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●  君が帰る場所-6-  ●

 そのまま絵利子を本宅まで送り予定より一時間遅れて帰宅すると、まだ託生が私室代わりの防音室に篭っていると言う。
 夜食を作らせている間に手短にシャワーを浴び、浴室の鏡に変わり映えのしない自分を映した。
「いつもと一緒だよな」
 余裕がない?切羽詰っている?
 こだわってなんかいないさ。だって、そうだろ?オレは託生と出会ってから、ずっとあいつを守りたいと思っていたんだから、そんなこと今更だ。
 オレが、託生を、そして子供を守るって決めたんだ。オレが守らなければ、誰が守るって言うんだ。


 ワゴンに乗せた二人分の夜食を持ってドアを開けると、託生が顔を上げた。
「ギイ、お帰り」
「ただいま。休憩できそうなら一緒に食べないか?夜食持ってきた」
「そうだね。少し小腹が空いてるような気がするよ」
 託生は時間を確認し、散らばっていたペンを形ばかり片付け、
「よいしょっと」
 両手を机について立ち上がった。そして、そのまま腰に手を当て気持ちよさそうに体を伸ばす。
「マッサージしようか?」
「ううん。ちょっと固まっただけだから……って、なに笑ってるんだよ?」
 おっと、託生の可愛らしさに頬が緩んでしまったらしい。
「いや、口癖になってるなと思って」
「なにが?」
「『よいしょ』」
「………あぁ」
 とたん、照れくさそうに笑って、
「どうしても言っちゃうんだよね。大学の友達にも言われたんだ。『YOISYOってなに?』って」
 可愛らしい暴露話に、聞かれてあたふたと説明している託生が浮かんで吹き出した。
 椅子から立ち上がるたびに「よいしょ」と言われていたら、周りの人間もそりゃ不思議に思うだろう。
「笑いすぎだよ、ギイ」
「ごめん」
 これ以上怒らせないようにニヤけてしまう口元を隠し、
「ほら」
「ありがとう」
 むーっと膨れた託生をソファに座らせ、ワゴンに乗せたポットからコーヒーとミルクを同量注いで作ったカフェ・オ・レを託生に渡し、自分の分のブラックをカップに注いでテーブルの上に置いた。そして託生の隣に座り、サンドウィッチが乗った皿を自分の膝の上に置く。
 行儀は悪いがこの低いテーブルに置くと、託生の手が届きにくいのだ。
 どうせ部屋にはオレ達しかいないのだから、こんな些細なことは気にしない。
「たくさん食べろよ」
「うん。いただきます」
 長年の習慣できっちり手を合わせ、託生は皿に手を伸ばした。
 この頃、下から胃を圧迫しているのか、一回の食事で食べられる量が減ってきている。なので食べられるときはと、できるかぎり食べさせるようにしているのだ。
「明るい家族計画すればよかったかな」
 ソファにもたれても、太ももの上に腹が乗っているような、あまりにも窮屈そうな姿に、つい口から零れでた。
 まだこのソファはいい。さっきのように、つっかえそうな腹を庇いながら机に向かっている姿を見ると、どうしても負担をかけているように思うのだ。
 不思議そうにサンドウィッチを咥えオレを見上げた託生に、
「後期試験に、これだけ腹が大きくなるなんて予想してなかったから。託生、大変じゃないか?」
「別に大変だと思ったことないけど」
「そうか?」
「うん」
 こっくり頷く託生に、無理をしているような素振りはない。そう見えるだけなのか?よくわからん。
「今日ね、絵利子ちゃんが来てくれたんだよ」
「へぇ。あいつ、なにしに来たんだ?」
「トマトゼリー持ってきてくれた」
 そういえば、絵利子が渡すものがあったと言っていたな。しかし、にこにこと嬉しそうに言ったその内容にギクリとする。
「まさかと思うが、託生、またトマトに……」
「違うよ。美味しかったからって持ってきてくれただけ。明日の朝食に出してもらうんだ」
 はぁ。また食卓が赤で埋め尽くされるのかと思った。トマトに目を輝かせている託生は可愛かったけど、あの光景はあまりお目にかかりたくはない。
 片手で摘めるサンドウィッチの中にトマトを見つけ、赤い食べ物はこのくらいの比率が一番いいと思いながら、
「トマトばかりのときは、どうなるかと思ったけど」
 数ヶ月前のトマトづくしの食卓を思い出し唸る。
「あー、あれ、なんだったんだろうね。ぼくもよくわからないよ」
 あるときを境にピタッとトマト狂いは収まり、元の食生活に戻ったときにはホッとした。ついでに、厨房にいるシェフも安心したらしい。
 毎日、箱買いだったもんな。一年分の消費量を越えていたんじゃないか?
 指についたマヨネーズソースをぺろりと舐め、
「あ、気付いたんだけどさ。この子、おもしろいんだよ」
 とっておきのスクープを発表するように目を輝かせた。
「なにが?」
「バイオリン弾いててわかったんだけど、起きてる曲と寝ちゃう曲があるんだ」
「なんだ、それ?」
「たまたまかと思ってたんだけどね、曲を聞き分けてるみたい」
「へぇ。それはすごいな」
 託生の血を引く子供だ。そういうことがあるかもしれない。
「しかし、贅沢だよな」
「なにが?」
「バイオリンの生の音をずっと聴いてるんだぜ?胎教に無茶苦茶いいじゃないか。この、贅沢もん」
 と、最後の言葉は託生の腹に投げかけ、ツンと突っついたとたん、
「おおっ」
「あー、起きちゃったね」
 ドンと中から振動が届き、継いでダイナミックに動く様子が服の上からでもわかった。ここは足か?
「こいつ、テンション高すぎないか?」
「ギイの声がするからだよ。はしゃいじゃってるね」
 確かにはしゃいでるという言葉がぴったりなくらい、ひっきりなしにポコポコとあっちもこっちも……それこそ両手両足を駆使して暴れ回っている。
「おい、乱暴にするなよ。マミィが痛いぞ」
「大丈夫。痛くはないよ。たまにくすぐったいけど」
「くすぐったい?」
「うん。お腹の中がくすぐったい」
 幸せそうに微笑む顔に、愛おしさが滲む。毎日腹を撫で安心して産まれておいでと歌うように語りかける託生の顔は、優しさに満ち溢れている。
 オレが見ていたいんだ。この笑顔を。
 託生と子供がいつも笑顔でいられるように、オレは守りたいんだ。
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