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●  永遠という名の恋 -7-  ●

「託生、どういうことだ?!」
 帰宅したとたん、執事から、
「託生様が隣の部屋でお休みになるとおっしゃって、一応用意はしたのですが……」
 と、困りきった顔で言われ、オレは慌てて居間に飛び込んだ。
 ソファには、きっちりガウンを着込んだ託生が座っていた。
「お帰り、ギイ」
「それより、隣の部屋を使うとはどういうことなんだ?」
 託生がこういう状況になった時、同じように隣の部屋を使うと託生は言った。何故そう言ったかは、わかりすぎるほどわかる。しかし、高熱で倒れうなされている託生を一人で寝かすなんて言語道断。強引に引き止め、今では託生も納得しているものだと思っていたのに、今更部屋を移動するなんて、一体何があったんだ?
 膝の上に固く握った拳を置き俯いた託生の隣に座り、
「託生?」
 理由を促す。
「……これ以上、ギイに迷惑かけたくない」
「おい、いつ、お前が迷惑かけたっていうんだよ?」
 託生の両腕を掴んで問いかける。
「かけてるじゃないか!ギイ、薬がないと眠れないじゃないか!」
 キッとオレを睨んだ託生の目から涙が零れ落ちる。
 いつ……あぁ、昨日か。寝ていると思ったのに、見られていたのか。ここのところ疲れがピークで、だがあまりにも神経が高ぶって数日眠れなくて、薬に頼った。託生に気付かれたのはオレのミスだ。
 どう言い訳しようかと思考を巡らせているうちに、堰を切ったように託生が言い募る。
「そこまで迷惑かけたくない!」
「だから、迷惑じゃないって」
「ぼく、ギイに甘えてばっかりで、なにもできなくて!」
「そのままでいいんだ。オレは、甘えてもらって嬉しいんだから」
「わからない!わからないよ!ギイの重荷にしかならないのに!どうして、ここにいていいのかわからない!」
 ここにって、当たり前だろ。なんで理由がいるんだ?託生がオレの側にいることそのものが、最大の理由だろ?
「オレが、託生といたいからだよ。都合のいいときだけ側にいるのが夫婦なのか?昔オレに『半分荷物を分けろ』と言っただろ?オレだって、そう思ってるんだ。託生と全てを分かち合いたいんだ」
「でも……でも、なにもできない!子供も産めないのに!」
 だから、何度言えば……!!
「子供はいらないと言ってるだろ?!」
 一気に血が上って怒鳴り返し、しまった!と思ったのも後の祭り。託生はビクリと目を見開いて一瞬オレを見つめ、口唇を噛んで俯き、
「ごめん……」
 ポツリと謝った。
 二人の間を、沈黙と気まずい空気が流れる。
「オレこそ、怒鳴ってすまない」
 そっと託生の頬に触れ、そのまま頭を引き寄せ髪にキスをした。
「オレは託生がいるだけでいいんだ。いてくれるだけでいいんだ」
 頼む、わかってくれ。
「重荷なんて思ったことはない。託生がここにいることが、オレの幸せなんだ」
 落ち着かせるように何度も髪にキスを落とし、指で黒髪を梳く。
「でも、薬………」
「たまに飲んでたんだよ。移動中に仮眠が取れなかったときとか」
「……本当に?」
「あぁ」
 託生を抱き上げベッドに運び、ガウンを剥ぎ取ってシーツをかける。
「ここで寝てくれ。何があっても家庭内別居は嫌だって言っただろ?」
 茶化す声さえも空しさをまとう。
「ここにいるから。お休み」
 託生は何か言いたそうな目で一瞬オレを見、諦めたように目を閉じた。
 怒りや苛立ちを表せるようになったのは、いい方向に向かっているんだと医師には聞いていた。託生の心が内から外に向けられ始めている証拠だ。
 でも、オレは託生の寝顔を見ながら考えていた。
 託生がいてくれるだけでいいのに。それ以外の理由なんてありはしないのに。
 どうしたら伝わるのだろう。言葉が足りないのだろうか。
 そして、どうして、あそこまで子供に執着するのだろうかと。


 翌日、重い頭を押さえデスクに向かっていると、珍しく親父とお袋が揃って顔を出した。
「移動時間さえも、惜しいでしょうから」
 オレを本宅に呼び出すよりも自分が動いた方が早いとの判断に感謝し、両親にソファを勧めた。オレも一度電話で話したきりで、気にはなっていたんだ。
「託生さんの様子はどうなんだ?」
「以前よりは落ち着いています。うなされる事も、ほぼなくなりました。まだ、部屋から出る事はできませんが」
「そう………」
 両親には託生をNYに連れてきたとき、かいつまんで話をしていた。また、今回のような事が起こる可能性も。
「託生さんはなんて?」
「『子供も産めないのに、どうして、ここにいていいのかわからない』と。子供はいらないから気にするなと言っているのに、なぜあんなに執着するんだか……」
 切り離して整理していかないと、前に進めないのに。オレは託生がいてくれるだけでいいのに。
 オレの言葉にお袋が深い溜息を吐き、
「貴方がそれでは、託生さんが気の毒だわ」
 咎めるように口を挟んだ。
「母さん?」
「何の為に十八年間の人生を捨てて、託生さんが積極的に治療を受け入れていたのか、わかりませんか?」
「え?」
「貴方が一言『将来、子供はいらない』と言っていれば、あんな治療を受けなくてもよかったんです。それこそ女性として羞恥心を伴うような事、誰だって受けたくはありません。でも、それを受け入れたのは、義一の配偶者として生きていこうと託生さんが決めたからです。もちろんその中には、子供も入っているでしょう。今更『いらない』と言われて、『はい、わかりました』と納得できますか?」
「でも、託生は……」
 オレにはっきりと言ったんだ。子供を産めないと。だから、オレは………。
「義一。『産めない』と『産まない』は別です」
 お袋の言葉にハッとした。
「『産まない』は自分の意思です。『産めない』は、産みたいけれども何らか問題があって産む事ができない。託生さんにとっての問題は、自身の心でしょう」
「そ……うですね………」
「貴方のように、これとあれは別問題だと切り離せません。託生さんの中では繋がっています」
 きっぱりとしたお袋の言葉に目の前が一気に開け、そして己の失態に愕然とした。
 表立った理由ばかり気にして、託生の本心を見ていなかった。
 子供は欲しいけれど産めない。
 そう訴えていた託生の気持ちを無視し、「子供はいらない」と言い放った。オレの言葉で託生を傷つけていたんだ。言葉の裏を全く考えずに、頭ごなしに否定した。託生の今までの努力を、あっさりと退けた。
 どれだけ言葉を重ねても、託生に届かないのは当たり前だ。
『どうして、ここにいていいのかわからない』
 今までの努力を否定されれば、どうしていいのかわからなくなったって、それは託生のせいじゃない。ただでさえ辛い過去を思い出して混乱しているのに、オレが更に輪をかけた。
 託生自身どうにかしたいと足掻いても、話以前にオレがシャットアウトしていては、いつまでも答えなんてものは出るはずがない。
 オレは、託生になんてことを……。
「託生さんの心を守れるのは、お前だけだろう?私の息子が、ただ一人の人を守れないような情けない人間なんてことは、まかり間違えても、錯覚だと思いたいものだが?」
「父さん……」
 オレの失態を責めるでもなく、オレのやるべきことを示してくれる。
 そうだ。オレが一生かけて守ると決めたんだ。誰にもこの役割を譲る気はない。
「旅行にでも行ってみたらどうだ?環境を変えてみるのもいいかもしれないぞ」
「ですが、今は抜けられない仕事が……」
「お前の手がけている仕事は、私が代理で動く」
「父さん?!」
 会長直々が動けば、幹部連中も文句は言えまい。しかし……。
「こちらの心配はいらない。義一は託生さんの事だけを考えろ」
「託生さんは、私達の大切な子供ですからね。頼みましたよ」
「母さん……」
 もう十分大人になったつもりなのに、この二人の前だと、オレはまだまだ子供なんだと認めざるを得ない。こんな大きな懐と愛情に守られた自分を少々情けなく感じるが、今だけは甘んじておこう。
「お前と託生さんの絆を信じろ」
「二人で本宅に遊びに来てくれるのを待っていますよ」
「はい」
 次に本宅に行くときは必ず託生と二人で。


 両親と島岡に急かされペントハウスに戻ったのは、まだ陽が落ちて間もない頃だった。
「義一様、お帰りなさいませ」
 一歩中に入るとあれだけ笑顔に包まれていた家が、今は表面上穏やかに見えるだけで、まるで通夜のように静まり返っている。託生があちらこちらに顔を出して、家の中なのに捕獲するのが一苦労だった事が遠い昔のようだ。
「託生は?」
「居間の方に……」
「一週間程度の旅行の準備をしておいてくれ。オレと託生の二人分だ」
 執事に指示を出し、居間に足を向ける。一つ大きく呼吸をしノックもなしにドアを開いた。
「託生、旅行に行こう」
 殊更明るく声をかけると、ソファの上で丸まっていた託生はビクリとして振り返った。
「お、おかえ……え、旅行?」
「そう。以前に言ってただろ?旅行しようって」
「でも……」
 躊躇う託生の気持ちはわかる。この一ヶ月間、部屋に閉じこもり外には出ていないんだ。それに、二人きりの旅行というのが、今の託生には恐怖を与えるだろうことも。けれども、このままではオレも託生も前に歩いていけない。それにオレの本心を伝えないと、いつまでもすれ違ったままになりそうなんだ。
 もう一度歩調を合わせて、ゆっくりでもいい。二人で歩いていきたい。
 託生の横に腰掛け、
「親父がさ、プライベートジェット使えって」
 暗に両親もこの旅行に賛成しているのだと匂わす。託生が断りにくくするために。
 案の定パチリと目を見開き、
「お義父さんがわざわざ?」
 確認した。そして、どうしようと思案する。
「そう。結局、ゆっくり新婚旅行らしい旅行も行けなかった事だし、プライベートジェット使えってさ」
 贅沢を託生が好まないのはわかってはいたが、混雑する空港内は避けたかった。
「……でも、ギイ、お仕事は?」
「大丈夫。終わらせてきたから」
 親父が代わってくれたなんて言うと、託生の事だ。絶対気兼ねするに決まっている。言わなくてもいいことはその辺りに捨て置いて、
「託生が心配するような事、何もないぞ」
 言葉を重ねた。
「……うん」
「よしっ、じゃ、出発するか」
「え、今すぐ?!」
 託生の気が変わらないうちにと笑いながら手を引き部屋を出ると、執事が直立不動で待っていた。
「お荷物は、お車の方に準備できております」
「あ……あぁ」
 託生と話をしていたのは十分ほどの事なのに、こちらが面食らうほどの早さで使用人達は動いてくれていた。玄関ロビーの方向からは、先ほどの静けさが嘘のようなバタバタとした物音が聞こえてくる。何かを察してくれているのだろう。
 多くの人の気配に固まった託生の手を、逃げ出さないように握り締め引っ張る。
「行くぞ」
 このまま一気に連れ出さないと。
 玄関ロビーには、使用人全員が揃っていた。見送りにここまで揃った事は今まで一度もない。
「行ってくる。留守を頼む」
「……行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
 見送る使用人達の穏やかな笑顔の裏に、託生の心配が見え隠れする。そしてオレに対する期待も。
 みんな、心配してるんだぞ。お前が好きだからだ。元気になってもらいたいんだ。


 生い茂る木々の間から、夏の日差しが柱のように地面に突き刺さり、陽炎が揺らめいている。窓を開ければ、一気に湿った生暖かい空気が入ってくるだろう。
 隣の助手席では、託生が寝息を立てて眠っていた。NYなら真夜中の時間。慣れない長距離の移動と時差ぼけに、車を走せ始めた後すぐに寝入った。
 ただでさえ、体力が落ちてるんだ。できるだけ休ませてやりたい。
 だが、あと少しで着いてしまう。そろそろ起こさなければ。
 山道に入り、ギリギリまで寝かせ、あと五分で目的地に着くというところで、託生に声をかけた。
「託生、起きろよ。もうすぐ着くぞ」
「ん……あ、ごめん!寝ちゃっ………」
 慌てて飛び起きた格好のまま、フロントガラスから見える景色に託生の言葉が途切れた。驚きに目が丸くなっている。昔、何度もバスで往復した道。この先にあるのはオレ達の楽園。
「ギイ、ここ……」
「見えてきたぞ」
 二人の始まりの場所。祠堂。
 左折し今は青々と茂る桜並木を抜け、来客用の駐車場に車を止めサイドブレーキを引いた。
「ほら」
 車を降りて助手席側に回り、呆然と座ったままの託生に手を差し伸べ、車を降りるよう促す。差し出さした手に捕まり託生が地面に足をつけた時、正門の向こうから懐かしい顔が歩いてきた。
「託生、島田先生がいらっしゃってる」
「え?」
 急な連絡だったのに、わざわざ出迎えてくださった島田先生に恐縮しつつ、
「御無沙汰しております」
 挨拶をする。
「義一君、葉山君……あぁ、いや、託生さんだったね。元気だったかい?」
「はい、島田先生もお元気そうで」
 卒業して三年以上経っている。知っている人間は、もう教職員だけしか残ってはいない。それでも、ここはオレ達にとってとても大切な場所だった。
「午後の授業が始まったところだから、ゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます」
 第一校舎の前で島田先生と別れ、オレ達は、さらにその奥、校舎裏に向かった。
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