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●  A happy happy new year!(2014.1)  ●

「父さん、大丈夫ですか?」
「無理しない方がいいよ」
「………お前ら、オレを年寄り扱いするのか?」
 そういうわけじゃないけどさ。
 ジロリと睨まれ口をつぐんだけれど、年がら年中超多忙な上に十二月に入ってからはほとんど休みなしで、家には仮眠を取るために帰ってきていた状態なのに。
 あまりの親父の無茶ぶりに溜息が出る。
 そりゃ、今までも兄貴と一緒に親父も参加していたのは知っているけど、今年はそんな話をする時間もなかったから、てっきりオレと兄貴の二人だと思っていたのだ。
 それなのにディナーを食べたあとリビングで寛ぐことなくプライベートルームに消えたと思ったら、ジョギングウェアに身を包み、
「お前ら、用意できたのか?」
 当然のように声をかけられて唖然とした。
 あれだけクソ忙しかったのに、いつの間にエントリーしていたのやら。そして仕事の合間にトレーニングしていたらしいことを聞いて、クラリと眩暈を感じる。
 まさかと思っていたのだが、マジにやってたのかよ。タフすぎるぞ、親父。
 走る気満々で柔軟をしている親父を横目に、今一度兄貴と顔を見合わせ深い溜息を吐いた。なにを言っても無駄なようだ。
 親父のことはさておき、周囲に目を向ける。
 オレ達のように軽装のジョギングウェアに身を包んでいるのもいれば、数時間前に開催されたダンスパーティや仮装コンテストの衣装のまま、スタートを待っている人間もいる。老若男女問わず五千人以上の人間がひしめき合い、この場にいるだけで、もうすでにお祭り気分だ。人ごみに紛れ込むように取り囲んでいるSPの表情も緩み、どことなく楽しそうに見える。
 もちろんプロなのだから仕事を忘れるなんてことはしないだろうし、実際仕事でこの場にいるのだけれど、オレのトレーニングに付き合いつつ、
「走りきったあとは、とても清清しい気分で新年を迎えた気分になりますよ」
 と、学生時代の経験談を懐かしそうに語った。
 親父と専任のSP達も、さも親しい友人のように笑顔で会話を交わしている。
 周囲に溶け込む策かもしれないけど、まさか、こんなところにFグループ総帥がいるなんて誰も気付かないだろう。例え気付いた人間がいたとしても、この空気の中、指摘するのは野暮というもの。
 凍えるような寒さではあるけれど、熱気がセントラルパークを包んでいる。
「そろそろだな」
 兄貴の声に、気分は最高潮に達した。
 カウントダウンが始まる。
 十、九、八、七……。
「五!四!」
「三!二!」
「一!」
「Happy new year!」
 ドドーンと大きな花火が上がり、見ず知らずの人間同士が、肩を叩きあい新年を祝う。あちらこちらから上がる歓声が白い息に溶け、それを目にするだけで震えが体に走り、ワクワクするような興奮に体が熱くなってきた。
「動き出したぞ」
 NY名物年越しMidnight Runの始まりだ!


 数週間前、ベッドに寝転がって雑誌を読んでいたとき、部屋にノックの音が響いた。
「どうぞー」
 返事のあと部屋に入ってきたのは兄貴。
 勢いをつけて起き上がったオレのベッドに腰掛け、
「お前、正月のFun Runどうする?」
「やるやる!十三になったら絶対走ろうと思ってたんだ!」
 セントラルパークの年越しMidnight Run。
 皆でカウントダウンをして新年の幕開けと同時にThe lakeの南側からスタートし、反時計回りにパーク内を四マイル(約六.四キロ)走りきるお祭り騒ぎのマラソン。
 元々、兄貴が参加したいと言い出し、保護者がつかなくてもいい十三歳から毎年参加していた。親父も面白そうだと話に乗り、かれこれ三回走っているはず。
 毎年、走り切って気持ちよさそうな顔で帰ってくる親父と兄貴を羨ましく思っていたのだ。いつか、絶対オレも参加してやるんだって。
「じゃ、そろそろトレーニング始めたほうがいいぞ」
「うんっ!兄さんはいつやってたんだ?」
「俺?大学の行き帰り。片道約二マイルだから、ちょうどいいし。休みの日は、セントラルパークで走ってたけど」
「あー、なるほど」
 確かに、大学からここまでなら距離的にちょうどいいトレーニングだ。エントリーすることを、SPにも言っておかなくちゃな。
 と、トレーニングの話が出て、ふと疑問が脳裏を横切った。
「今年も父さん出るのかな?」
「さぁ?なにも聞いてないな」
 かれこれ何日顔を見ていないのだろうと首をかしげるほど多忙な親父は、運動神経バツグンで普通の人間よりも体力はある。それに、年越しの前後は必ず休みを取っているから、参加することは可能だろう。
 だからと言って、トレーニングなしで四マイルを走るのは無茶なような気がする。
「革靴で仕事の合間に走ってたりして」
 兄貴がニヤリと指摘し、
「まさか。Fグループ総帥がその辺りを走ってたら、SPも秘書も大迷惑だよ」
 そんなこと有り得ないと二人で笑いあって、ふと真顔になる。
「マジに、そのまさかだったりして」
「父さん、やりそうだもんな」
 ………結局、オレ達の懸念は事実だった。


 新年の合図の花火から数分遅れて、人ごみが動き出した。熱気に包まれながら、それぞれが前に進んでいく。のんびりと写真を撮ったりしながらマイペースで楽しむ人間もいれば、人と人の間を走り抜けていく強者もいる。
 ハーフ地点で振る舞われるノンアルコールのシャンパンを貰ったときには、親父も兄貴の姿も見失い、オレの周りにいるのはSP二人と全く知らない人達だけだった。
 「Happy new year!」なんて気軽に声をかけられハイタッチし、やけに新鮮な気分になる。
 誰もオレが崎家の次男だとは知らない。そのあたりにいる、ただの十三歳の子供だ。いつも付きまとっているバックグラウンドを取っ払い、同じゴールに向かう同志として、性別や歳の差を越え、オレを見てくれる。
 なんとなく、兄貴と親父が参加する理由がわかるような気がした。
 走り切るのに必要なのは、自分の力だけ。金も地位も、この場では、なんの役にも立たない。
 素のままの自分に戻って、がむしゃらに走る。ただそれだけが、必要なんだ。
「もうすぐゴールですよ」
「ラストスパートだな」
 とは言っても、この人ごみを駆け抜けるようなことはできないから、人波に乗って走るだけだけど。
 ゴールが近づいてくる。スタッフや先にゴールした人間が、手を振り声援を送ってくれる。
 眩い光が溢れるよう輝き、まるで自分がその光に飛び込んでいくかのような錯覚を起こした。
「ゴール!」
 荒い自分の息遣いも流れる汗も、どこか他人事のように感じる。それは、周りが無事に走り切った喜びに顔を輝かせ、あちらこちらで抱き合い肩を叩き、この叫びたくなるような高揚感を共有しているからだ。
 ちくしょーっ、超気持ちいい!
 続々とゴールに飛び込んでくる人間の邪魔にならないように、参加せずに荷物番をやっている親父のSPの下に移動し、しかし、親父も兄貴も着いてはいなかった。結構飛ばしたような気がするから、もう少し時間がかかるかな。
「父さんと兄さんは、まだみたいだな」
「ですね。じきに着くと思いますが」
 時計で時間を確認したSPに頷き、渡されたベンチコートを羽織った。
 走っているときは全然気にならなかったが、現在氷点下。一気に汗が引き寒さが身に染みる。
 正月早々、風邪なんて引いたらシャレにならない。さっさと着替えないとな。
 もちろんSP達も同じ状態なので、ペントハウスに迎えに来たときに、それぞれが着替えを持参しロッカー室代わりの応接室に置いてきている。親父と兄貴のSPも。
 いつもエレベーターホールより先には入らないのだが、今日だけは特別。屈強な男達でも、この気温では体を壊す。
 同じように受け取ったコートを羽織ったSPに、
「お前らも寄っていくだろ?」
 確認するように聞くと、
「実は、先輩達から毎年話を聞いていて、楽しみにしてたんです」
 嬉しそうに頷いて、頭をかいた。
「………なにが?」
 ペントハウスの中に入ることが?
「奥様の夜食」
「へ?」
 お袋の夜食……って、あれか?
 疑問符を飛ばしたオレに照れくさそうに笑い、
「毎年自慢されてたんですよ。奥様の手料理が、年が明けてからの初めての食事で無茶苦茶美味いって。SP連中の中では憧れなんです」
 そう言って頷くSPを見ていたら、また別の疑問が浮かんできた。
 こいつら、オレが参加すると言ったときやけに嬉しそうだったけど、それは、学生時代を懐かしんでいたのではなく、お袋の夜食にありつけるからだったのか?
 夜食は赤池さん直伝だから美味いのであって、お袋が作れる料理は片手ほどしかないのだが、それを言うべきか否か。
 いや、それよりも。
「それ、父さんの前で言わない方がいいぞ」
 あの独占欲丸出しの親父は、お袋の手料理を独り占めしたいはずなのだ。それを堪えているのは、自分だけのためじゃなく、寒い中帰ってくる皆のために作っているから。そんなお袋の心を踏みにじるようなことを、親父自身、許しはしない。
 矛盾する心情は、親父曰く、複雑な男心ってやつだな。
「はい、それもセットにして聞いてます」
 にっこり笑って答えたSPに、オレは頭痛を感じてこめかみに手を当てた。
 世間的には、冷静でクールで世界経済を変えるだけの力を持つ人間で、尚且つ本人にその気は全くないが女はより取り見取りでモテモテなのに、本当の姿は、人の数倍の独占欲を発揮し、お袋のあとを金魚の糞のように追いかけている家庭内ストーカーだと、SPには間違いなく伝わっているわけだ。
 これが、良いことなのか悪いことなのか判断がつかん。
「あ、ゴールされましたよ」
 SPの声に顔を上げると、兄貴がゴールし、間を置かずに親父もゴールした。………と思ったら、あーあ。親父、ヨレヨレじゃないか。
 フラフラとコースから外れ、どっかりと座りこんだのを目にして、慌てて駆け寄った。
 だから、あれほど無理するなと言ったのに。


 ペントハウスに帰り、着替えをしてダイニングルームに入ると、いい匂いが漂っている。もうすでに全員が揃っておりテーブルの上には、温かそうな湯気が立つ豚汁と山ほどのおにぎりが置いてあった。
 いつも家族だけで囲むダイニングテーブルに、ゴツイ男達が並んでいる図というのは異様な風景だ。ある種の合宿所みたいだな。
「一颯も、寒かっただろ?」
 丼鉢のような大きなお椀に並々と豚汁を入れて、お袋がオレの前に置いた。
 兄貴と親父が年越しMidnight Runに参加するようになってから、お袋が夜食だと言っておにぎりと豚汁を作っているのだ。材料を揃えるのはシェフに任せているが、赤池さんのメモを横に置いて、丁寧に一人で作り上げている。
 冷えた指先を温めるように両手でお椀を持ち、白い湯気を立てている豚汁を一口飲んでみた。
「美味しい………」
 オレも毎年ご相伴にあやかり食べているけれど、こんなに美味いものだったか?
 体の芯まで温まっていくようで、ホッと息が漏れる。
 期待しすぎじゃないかと密かに心配していたSP達も、満足そうな顔をして舌鼓を打っているようだ。
 いつもガツガツと食べていたけれど、なぜだかゆっくりと味あわないと勿体ないような気分になって、もう一度お椀に口をつけたとき、
「おかわり、どうですか?お鍋、いっぱいに作ってあるんで」
 ニコニコとSP達に声をかけ勧めているお袋の声が耳に届いて顔を上げる。
 あまりSP達に構うと、親父の機嫌が急降下するぞと思い恐々と隣に目を移したのが、当の親父は、そんなお袋の姿を目を細めて見ていた。
 まるで慈しむかのような眼差しに、違和感を感じる。普段なら、ほかの男に笑いかければ、静かにムッと機嫌が悪くなるのに。
 兄貴も、その様子に気付いているようだが、いつもと変わらない笑顔を浮かべ、SP達の皿におにぎりを乗せていた。
 お袋の言葉に恐縮しつつも嬉しそうにお椀を差し出し、お代わりを頼んでいるSP達とお袋と親父、兄貴と視線を移したとき、手に持ったままの豚汁の温かさがじんわりと染み込んできた。
 この豚汁が温かいのは、オレ達が帰ってくる直前まで火にかけていたから。
 ………あぁ、そうか。お袋がオレ達のSPと顔を合わせるのは滅多にない。こんなときでないと、直接会話する機会がないんだ。
 SPの仕事は、自分を盾にしてオレ達を守ること。
 命を張ってくれているSP達に、お袋なりに精一杯お礼をしているのではないかと感じた。いつもオレ達を守ってくれてありがとう、と。
 そんなお袋の気持ちを汲み取って、親父は無理をして年越しMidnight Runに参加したのではないのか?そうしなければ、親父専任のSPが、この場に着くことはことはないのだから。
 日本の正月のような豪華なお節ではなく、なんの変哲もない豚汁とおにぎり。しかし、寒さに凍った体には、とてもありがたい温かな夜食。
 見栄や形に囚われず自然体で感謝を表すお袋が、眩しく見えた。隣で微笑んでいる親父も。
 こんな両親の下に生まれたオレは幸せ者だと心から思った。そして、このような人間になりたいとも。
 新しい年の幕開けは、豚汁とおにぎり。お袋が作った、崎家の伝統になるだろう。



明けまして、おめでとうございます。
間に合わないと思ったのですが、なんとかなって、ホッとしてます。はい、今日(大晦日)はほとんどなにもしておりません。ぐーたらな専業主婦でございます;

SP達にこうやって日頃のお礼をしていたのに「Love & Peace」で、なにをやらかしてくれたんだ?!と思われるかもしれませんが、あの責任者以外、全員反対の意を唱えておりました。
上から順番に読まれている方はこれからだと思いますので、ネタバレはここまでで。
「新年、おめでとう!」の意味合いでは、「A happy new year」の「A」は付かず、単純に「楽しい新年」となるらしいのですが、でも、一颯にしてみたら「楽しい新年」だから、あながち間違いでもないかなと、タイトルをつけました。
あとひと月で、とうとう完結してしまうタクミくんシリーズですが、二次の妄想は自由だと思いますので、これからもお付き合いくださると嬉しいです。
(2014.1.1)
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