 と、電話越しで気丈に話していた彼女の気持ちを考えれば、あの男のことを忘れ、このまま平穏で穏やかな人生を送ってほしいと願うばかりだ。
 だから、証拠書類のコピーを二部取らせてもらい、事が終わったら焼却廃棄することを約束した。
 このことにより、男の親が嫌がらせをしてくる可能性もあったので、それについては、最高のセキュリティで家族全員を警備している。
 しかし、それじゃ、退学だけだ。大学から追い出すだけじゃ、いつ、また託生の前に現れるかも知れない。
 だから、元を絶つことにした。
 父親の会社の方も、島岡が残してくれた子会社の名簿を元に朝から指示を出し、取引先全てをこちら側に向かい入れる手筈が整った。
 子が子なら親も親だ。
 古くから土地に住み着き、商売人として代々手を広げ、今では権力を振りかざし、やりたい放題しているらしい。
 しかも、腹黒い商売をしていたようで、それは企業形態を株式会社に変更しても体質は変わらず、しかし、なにしろ田舎なものだから取引先はそこしかなく、楯突けば村八分どころか命さえ危なくなる状態だったから、皆仕方なく従っていたそうだ。
 そこに、Fグループが参入したらどうなるか。
 こちら側の方が資本力もコネクションも揃っているし、どこに金が消えたのかわからない、商品を回してもらうためには金を積まなければならないような、あくどい商売ではなく、全てクリアーな状態でお互い良い仕事をしていきましょうという対等な立場での取引は、皆に喜ばれすぐさまサインをしたと聞いている。
 なにより、何代も前から苦しんでいた、しがらみから開放される。
 だいたい、上納金がなければ商品を回してくれないなんて、どこの時代劇だ?
 こちらも当分の間ガードが必要だが、件のレイプ事件や嫌がらせを見て見ぬ振りし、金で丸め込まれた警官達を、州警察の権限で散り散りに飛ばしたから、それほど心配することはないだろう。 
 今は、強請られるままあの男に送金している金も、一ヶ月持つかどうか。湯水のように金を使っていた癖というのは、早々直せるものじゃないもんな。
 一日で潰せないのは腹立たしいが、じりじりと真綿で首を絞められるような恐怖を感じさせるのだから、それはそれで面白いかもしれない。
 それなりに金をばらまいたが、これは命令だからな。口の軽い絵利子が、わざわざ親父を捕まえて、全部話しちまったんだ。
 なので、今、どの国にいるのか知らないけれど、真夜中に電話をかけてきて、
「いくらでも金を使え。その代わり徹底的に抹殺しろ。託生さんを傷つけるなんて言語道断。崎家への宣戦布告と見なす」
 なんて崎家当主から許可……ではなく命令されたからには、徹底的にやらないと。
 ただし潰すのは、身内ばかりの経営陣連中だけで、優秀な人間はヘッドハンティング、それ以外の人間は、仕事を斡旋する予定になっている。他人には関係のないことだから、巻き添えにする必要はない。


「そっちは、終わった?」
 麗しの幼馴染の声が、ラインの向こうから楽しそうに届く。
 昼の間に途中経過とこれからの計画を話しておいたが、それ以後忙しくてこの時間になってしまった。託生の事だからか、痺れを切らせてかけてくることなく、オレからの電話を待っていてくれたらしい。
「あぁ、第一段階はな」
「どんな感じ?」
「書類を持って学生自治会のメンバーが、大学側に詰め寄ったそうだ。事実確認をするからと、とりあえず勘違い男は自宅謹慎になった」
「自宅謹慎か。甘いなぁ」
「いきなりは、さすがに無理だろ。でも、学生自治会を無視するわけにはいかないし、事が事だから、時間の問題だろうな」
「時間をかけたって仕方がないのに」
 ほんと、楽しそうだなぁ、佐智。声が弾んでいるぞ。
 昨日、ここに来たときは怒り心頭で、眉間の皺が消えなかったもんな。
「じゃ、ぼくは、朝一番で学長に電話してみようかな。第二段階ってことで」
「第二段階?世間話だろ?」
「そうそう。ただの世間話」
 と言いつつ、話の内容は決まっている。
 佐智は佐智で、友人である託生を心配する素振りで、退学にさせろと迫るのだろう。もちろん「退学」なんて言葉は出さず、「いかがなものか」と遠まわしに言葉をぼかすが。立場ってものがあるし。
 佐智が口を挟めば、大学側も早急に動かざるを得ない。
 世界的バイオリニストサチ・イノウエをゲスト講師に招きたい音大は、世界中、山ほどあるんだ。
 しかし、プロのバイオリニストなのだから、自分の演奏活動の合間を縫って指導に回ることになるので、どうしても競争率が高くなる。それこそ、ある意味ボランティアみたいなものだし。
 託生と佐智が知り合いであることは、見学の件ですでに大学側に知られており、佐智自身も表立ってマネス音楽院を贔屓していないが、大学側から依頼があれば、昨日のようにゲスト講師として忙しい中を訪れる。託生に会いたいってのが、佐智の本音だが。
 託生がいるからとマネス音楽院に足を運ぶ佐智を怒らせれば、せっかく入学パンフレットの『ゲスト講師』の紹介欄に掲載許可を貰った話が白紙になってしまう。
 ギブアンドテイク。その辺りは大人のお付き合いってやつだ。
「で、明日の午後、出発か?」
「オーストリアにね。そのあとはヨーロッパの何カ国か回る予定だけど、ついでだから向こうの人とじっくり、今後のクラシック界について話をしてこようかなと思って」
 周りに人はいないだろうな?お前のイメージダウンに繋がるぞ?
 楽しそうな声ではあるけれど、佐智を纏う空気があまりにも凶悪すぎて苦笑した。
 佐智が関わるのなら、男は明日中に退学処分になるだろう。実家の事業も倒産予定。
 そのような状態で家賃の高いNYの高級マンションに暮らし続けられるわけもなく、地元に帰るしかないわけだが、万が一ということがある。
 奨学金でどこかの音大に編入する可能性はゼロじゃないんだ。
 その万が一のために、佐智は二度と音楽業界に戻れぬよう、あの男を排除すると決めたようだ。遠くない未来、託生が生きていくであろうクラシック業界に。
 どれだけピアノが上手かろうが、どの大学にも入れない。どんなオーケストラのオーディションを受けたとしても、書類審査で撥ねられる。実質のクラシック業界からの追放。
 頭の出来も悪い男には、ピアノしかなかった。そりゃ、あれだけ傲慢なら、誰も嫌がって近づかなかっただろう。
 そのピアノを取り上げたら、なにが残るのだろうな。
 それ以前に、あれだけの人間の前でプライドをへし折ったんだ。心神喪失状態だったとの報告があったから、そこまで立ち直るなんて考えられないが。
 念には念を。全ての可能性を叩き潰す。
「託生くんによろしく伝えて」
「あぁ」
「クリスマスコンサート楽しみにしてるって」
「それ、託生に伝えた方がいいか?」
「義一君に任せるよ」
 佐智が来るなんて言ったら、託生のヤツ、緊張しすぎて眠れなくなるんじゃないか?
「ツアーの成功を祈ってるよ」
「ありがとう」
 クスクスと笑いラインを切った幼馴染に軽くキスを送り、佐智の友情に感謝した。
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