● ● Sakura Road(2013.4) ● ●
雲ひとつない青空がNYの街に広がっている。渋滞に巻き込まれることもなくスムーズに車は流れ、鼻歌でも歌いたくなるくらい気分は上々だ。
「やっぱりSPがいないってのは、気楽だね」 「後ろについてるけどな」 バックミラーにチラリと視線を向け、兄貴が笑う。 十六になって早々免許を取った兄貴のハンドル捌きは、慎重な性格を反映して安全運転だ。 しかし、この車のエンジンはレーシングカー並。もちろんレースに出るわけではないから車体を軽くする必要はないので、ボディの剛性感が高く、全ての窓は防弾ガラスで作られている。ちょっとやそっとじゃ破壊できないばかりか、アクセル全開にすれば追いつくことも不可能だろう。 崎家の人間……オレもそうだが、跡取りである兄貴は、なにかしらの事件に巻き込まれる可能性が高い分、それ相応のリスクヘッジが必要なのだ。 今は隣でのんびりと運転してはいるが、兄貴自身、何度も模擬訓練を受けているし、状況判断を間違えることはありえないだろう。 オレ達は、そうやって育てられてきた。 「ガードが外れるのってペントハウス内と大学くらいじゃんか。遊んでるときでも、鬱陶しいくらい視線感じるし、自室にいたって、やっぱり人の気配はあるし」 「そりゃ、仕方ないさ。俺達は崎の子供だから身代金狙いのヤツらが大勢いるからな。それに、あのペントハウスを家族だけで切り盛りできると思うか?一週間後には蜘蛛の巣が張ってるかもしれないぞ?」 軽く笑ってオレをいなした兄貴は、この環境に身を置くことを諦めているというより、悟りの境地を開いているみたいだな。 「まぁ、多少の埃は我慢できるけど、それ以前に食生活が破綻するような気がする」 「あー、それは、一番の死活問題だ」 家族の誰もが『料理ができる』レベルじゃないのは、確認する必要もない事実。 お袋だって、一日くらいは………たらこスパにカレー、猫いなりをなんとか作ってくれるかもしれないが、バイオリニストに刃物を持たすなんて絶対できない。 だからと言って、咲未はともかく、オレと兄貴だと、毎回外食するかケータリングなのが目に見えている。親父は考えるまでもなく論外。 「この生活を変えるのは無理ってことさ」 「確かに」 崎の人間である限り、こればかりは仕方がないが、ないもの強請りしたくなるのは、人間の性だ。 それより、SPの車が後ろについているとは言え、この邪魔をされない空間ってのはなかなか快適だな。 「オレも、免許取ろうっと」 助手席に乗せるような人間が、今のところ家族くらいしか考えられないけれど、いつの日か特定の人間が乗るかもしれない。 あと二年。そんな人間が現れるのだろうか。 大きな門を通り抜け、久しぶりに訪れた本宅の駐車場に車を置き、しかし、屋敷に入ることなくオレ達は裏庭に向かった。もう既に、両親も咲未も着いているはず。 その年によって日にちはまちまちだが、五月に本宅の裏庭にある桜の木の下でランチをするのが、年に一度の恒例行事なのだ。 日本で言う花見。 奈良時代、桜の下で和歌を詠みあったことから続く雅な風習ではあるが、オレ個人は花より団子。和食専門店から届けられる花見弁当と花見団子が目当てで、子供の頃からこの日を楽しみにしていた。 庭師によって手入れされた裏庭の奥、日差しが暖かい南向きのぽっかりとした空間の中心に、その桜の木はある。 「大樹、一颯」 「母さん」 本宅の使用人と一緒に、準備をしていたお袋が振り向いて手を振った。 「絵利子ちゃん達が少し遅れるって連絡あって………あ、お腹、空いてる?花見団子でも食べておく?」 まるで子供のように……実際、まだ子供なんだけど、お袋の心配そうな顔に吹き出した。オレだってそのくらいの我慢はできる。漂う食い物の匂いに釣られそうではあるが。 「大丈夫だって。それより、手伝うことある?」 「ううん。準備は終わってるんだ。お義父さんとお義母さん、あっちにいるから、挨拶してきたら?」 お袋の言葉に、兄貴と二人、親父と咲未と談笑している祖父母に挨拶をして、あとは絵利子さん夫妻待ち。 お袋も会話に加わったのを見て、その場を離れ、満開の花を咲かせている木の下に移動した。 物心がついたときには花見があったから、祖父母の代から行われていたと思っていた。しかし、数年前、この花見イベントは桜の苗木を貰った親父が始めたことを知る。 一度親父が初老の男性を連れてきたことがあったのだ。 その男性が、この桜の苗木を結婚祝いにと両親に贈った人物であり、そして社長職を辞して、たまたま旅行に来ていたところを親父が招待したらしい。 このNYで満開の花を咲かせている木を見て、嬉しそうに目を細めていたことを覚えている。 「今年も、みごとに咲いたな」 「うん」 薄紅のヴェールを被っているような優しい色合いが、空の蒼とくっきりコントラストを作りあげている。時折吹く風が、一つ二つと花弁を舞い上がらせ、そのままひらひらと風に乗り、地面に着く瞬間まで存在感を知らしめる。 来週には、全てが散ってしまうだろう。 長い一年の中で、ほんの短いひと時を彩るだけの花なのに、日本人にとって、桜というのは特別なものなのだとお袋が言っていた。 日本での開花は、NYより一月早い三月下旬から四月中旬。春の訪れと共に年度が切り替わる日本のシステムと重なっている。 友人との別れ、新しい出会い。新生活への希望と不安。その節目節目に桜は共にいた。 アメリカに移り住み、もうすでに年齢の半分以上をここで生活しているお袋だが、故郷を思い起こさせるなにかがあるのかもしれない。 「どうした?」 ぼんやりと見ていたオレを、不思議そうに兄貴が問いかけた。 「いや………こんなに大きかったかなと思って」 言葉を濁し当たり障りのない話題を口にしてみたが、実際よく見ると、以前にこの木を見たときより、随分大きくなっているような気がする。 「お前、花見は二年ぶりだもんな。去年は逃げやがって」 しかし墓穴を掘ったようで、ニヤリと笑った兄貴に、罰が悪くてそっぽを向く。 終わった話ではあるけれど、一年前、お袋と顔を合わせたくなくて外泊三昧だったから、兄貴から連絡は入っていたけれど、昨年初めて花見を欠席した。 毎年決まった日ではなく、桜の都合で日付が前後する花見は、基本来れる人だけと前提があるが、理由が理由だっただけに昨年の花見の日は、なんとなく居心地の悪い一日を過ごしていた。 今日だって、兄貴が「乗っていけ」と言ってくれたから来れただけで、なんとなく顔を出しにくかったのだ。 「毎年恒例のイベントだけど、別に義務じゃないから気にするな」 ポンと頭を叩かれ顔を上げると、親父とよく似た表情で兄貴が笑った。 それだけで、なんとなく胸につっかえていたものが取れたような気がする。 「………うん!」 兄貴に笑い返し、気分を切り替え、もう一度桜を見上げた。 両親が結婚祝いにと貰い受けた思川桜。 オレ達兄妹の名前も、この桜の木からつけたと、以前親父が言っていたな。 兄貴は、お袋のような大きな心と、厳しい冬を越え満開の花を咲かす桜の木のような強さと、何事にも動じない安定感のある人間に。 オレは、厳しい寒さの中でも着実に芽を育て春の息吹を感じさせる内なる力と、風を切り誰よりも率先して動くような行動力を持つ人間に。 咲未は、そこにいるだけで人を和ませる桜の花のような優しさと、未来を切り開き花咲く人生を送れる人間に。 名は体を表すと言うが、そのような人間にオレは近づけているだろうか………。 「思い出したんだけど、咲未って、花見の翌日に生まれたんだよね?」 「お。お前、覚えてたか」 「たぶん、オレの一番古い記憶だと思う」 意外そうにオレに視線を移した兄貴に、肩をすくめる。 あのときの桜の木は、もう少し小さかったのだろうが、二歳になった頃のオレには、今のようにずいぶん大きな木に見えていた。 満開の桜の下で弁当を食べ、久しぶりに休みだった親父に、兄貴と一緒に遊んでもらっていたとき、 「ギイ。ぼく、そろそろ行ってくるから、来れるようだったら、あとで来て」 持参していたバッグを持って……今、考えれば、あれは入院セットだったのだと思うが、お袋が親父に声をかけた。 「託生?」 不思議そうに振り返り、オレ達を連れて戻った親父の前で、女性陣がさくさくと話を進める。 「大樹と一颯をお願いします」 「えぇ。二人のことは心配しないで。安心して行ってらっしゃい」 「託生さん、がんばってね」 その会話を聞き、親父の顔から一気に血の気が引いていくのを不思議に思ったものだが、今なら理解できる。あれは慌てるよな。うん。 「ちょっと待て、託生………」 「なに?」 「陣痛が始まってたのか?!いつから?!」 「んー、朝起きたとき、そうかな?と思ってたんだけど、まだ間隔が安定してなかったんだよね。今、計ったら八分間隔になってたから、そろそろ行かないと、麻酔のタイミング逃しちゃうかなって」 「そういうことは、先に言え!」 「だって、大樹と一颯を預かってもらうのは決まってたから、ちょうどお花見でこっちに来る日だったし………」 「あー、もういいから!病院行くぞ!」 事細かく説明しようとしたお袋の声をはばかって、親父が荷物を取り上げる。 オレはと言うと、子供心にお袋がどこかに行ってしまうのかと不安になり、 「マミィ、どこ行くの?」 服の裾を引っ張った。 「赤ちゃんが産まれそうだから、病院に行ってくるね。お祖父様とお祖母様の言うことよく聞いて、いい子にしててね」 「赤ちゃん?」 「うん、一颯もお兄ちゃんになるんだよ」 お袋はその場に膝をついてにっこり笑い、オレを抱き締めたあと、 「一颯をお願いね」 「はい」 隣にいた兄貴に視線を移して、同じように抱き締めた。 落ち着いている女性陣とは反対に、オレ達と、のほほんと会話をするお袋の背後で、 「託生、早くっ!」 と親父が慌てふためき、同じく祖父も、 「ここまで車を持ってこれないのか?!ヘリを飛ばせ!」 と、無茶な要求をして祖母に耳を引っ張ら………たしなめられていたのを覚えている。 抱き上げて走り出しそうな親父の慌てぶりに苦笑して立ち上がったお袋を、車寄せまで皆で見送り、その日は本宅に泊まって、翌朝、咲未が産まれたのを知ったのだ。 連れて行ってもらったお袋の病室で、小さな手に握られた自分の人差し指の大きさを認識し、「お兄ちゃん」になった実感を味わい嬉しくなった。 その翌年の花見から咲未が加わり、数年後絵利子さんの旦那さんが加わり………。 「まだまだ増えるかな?」 「なにが?」 「ここに集まる人間が」 日頃、多忙でどこにいるのかもわからない人間達が、この日だけは都合をつけて桜の木の下に集まってくる。この薄紅に包まれた優しい空間の中で満開の花を見上げ、ひとときの休息を楽しみ、そして、また慌しい日常に戻っていく。 未来のことはわからないけれど、どこまでも続いていく道のように、この空間には笑顔が増えていくような予感がした。 桜の木を植えた二人に目をやると、お袋の頭に乗った花びらを親父が取って………思わず眉間に手を当てる。同じように見ていた兄貴も、乾いた笑いを浮かべていた。 親父でないとさまにならないだろうな。指先に挟んだ花弁にキスなんて。 我が親父ながら、あの男の色気はなんなんだ。 相変わらずいちゃいちゃとしている様子を見ると、オレ達兄妹のパートナーができる前に、もう一人くらい弟妹が増えそうだよな。それはそれで、楽しそうだけど。 「ごめんなさい、遅くなっちゃった!」 「絵利子ちゃん!」 振り返り、駆け込んできた絵利子さん夫妻の姿を見たとたん、オレの腹がぐーっと鳴る。 兄貴が盛大に吹き出したのを横目に、今のオレに必要なのは、愛や恋よりも食い物だと開き直った。 弾ける笑顔が満ち溢れる空間に、風が舞う。 一瞬の華やかさを見せ今年は散り行くも、来年、再来年と枝葉を伸ばし、また満開の花を咲かせ、ここに集う人間を優しく包み込んでくれることだろう。 どこまでも続く薄紅に彩られた道が、桜の木の向こう側に見えたような気がした。 100万HIT、ありがとうございますm(_ _)m 数日前に気付き、慌てて「お礼、お礼」とフォルダ内を探したものの、書けそうなものが見つからず、このまま気付かなかったことにしてスルーしようかなとも思ったのですが……まとまった時間も取れなかったですし; でも、短くてもやっぱりお礼は必要よと、ぼんやりと脳内で楽しんでいたシーンを形にしてみました。 「薄紅に彩られた道」の約二十年後の話です。 山なし、谷なし、落ちなし(書かなかった理由です;)の、一颯語りの未来番外編ではありますが、こういう未来があったらいいなぁと思っていました。 NYでは、これからが桜の季節ですしね。 短いのですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。 これからも、Green Houseを、宜しくお願いいたします。 (2013.4.21) 【妄想BGM】 ⇒桜(動画サイト) |