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●  君が帰る場所-4-  ●

 妊娠発表直後より、行く先々で祝いの言葉をかけられるようになった。
 大半が社交辞令ではあったが、和やかな空気の中、商談に移ることができ、オレとしてはスムーズに商談が纏まるこの状態を大歓迎している。
 ただし、一部の人間を除いては。
「奥様がご懐妊されたそうで。おめでとうございます」
「これは、ご丁寧に。ありがとうございます」
 今オレの目の前にいる男は、子供の頃からなにかと気に障る男だった。
 小心者の癖に野心家。
 先代が築いた企業を継いだ二代目ではあるものの、先代ほどビジネスセンスがあるわけではなく、業績は横ばいのまま、かろうじて老舗としてのブランドを持っているだけだ。
 このままの規模でいくなら内部の優秀な人間が頑張ればいいだけの話だが、この男はそれだけでは納得できないらしい。見合う器もないのにもっと上を望んでいる。
 Fグループの力と財力と人脈を己の手に収めようと、昔からあの手この手と接触し、オレがアメリカに帰ってきたと同時に、娘との縁談を申し込んできた。
 もちろんその場で親父が断ったのだが、オレが婚約者を連れて帰ってきていると知ったときには、発狂したように娘が本宅に何度も押しかけてきたはずだ。
 こんな人間がトップに立っている企業でも、潰れればまた失業者が溢れてしまう。
 脅しとも言える警告に娘の奇行は止み、今は結婚して一児をもうけていたはずだ。ただし入ってきている噂によると、子供はシッターに任せきりで毎晩男を引き連れて遊び回っているらしい。
 オレには関係のないことだが。
「男の子か女の子か、おわかりになりましたか?」
「いいえ。奥手な子らしく、まだわからないのですよ」
「そうですか。いや、私の孫が昨年生まれましてね。お子さんの婚約者候補にでもなれればと……」
 言われた台詞に耳を疑った。
 娘とオレの結婚を諦めたと思ったら、今度は孫まで出してくるのか?
 スッと体の熱が下がったような気がする。一瞬にして険呑な空気を纏ったはずなのに、恐れを知らないのか気付かない振りをしているのか。
「私は自分の子供の結婚に口を挟まない予定です。なにより、まだ生まれていない人間になにを言っているのか」
「そうは言いましても、現在の社会情勢を見ますと、企業同士、手を組むことほど堅実で安全なことはないと思いますよ」
 嫌らしい笑みに嫌悪感が倍増される。
「なにを時代錯誤なことを。親族なのだから援助しろということになったら、それこそ共倒れにもなりかねない。企業家として社員を守るのが義務ですから、そんな危ない橋は渡れませんよ」
「そうですか。それは残念です。ただ心に留めていただければ光栄ですが……。それはさておき、こちらの件ですが……」
 過去の警告で勉強したせいか、引き際を間違えることなくあっさりと話を移した男に内心舌打ちし、頭を切り替えた。
 この男のように、真正面から切り出した人間は初めてだが、同じように考えている人間が幾人もいる。子供が生まれたときには、それこそ、裏でうごめくであろうことが簡単に予想できた。
 上流階級の狭い世界。地位、名誉、金、それらのものを維持するため、いまだ政略結婚が多いのは事実だ。オレ達のように、本当に愛し合って結婚するカップルなんて珍しい。
 子供自身も恋愛結婚ができる立場ではないと教え込まれているから、それを当たり前のように受け入れている。その代わり、跡取りさえ作ってしまえば、なにをどうしようがそれぞれの勝手。何人愛人を作ろうが自由ってわけだ。
 馬鹿馬鹿しい。
 自分の人生だ。自分の愛する人と一緒になる喜びを知らず、どうして幸せな人生を送れるのか。
 両親はオレにも絵利子にも、そういうことを強制しなかった。親父もお袋も恋愛結婚だったから、同じように政略結婚なんて考えもしなかったのだろう。
 しかし幼稚園に入った頃……それまで守られていた殻から一歩外に出たとき、自分を取り巻く環境が特殊なものだと知り、周りにいる大人達の思惑に気付いて吐き気がした。そして愕然としたのだ。皆が見ていたのはオレではなく、オレの背後にある崎家とFグループなのだと。
 そして、オレ自身も他の子供との見えない境界線を認識し疎外感を味わった。この優秀すぎる記憶力は、純粋な子供らしさを失わせるには十分だったのだ。
 オレがあの庭を走り回っていたのは、幼稚園に入るまでだったように思う。
 大人の顔色を瞬時に見分け、ときには出来のいい御曹司を、ときには裏をかいて大人を馬鹿にする小生意気な餓鬼を。シュミレーションし自分を演じながら、完璧に他人を騙しきれる自分に嫌悪した。
 好き好んでFグループの跡取りに生まれたわけじゃない。その頃はそう思っていたんだ。
 全ての人間に裏切られたように感じ、家族以外、誰も信用してはならないと誓った。
 ………託生に出会うまでは。託生に恋をするまでは。
 ただ一人の人に見てもらうために。それだけのために、オレはオレ自身を認めてもらえるような男になるよう、最大限の努力をしてきた。
 託生に会わなければ、目の前の男のようになっていただろう。金の上に胡坐をかく、親の七光りしか取り柄がない二代目に。


 商談を終え迎えの車に乗り込みドサリとシートに体を投げ出した。
「あまり、気にされないほうがいいですよ」
「わかってる」
 気分は悪いが、オレがいる世界はこういうものだと理解している。ドロドロの人間関係が渦巻く胸糞悪い世界だ。
 窓の外には、屈託のない笑顔を浮かべる学生、足早に歩いているビジネスマン、ベビーカーを押している女性、カフェで会話を楽しんでいる恋人達。
 同じ街で生まれ育ったのに、その景色にオレは溶け込めない。望むことすら許されない。オレはそういう家に生まれたのだから。
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