● ● 二つの時計(2013.2) ● ●
「託生。腕時計が壊れたって言ってたよな」
防音室で練習していると、仕事から帰ってきたギイが、ノックもせずに飛び込んできた。 「うん、そうだけど、どこでも時計あるし、携帯でも確認できるから……」 時間があるときにでもお店に見にいこうかと……、と続けようとしたぼくに、 「ちょっと早いけど、誕生日プレゼント」 ギイは、リボンのついた小振りの箱を目の前に差し出した。 たぶん、これは腕時計なんだろう。しかし、買ってきたのはギイだ。 とんでもなく高級な時計が入っているような気がする。 彼からのプレゼントは、度肝を抜かれることが多いのだ。それは、結婚してからも変わらない。 「………腕時計?」 「うん、託生の予想通り腕時計なんだけど、開けてみてくれ」 ニコニコと促すギイに、気は進まないけれど箱を手に取った。 電気毛布のように、安い店で見つけてきたというサプライズなら嬉しいんだけど。 ピンク色のリボンを解き、高級そうな包装紙を取り、これまた高級そうな箱を開ける。 「………うわぁ」 「シンプルだろ?ごてごてしたのとかは託生苦手だろうし、大学に行くのにこれだったら付けていけるかなって思ったんだけど」 ギイの言葉どおり、そこには本当にシンプルな落ち着いた感じの腕時計が鎮座していた。 少し茶色がかった文字盤を金色のフレームが囲み、数字ではなくこれまたシンプルで金色の細い棒が時刻を表し、ブラウンの皮ベルトがついている。 ただ、金色のフレームに沿うように、小さな石がついているのが気になるけれど……。 でも、ぼくの反応を待っているギイの顔を見ると、素直にお礼を言わなくてはならないような気がする。 デザインは、本当にぼく好みだし。 「ありがとう、ギイ」 「お礼は、こっち」 と自分の口唇を指差したギイに吹き出しつつも、チュッとお礼のキスをする。 満足そうに笑ったギイが、腕時計を箱から取り出し、ぼくの左腕に巻いてくれた。 しっくりとぼくの腕に収まる腕時計。相変わらず、ギイのセンスは抜群だ。 「あー、それでな」 「うん?」 「実は、そのデザイン、オレも気に入ったものだから、自分のも買っちまったんだ」 と、挙げた左腕には少し大きめで同じようなデザインの時計が巻かれていた。ぼくの時計と違うのは、小さな石がついていないのと文字盤が白いこと。 「じゃ、ペアウォッチ?」 「そういうことになるかな」 表立ってペアなのは遠慮したいけど、このくらいの小物だったら嬉しいかも。 しかし、この時計は、いったいどのくらいしたのだろう。 祠堂にいた頃はすこぶるケチ………基、経済観念がしっかりした節約家のギイだったけれど、ここNYに戻ってからは、一つ一つの値段が庶民のぼくからすれば桁外れで、頭痛を感じることが多くなった。 その筆頭は、ここペントハウスだ。 現金一括で。しかも、使用人の寮代わりにと、もう一つ下のフロアまで買っていたと聞いたときは、本気で顎が外れるかと思った。 「でも、ギイ。これ高かったんじゃないの?」 そんなギイが買ってきた腕時計。安いわけはないよね。この石、ダイヤモンドのような気がするし………。 しかし。 「まぁ、その辺りのより少しお高めかもしれないけど、ここアフターサービスがしっかりしているから、長期間使えるんだよ」 「へぇ」 「だから、長い目で見るとお得」 と、ウインクを付けて言われたら、これ以上突っ込むのは野暮というもの。 プレゼントは値段ではなく、贈る人の気持ち。 そう思い、翌日から、ぼくは、その腕時計を愛用するようになった………のだけど。 「あれ、タクミ?腕時計、換えたの?」 「うん。前のが壊れちゃって、ギイが誕生日プレゼントにってくれたんだ」 「見せて見せて!………これ、ヴァシュロン・コンスタンタンのマルタじゃない!私、初めて見た!」 ばしゅ?たんたん?なにそれ? 驚きの声に、そのあたりに散らばっていた友人達が、ものすごい勢いで集まってきて、ぼくの腕を覗き込み歓声を上げた。 「ヴァシュロン・コンスタンタンだって?さすがギイだな」 「これ、マディソン・アベニューのお店で見たわよ。パトリモニー・トラディショナルってデザインよね」 「確かシャネルの向かい側に、NY支店があるのよね」 「え?え?え?」 ポンポン飛び出す不可解な言葉に、頭がパニックになる。 いったい、それは何語ですか? 「あの………」 「もしかして、タクミ、知らなかったとか?」 はい、知りませんでした。というか、今でもみんなが何を言っているのか、よくわかりません。 「ヴァシュロン・コンスタンタンっていうのは、世界三大高級時計メーカーの一つなの。ちなみに、もう二つのメーカーはパテック・フィリップとオーデマ・ピゲね。それで、文字盤の上のこの十字のマークが、ヴァシュロン・コンスタンタンのシンボルのマルタ十字」 こっくり頷いたぼくに、やれやれと首を振り、文字盤を指差しながら呆れたような口調で説明する。 せかいさんだいこうきゅうとけいめーかー? 愕然として文字盤を見直すと、確かにヴァシュロン・コンスタンタンと読める。でも、全然聞いたことがない名前だったから、そんな世界的に有名な時計だなんて気がつかなかった。 いや、それよりも、ぼくが知っている高級時計って言えば、ロレックスとかカルティエとかピアジェくらい………。 「じゃ、この時計って………」 「軽く三百万は超えるわね」 「ひえっ」 こんなにこんなにシンプルなのに、三百万?! ギイが誤魔化す程度に、高いんだろうなとは思っていた。でも、予想していた金額とは、桁が違うじゃないか! 眩暈を感じて米神を押さえたぼくを、面白がってニヤニヤと笑う友人達。 当事者以外には、わからない苦悩なんだろうな。 「ギイに、なんて聞いたのよ?」 「少しお高めだけど、アフターサービスはしっかりしてるからって」 ぼそぼそと答えたぼくに、みんながいっせいに大爆笑する。 もう、いったい、なんなんだよ?! 「アフターサービスはしっかりしてるわよ。だって、二百五十年前の創業時に作った時計だって、修理するところですもん」 「へ………?」 「今まで作った時計の設計図と部品、全部保管しているんだって」 思わず絶句。 二百五十年前の時計を修理するとは、それはそれは、しっかりしているメーカーだってわかったけれど。 無駄遣いは禁止って言ったのに!こんな小さな腕時計に三百万ものお金出して! あ、ギイも買ったから、金額は二倍ぃ?! ギイの年収がいくらくらいなのか、ギイの資産がどれだけあるのか、皆目知らないぼくだけど、ギイとぼくとのお金の価値観が、とにかく違うらしいことだけはわかる。 だからと言って、ぼくだってなんでも安いものを買えとは言わない。ギイの立場だってあるのだから。 でも、さすがに学生のぼくが、三百万もする腕時計をはめるのは、分不相応だと思うのだ。 今一度、ギイとは話し合いをしなくちゃいけないだろうかと、考えたとき、 「タクミの子供を追い越して、孫の代も動き続けるわよ」 そう言われて、ポカンと口を開けた。 孫の代まで動く………?これから先、何十年も………? 腕時計に視線を移し、その長きに渡る時の流れを思い巡らせてみる。 今でも二百五十年前の時計が動いているのなら、この時計だって同じだ。ぼく達が死ぬまで、いや、死んだあとも動き続けていく時計なんだ。 そう思うと、この時計がとても愛しく感じた。 もしかしたら、ギイは同じ時を刻みたいと思って、この時計を選んだのかもと。 「タクミ。顔がニヤけてる」 「え?!」 「まだまだ新婚さんだもんね」 「いや、タクミとギイなら、何年経っても新婚やってそうだぞ」 「それも、そうか」 恥ずかしさに思わず両手で頬を叩いたぼくを、みんなが容赦なく笑う。 もう、ギイが迎えに来るたびに、べったりくっつくから………。 「あ、講義の時間!」 「ほんとだ!あと三分!」 「ヤバイ!」 釣られて廊下を走り出したぼくの脳裏に、ぼくの腕と自分の腕を並べて笑っていたギイが浮かんだ。 一緒に人生を歩いてほしいと言った、ギイの想いがつまったこの腕時計。 気付いたこの日から、一秒一秒がとても大切な時の流れのように感じた。 補足。NYなのに、なぜか円換算ですorz 託生くんの時計⇒こちら ギイの時計⇒こちら (2013.2.20 blogより加筆転載) |