● ● 君が帰る場所-1- ● ●
学食で晩飯を取った後、いつもどおり託生をゼロ番に誘った。
退院後日常化されたパターンに、理由を知っている友人達は苦笑いしつつも託生を守るようにフォローに回り、オレに近づくチェック組はもちろん、既に渡米する事が知れ渡った託生との接点を持とうと躍起になっている奴らを封じ込めてくれていた。 全ては託生のために。そして、オレ達の未来を守るために。 「幸せになれよ」 と喜んでくれた心強い友人達に守られ、祠堂での残り少ない時間をオレ達は大切に過ごしていた。 「これを返しておこうと思って」 ソファに座らせた託生の前にカフェ・オ・レを置き、オレは引き出しの奥に置いていた物を取り出した。 入院中、託生から預かった通帳と印鑑。 託生の精神面も、今までどおりの祠堂の生活を数日送ったことにより少し落ち着き、両親を思い出させる物を目に入れさせたくはなかったが、これに関しては別だろう。 託生の隣に座りざまカップの横に置いた印鑑と通帳に、託生は複雑な顔をしてオレを見上げた。 「あのさ」 「うん?」 「これ、ギイ、持っててもらえないかな?」 「どうして?」 両親のことを思い出して辛いのなら預かってもいいのだが、託生の表情を見たところそういうわけではないらしい。 問うたオレの視線に、言いにくそうに口篭る。 「託生?」 「……これからどれだけお金かかるかわからないし、たぶんこれだけじゃ足りないと思うけど、だから、あの……」 理由を言わなければ預からないと追求するオレに、託生は溜息を一つ吐いてぼそぼそと口を開いた。 ようするに、この金をこれからの生活に必要な金の中に組み入れろと言いたいのか。 思わず、託生の額を指で弾いた。 「痛っ」 「あのなぁ、オレはお前のなんだ?」 「恋………」 じろりと睨んだオレに、託生は顎を引き、 「……婚約者」 言い直す。 「だろ?これから一つの家庭を作っていくんだ。だったらオレの金とか託生の金とか関係ない。だから、生活費云々とか託生が気に病むことはなに一つないし、オレに遠慮する必要もない」 第一にこんな金なんて、託生がこれからオレと生きてくれると決断してくれたことと比べ物にはならないんだぞ。それだけのものを、オレはもうお前から貰ってるんだ。 「だったら、これも一緒に……」 なのに、納得しないのか託生が言い募る。 「いや、これは違う。これは、託生個人への慰謝料だ」 「え?」 「だとオレは思ってる。だから、これは託生が持ってろ」 今まで十八年間受けてきた心の傷の対価として支払われた金を、他の金と一緒にしないでくれ。そんな金を、オレに使えと言わないでくれ。 「それから、先に言っておくけど、バイトはできないからな」 受け取る意思がないオレに、「どうしよう」と戸惑いの色を見せ俯いた託生に釘を刺す。 「なんで?!」 やっぱり、そのつもりだったか………。 「就労ビザならともかく、学生ビザで働くことは禁止されてるんだ。でないと、アメリカ人の職を奪ってしまうことになるからな。まぁ、特例みたいなのはあるけど、大学のカフェテラスとか。でも働いているのが移民局に見つかると即強制送還だからな。アルバイトは禁止だ」 「そんな……」 落胆に顔を曇らせた託生の肩を抱き寄せ、 「そのためにオレがいると思ってくれ。オレにしかできないこと。託生にしかできないこと。それがたまたま今回は金銭的なもので、オレができることだっただけだ。託生にしかできないことがあったら、オレは素直に託生に甘える」 負担に感じることはないのだ、オレとお前は対等なのだと訴える。 渡米して生活環境が変わることは、推し量れないくらいの負担になるだろう。それと同時に始まるホルモン治療。 オレは、今持っているものを使うだけだ。託生のように、全てが変わるような精神的負担なんて一切ない。 託生がこれから背負う重荷を、少しでも減らせるのならばなんでもする。だから、遠慮なんてしないでくれ。 「でも、ぼくにしかできないことなんて、ないよ」 オレの言葉にじっと考え込んでいた託生が、ポツリと言う。 わかってないな、こいつ。 オレを幸せにしてくれるのは託生だけなんだと、託生だけしかできないことなのだと、どうして気付かないんだ? 「オレを愛してくれてるだろ?」 「……当たり前だろ」 「これは、託生にしかできないこと」 「それを言うなら、ギイだって……」 キスで台詞を奪い、託生の瞳を覗き込んだ。 「将来、家族を増やそうと思っても、オレは子供を産めないぞ?」 ポカンと口を開けた託生の頬が徐々に赤くなって、酸欠の金魚のようにパクパクと口を動かし、 「なななな………」 わけのわからない言葉をもごもごと言いながら、慌てる素振りに吹きだした。 「子供だけは、どうしたってオレには産めない」 「そ……それは、そうだけど!」 「だから、持ちつ持たれつだ。助け合いだろ?」 託生専用の笑顔でにっこり笑って、ついでとばかりにウインクを決めると、託生は絶句して俯いた。 「だから、これは託生のものだ。オレが受け取るわけにはいかない。でも、これから先の生活に関しては、託生の婚約者として、ゆくゆくは配偶者として、オレが全部受け持ちたい。……少しくらい、いい格好させろよ」 納得してなさそうな顔で託生は頷き、通帳と印鑑を手に取った。 以後、オレはそれらを目にしたことはない。 |