● ● 振り向けば、ただありふれたペンの先 -7-完(2012.12) ● ●
常日頃から無駄遣いするなと諌める超庶民で倹約家の託生の感覚から言えば、不動産なんてものは一生に一度の買い物と言うだろうし、簡単に買うべきもんじゃないとも言うだろう。
でも、これほど吟味したことはないと胸を張って言えるくらい、ここは建築中から何度も訪れ、耐震・耐熱技術が最新でハイレベルなのも確認し、設計図にも口を出し、セキュリティ関連も担当する警備会社から調査した。 もちろん、マネス音楽院から徒歩圏内なのは大前提だ。 「本宅があるのに、どうして?!いったいいくら使ったんだよ?!あぁ!お義父さんとお義母さんには?!」 突然の話にパニックになっているのか、ペントハウスの玄関ロビーに入ったとたん、あわあわとオレを質問攻めにし、すぐに案内しようと思っていたオレは足止めを食らった。 慌てふためく託生の顔は、それはもう抱きしめてキスして頬ずりしたいくらい可愛いが、とりあえず、落ち着け。話が進まん。 「ギイってば!」 片手に持ったままのバイオリンケースを取り上げ、託生の鞄と一緒に大理石の床に置き、濃厚なキスを仕掛ける。 「んーんー!」 咄嗟に胸の位置まで上がった託生の腕ごと抱きしめ、口唇を割った。 甘い舌を絡めとり、徐々に柔らかくなる体が膝を落とすまでたっぷりとキスを堪能し、やっと大人しくなった頃、託生を解放する。息が上がって桃色に染まった頬におまけのキスをし、背中に回した手で宥めるように軽く叩いて、肩に頭をもたせかけた。 「落ち着いたか?」 「………どういう、落ち着かせ方するんだよ」 「趣味と実益を兼ねてみた」 ボソリと文句を言う託生の耳が赤い。 大きな溜息を一つ吐いて息を整えた託生が、視線で説明を求めてくる。 「結婚と同時に本宅を出る予定だ。だから、このマンションを買った。キャッシュだから借金はしてないし、託生が気にすることはない。親父とお袋にはこれから話す」 「どうして?本宅じゃダメなの?」 ダメではないが、オレが嫌なんだよ………と言っても理解はしてもらえない。 託生自身が、今も、結婚したあとも、本宅で暮らしていれば生活は変わらないだろうし。 オレも、色々なフォローをしてくれたことに関して感謝している。今となれば、フォローがなかったら、こじれまくったであろう喧嘩が無きにしも非ず。 しかし、同時に託生との時間を邪魔されたのも事実だ。 祠堂卒業と同時に託生と暮らす予定だったのを、二年我慢したんだぞ。もう、充分だろ? 「日本の戸籍制度を例にとって説明すれば、オレと託生であらたに一つの戸籍を作るんだ。だから、親父やお袋とは別世帯。別の家族。……いつかは本宅に帰らないといけないだろうけど、新婚のときくらいは二人で暮らしたい」 「別の家族………」 「そう。だからと言って他人行儀な言葉は必要ないけどな」 そんな言葉使ったら、全力でぶん殴られる。 どう受け取ったのかはわからないが、託生は口に手を当て、じっと考え込み、ふと思いついたように口を開いた。 「じゃあ、ギイとぼくは家族になるの?」 「当たり前だろ?」 結婚するのだからなにを今更と思ったのだが、オレの言葉に託生がポカンと口を開ける。 おい、そんなに驚くことか?何度も婚約者だと言ったし、夏には式をあげるんだぞ?着々と式の準備は進んでいるのに、もしかして、まだ実感がないとか? 託生の鈍感さに眩暈を感じる。 ウェディングドレスに興味がないとか、結婚式に興味がないとか、それは男として育った託生ならありえるし、実際そうなのだからオレも諦めはつく。その代わり、周りが動けばいいことだ。 しかし、結婚そのものに関して、託生に一から説明しなければいけないとは予想がつかなかった。結婚という言葉によって、オレと託生の仲が変化するわけではないが、根本的になにかを勘違いしているような気がする。 「家族………」 「結婚して、託生とオレは夫婦になり、家族にもなる。そして、オレは託生とここで一緒に暮らしたい」 言葉を繰り返した託生に、噛んで含めるように言い聞かせた。 それきり考え込むように無言になった託生に、一抹の不安を覚えつつも、 「とりあえず、部屋を見てくれるか?」 お伺いを立てるように問いかけると、コクリと頷き差し出したオレの手を握り締め、素直にあとに続いてきた。 「ここは、応接間。両親や絵利子が来たときはリビングでいいけど、ちょっとお堅い来客なんかは、ここを使えばいいだろ?だから、隣はオレの私室にするつもりなんだ」 そうして、隣の部屋のドアを開き中を覗かせる。 「ギイの部屋?」 「入れる家具は今の部屋とそう変わらないな。オレの部屋なんかより、託生の防音室を見てくれ」 自分の部屋など、別に興味はない。最低限、机と本棚さえあれば、それでいい。 さっさと引き上げ、そのまた隣の部屋、特殊なドアノブを下に下げてロックを外し、分厚いドアを引いた。 午前中に完成したばかりの防音室。 床、天井、壁。四方八方、何層もの空気の層を特殊な壁で重ね、窓も真空層と特殊ガラスを数枚重ねた防音窓。音響も細部まで計算され、思う存分バイオリンを弾けるようにと作った、託生だけの空間。 見た目は柔らかな木目で囲まれ、落ち着いた雰囲気に仕上がっている。 「………広すぎるよ」 「ピアノを入れたら、それほどでもないと思うけど。手、叩いてみろよ」 素直にパンと一つ叩き、壁から跳ね返る音響にビクリと体を震わせ、 「すご………」 部屋の中央でぐるりと見回しながら、圧倒されたようにポツリと呟いた。 その後、一つ一つの部屋に入って、この辺りにこういう家具を置いて……なんて連れまわし、最後に入ったオレ達の寝室で、 「こんな感じなんだけど。家具を入れたら、もうちょっと家らしく………」 と、振り返ったオレはギョッとした。 「た……託生?!」 ポロポロと声もなく涙を零している託生の姿に狼狽し、慌てて抱き寄せる。 やはり勝手すぎただろうか。そんなに泣くほど嫌だったのか?何度も託生の泣き顔を見たが、こんな静かに泣かれたのは初めてだ。 すがるように腕を回してきた託生の背中を撫でながら、自分勝手な行動を反省する。 「ごめん。なにも相談せずに決めて。本当に悪かった。やっぱり嫌か?本宅がいいか?」 それならそれでセカンドハウスにするだけだ。まだ心に爆弾を抱えているような不安定な状態の託生に無理強いするつもりはない。 マンションを買うにあたり、医師には相談した。 擬似ではあるが「家族」という中から連れ出すのは、今の託生に負担になるか、と。 環境を変えるというのは、どのような人間でも多かれ少なかれストレスになる。ましてや、この二年の間に託生の身の上に起こった環境の変化は、人の数倍。 医師に「大丈夫だ」とお墨付きを貰ったが、託生の思考全てを医師が把握しているわけじゃない。AC(アダルト・チルドレン)の枠組みに当てはめると、こうなるであろうという予想から、医師も判断しているだけだ。 両親や絵利子の側が安定するというのなら、またの機会を待つだけ。託生に無理をさせてまで、引越しを強行するつもりはないのだから。 涙の理由がわからず、ただ抱きしめるしかないオレの腕の中で、小さくしゃくりあげながら託生が顔を上げた。 「………ギイは、ここを家にしたいんだろ?」 なんとなく、不思議な聞き方をするんだなと疑問に思ったのは一瞬。言葉にするのが下手な託生だからと、込められた思いにオレは気づくことはなかった。 そんなことよりも、涙に濡れた瞳で綺麗に微笑む託生に見とれ、条件反射のように頷き、 「じゃ、ぼくも一緒じゃなきゃ、スウィートホームにはならないよね?」 了承と確認の言葉に、抱きしめていた体を宙に放り投げるように抱き上げ、狂喜乱舞した。 このときの疑問と涙の理由がわかるのは、二年後のこととなる。 「でもね、ギイ」 う、これはお小言モードか? やっと泣き止んだ託生が、オレの肩越しに見えたクローゼットルームに興味を持ち出し、そのまた奥にあるバスルームを見て、 「二つもバスルーム作ってどうするんだよ」 と文句を言われ、もう一度防音室を見たいと腕を引っ張られて上階に移動し、そのついでに、あっちこっちのドアを開けまくってやっと好奇心を満足させたのか、今度は興味の対象をオレに移したらしい。 「今回は目を瞑るけど、これから先、勝手に家を買ったり別荘を買ったりしたら………」 「しないって」 「ほんと?」 「そういうときがあったら、託生に相談するから」 「絶対?」 「絶対」 内心「たぶん」と付け加え、託生にバレなければいいんだよなと言い訳をする。 だって、そうだろ? 託生と人生を楽しむためなら、別荘の一つや二つ、クルーザーの一つや二つ、ジェットの一つや二つ………ヤバ。オレ、際限なく買ってしまいそうだ。 ま、ほどほどにってことだよな。 密かに自己完結したオレの隣で、託生が「あ」と声を上げた。 「なんだ?」 「朝、お義父さんとお義母さんが、ギイとぼくの部屋をくっつけてリフォームしようかって言ってた」 「マジっ?!」 それはヤバイ。あの二人の会話は相談という名の決定事項だ。しかも、思い立ったら吉日の人間。 「託生、帰ろう!」 「え?」 まさか、もう工事に取り掛かってはいないだろうな。 頼む!間に合ってくれ! その後、本宅で一波乱も二波乱もあったのは、言うまでもない。 全ての出来事が今日に続く、ただのありふれた通過点だったのだと、今ならわかる。 昨日、今日、明日と、託生と重なる時間全てが、未来に続くポイントの一つになるのだろう。 点を繋げれば線になる。 目には見えない二人のペンで、途切れることなく永遠に線を繋ぎ続けよう。 お読みいただき、ありがとうございました。 私としては、設定をお知らせしようとしたものなのですが、話として成り立っていたでしょうか; 順序としては、託生くんの音大とペントハウスは徒歩圏内である。が、最初にあります。 この辺りは「永遠という名の恋」で、ちらりと書いていたと思います。 そして、原作でジュリアード音楽院、マンハッタン音楽学校の言葉が出ているから、本来はその二つの内どちらかを……と言いたいのだけれど、当サイト内、すでにANGELでジュリアードを使い、Destinyでマンハッタン音楽学校を使っているので、できれば別の音大を…と調べた結果、自然史博物館に近いマネス音楽院に決めました。 そこから、徒歩圏内にあの妄想用間取り図のマンションを見つけた次第です。 それと、ギイの大学院の話も「受け継ぐ心、伝える想い」のときに、設定しておりました。 ……と言えば、じゃ託生くんは知っているのか?と質問されそうなので書いちゃいますが、 「中途半端に知っている」 です;ギイがどの学科を受講していたかというのは知りません。はい。 それで、以前、ツイッターでペントハウスとマネス音楽院のルートを流したので、わかっていらっしゃる方も多いとは思ったのですが、とあるアドバイスを受けまして、そう言われたらそうかもしれないと頷き、一度きっちり話として書くことにしました。 あれもこれもあれもこれもと、設定ファイルをぶち込んだのは、ついでです。 書けるときに入れておかないと、後々困りそうなので。 それから、実際に『アメリカ留学公式ガイドブック』というのは販売されてます。中身は読んでません。すみません; と、長くなってしまいましたが、久しぶりの婚約時代、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。 (2012.12.4) |