● ● Love & Peace-6- ● ●
オレが一人でペントハウスに戻ったことに安堵の溜息が部屋を満たし、とりあえず、朝食も食べずに駆けつけてくれたハリーのためにと、シェフが腕によりをかけた料理を用意してくれた。
「お前、こんなに美味い朝食を毎日食べているのか?」 舌鼓を打ちつつ泣き出さんばかりの感動を表すハリーに、シェフを初め使用人一同の好感度は急上昇し、ハリーもすっかりこの環境に慣れてきたようだ。 ずっとお袋の側で涙を堪えていた咲未も、もうすぐ親父の状況がわかるとの安心感からか、協力してくれたハリーになんの疑いも抱かず素直に懐いてしまった。 今回ハリーだからいいものの、お兄ちゃんは心配だよ、咲未。 ダイニングルームから居間に戻り、食後のコーヒーを飲みながら、兄貴が腕時計を覗き込む。 「あれから三十分か……病院に着いた頃だろうけど、もう少しかかるかな。向こうでも一騒動起こるだろうし」 「そうなのか?」 不思議そうに見やるハリーに、 「そりゃ、ここにいるはずの人間が現れたら、SPも慌てるだろう」 両手を挙げ肩を竦ませて兄貴が答える。 実際に、親父の入院している階を探すだけでも大変だろう。途中で足止めを食らうことも考えられる。下手すれば侵入者扱いだ。 お袋の顔を知らないSPがいるとは思えないが、変装しているのだから本人だと信じてもらえるのにも時間がかかる。そのために、パスポートを持参しているはずだが。 「ハリーさん、ありがとうございます」 「いやいやいや、ハリーでいいよ、サクラちゃん」 「んー?じゃあ、ハリーお兄様?」 うわ〜、妹萌え〜。 ボソリと呟きデレデレに顔が崩れたハリーの向こう脛を蹴り飛ばす。 「てーっ!イブキ、お前な!」 「あ、すまん、当たったか?足が痺れてな」 しれっと返しながら足を組み替えたオレを睨むも、らしかぬ慌しさで駆け込んできた執事の言葉にハリーの苦情は空気になった。 「大樹様、昨日の総責任者が下で騒いでいるようですが」 「ということは、無事、母さんが病院に着いたんだな」 兄貴の言葉に、ワッと歓声が上がる。 病院に詰めているSPから大慌てで連絡が入ったのだろう。でなければ、あの男が騒ぐ理由がない。 親父の状態まではまだわからないが、お袋が着いたのならばもうすぐ連絡が入るはず。 兄貴が執事に入室許可の指示を出し、「大切な話だから」とメイドに咲未を任せて数分後。 「奥様はどこです!」 玄関ロビーから聞こえてきた怒鳴り声に、さざめくようにクスクスと笑い声が広がった。 「奥様は!」 「さぁ?」 ニヤリと笑ったオレの隣にいるハリーに目を見開き、なにが起こったのか把握した総責任者は、怒りに顔を真っ赤に染めた。 「なんてことを、してくれたんですか!」 そりゃ、お袋になにかがあればSPの責任だもんな。 総帥が撃たれ、総帥夫人までもが、なにかしらの事故にあったとしたら、首切りくらいじゃすまない。もう二度とSPとして、仕事をすることは不可能になるだろう。それだけの力がないと判断されて。 拳を震わせ、その場で地団太を踏みそうな男のすぐ側に、お袋の大切にしている花瓶があるのを見て、 「そこで暴れてもいいけどさ。そのクリスタルの花瓶、百万ドルだから」 そう指摘すると男の動きがピタリと止まった。と同時に、隣に座っているハリーがギョッとし、ずりりと一歩分後ろに下がる。 「なにをしたかって?見ての通り、友人と入れ替わって総帥夫人に様子を見にいってもらっただけさ」 「命の危険があると、あれほど………!」 「あぁ、あぁ、ほんっと危険だよな。総帥夫人をガードなしで外出させるなんて。でも、こんな危険な方法を取らざるを得なくしたのは、お前達だ」 身に覚えがあるらしい男が、口を閉ざす。 「そりゃ、オレ達をここに纏めて閉じ込めておけば安心だろうけど、それってお前らの怠慢だろ?オレ達全員は無理でも、人ひとり病院に行かすくらい方法はいくらでもあったはずだ。なのに、お前らはオレ達の意見を無視した」 「しかし……!」 「今までイーブンの関係だと思っていたから、オレ達はお前達をわずらわせないように、気をつけて行動していただけだ。それを一方的に命令され力ずくで軟禁ってのは、なにか履き違えてるんじゃないか?こっちは、生まれたときからそれ相応の教育を受け、危険と隣り合わせの人生送ってんだ。女子供だからって舐めてんじゃねぇぞ」 オレ達専任のSPに怒りはない。上司の命令を遵守しなければ、このような仕事は成り立たないことはわかっている。 オレ達は、その命令を下したこいつに激怒しているだけだ。 「一颯」 肩を叩かれ、その場の主導権を兄貴に渡す。 「今回、誰が指示したのかは追求しませんが、これからは俺達を納得させてから行動してもらいたいものですね。自分の命を預ける人間と信頼関係が結べないようなら、俺達も警備会社を変更するよう父に進言しなければいけませんし。それにより警備会社がどうなろうと、そこに所属している人間が路頭に迷おうと、俺達には関係ないですから」 丁寧な口調とは裏腹に、無表情で抑揚なく淡々と事実を述べる兄貴にSPが竦み上がる。 自分に不要な物をその場で切り捨てなければ、この世界では生きていけないのを、オレ達は知っている。そのように教育されている。悩む時間があるのなら、迅速に不要物を取り除き次の手を打て、と。 兄貴が、本気で言っているのは目を見れば明らかだ。 次期総帥である兄貴の理念と覚悟は、親父譲りなのだから。 あちらこちらから使用人達が集まり、冷たい視線でSPを取り囲んだ。 「俺達はここにいますから、現場に戻られたらどうです?母も父の側から離れないでしょうし。………ただし、もしも父の意識があるようでしたら、俺達の進言以前に、なにかしらの動きがあるかもしれません」 そう言いながら、兄貴が執事に視線を送った。 「私は、皆様をお守りしようと………!」 「どうぞ、お引き取りください。仕事の話は、俺にではなくそれ相応の方とお願いします」 追いすがる男を全員が取り囲み、押し出すようにペントハウスから追い出した。まるで塩でもまきそうな勢いだ。 あの男も、さっさと持ち場に戻らないと、すぐに親父側の人間が尋問のため駆けつけるだろうに。 「どう言い訳するのかな?」 「いや、あの男の判断は基本的に正しいんだ。閉じ込めておけば、確実に守れるんだからな」 「じゃあ、お咎めなし?」 オレ達を守るためには仕方がなかったとかどうとか、オレ達の意思を無視したのも、心を鬼にしてとかなんとか言って。 「まさか」 憮然としたオレにチロリと視線を移した兄貴が鼻で笑い、 「母さんを泣かせて、無事でいられるわけないだろ?」 剣呑な光を乗せた瞳が親父のそれと重なり、ゾクリと背中に悪寒が走る。 あの男を見るのは、これが最後だったかもしれない。 |