● ● Angel (2001.7) ● ●
祠堂学院を卒業して3年。
オレは親父のあとを継ぐ為にアメリカに、託生は日本の音大に進んだ。 「一緒に行けない」 託生は目を真っ赤にしながら、ストラディバリをオレの手に押し付けた。 そして、それきり。 託生の声を聞くことも、抱きしめることもできないまま、3年の月日が経ってしまった。 あの頃は、託生がいない生活なんて考えられなかった。しかし、今ここでオレは生きている。 いや、生きているのは肉体だけか。 心はあの頃に置いてきているのだから。 高校3年の夏。卒業後二人で暮らす為に買ったマンション。必ず来てくれると信じて疑わなかった。 一度も託生が訪れることなく、今はただ寂しさに耐え切れないオレを静かに迎えてくれる。 いつ託生が来てもいいように、特別に作らせた音楽室。部屋の中央には、グランドピアノが鎮座している。 主のいないこの部屋で、仕事で疲れた体を癒すのが日課となってしまった。 今日もまたソファに腰掛け、2年間託生が弾いていたストラディバリを撫でる。 託生の温もりが残っているような気がして………。 「託生………逢いたい」 オレは手の中のバイオリンを抱きしめ、呟いた。 ふいに電話のコールが鳴り響き、夢の中から現実に引き戻される。 「Hello」 「あ、ギイか。夜遅くにすまんな。実家に掛けたらこっちだって言われて」 懐かしい相棒の声が流れてきた。 滅多に電話を掛けてこない章三のコールに不安が過ぎる。まさか託生の身に何かあったのだろうか? 「めずらしいな、章三。元気にしてたか?」 不安にほんの少し声が掠れた。気付かれただろうか。 わずかな沈黙のあと、章三が口を開いた。 「ニューヨーク時間、明日の午後2時45分。ジュリアード入学の為、葉山がケネディ空港に着く」 え………?今、何と言った? 託生がこっちに来るのか? 「おい!ギイ、聞こえているのか?」 「あ………あぁ。聞こえてるさ。託生が………来るんだな?」 「そう。下宿がみつかるまで、ホテルにいると言っていた。口止めされていたんだが………言ってたおいたほうがいいと思ってな」 「口止め?」 「あいつ、ギイに合わせる顔がないって、だから言わないでくれって頼まれた」 「オレは………託生がどう思ってても、逢いたい」 あのときは、仕方がなかった。お互い進みたい道が違ったのだから。今更、あの時のことをどうこう言いたいわけじゃない。 ただ、託生に逢いたいだけなのだ。 「それを聞いて安心したよ。この3年、かなり無理していたからな。今度こそ、子守りから解放させてくれよ」 安心したような章三の声が届いた。託生の日程を聞き、電話を切る。そして、そのまま島岡の携帯を鳴らし、今週一杯仕事をキャンセルした。 急な我侭に絶句した島岡だったが、オレの口調から何かを察したらしく、理由を聞かずに休暇を受け入れてくれた。 明日託生に逢える。 ベッドに転がっても、目が冴えて眠れやしない。 あいつは今でもオレのことを、愛してくれているだろうか。あの頃と同じ瞳で、微笑んでくれるだろうか。もう一度この手に抱きしめることができるだろうか。 託生に逢える嬉しさと不安がないまぜで、長い夜が更けていった。 ケネディ空港、到着ゲートで託生を待つ。 高2の春休み、託生とニューヨークに帰ったことを思い出す。 あの頃はお互い子供で、将来のことを話すこともしなかった。少しでもそれを遠ざけたかったのかもしれない。 でも、今は違う。 オレも社会人になり、託生も自分の意思でここにくるのだ。親の許しがいる年齢ではないのだ。 ゲートから人が押し出されてきた。目を凝らして、託生の姿を探す。 見覚えのあるコートを着た託生が、スーツケースを転がしてゆっくりと歩いてきた。 オレがプレゼントした、あのコート。まだ着ていてくれたんだな。 嬉しさを隠して託生へと歩み寄る。 「よく来たな」 突然現れたオレに託生は一瞬瞳を揺らし、ひとつ浅く息を吐くと、 「赤池くんに言わないでくれって言ったのに。忙しいんだろうに、ごめんね」 知り合ったばかりの他人に向けるような、微笑を浮かべた。 とたん、背中に冷たいものが走る。 「託生が気にすることないぜ。今日は予定が何も入っていなかったんだ」 気付かないふりをして、言葉を繋いだ。 「駐車場に車置いてあるから行こう」 託生の手からスーツケースを奪い、先に立って歩き出した。一瞬触れた託生の手は、小刻みに震えていた。 おとなしく助手席に座る託生を、横目で伺う。 少し痩せたな。薄くなった肩。浮き出た骨が妙に色っぽい首のライン。 黙ったままだった託生がふいに口を開いた。 「ホテル、予約してるんだけど………」 「バイオリンの練習ができないから、ホテルはキャンセルしたぞ」 「え………?」 少しばかり、目を丸くして託生が応える。 「オレのマンションに泊まれよ」 『ギイのバカ!いつも勝手なことばかりして!』を予想していたオレは、次の言葉に驚いた。 「そうだね。練習できないもんね。でも、そんなに迷惑かけていいのかな?」 先ほどの困ったような微笑を浮かべる。 「遠慮する必要はないぞ。それに、ジュリアードまでは徒歩圏内だ」 「うん。じゃ、お世話になります」 素直な託生に不安を隠せず、まじまじと瞳を探る。ふっと反らされる視線。 話をする意思のない託生に、わからないように溜息をつき、運転に意識を集中させようとして気が付いた。 まだギイと呼んでもらってないことを………。 マンションの駐車場に車を入れ、エレベーターに託生を促す。 あれ?という顔をして、託生が口を開いた。 「ここだったっけ?」 一度来たことのある崎家の本宅のことを指しているのだな。 「大学卒業と同時に家を出たんだ」 ほんとは祠堂を卒業したときなのだが、今は言わないでおこう。 「へぇ。もう卒業しちゃったんだ。すごいね」 どこかしらぎこちない笑顔で、託生は笑った。 壁ができている。託生が作った壁。心を読まれないように、必死でバリケードを作っている託生が哀しくなった。 オレが見たいのは、こんな笑顔じゃない。 どうしたら元の託生に、戻ってくれるんだ? それとも、この3年間は長すぎたのか? 時差ボケで疲れているだろうと、夕食後すぐに寝室に案内する。 もともと託生と暮らす為に買ったものだから、あいにくとここには寝室がひとつしかない。オレのベッドの隣、サイドテーブルを挟んだベッドを指すと、 「先にシャワー使ってもいい?」 と、バスルームへ入っていった。 どうしたらいい? 水音の跳ねるバスルームを見ながら、大きな溜息を吐く。 こんなに近くにいるのに、託生の心が見えない。接触嫌悪症ではないが、心が拒んでいる。 しばらくすると、託生がパジャマを着こんで出てきた。 「シャワーありがとう」 雫が落ちる髪にドキリとしながら、平然なふりをしてバスルームへ向かう。 出る頃には、もうベッドで寝ているんだろうな。 そんなことを考えた。 シャワーを浴びて出てくると、意外にも託生は起きていた。ベッドに腰掛け、うつむき加減に何かをしている。 「何してるんだ?」 問い掛けると、 「腕時計、合わすの忘れてて。思い出した時にしないとまた忘れそうだから」 片手で腕時計を振った。 竜頭を引っ張りだそうとしているが、どうも上手くできないらしい。 こういうところは相変わらず不器用なんだな。 「貸してみろ」 託生から腕時計を奪うと、自分のベッド、託生と向かい合わせに腰掛け、サイドテーブルの時計を見ながら時間を合わせてやった。 「ほら、これでいいか?」 託生に時間が確認できるように見せてやる。 ありがとうと時計を受け取るその時、あの甘い香りと冷たい指先に、オレの中の何かが弾けとんだ。 「ん………!」 託生をベッドに押し倒し、柔らかい口唇を奪う。 「い……やだ………」 開いた口唇に舌先を差込、怯える舌を乱暴に絡める。逃げを打つ体を羽交い絞めるように、きつく抱きしめた。 「や……め………やめて………!ギイ………!!」 「………やっと、呼んでくれたな」 瞳を合わせて呟くオレを、ハッとしたように見つめ、両手で顔を覆った。 「どうして………?」 「何だって?」 「どうして、放っておいてくれなかったの?」 「託生?」 「やっと慣れたのに。ギイのいない生活に………やっと慣れてきたのに………」 振り絞るように言った託生の手を、ゆっくりと開いてやる。 涙に濡れた頬に、キスを送る。 「オレはもう一度託生に逢いたかった。もう一度この腕に抱きしめて、キスをしたかった。………託生は逢いたくなかったのか?」 視線を合わせ、静かに問い掛ける。 「また、離れ離れになったら、どうするんだよ?………今度こそ狂っちゃうよ………」 これ以上の愛の言葉があるだろうか。 「オレのこと、愛してるよな?愛してくれているよな?」 「………………」 「また、離れ離れになったとしても、オレはお前の元に帰る。愛を確認できなかった3年間に比べれば、何てことはない。託生がどこにいても、お前に会いに行く」 「ギイ………」 「愛してる、託生。お前を忘れたことなど、一度もなかった」 閉じられる瞳。と、同時に首に回された両腕がオレを引き寄せる。そのまま触れるだけのキスをして、託生は視線を合わせた。 「ぼくも………愛してるよ、ギイ」 あの頃の儚げな、オレを魅了してやまない優しい微笑を浮かべた。 「託生………!!」 託生がこの腕に帰ってきたと実感できる、瞬間だった。 3年ぶりに肌を合わせた託生の体は、以前にも増して艶やかで、眩暈さえ感じた。 体の隅々にキスの雨を降らす。その度にしなやかに体を揺らし、甘い声で応えてくれる。 「託生、愛している」 耳元で囁くと、ビクリと体を弾ませ、満足の溜息と共に腕と脚をオレの体に巻きつかせた。 「ギイ………愛してる………」 そのまま託生の口唇にキスを落とし、ゆっくりと体を沈めていく。 「く………!うん…………」 3年ぶりの行為がきつくない筈がない。託生は廻した腕に力を入れ、逃げを打つ体を食い止める。 「託生………大丈夫か?」 オレは動きを止め、目尻に光る涙を吸い取ってやる。 「うん………大丈夫………だ……から、続けて………」 涙に濡れた瞳でふわりと微笑み、自ら腰を押し付けてきた。 そんな託生の仕草に、オレの理性が崩れていく。 「もう………止まらないからな………!」 オレの腕の中で、苦痛から快楽に溺れていく託生の変化に煽られて、手加減など出来なくなっていった。 「託生………たくみ………愛している………」 額に浮かぶ汗を捕えながら、愛しさが満ち溢れてくる。 この腕に託生がいる。この体もこの吐息も全部オレのものだ!託生が天使ならば、この手で翼を折ってやる!二度と離すものか! 心で叫び深く杭を突き刺すと、託生は声にならない悲鳴を上げ意識を飛ばした。 夜明け前、ふと目覚めたオレの横で安らかな寝息をたてている託生。額に軽くキスを落とすと、ふわりと微笑みオレの胸に擦り寄ってきた。 抱きしめる腕に力をいれて、その温もりを確認する。 これからがスタートだ。 離れていた時間はもう戻りはしないが、もう一度、お前と一緒歩いていく。 愛してるよ………託生。 戻ってきたオレのAngel。 私にとって処女作であります(恥ずい・汗) 個人的な理由で掲載を中止してもらいましたが、とてもとても、思い入れのあるシリーズです。 どれだけ離れていても、託生くんとギイは最後には幸せになって欲しいと、いつも願っています。 しかし、むっちゃマジメに書いてるなぁ。この頃(笑) たまにはマジメなものも書かないと・・・・・・。 (2002.9.4) |