● ● 受け継ぐ心、伝える想い-2- ● ●
「ギイ、お帰り」
「ただいま」 託生の口唇に軽くキスをして、そのまま「ただいま」と託生の腹にもキスをした。 妊娠が発覚してから始まったこの一連の流れを、託生は目を細めて微笑んで見ている。とても愛しそうに。 「ギイ、あれ」 指差したテーブルの上に、一通のエアメール。 「読んだのか?」 「う……ん、一応」 託生をソファに座らせ、ブランケットを膝にかけた。その隣に腰掛けエアメールを手に取る。 「なんて書いてあった?」 「それが、よくわからなくて」 困惑した表情でオレの手から封筒を取り上げ、中身を広げて「読んで」とオレに手渡した。 託生を心配している”そぶり”にかこつけ、慣れない外国で苦労しているだろうから、一度里帰りしたらどうか?……ね。 これを真に受けて実際託生を帰らせたら、それこそ監禁しそうだな。そして物理的に離れさせ、その間に離婚させようという魂胆か。 「帰りたい?」 「まさか!それよりも、なんで今更って思うんだ。ぼくには、母が考え方を変えたとは思えなくて」 託生を自分の子供ではないと明言し捨てた人間が、急に優しい言葉をかけてきても信じられるわけがないよな。それが血の繋がった親でも。 「それ、正解」 「どうして?あ、もしかして、ギイにもなにか来た?」 「警告と言うか脅しと言うか」 「見せて!」 内ポケットから出した手紙を、意気込んで読み進める託生の眉間に皺が寄ってきたと思ったら託生が根を上げた。弁護士特有の言い回しに、こんがらがったようだ。 「これも、意味わかんない」 「要は、誘拐罪で訴える準備はできてますよってことだ」 「誰が、誰を誘拐?」 「オレが託生を誘拐」 「はい?」 ポカンとした顔に噴き出しつつ、音を立てて頬にキスする。 「誘拐してでも連れてきたかったけどな」 これは、あの頃のオレの本音。 託生から日本の音大に進むと聞きそれに納得もしていたが、本当は心の奥底でドロドロと渦巻いていたんだ。そんなオレを知られたくなくて、必死に理性で押しとどめていた。 こんな幸せな未来が待っているなんて、思いもしなかったからな。 「でででも!それって……!」 「大丈夫だって。仮にオレが誘拐犯だとしても、すでに結婚してるんだ。この結婚の無効・取消の裁判を託生が起こして、しかも認められなければ告訴はできないし、だいたいオレを誘拐犯だと訴える事ができるのは、託生だけなんだから」 「……なんだ。じゃ、なにも問題がないんだね」 託生は息を吐いて、ポテッとオレの肩に頭を預けた。 その愛しい重さに腕を回し黒髪を梳きながら、深く考えを巡らせた。 これまで四年間放っておいて、どうして『今』なのか。なにか理由があるのか?そして、託生を日本に戻そうとする理由はなんだ? 「あ、お風呂のお湯が溜まった」 バスルームの方から軽やかな電子音が聞こえ、託生が振り返ったと思ったら、 「そうだ。ギイも一緒にお風呂に入る?」 「はい?!」 超特大級の爆弾発言に、一気に思考がクリアになり、その台詞を脳内に繰り広げてうろたえた。 お前、この修行僧のような生活をしているオレに、そんなこと言う?! 魅惑ある誘いに乗るべきか断るべきか。 真剣に悩むオレを置いて、託生は自分の着替えをクローゼットから取り出してきて、 「ギイ?」 オレの顔を覗き込む。 目が笑ってるぞ、おい。この小悪魔が。 「たーくーみーーー」 恨みがましくなっているだろうオレにクスクス笑い、 「お風呂、入ってくるね」 と、オレの返事を待たずにバスルームの向こうに消えた。 「安定期に入ったら覚えてろよ」 いや、安定期に入っても激しいのはご法度だから、かれこれ数ヶ月は手加減しないといけないのだが。 飛び跳ねた心臓を深呼吸して落ち着かせ、携帯を手に取り短縮ボタンを押した。 『もしもし』 「よ、オレ」 何度目かのコールのあと聞こえてきた相棒の声に、潔く気持ちを入れ替える。 『どうした、こんな時間に。葉山に相手にしてもらえなくなったのか?』 「あのなぁ。たまには章三の声を聞くのもいいかなと思っただけだよ」 『気持ち悪いこと言うな。で、用件は?』 全くもってオレの言葉を頭から信じていない章三に苦笑しつつ、 「日本で、託生の事、なんて言われてるか教えてほしい」 電話した当面の目的を伝えた。 『葉山?ネットでちらほら見かけるのは『現代のシンデレラ』だな。世間の人間は、お前の面倒臭い性格を知らないから、単純に玉の輿だと羨ましがってる』 「一言多いぞ、章三」 憮然として言い返すも、 「そんなに知られているのか?」 と確認した。 今でも親父の言葉が有効だからメディア関係は一切託生のことを触らないが、一般的にどれだけの人間が託生を知っているのか。 『どうかなぁ。とりあえず葉山という人間が知れ渡るようになったのは、年末の事件からだからな。それも、インターネットでしか情報は流れていないし。知らない人間は、まったく知らないだろう』 なるほど。ごく一部の人間の可能性が高いんだな。 「しかし、シンデレラか。託生が嫌がりそうだ」 一般的には玉の輿かもしれないけど、託生は『そんな事、関係ない!』と頭から否定するだろう。 『あぁ、それな。不遇な状態からの玉の輿という意味もあるようだ』 章三の言葉に、ギクリとした。不遇な状態とは、どれのことを言っているんだ? 「詳しく聞かせてくれ」 『葉山の年末に流れた映像が、日本でもネット上で流れてたんだよ。あいつ『親に捨てられた』と言ったろ?そこから、掲示板などで葉山の親叩きが始まったんだ』 「どういう状態なんだ?」 『『インターセックスで苦しむ子供を捨てるなんて』とか、地元の人間だとは思うが『中学に入ったとたん、一切話さなくなったのは親のせいなんじゃないか』とかだな。裏を返せば葉山に好意的ではあるが……』 「両親にとっては居心地の悪い状態」 時期的に見て、これが原因だと言われればそうかもしれないが、なんとなく引っかかる。 『なにか、あったのか?』 「オレ、訴えられるそうだ。未成年誘拐罪で」 オレの台詞に一瞬絶句した後、章三は遠慮なく爆笑した。 『誘拐犯?!それは、大変だ!』 腹を抱えてひーひー笑い転げている章三の姿が目に浮かぶ。 あぁ、なんの冗談かとオレも思ったぞ。 『ようするに自分達が葉山を捨てたのではなく、ギイに葉山を誘拐され言葉巧みに騙されてアメリカに行ったと、世間に公表したいってことか』 そういうことにすれば、叩かれることもないだろうけど。 「しかし、どうも腑に落ちないんだよな。確かにそういうシナリオもあるだろうが、普通は和解を考えるほうが簡単だろ?」 和解できるかどうかは別にして。 頼まれたって、オレはあの両親を許す気はないけどな。 『一般庶民にとって、崎家と親戚付き合いできることは、デメリットではないもんな』 そうなんだ。もしもあのような形で結婚せず、両家共々和気藹々とした状態であったならば、これから先、葉山家でなにか困ったことがあれば、どんな援助でもオレはしている。 「なにか新しいことがわかれば教えてくれ」 とラインを切り、ソファの背もたれに体を投げ出した。 謎が謎を呼ぶ。 あの母親の目的は、どこにあるんだ? |