● ● 天国と地獄(2010.12) ● ●
「今夜は、帰したくないな」
託生の体調を考えれば、ベッドでゆっくり寝ないといけないのはわかっている。わざわざ狭いシングルベッドに二人で寝るなんて、もってのほか。 それでも、夢のような未来が約束された今夜は、託生をこの腕に抱いて幸せを噛み締めたい。 ふと呟いた本音に、託生はギクリと体を硬直させ、ぎこちなくオレを見上げると、 「………なにもしないんだったら、いい……けど………」 引きつり笑いを見せた。 その言葉に、がっくりと肩を落とす。 「なにもって、託生……」 確かに託生が入院するまで、ほぼ毎日誘っていたけどな。オレを色情狂かなにかと勘違いしてないか、お前?さすがのオレでも、退院してきたばかりの人間を襲うような悪魔みたいなことしないぞ。 第一、医者の確認は取っていないが、完治するまではできないんじゃないのか?それがどのくらいの期間かは知らないが、オレだって禁欲する覚悟はできているのに。 思わず憮然としたオレの顔をチラリと見て、「あの……」託生は何かを言いかけて視線を彷徨わせ、またチラリとオレを見た。徐々に赤く染まる頬を綺麗だと感じつつ、何故かやけに嫌な予感が背中を走る。 「あのね、ギイ」 「なんだよ?」 ポスンとオレの胸に顔を隠すようにうずめ、 「………半年はダメって」 ポツリと言った。 「えっ………?」 胸の中に落ちてきた託生の背中に、条件反射のように廻そうとした腕が宙で止まる。 「佐藤先生が、皮膚が完全に定着するの半年後だから、それまでは止めてくださいねって」 耳まで赤く染めボソボソと説明する託生に、オレの思考は完全に停止する。 はんとしも………か? せいぜい二、三ヶ月程度だと思っていた。 託生と付き合い始めて、たった二ヶ月しか持たなかった己の理性(夏休み明けまで持った吉沢の理性を、オレは本気で尊敬した)。その後は長期休暇のときでさえ禁欲生活は長くとも三週間だったのに、はんとし…………。 託生からプロポーズの返事を貰った今、オレの計画では卒業後そのままニューヨークに連れて行き、もちろん二人きりでマンションに住み、当たり前だが寝室もベッドも一緒で、託生が二十歳になったと同時に速やかに手続きを全て終え、結婚式をあげる。 いや、何が何でも計画通りに進めてみせると心に決めているが、これはもしかしなくても輝かしい未来を掴むための試練というヤツなのでは? 半年間の託生断ちは、オレにとって断食に値する。大げさではなく、マジで。 しかも、同じベッドで寝起きしつつ禁欲なんて、修行僧にでもなったつもりにならないと到底耐えられるものではない。だからと言って別室で寝るなんて言語道断。この1年間で一人寝の寂しさを一生分味わった気分なのだから。 いや、もちろん託生の体が一番で、オレの邪な性欲なんてその辺りに捨て転がしておいていいものだけれども。 そうだよ、オレの性欲なんか、託生の体に比べれば宇宙の塵に等しいものなんだ。 そう、宇宙の塵………。 「ごめんね、ギイ」 固まってしまったオレの顔色を伺うように、恐る恐る顔を上げて託生が謝った。 託生の声に宇宙の果てまで飛んでいった正気を取り戻し、託生に負担を感じさせるという自分の失態に気付いたオレは、 「託生が謝ることじゃないだろ?治療が第一なんだから」 頭を撫でて完璧な微笑みを浮かべる。 託生は、いつオレにその事を伝えようと悩んでいたのか、にっこりと笑ったオレの顔を見て強張っていた表情を緩め、安心したようにホッと息を吐き、オレの胸に再び頭を預けた。 手触りのいい黒髪を梳きながら、これから半年の忍耐を思い心の内で苦い苦い溜息がこぼれる。 今までも、もちろん託生には四六時中触れていたいと思っていた。 しかし、託生は自分の事に気付いていないのだろうが、急激なホルモンバランスの変化のせいなのか、どんどん綺麗になっているのだ。 もちろん容姿が別人のように変わったわけではない。 触れた頬が以前より吸い付くようにすべらかになり、口唇の赤みもサクランボのように瑞々しく輝き、なによりこうして腕に抱いた感触が柔らかく、オレの体にぴったりとフィットしている事実が、オレの欲望を更に募らせる事になっていようとは考えも及ばないだろう。 「それに、オレも言ってみただけだ。今はゆっくり体を休めなきゃいけないんだからな」 「うん、ありがとう、ギイ」 腕の中で邪気のない瞳に見上げられニコリと可愛い笑顔を見せられただけで、こんなにも体が熱くなるのに。 無自覚なところが、オレ的には恨めしい。 ポーカーフェイスを得意とするオレだけど、これはかなりきついかも。四文字熟語のオンパレードに隠忍自重を追加しなければ……。 「ギイ、なに考えてるの?」 キョトンと小首を傾げた託生に覗き込まれて、目の前に現れた赤い口唇に誘われるように無意識にキスを重ね、その柔らかなしっとりした感触にハッと我に返る。 お前、絶対、何も考えてないだろ?!オレは、託生を襲わないように必死なんだぞ! それとも、なにをしても煽られているように感じるのは、オレの自制心が弱いだけなのか……? 「ギイ?」 「………いや、なんでもないよ」 乾いた笑いがゼロ番に木霊したような気がした。 廊下から消灯十五分前の放送が聞こえ、腕の中の託生が身じろぎした。 「ぼく、そろそろ部屋に帰るね」 「そうだな」 と応えつつも、腕の中の温もりを離し難い。 なぜなら、二七〇号室に帰れば当たり前だがルームメイトの三洲がいる。 男だと思っていた時でさえルームメイトの存在が邪魔だったのに、女だとわかって更に他の男と同室だということに、独占欲が体中を満たしメラメラと赤い炎が燃えているようだ。 しかし、託生の内面は変わっていないし、今はまだバレるわけにはいかないから、二七〇号室に返すのが得策だということもわかっている。 それに、三洲の事も託生に対しては信用している。常識を持って託生に接してくれる事も、色々な面でフォローしてくれるであろう事も簡単に予想できる。今となれば、託生のルームメイトが三洲でよかったと思えるほどに。 それに、託生自身、急激な体の変化に戸惑っている分、心だけでも落ち着かせられるように、今までと同じような環境に置いてやるのが大切だとも思っている。 頭では理解してはいるものの、ただ単純に気に入らないだけだ。 己の葛藤に黙りこくってしまったオレの顔をじっと見て、託生が盛大に噴き出した。 「………なんだよ」 「ギイ、すごい百面相」 「だってなぁ」 「気になるのはわかるけど、大丈夫だから心配しないで。今までと同じだよ」 男心をわかっているようでわかっていない託生の台詞に、がっくりと肩を落とし意趣返しを試みる。 「心配と言うよりは、気に食わないだけなんだけど」 婚約者が他の男と同じ部屋で寝るなんて。 とたん、託生の顔が一気に赤くなった。 「こ…こ…こ……」 「ニワトリか?」 「ちがーーーーう!」 託生が何に反応しているのかわかっていながらとぼけてみせると、託生はジロリとオレを睨んだ。 そんな顔したって、可愛いだけだぞ。 思わず顔が緩んでしまったオレを見て、「ギイ」低い声で威嚇するがそれすらも可愛らしく見える。 久しぶりに見た託生の飾り気のない表情に、低迷していたオレの気分も幾分浮上した。 託生は『婚約者』という台詞に過剰に反応しているようだが、オレの中ではすっかり恋人から婚約者に位置を変えている。託生が、結婚を了承してくれたのだから。 男ばかりの祠堂であと一ヶ月強暮らすのならば、ここはきちんと理解してもらって託生自身に自覚してもらわなければ。 「将来結婚する事を約束したんだから、託生はオレの婚約者だろ?」 「そ……う……なのかな………?」 頬を染めながらも、いまいち実感が沸かないというような表情をする託生に、 「そうなんだ。そして、オレは託生の婚約者な」 重ねるように強調する。 「ギイがぼくの婚約者………」 「そう婚約者。今すぐにでも婚約指輪贈ろうか?」 「いいぃぃぃえ!!いりません!」 ギョッとして胸の前で手をバタつかせる託生に、「お前な……」溜息が出る。 ………いりませんと言われても時期が来れば正式に贈るつもりだが、そうはっきり拒否しなくても。急な話に半分パニックになって断っているのはわかるが、さすがに結婚そのものを拒否されているような気分になるぞ。 ヘコみそうになるのを寸でで繋ぎ止め、気を取り直してにっこり笑い、殊更ゆっくりと言葉を運ぶ。 「託生がオレの婚約者で、オレは託生の婚約者。わかったか?」 「うん、わかった………と思う」 思うって………。 この様子じゃたぶん半分も理解していないんだろうな。事あるごとに『婚約者』と言い続けなければ。 ついでに。 「だから浮気はご法度だぞ」 本気で言っているのに、なにをバカな事をとでも言いたげに、 「そんな物好きいないってば」 いつものように呆れたように見返す託生に溜息が出る。 ………オレが今まで何人消してきたか、こいつは考えもしないのだろうな。 いや、今までのことはもういい。これからが正念場なんだ。最後のチャンスとばかりに突撃する人間が出てくるだろう事が、先ほどの食堂の様子からも簡単に予想できるのに、本人の自覚がこれほどまでにないとは。 「ギイ、ぼく、そろそろ帰らなくちゃ」 「………卒業までだからな。我慢するか」 「そうしていただけると助かります」 託生の顔を見ながら、卒業までの神経をすり減らしそうな日々と、それに続く半年の禁欲生活を思い、心の中に深い暗雲が広がっていく。 オレ、卒業までに寿命が何年縮むのだろう。 ………なんて、後ろ向きはオレには似合わない。 託生が『恋人』から『婚約者』になったからには、今まで以上にがんばることにしますか。 それに、半年と言えば、計算から行くとオレの誕生日辺りが解禁のはず。 修行僧になったつもりで半年耐えれば………! Life10.1です(いい加減、数字に例えるのは止めろって;) 単純に、ギイをいじめたかっただけです(おいっ) だって、この人、どれだけいじめても立ち直りが早いですから(爆) しまいにはギイが馬に見えてきましたから。にんじん=託生くん。 まぁ、その分、裏で章三君が苦労してそうですけどね。 一応、半年です。一応ね(ニヤリ) (2010.12.10) |