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● ● Go for it!-8-完(2013.5) ● ●
あれから、四ヶ月。
練習に練習を重ね、今日は、ぼくの二十九回目の誕生日で、デビューコンサートだ。 チケットは、即日完売。 しかし、あの事務所の人達が言ったように、お披露目の招待以外は、ほとんどがFグループの付き合いなのだろう。マスメディアの人間も大勢いると聞いている。 佐智さんのコンサートへのゲスト出演を皮切りに、Fグループ副総帥崎義一の妻がデビューするというニュースが、音楽関係ではなく社交欄のニュースとして載り、瞬く間に世間を駆け巡った。 雑誌のインタビューの申し込みも何本かあったらしいが、こちらは音楽関係以外全てシャットアウトしたと聞いていたから、ぼくのバイオリンの腕なんて関係ないのだろう。 あくまでも、崎義一の妻がデビューするというニュースに飛びついただけだ。 しかし、今の世間の評価に反論する気はなかった。 ぼく自身、まだまだ未熟なことは承知している。本来なら、こうやってニュースに取り上げられるような人間でもないことを。 でも、こうして舞台に立てるように尽力を尽くしてくれた人のためにも、ぼくは精一杯の音を鳴らしたい。 そして、いつか『Fグループ副総帥崎義一の妻』の肩書きが消え、『バイオリニスト タクミ・サキ』として認められてもらえるように、地道に努力を続けるしかないと思っていた。 しかし。 「デビューって、今更だったんだよねぇ」 四ヶ月前のギイとの会話を思い出し、深い深い溜息を吐いた。 あれだけ悩んだのに、損したような気分だ。 四ヶ月前、佐智さんのリハーサルを翌日に控え、でも、スランプに落ち込んでいたぼくを励ましてくれたあと、ギイが頬をかきながら、 「あー、オレ、託生に謝らなきゃいけないんだ」 と、気まずそうな顔をして、ぼくに頭を下げた。 「なに?」 ギイに謝られるようなこと、あったっけ? 「実は『バイオリニスト タクミ・サキ』は、もう三年前から存在してるんだ」 「………はい?」 神妙にギイが言うも、話の意味がわからない。 盛大に疑問符を飛ばしたぼくを見て、「どう説明したらいいんだろう」と呟き、ギイが向き直った。 「佐智のレコーディングに携わってた人間って、全員ボランティアじゃなくて、それぞれのプロだろ?」 「うん」 「ようするに、それで金を貰っている仕事ってことだよな?」 「そうだね」 いくらなんでも、それはぼくでも理解できる。ぼく以外、スタッフ全員、お仕事をしていたってことは。 「そんな中にアマチュアが入り込めるものでもないし、金銭のやり取りが生じるから、託生自身、三年前から事務所に所属してるんだ」 キョトンとしたぼくにギイが言葉を重ねるも、急に自分のことが出てくると、全く持って意味がわからない。事務所に所属ってどういうこと? 「………よく、わからないんだけど」 「だーかーらー、託生は佐智の手伝いをしていたんじゃなくて、仕事をしてたんだ。もちろん、報酬も託生の口座に入ってる」 「……………へ?」 「バイオリンを弾いて報酬を得ていたんだから、託生は三年前からプロのバイオリニストなんだ」 ………と言われても。 ギイが学生時代から毎月一定金額を入れてくれているけど、相変わらずあまり使わないし、子供の物の支払いは全部ギイのカードだし、はっきり言って自分の口座にどのくらい入っているのか把握していないから、どっちにしろ気付いていないような気がするけど。 「ぼく、事務所の契約書にサインしたっけ?」 「した」 「いつ?」 「レコーディング最終日の夜」 「……って、つい最近の話じゃないか。三年前から所属してたんだろ?」 それじゃ、計算が合わない。 「託生、日付見てなかったろ?」 「う………」 確かに、ここにサインをしろって言われたから、その部分しか見てなかった。ギイが持ってきたものだから、疑いもせず、内容も読まず、名前を書いただけ。 あれ、でも、それじゃ………。 「今まで契約書なしで事務所に所属してたの?」 「なわけないじゃん」 だよねぇ。契約書なしでなんて、後々問題が出てくるかもしれないし。 「じゃあ、その契約書にサインしたのは誰?」 「さぁ?」 首を傾げて明後日の方向を見ながら、すっとぼけているギイを睨む。 「それって、偽装って言うんだよね?」 「シュレッダーにかけた今、証拠はない」 ふんぞり返って胸を張るギイの頭をはたいてやった。 別に怒ってはいないけど、それならそうと言ってくれれば、ぼくだってサインしたのに。わざわざ隠す必要がどこにあるんだ? ようするに、ぼくは三年前から事務所に所属していて、佐智さんのレコーディングの手伝いだと思っていたのが仕事であって、セミプロのような状態だったってこと? 明後日の方向を見ていたギイがチロリと目線だけぼくに寄こし、 「けど、託生。自分がアマチュアだからって、手を抜いたりはしなかっただろ?」 「当たり前だろ」 「だから、呼び方なんて、あまり関係ないんじゃないか?」 そう言われれば、そうかもしれない。 ………と、ギイに納得させられてしまったのだ。 ぼくが三年前からバイオリニストだったのは事実なのだろうけど、ぼく自身が知らなかったのだし、公式にデビューと発表されるのは今日なのだから、やはり今日が始まりの日。プロとして舞台で弾くのは初めてなのだし。 すでに、いくつかのスケジュールが入り、未就学児OKのコンサートの予定もあるけれど、今日だけは別。大人ばかりの社交の場という雰囲気だ。 しかし、ぼくのデビューを見せてやりたいと、ギイはシッターを同行させて子供達を連れてきていた。もしも、子供達が飽きたり、騒ぐようなことがあれば、すぐに別室に移動できるように手配して。その辺りは、主催者だから誰も文句を言う人はいない。 それに、お義父さん、お義母さん、絵利子ちゃんも、同じ桟敷にいるはずだ。 佐智さんもマリコさんと一緒に、わざわざ日本から来てくれている。 付き人から正式にマネージャーになってくれた村上さんが呼びにきて、楽屋裏から舞台袖に移動した。 基本、スカートやドレス類は着ることがないぼくだけど、舞台に上がるときはドレスだ。これは、仕方のないことだと思っているし、一応レッスンで何度も着たことがあるから、転ぶなんて無様なことはないだろう。 それに、このドレスは総シルクだから足にまとわりつくことなく、足捌きがスムーズにできるようになっている。 佐智さんのコンサートのときには、佐智さんのテイルコートに合わせて、ぼくは黒いドレスを身に着けた。主役は佐智さんだからだ。 しかし、今着ているのは、ワンショルダーの燃えるような真っ赤なドレス。 用意したのはギイ。「戦闘服だ」と言って。 勝負を挑むのは自分の心。今が、殻を破るとき………! ギイの配偶者でもなく、子供達の母親でもなく、一人のバイオリニストとして、この舞台に立つ。 一ベルが聞こえ、ぼくは手にしていた携帯を覗き込み、ディスプレイにキスをした。 携帯の待ち受け画面は、子供達がプレゼントしてくれた絵。 色とりどりの模様のような咲未のらくがき、一颯が描いたバイオリンとぼくの顔。そして、絵の真ん中にある力強い『Go for it!』は、大樹の文字だ。 持ち歩くことができないから、ギイに頼んで待ち受けにしてもらったのだ。 本物の絵は、ぼくの防音室の壁にフレームに入って飾られている。 「うん、がんばる」 呟いて電源を切り、村上さんに携帯を渡した。 あと、一分。 本ベルが鳴り、今日の伴奏を引き受けてくれた京古野さんが、ぽんと肩を叩き、にっこりと笑った。 「託生くん、行こうか」 「はい!」 ギイから贈られたsub rose。ぼくの大切な相棒。 どこまでも続く長く長い道を、一緒に歩いていこう。そして、ぼく達の歩いた道が、光り輝く音に埋め尽くされることを願って。 新しい、もう一つの人生が、今始まる。 お読みいただき、ありがとうございました。 託生くんとギイを、交互に出す予定でしたので、本当は全九話にするつもりだったのですが、ギイが脳内で暴走し始めたので、最後の二話を託生くんサイドにして全八話となりました。 未来番外編のどこかで、咲未が一歳の頃バイオリニストになったと書いたと思うんですけど、その設定を詳細に書いてみようかなと思ったのと、以前からいつかヒヨコの話を入れたいなぁと思っていたんです。 連載中、個人的に色々と考えることがあり、終わらせられるのだろうかと、自分で心配になったんですが、無事書き上げられて一安心してます。 ただ、連載という形、そして、長編(…というほど、長くもないけど;)は、少し考えたいと思ってます。 元々、苦手分野ですしね(苦笑) ま、個人的なあれやこれやはともかく、お付き合いいただき、ありがとうございました。 (2013.5.10) とと、忘れてました「Go for it」 「がんばれ」という意味なんですが、「目標に向かって、突っ走れ!」みたいな、相手にはっぱをかけるような感じの「がんばれ」です。 【妄想BGM】 ⇒Go For It(動画サイト)
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