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●  雪に残った足跡-7-  ●

「バイオリンで殴っちゃった………」
「気にすることないぞ。オレなら半殺しにして………」
「え?」
「………え?」
 どうも会話が噛み合っていないような気がする。
「託生。勘違い男のことなんて………」
「勘違い?なにそれ。そうだ、バイオリン!ギイ、バイオリンどこ?!」
「隣………」
 ………の部屋と最後まで聞かず、託生は慌ててベッドから下り、裸足のまま隣の部屋に続くドアを開け、デスクの上に置いていたバイオリンケースを手に取った。
 そっとケースからバイオリンを取り出し、丁寧に裏を向けたり表を向けたりして確認し、溜息を吐きながら床にペタリと座り込む。
「よかった………」
 ………うん、そうだよな。勘違い男よりバイオリンだよな。さすが、オレの託生。
 しかし、大切なバイオリンを乱暴に扱ってしまったと、自己嫌悪に陥っているらしい託生が、しょんぼりと「ごめんね」とバイオリンに謝っている姿を見ると、勘違い男への憎悪が次から次へと沸き起こる。
 命より大切だとは、さすがの託生も言わないが、それほど大切にしているバイオリンで無意識に殴ってしまったくらい、パニック状態になってしまったんだ。
 託生の側に膝をつき、肩に手を置いた。
「託生、優先順位を間違えるなよ。そういう変なヤツの思考は、いつ切り替わってもおかしくない。首を絞められていたかもしれないんだぞ。自分を守るためにバイオリンを使ったのは間違ってない。託生は怒るだろうけど、所詮バイオリンはバイオリンなんだ」
「でも………」
「それを大切に思ってくれるのは嬉しいけど、オレが一番大切なのは託生だ」
「うん………」
 しかし、オレの言うことはわかるけど、託生の中では納得してなさそうな様子を見て、
「佐智なんて、アマティを放り投げたことがあるぞ」
 ウインクをつけて茶化すように言うと、驚きに目を丸くして託生が顔を上げた。
「嘘?!」
「本当。佐智に確認してみてもいいぞ。しかも、数分前に聖矢さんに救出してもらったばかりのアマティをな」
 マリコさんと会えた、が、メインの報告だったのに、あいつ山田聖矢のことばかり話してたんだよな。
 と、かれこれ七年も前のことを思い出し、幼馴染の相変わらず不実な恋人が浮かびムッとした。
 けれども、
「佐智さんでも、そういうときがあるんだね」
 と、託生の表情が少し明るくなったので、今回は不問に終わらそう。
 それに、最優先で最重要な課題は勘違い男の排除だし。
 なにを考えて、託生を侮辱したのか。その辺りの理由を考える必要はないが、なにか引っかかるものがある。託生から聞いた勘違い男の行動と思考が………。
 ま、それは、今、追及することじゃない。あとで自分の記憶を探ればいい。
「明日、その男を託生から離れさすから。いい加減、鬱陶しいだろ?少しだけ我慢な」
 もちろん退学にまで追いやって、NYからも追い出すつもりだが、そんなことを言えば、反対に託生に責められる。それこそオレの行動を気にして、これから先、なにも話をしてくれなくなるかもしれない。
 だから、ソフトな言葉を選んで託生に言い聞かせる。
「そんなことできるの?」
「できるよ。オレが姿を見せれば」
 というか、真正面から、やりあうだけだけど。
 オレの台詞をどう受け取ったのかわからないが、不思議そうに小首を傾げた託生の表情がパァッと明るくなり、
「………あぁ、そういうことか。婚約者を幻だと思われてたんだね。だから、毎日同じこと言われたんだ」
 両手を叩いて、やっと理由がわかったと喜ぶ姿に唖然とし、あまりにあまりな託生の思考回路に眩暈がした。
 そこまでして物好きな人間はいないと、脳が確定事項に分類しているのか?オレ的にはありがたいような気もするが、その分、ハラハラと心臓に悪いのだが。
 いや、そう思っててくれたほうが、都合がいいかもしれない。託生にヤツの気持ちを知らせる必要もないし、オレの口から言いたくもない。
 どうせ、すぐに託生の前から消えるんだし。
「それから、もしもこれからこういうことがあれば、まずはオレに言ってくれ。緊急のことなら、セクハラ相談窓口に駆け込むんだ。学内に必ずあるだろ?相談実績を作っておくのも必要なんだ」
「………え?」
「託生が受けていたのは、セクハラ。セクシャル・ハラスメント。しかもストーカー疑惑付き」
「………からかわれてたんじゃないの?」
 本気でポカンとオレを見上げた託生に、がっくり肩を落とした。
 託生のことだから、セクハラってのは女性が受けるものでとかなんとか言いそうだけど、いや、その前にお前も女性なんだけど、基本セクハラってヤツは、性別関係なく『相手の意思に反して不快や不安な状態に追いこむ性的な言葉や行為全般』なのだから、託生がヤツの言動で不快になったのなら、これは立派なセクハラだ。
 それに、毎日と言っていたのだから、ストーカー予備軍。
 行き帰りに、付きまとわれていなかっただけマシ。それも、時間の問題だと思うが。
 男として育ってきた託生は、普通の女性が生きてきた体験の中で培っていく、様々な危機管理を持っていない。
 それと、自分に恋心を持つ人間はオレ以外存在しないと、頭から決めてかかっているのが問題なんだよな。
 安心していいのやら、もう少し危機管理を教え込まないといけないのやら。
「ギイの部屋、懐かしいねぇ」
 などと、午前中に起こった事件など過去の遺物のようになってしまったらしい託生に苦笑いしつつ、しかし、立ち直りの早い託生にホッとする。
 オレが側にいるから……なんて、自惚れそうになるが、これが託生の強さだ。
 辛いことなんて、忘れてしまえ。オレが覚えているだけでいい。


 勘違い男は、明日で決着をつける。
 兄貴のことを思い出させ、託生の傷口をこじ開けた罪は、絶対に許さない。
 しかし、勘違い男の暴言は、託生が自己否定に達する言葉であったかと言われれば、それには疑問が残る。心のバランスを崩す、きっかけなのは事実だし、許されない侮辱はしたが、託生の存在を否定してはいない。
 ただ、それはオレ独自の解釈だから、託生の心の中では複雑に絡み合っているのかもしれないが。
 ということは………。
「………もしかして、原因は一つじゃない?」
 淵いっぱいにまで水を入れたコップに、水滴を一つ落としただけだとしたら?
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