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●  永遠という名の恋 -8-  ●

 あの頃と何も変わっていない。キラキラとした日差しも、この穏やかな空気も。真夏なのに風が涼しげにぼくの頬をなぞっていく。
 この祠堂で、ぼくはギイに出会い恋に落ちた。
 ギイの手に引かれるがまま、校舎棟を通り過ぎ裏庭の小道を歩く。「デート」と称して、何度ギイと歩いただろう。そこかしこに思い出が眠っている。
 二人の間に言葉はなかった。なんとなく、この流れる空気を壊したくなくて。
 ギイは温室を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐに道を進んだ。この先にはぽっかりとした空間がある…は……ず……。
「ほぉ。よくここまで修復できたな」
「どうして……」
 目の前には、真新しい音楽堂が建っていた。いや、新しいというよりは、補強して塗りなおしたと言ったほうがしっくりくる。昭和ひとケタ代に建てられた趣は、そのまま残っているのだから。
 種明かしを知りたくてギイを見上げると、
「乃木沢さんだよ」
 あっさりと答えを口にした。
「乃木沢さんって、確か蓑巌君の……」
「恋人?」
「そういえば視察の時に言ってたね。残せるなら残しておきたいって」
「そう。あの後、大臣から学園長に直接話がいって、修復する事になったらしい」
「そうなんだ……」
 ボロボロだった外観は綺麗に修復され、建物の周りの雑草も取り除かれていた。欠けた上がり框も、新しい石に取り替えられている。
 ギイはドアの鍵を開け「入ろう、託生」ぼくを促した。
 一歩中に入ると、これまたモダンなデザインはそのままなれど、あちらこちらに文明の利器が見え隠れする。さすがにエアコンの送風口は、以前なかった。
「暑いな」
 言いながらギイは椅子で窓を……ではなく、レバーを回して窓を開けた。涼しげな風がさーっと吹き抜け、一気に部屋の温度を下げた。
 ギイはそのまま中央のグランドピアノの横に行き、ぼくを振り返る。
「託生、弾いてくれよ」
「でも、鍵かかってるよ」
「実はピアノの鍵も預かってきた」
 ニッと笑ってポケットから鍵を取り出したギイに苦笑し、ピアノに近寄った。
 湿気を含んでボロボロだったピアノは真新しい物に換えられ、メンテナンスもきちんとされているのだろう、確かなキータッチで指に馴染んだ。音響を考えて設計された音楽堂も、ほんのわずかな残響の後しっかりと吸音し、曲の流れを邪魔しない最適な空間に仕上がっている。
 数曲弾き終えた時、斜め後ろで聴いていたギイがぼくを背後から抱き締めた。
「オレが託生に告白した時の事、覚えているか?」
「うん」
 ぼく達の始まりの日。
 この音楽堂の暗闇の中で、初めて交わしたキス。まるで昨日の出来事のように鮮明に浮かぶ、大切な大切な思い出。
「あの時、オレ、ガチガチだったんだぞ」
「………嘘?」
「本当だって。あんなに託生の側に近寄ったの初めてだったし、託生が応えてくれるかもわからなかったから、緊張しっぱなしだった」
 突然の出来事に自分の気持ちだけで精一杯だったんだ。夢のような現実に戸惑い、ギイがどう考えていたのかまで意識が回らなかった。ぼくと同じように、ギイも緊張していたのか。
 ギイは椅子ごとぼくの体を横に向け、正面に座り込み、まっすぐにぼくの目を見た。
 そして、
「あの時から、オレの幸せな人生は始まったんだ」
 言い聞かせるように、強い口調で言う。
 幸せな人生………?
「大学に行く頃には、託生を追いかける事ができなくなると既にわかっていたから、託生が受験する高校を調べて、祠堂を受けて……」
 自分でストーカーかよ?って突っ込んだ。
 クスクス笑うぼくに、ギイは目を細めて微笑んでいた。
 こんな穏やかな空気は、久しぶりかもしれない。
「祠堂は男子校だろ?」
「うん」
「だから、こうして託生と結婚できるなんて、全く考えてなかった」
 そう言いながら、ギイはぼくの左手の指輪にキスをした。
 そうだね。ぼくも、結婚なんて考えてなかったよ。
「なぁ、オレは託生が男でも女でも関係なかったんだ。託生が託生だからだ。託生が女性だと判明したから結婚という形になったが、オレは託生が男でも、やっぱり今と同じように側にいた」
 ぼくが女性だと判明したとき、同じようにギイが言った。託生が託生だからと。どの道を選んでも、オレは愛し続けると。だから、ぼくは……。
 穏やか微笑を浮かべてぼくを見ていたギイが、ふと表情を引き締めた。
「子供の事も、きちんと話してなかったな」
 ドキリと心臓が鳴る。ぼくが言葉にするたびギイは「いらない」と言い続けていた。今度こそ「もう二度と子供の話はするな」とでも言われるのだろうか。
 目を伏せたぼくに、
「正直に言うと欲しい」
「え?」
 きっぱりとギイが言う。
 欲しい?
「ただし、託生とオレの子供が、だ。他所で作ってこいと言われても無理だぞ。オレ、託生でないと勃たないし」
「ギ……ギイ!!」
 なんて事言うんだよ?!
 過激な台詞に真っ赤になったぼくに頓着せず、ギイは話を続ける。
「でも無理強いはしたくなかった。託生の子供時代を考えると、今は時期じゃないと思っていた。それとは別に託生がいてくれるのなら、子供はいらないと思ったのも本心だ。そもそも、男同士だと思っていたんだ。託生だって、三年前まで子供の事なんて考えた事なかっただろ?」
「………うん」
 自分が女性だとわかって、初めて子供の事を考えた。二人の子供ができるかもしれないって。そして、それが……嬉しかった。
「オレの子供が欲しいって思ってくれていたんだろ?」
 ギイの言葉に、ハッとしてギイを見る。
「でも、子供に対して、愛せないかもしれない。虐待してしまうかもしれない。親の血を残したくない。そう考えて、子供を産めないと思った?」
「ギイ、どうして………」
 ぼく、理由なんて言ってないのに。ギイ、知って………。
「ごめんな。いらないなんて言って。ちゃんと託生に伝えておけばよかったって、後悔した」
 頭を下げたギイを見ながら、ぼくの胸に熱いものが込み上げてきた。胸にわだかまっていた想いが、そのまま涙となって溢れ出る。
「ぼく………ぼく、ギイの子供が欲しかった。いつか、家族が増えたらいいなって思ってた。でも、孤児院の話を聞いて自分がわからなくなって。ギイ、いらないって言うし。ギイ、ぼくとの子供欲しくないんだと思ったら、ぐちゃぐちゃになって」
 もう言っている事が支離滅裂だ。
「うん、ごめん。オレが悪かった」
 子供のように泣き出したぼくをギイは包み込むように抱き締め、謝罪を繰り返す。
 ぼくの中のもやもやしたのは、これだったんだ。
 もしも……もしもぼくが子供を産みたい気持ちになったとしても、ギイは喜ばないんだろうなと思っていた。だから、余計子供にこだわったんだ。
 ぼくの涙を「こするなよ」とハンカチで押さえて、ギイがぼくの目を覗き込む。
「託生はさ。親からの愛情を受けていないかもしれない。でもお前は愛される事を知っているよ。親父だってお袋だって、託生自身を愛してるんだ。オレが選んだ人間だからじゃない」
「お義父さんとお義母さん」
「お前に、そう呼ばれるのをすごく喜んでた。もう一人子供ができたってな」
「そんな……」
 NYに行ってすぐに紹介されて、心も体も中途半端な人間なのに、本当ならどれだけ反対されてもおかしくないのに、何も言わず、すぐに受け入れてくださった。それどころか、とても可愛がっていただいている。
「託生、オレは今幸せだよ」
「ギイ………」
 ぼくがぼくだから。ただそれだけなんだ。
 ぼくは、愛されてる。愛される事を知っている。
 子供の頃の記憶で埋め尽くされ、忘れていたギイの想い。
「ギイ、ごめん」
「こら、謝る事なんて、なにもないだろう?」
「でも……」
 見失っていた。ギイの愛を。ぼくの中に刻み付けられている、ギイの想いを。見返りなんて必要ない無償の愛。
 この人の前では、どんなぼくをさらけ出していいってことを。
 優しいのに力強い。暖かいぼくだけの場所。
 今ならわかる。ギイが何も言わずにいたことを。全てをわかった上で、待っていてくれたんだ。ぼくが自分自身を受け入れられるまで。
「まだ始まったばかりなんだ。これからも壁にぶつかったりするんだろうけど、託生と一緒に歩いていきたい」
「うん……」
「託生、愛してる」
「……ぼくも、愛してる」
 見つめあい、どちらともなく口唇が重なった。初めてキスしたときのような、触れ合うだけの優しいキス。
 でも、今のぼく達にはふさわしい、誓いの口付けだった。
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