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●  SOLEADO(2013.7)  ●

「託生。日曜日、デートしようか?」
 三〇五号室で宿題を片付けていたら、一緒にご飯を食べたあと、なにやら厄介ごとが起こったらしく、そのまま友人に連れて行かれたギイが、部屋に戻るなり言った。
「え?」
「昼前にバスに乗って、少し遅めの昼食を取って、麓の町を歩いてみないか?」
「ぼ………ぼくと?」
「デートって言ったら、託生としかないじゃないか」
 足早に近寄ったギイが一人分の空間を空けて、ぼくの目を覗き込みながら可笑しそうに笑う。
 とたん、頬が赤く染まるのがわかり、咄嗟に卓上カレンダーを見る振りをして目を反らした。
 去年一年間、ギイの笑顔を遠くから見ていたけれど、自分だけに向けられるギイの笑顔が眩しくて、まだ直視できないでいる。
「で、でも、ギイ。忙しくないの?」
 必ず一緒に食事を取り、一緒に部屋まで戻るギイだけど、大抵そのあとすぐに出かけていく。部屋に戻ると言うよりは、ぼくを部屋に送り届けると言ったほうがしっくりくるくらいだ。
 それだけ忙しいギイだから、日曜日でもなにかしらの用事があるものだと思っていたのに。
「なにもないよ。オレ、託生とデートしたいなって思ってたんだ。あぁ、そうだ。海にまで足を伸ばそうか?」
「海?」
「行ったことあるか、ここの海?」
 聞かれて、ぼくは首を横に振った。
 寮からも校舎からも見える大海原。
 もうこの景色が当たり前すぎて、海を注視することはないけれど、いつも遠くでキラキラと輝いている。
 でも、ぼくは海にまで行ったことがなかった。
 一年生の頃、月に二回ほど買出しのために麓に下りるくらいで、しかも駅前の店でさっさと購入したあとは、すぐに祠堂に戻っていた。人ごみが苦手だからだ。
 だから、祠堂に一年以上在籍しているにも関わらず、ぼくは麓の町も詳しく知らないし、町より向こうの海を見たことはない。
 そんなぼくの状況を知ってか知らずか、
「麓で昼食を取って、海まで散歩しよう」
 もう一度、誘いの文句を口にしたギイに、おずおずと頷くと、ギイはこれ以上ないくらい嬉しそうに笑った。


 日曜日。もうすでに、外出組は出払っているらしく、バス停にはぼく達二人だけだった。案の定、山側から降りてきたバスもガラガラだ。
 へぇ、この時間は、バスが空いてるんだ。
 二人がけの椅子の奥にぼくを座らせ、一瞬ギイが戸惑いの表情を浮かべたのに気付き、
「ギイも座ったら?」
 と、窓側に少し体をずらした。
「あぁ」
 ホッとしたような表情を一瞬見せ、素早くぼくの隣に腰掛ける。と同時に、バスが出発し、その振動にギイの肩が軽くぼくの肩に触れた。
 けれど、突発的に触られるわけじゃないし、多少は慣れてきたギイだから大丈夫みたいだ。
「なにか、食べたいものあるか?」
「うーん、特別食べたいものはないかな」
「じゃ、オレが考えたデートプランでいいよな?」
「デートプランって、そんな大袈裟な」
 ギイのあまりの力の入れように吹き出すと、
「大袈裟じゃないぞ。記念すべき託生との初デートなんだから」
 機嫌よさそうに笑って、
「着いたら、まずは腹ごしらえな」
 と、ギイ曰くデートプランその一を発表した。
 他愛ない話をする中、バスはぐんぐんと山を下りていく。
 さっきまで、本当にぼくでいいのかと不安に感じていたのに、こうやって嬉しそうなギイの顔を見ていると、なんとなくぼくまで楽しい気分になってきた。
 デートと言われると、少し気恥ずかしい気分になるけど。


 毎週外出している祠堂の学生でも、さすがにこんな店は知らないんじゃないだろうかというような穴場のレストランに入り、
「ここのランチ、ボリュームがあって美味いから」
 と、食いしん坊のギイお勧めのランチを堪能する。
「よく、こんなお店知ってるね」
 駅前から外れた住宅街に、ポツンと目立たないように立っているレストラン。うっかりすると見逃してしまいそうな佇まいであれど、お客さんはそれなりに多い。
「そりゃ、食いもんに目がないギイ君ですから。託生、ここのパン、焼き立てで美味いぞ」
 パンが入ったバスケットをこちらに押しやり、ギイが勧めてきた。
「料理に合わせたパンをここで焼いててさ、しかもパンは食べ放題」
「それなら、ギイのブラックホールの胃袋も満足だね」
「そういうこと」
 クスクスと笑いながら、香ばしい匂いが漂う小さめのパンをバスケットから一つ手に取り、千切って口に入れた。とたん、ほのかにチーズの味が口の中に広がり、でも料理の味を邪魔しない控えめな甘さに目を見開く。
「美味しいっ!」
「だろ?」
 満足そうに笑って、ギイもバスケットからパンを一つ手に取った。
 その後、お金を払う払わないで、すったもんだし、
「デートに誘ったのはオレなんだから」
 と、ギイがさっさと払ってしまったけれど……そりゃ、高校生の小遣いでは少々痛い出費かなと思ったけれど、滅多にこういう機会もないだろうしと、引き出しに入れていた全財産を持ってきていたのだ。
「いいの?」
「もちろん」
「………でもね、デートに誘った側が全部払うルールなら、ぼくギイを誘えないよ」
 ボソリと言った言葉にギイがポカンとぼくを凝視して、蕩けるような笑顔で破顔した。
「違うって。オレが払いたいだけなんだから、じゃんじゃん、オレをデートに誘ってくれよ」
「………絶対、誘わない」
「たーくーみーーっ」
 明後日の方向を向いたぼくの肩を掴もうとして、触れる寸前ハッとして宙で止め、慌てた様子のギイを見ていたら笑いが込み上げてきた。
「ギイ、ご馳走様でした」
 向かい合って、改めて素直に頭を下げると、
「どういたしまして」
 なぜかギイまで直角に頭を下げ、そのお辞儀合戦に二人揃って吹き出し、目を合わせて笑いあった。


 満腹なお腹を抱え、食後の運動がてらにとのんびり町を散策したあと、松林を抜け海沿いの道路を横切った向こうに海が広がった。
「うわぁ」
 太陽の光に反射して、キラキラと輝く水面がどこまでも続いていく。遥か遠くに見える影は、大型の客船だろうか。
 これが、祠堂から見えていた海なんだ………。
 校舎や寮の屋上から何度も眺めていた海が、ぼくの目の前にある。
 鼻を突く潮の香りに、懐かしさを感じた。
 ぼくの地元も海が近いから、子供の頃はよく見にいっていたけれど、いつ頃からか海を見にいくこともなくなった。………この輝きが眩しくて、自分には相応しくないような気がして遠ざかっていた。
 観光地でもないから、夏は地元の人間くらいしか泳ぎにこないだろう砂浜は、誰もいないぽっかりとした空間を作り出している。
 ふと視線を感じて振り向くと、ぼくの顔をじっと見ていたらしいギイの視線に、頬が赤く染まった。
「なんだよ?」
 あまりじっと見ないでほしい。まだ慣れていないのだから。
「………いや、寒くないか?」
「うん、大丈夫」
 潮風が少し冷たいけれど、火照った頬を冷ますにはちょうどいい。
 促されるまま砂浜に足を踏み入れ、波打ち際に近寄り、乾いた砂の上に腰を下ろした。ザザザ…と白い泡を作りながら、寄せては返す波の音だけが、ぼく達を包み込んでいる。
 海を眺めているギイの横顔をそっと盗み見た。
 この海の遥か向こうに、アメリカがある。ギイの生まれ育った国がある。
 今、ギイはここにいて、こうして同じ海を見ているけれど、本来なら奇跡に等しいことじゃないのだろうか。
 ギイを知らずに生きる人生だってあったはず。いや、その確立の方が高いんだ。
 それなのに、奇跡のように出会った人に、ぼくは恋してる。そして、今まで遠く眺めていた海のように、遠くからしか見れなかったギイが、ぼくの隣にいる。
 まだ十六年しか生きてないけれど、人生ってわからないものなんだな。
 会話もなくぼんやりしていると、ふと、ギイがなにかを探すように視線を巡らし、
「なぁ。クリスマスシーズンでもないのに、どうしてこの曲が学校から流れてくるんだ?」
 不思議そうに背後を振り返り、見えない音を指差した。
「はい?」
 ギイの指の先を見ると、松林の間から小学校らしき建物が見える。
 今日は日曜日で休みのはずなのに、なにか学校行事でもあったのかな。
 流れてくる曲に耳を澄まして、
「……あぁ、『哀しみのソレアード』だね」
 タイトルを口にした。
「哀しみのソレアード?」
「うん。いろんな人がカバーしてるけど、ポール・モーリア・オーケストラが演奏しているのが有名だよね。たぶん、これもそうだし。原曲はアントニオ・ザッカーラ・ダ・テーラモって人が作曲したソレアード(SOLEADO)らしいけど」
「哀しみのソレアード………」
「それが、どうかした?」
「この曲、アメリカじゃクリスマスソングなんだ」
「クリスマスソング?」
 この曲が?
「あぁ。『When A Child Is Born』って名前だけど」
「When A Child Is Born……子供が………生まれるとき?」
「そう。クリスマスって、キリストの降誕を記念する祭だろ?」
「………あぁ」
 だから、子供が生まれるとき、なんだ。
 クリスマスって一つのイベントのように思ってたから、本来キリスト教の行事だというのを忘れてた。
 でも、今、小学校から流れている曲は、そういう意味じゃない。
「たぶん、下校時刻を知らせる放送なんじゃないかな?……ほら」
『もうすぐ下校時刻です。校内に残っている児童は………』
「へぇ、この曲が聞こえたら帰りなさいってことなのか」
 日本の物事について、とても詳しいギイだけど、さすがにこんな小さなことまでは知らなかったらしい。それに、その学校によったら、曲を流さずアナウンスだけというところもあるし。
 納得して頷いているギイを横目に、アナウンスが耳に届いたとたん、胸の奥がキリキリと絞られるように痛む気がして、胸元の布地を握り締めた。
 ぼくにとって、あまりいい思い出がない曲………。
 家に帰りたくなくて……兄さんに会うのが嫌で、ぎりぎりまで図書室で時間を潰し、毎日この曲を聴いてから帰り支度をしていたんだ。そのあと、兄さんに責められるのはわかっていたけれど、子供のぼくが逃げられる場所なんて限られていた。
「あぁ、五時だな。そろそろ帰らないと夕食の時間に間に合わないか」
 沈みかけた意識を、のんびりとしたギイの声が中断させホッと息を吐く。
「だね。駅まで戻るのも、時間がかかるだろうし」
 お尻についた砂を払い立ち上がろうとしたぼくに向かって、ギイが手を差し出した。
「砂に足を取られそうだから、引っ張ってってやるよ」
「え………」
「託生?」
 差し出されたギイの手に右手を重ねたとたん、ぐいっと力を込めて引っ張り上げられ、その反動に体がふらついて一歩足を出して踏ん張ったとき、柔らかな口唇がさっとキスを掠め取った。
「………ギイっ!」
「手伝った、お礼代わり」
 綺麗に片目を瞑って手を繋いだまま、くるりとぼくに背を向け歩いていく。
 体は一人分空いているのに、繋がれた手。
 まだ手のひら分しか重ねられないぼくだけど、今はそれでいいのだとギイの背中が言ってくれているような気がした。


 その夜、学食で晩御飯を食べたあと、どこかに消えたギイが小さなオーディオプレーヤーを手に戻ってきた。
「ほら」
 とヘッドフォンの片方を渡され、促されるがまま耳にセットする。
 しばらくすると物静かな伴奏が聞こえ、ソフトに響くテノールが重なり、ぼくが知っている物とはまるで別物のようなソレアードが耳に届いた。
「哀しみのソレアード?」
「違うよ、託生。When A Child Is Bornだ」
「あ、クリスマスソングの?」
「あぁ」
「子供が生まれるときだっけ?」
 歌詞は全然わからないけれど、厳かな雰囲気がクリスマスにぴったりだ。
 あの図書室のスピーカーから、哀しみのソレアードが流れてきたときの諦めと恐怖を忘れさせてくれるような、優しい歌声に目を閉じる。
 ソレアードって、確かスペイン語で『日当たりの良い場所』だったっけ。
 暖かな日だまりの中にいるような気分。心地よい眠りに誘われそうだ。
「いつか……」
「え?」
 囁くようなギイの声が聞こえて目を開くと、ぼくを見詰めている真剣な瞳にぶつかった。うろたえる暇もなくギイが口を開く。
「本場のクリスマスで聴かせてやるよ」
「本場って、アメリカ?」
「あぁ」
 力強く頷くギイの瞳に、吸い込まれそうだ。
 ぼくをアメリカに連れていくってこと?あの海の向こうへ?
 まだ、ギイと付き合いだして一ヶ月も経ってない。それこそ、恋人だなんて名ばかりで、側に近寄ることもできないのに………。
「いつか、一緒に聴こうな」
「………うん、いつか聴けたらいいね」
 忘れてしまいそうなくらい、あやふやな約束。今のぼくには、約束は守れそうにないけれど、でも、夢を見るように微笑んだギイの顔を見ていたら、いつか一緒に聴けるような気がして。
 君に知られたくない、ぼくの過去。そして、他の人とは違うぼくの体。
 曝け出す勇気なんてないけれど、いつかギイに話すときが来るのだろうか………。
 そのとき、君は、どう決断する………?


 ***********


「どうした、託生?」
「うん、これ」
 立ち止まったぼくを、不思議そうに振り返ったギイに、宙を指差した。
 ぼくの指差した方向を見て首を傾げたギイが、通りを流れているBGMに気付き微笑んだ。
「………あぁ、When A Child Is Born?」
「うん」
 クリスマスシーズンまっさかりのNY。軽やかなクリスマスソングの合間に、ゆったりとした厳かな歌声が響く。
 NYに来て三回目のクリスマス。……ギイと結婚して初めてのクリスマスだ。
 ギイのオフとぼくの休みが重なった珍しい日、ここぞとばかりに「ロックフェラーセンターのツリーを見にいこう」と連れ出され、イルミネーションに輝く街を二人で歩いていた。
「今年も、見れたね」
 四万五千個のLEDライトに彩られた大きなクリスマスツリーを見上げ、その煌びやかな輝きに目を細め溜息を吐く。
 もうすでに多くの人がこの木の下に集まり、子供達がその大きさに目を見開き、歓声を上げながら小さな両手を天に差し伸べている。
 肩に回された腕に引き寄せられ、ギイの肩口に頭を預けた。
 いつの日かギイが言っていた言葉は、本当になった。
 あの海を越え、ぼくはギイの隣で生きている。
 When A Child Is Born……子供が生まれるとき。
 これから先、何度も見るであろうロックフェラーのクリスマスツリーを見上げて思う。
 今は二人だけれど、いつかぼく達の間に、可愛い天使が舞い降りてくれるだろうかと。


 ――――――今はただ、舞い散る粉雪を見ながら、二人で寄り添い温めあう季節。




ものすごく時期が外れておりますが………えぇ、去年のクリスマス用に書き始めたものの、結局時流に乗れなかったという結末を迎え、そのままフォルダに放っておいたものです。
12月まで待ってもよかったんですけど、たぶん、そのまま忘れてしまいそうな気がします;
ということで、季節関係なくの更新ということで。
以前からLife以前があると言っておりましたが、それの一つでございます。
それと、4月の日曜日に小学校で学校行事があるとは思わないのですが(普通は6月の父の日あたりかと;)その辺りは、スルーしてください;辻褄合わせのこじつけなんで;
一応、ポール・モーリアの「哀しみのソレアード」はこちら(Youtubeにリンクしてます)
ジョニーマティスの「When A Child Is Born」はこちら(歌は30秒後です。Youtubeにリンクしてます)
また、色々な方が歌詞をつけて歌われたりしていますが、個人的にトランペッターのニニ・ロッソの「ソレアード」がお勧めです♪
この曲を聴いて、カックラキン大放送を思い出された方は同年代(笑)
(2013.7.16)
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