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●  Life -6-  ●

   《 友人…三洲 》


 最終試験を終え、途中適当に腹ごしらえをして、宿泊先のホテルに戻ってきた。一気に受験を終わらせようと試験の日程を調整し、十日程ここに滞在していたのだ。一人部屋なのは楽でいいが、借り物の部屋というのはなんとなく疲れる。
 やっと明日、チェックアウトできることにホッとしつつシャワーを浴びて一息吐いたとき、マナーモードにしたまま忘れていた携帯が、ハンガーに掛けていた上着のポケットの中で唸りを上げた。
 携帯を手に取り、ディスプレイに表示された名前に首を捻る。
 葉山か?珍しいこともあるものだ。
 そう思いながら通話ボタンを押した俺の耳に聞こえてきたのは、校則違反の携帯など所有してなさそうな赤池の声だった。
 そして、葉山の身に起こった驚愕の事実を知る事になる。


 翌日、ホテルをチェックアウトした後、都内の駅で赤池と待ち合わせ、葉山が入院している病院を訪ねた。話によれば手術から五日目。術後の痛みも多少は軽減されているだろうと判断しての事だ。
「三洲は、医者希望だったよな」
「そうだが」
「……今回の事、どう思う?」
 友人の突然の事態を受け止め切れていないのか、赤池にしては珍しく歯切れの悪い言い方に片眉を上げた。
 赤池のことだ。事実は事実として受け止めているだろう。しかし、戸惑ったような表情を見て、葉山に会う前に己の考えを整理しておきたいのだろうと判断する。
「手術に関しては、ある意味傷だからな。時間が経てば治るだろう。問題は、葉山の心だと思うね。自分の体を受け入れるか、受け入れないか。それによっては、これからの治療方法が異なる」
 アメリカに治療の場を移すと聞き、引っ掛かりを感じた。崎が側にいるのだから当たり前に見えるかもしれないが、それはこれから積極的に治療をするということに繋がる。手術に関してではなく、ホルモン治療の方をだ。
 しかし、術後五日でまだ混乱しているだろう葉山が納得して了承しているのか、それが疑問だった。崎の独断で話が進んでいるのだとしたら、あまりにも横暴な話だ。
 男か女か。ジェンダーフリーの現代、必ずしもどちらかを取らなければならないわけではないが、もしも決めるのならば一番大切なのは葉山の心だ。葉山が、これからどう生きていきたいのか。そこから考えるべきことなのだ。
「治療方法が異なる……とは?」
「積極的にホルモン治療をするか否か………このまま女として生きていくか、逆に体を男にするか」
「………そういうことか!」
「赤池、少しの間、崎を部屋から連れ出してくれないか?崎が側にいる限り、葉山が冷静な判断を下せないと思うんだ」
「ギイが、選択を狭めると?」
「あぁ」
 俺の言っている意味を理解した赤池は、崎が一方的に都合のいい方向に進ませようとしていることにも気づいただろう。現に、赤池は葉山はこれから女性として生きていくことしかできないのだと思っていたに違いない。
 赤池でさえも考えが及ばない事を、あの葉山が気付くわけがないんだ。いや、あの崎が気付かせるはずがない。
 エレベーターを降りナースステーションに声をかけると、崎が話を通していてくれたのか、すぐに病室へと案内された。
「三洲君、試験お疲れ様。赤池君、遠いのにわざわざありがとう」
 ベッドに起き上がった葉山の顔色は、祠堂で最後に見た時とは比べ物にならないくらい透き通るように白く、あまりの顔色の悪さに眉を寄せた。手術だけが原因ではない。これは心因性のものだ。
 しかし、その場に居合わせた赤池が、「元気そうで安心した」と、安堵の溜息を吐いたところ見ると、これでもまだ回復しているのかと納得する。
 しばらくの間、葉山を挟み他愛無い雑談をしていたのだが、時間を見計らったように、
「葉山、ギイを少し借りていいか?」
 赤池が、自然に話を切り出した。
「うん。別にいいけど」
「おい」
 自分抜きで話を進められるのを咎めているのか、葉山の側を離れる事に抵抗しているのか。わかりやすいヤツだから後者だと思うが、崎がこの場にいると都合が悪い。
「俺が葉山に付いているから、行ってこいよ」
「しかし……」
「ギイ、ずっと、ぼくに付いてて疲れてるだろ?ゆっくりしておいでよ」
 後押しした葉山の声に戸惑いながらも渋々と立ち上がった崎は、
「じゃ、ちょっと行ってくる」
 と、葉山の頬にキスを落とし(これは、赤池への嫌がらせだな)、赤池と二人、部屋を出て行った。


「葉山、大変だったな」
 椅子に座りなおし声を掛けると、
「うん……」
 葉山は、力なく応えた。
 微笑んではいるものの、生気をなくしたような儚げな表情。
 今まで立っていた地面が、足元から崩れていく状態に耐えられる人間はどれほどいるのだろうか。正気を保っている葉山は、まだマシな方だ。元々の強さなのか、崎がずっと付いていた事が精神を繋ぎ止めていたのか。
 どちらにしても、並大抵の人間では、こうはいかないだろう。
「驚いただろ?」
「うん、すごく、びっくりして……でも………」
「でも?」
「これから、どうしたらいいのか、わからないんだ」
 道に迷った子供のように、視線を彷徨わせながら呟いた。
「崎は、なんて言ってるんだ?」
「治療が、アメリカの方が進んでいるから来いって。でも、大学はどうしたらいいんだろうとか、親の事とか、戸籍の事とか………」
「親?」
「あ……ううん。何でもない」
 目を伏せて口を噤んだ葉山に無理強いするつもりもなく、
「治療……ね」
 口の中で呟く。
 部屋を出て行くときのヤツの目。余計な事は言うなと釘を刺したかったのだろうが、生憎だな、崎。俺は葉山が気に入っていると言っただろう?自分の都合がいい事しか教えない根性が、俺は気に入らない。
 葉山には葉山の自由な心があり、自分で考える力もある。混乱中に乗じて考える自由を奪い、これしか道はないのだと示すなんて言語道断。葉山を馬鹿にするにも程がある。
 恋人だからとなにをしてもいいってもんじゃない。恋人だからこそ、全力でサポートする側に回らないといけないのに自分が主導とは、まれに見る狭量な男だ。
 そんな男が恋人な葉山に同情しつつ、
「崎は、選択肢を一つしか提示してないんじゃないか?」
 殊更優しく、葉山に声をかけた。
「え?」
「少し叔父に聞いてみたんだが……葉山は性同一性障害って知ってるか?」
「言葉は聞いた事はあるけど、詳しくは……」
「体は男性だけど心は女性、反対に体は女性だけど心は男性。自分の体に違和感と生き難さを感じている人の事だ」
「へぇ」
「今の葉山がそうだろ?」
「え?」
「体は女性、でも心は男性。だから自分の体に違和感を感じてる」
 葉山はハッと気付いたように目を見開き、
「あぁ、そうかも」
 何度も頷いた。
「そういう人達の治療ってのも、ある」
「どうするの!?」
「心に合わせて体の方を治療する。ようするに、男性体を女性にする場合は、睾丸やペニスを切り、変わりに膣を作って胸も大きくして定期的に女性ホルモンを投与する。反対に女性体を男性にする場合は、子宮や卵巣を取り除いて人工的にペニスを作る。ただし、前者も後者も、一生涯、自分の子供は望めない」
 自分の心を忠実に表して得る物の代わりに失う生殖機能は、人間として重大なリスクだ。それに気付いた葉山の顔が陰る。
 パートナーが同性同士の間に生殖機能なんて必要ないかもしれないが、これとそれとは別。しかも、今の状態だと、この二人の間では子供が望めるのだ。そういう未来を蹴ってまでも男でいたいと葉山が主張を貫くとは想像できないが、これも一つの選択肢だ。
「もしも葉山が希望するなら、そういう道もあるんだ。葉山の場合、戸籍の性別も変える手続きはいらないし」
「そう……」
「まぁ、俺達の歳で子供がどうとか言われても実感はないし、手術そのものは成人しないとできないものだから、すぐに決める必要はないと思うけど?」
「………すぐに決めなくていいんだ?」
 ポツリと零した葉山の言葉に頷く。
「崎は、そういう話してないだろ?」
「うん。ぼくにはそのままでいいって言うんだけど、たぶん、女性らしくとかそういう外面的、内面的な部分について言ってるんだとわかるんだけど、でも、子宮を……取るとかなんて、全然考えてないと思う」
 やはりな。ヤツなら、そうだろうな。
「葉山がどうしたいか。それだけを考えてみたらどうだ?」
「うん、三洲君、ありがとう」
 この五日間、一方的に崎の言葉を聞いていたのだろう。そして、自分はこうするしかないのだと思い込んでいた。自分の心を押し殺して。
 ほんの少しだが、葉山の目に生気が戻ったように感じ、俺は満足して微笑んだ。
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