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●  Fair Love-1-  ●

 仕事から帰ってきたと同時に、メイドから親父の呼び出しを告げられ気を引き締めた。
 呼び出される理由に検討はついている。だが、それを受け入れるわけにはいかない。
 応じたくはないが、行かなければ式当日に出張で飛ばされるという暴挙に出られるとも限らず、オレは渋々親父の私室に足を向けた。


「君、フェアじゃないよ」
 親父の言葉に、ぐっと奥歯を噛みしめる。
 案の定、オレの予想通りの話に内心舌打ちをし、どう話を有耶無耶にしようかと頭をフル回転させた。そんなことで話を逸らせるとは思っていないが。
 時計の秒針の音だけが響いている、ここ親父の私室。
 滅多に家にいない親父だから、自分の部屋とは言えこの部屋を使うこと自体珍しく、オレは数度しか入ったことがない。しかし、使用人が掃除に入る以外、お袋も絵利子も入室することは皆無だから、二人きりで話すには一番都合のいい部屋だった。
 そんな部屋に呼ばれ、入室した途端ズバリと問題点を指摘されたのだが、どう言われようとも聞くつもりはない。
 託生からプロポーズの返事を貰い着々と準備を進め、やっと式まで辿り着けたんだ。ここで足止めを食らって式が延期になるならまだしも、託生が結婚そのものを考え直して婚約破棄されるかもしれないことを告げるような、危ない橋を渡れるか。
 このまま平穏無事に結婚許可書にサインをさせ、名実共に託生をオレの物にしなければ。
「今更、結婚に反対ですか?」
「まさか。託生さんが私達の子供になるのだから、反対するはずないじゃないか」
「それなら………」
「だからこそだ。託生さんを騙すようなことは反対だと私は言ってるんだ」
「人聞きの悪いことを……。託生を騙しているつもりはないですよ?」
 そう。オレと結婚することを、託生は納得してるんだ。納得してプロポーズの言葉に了承してくれたんだ。一緒に幸せになろうと二人で約束した。
 睨み合いの続く中、親父の視線が、チラリとキャビネットの上の時計に流れたのを見て、ホッと小さく息を吐く。タイムアウトだな。
「お時間のようですので、失礼します」
 そのまま一礼し、部屋を出ていこうとしたオレに、
「義一」
 親父がオレを呼び止めた。
「君は託生さんに言うつもりはない……と?」
「……いつか言わなければと思いますが、今はそのつもりはありません。失礼します」
 振り返りもせず、真っ直ぐドアに向かい部屋を出ていく。
「そのとき、なにもなければいいな」
 廊下に一歩足を踏み出したとき、聞こえてきた言葉は臆病なオレに対する非難か、それとも忠告か。どちらにしても、オレの意志が動くことはなかった。


 人の気配がない長い廊下を足早に歩き、託生の部屋のドアノブに手を伸ばした。しかし思いなおして、ドアの横の壁にもたれかけ、天井を仰ぎ見ながらずるずると床に腰を下ろす。
 大きな溜息が零れ出た。
 卑怯なオレ自身の姿を突き付けられてイラついている心を、託生に見せるわけにはいかない。鈍感な癖に変に目ざといところがあるからな。会う前に落ち着かないと。
 煙草を吸いたい気分ではあるが、灰皿のある場所まで移動するのが面倒だし、ここから離れたくもなかった。ドア一枚隔てた向こうに託生がいる。それだけで、なんとなく穏やかな気分になれそうだ。
 親父の言っていることはわかるし、はっきりさせておくべきものだと、オレも認識していた。
 託生を騙すつもりはないんだ。ただ、今は話したくない。いつかは話すつもりなのだから、そのときが来てから………。

『そのとき、なにもなければいいな』

 親父の言葉が繰り返される。
 そのとき………か。
 ぼんやりと、来るべき「そのとき」を思い浮かべ、託生はどう思うだろう、卑怯者と罵られるかなと自嘲して口元で笑った。
 本当は自分が間違っているのだと知っている。
 オレは逃げてるんだ。託生が離れていかないよう、ギリギリまで隠し通したいんだ。
 幼い頃に芽生えた息苦しさを伴う衝動が恋だと気付いたときには、もう抑えきれないほど大きく育っていた。しかし、遠く離れたアメリカと日本との距離。しかも存在さえ知らないだろうオレの一方的な想いを伝えるすべはなく、この恋は終わりを待つばかりだと諦めていたとき訪れた留学のチャンス。これを逃すと、託生と会うすべはない。そう考え藁にも縋る思いで祠堂に入学し、一年後、託生と想いを交わした。
 恋人になれるだなんて夢にも思っていなかった片恋から、紆余曲折あって、今、託生は婚約者としてオレの側にいる。
 この奇跡を手放せるほど、往生際がいいわけじゃない。それこそ、何年も想い続けた分、執念とも言えるほどの執着心は自分でも呆れるほどだ。
 もがいてもがいて、やっと手に入れた愛しい存在。唯一無二、誰にも成り変われない最愛の人。
 初めて託生と出会った日のことは、今でも鮮やかに思い出せる。
 色にしてみれば……そうだな、優しく凛とした桜色。子供らしい笑顔に、物怖じしない真っ直ぐな瞳。目を逸らすこともできず、一瞬にして魅入られた。
 目を閉じて出会った頃の託生を思い浮かべているうちに、荒波のようにざわついていた心が穏やかに落ち着いていく。罪悪感は胸の奥にあるが、これならポーカーフェイスを被れそうだ。
 託生効果、抜群だな。
 クスリと笑い、そろそろ託生の部屋に入ろうかと立ち上がりかけたとき、
「わっ、ギイ、こんなところでなにしてるの?!」
 突然ドアが開き、ギョッとして振り仰ぐと、オレ以上に驚いたらしい託生が息をのみ声を上げた。
 お前、タイミング良すぎるぞ。
「あ、もしかして、気を使わせちゃった?ごめんね、利久としゃべってただけなんだ」
 どうこの状況を説明しようかと思案する前に、託生がオロオロと身に覚えのない弁解を口にし、渡りに船とばかりにその内容に話を合わすことにした。
「いや、別に構わないぞ。片倉だったのか」
 託生が誤解しているのをいいことに、さも電話が終わるのを待っていたような風情を装い、立ち上がって託生にただいまのキスをする。
 そのまま抱きしめて頬にもキスをすると、託生はくすぐったそうに首を竦めながら、
「皆、式に参列するの楽しみにしてるって。利久なんて、もう荷物詰めてるみたい」
 今しがた話していたらしい片倉との会話を、嬉しそうに報告した。
「もう?式は一か月先だぞ?」
「だよねぇ。ほんと、利久、気が早いんだから」
 呆れるような口調なれど、それだけ片倉がオレ達の結婚式を心待ちにしてくれていることを知り、少し興奮気味だ。さっき慌てて弁解したのも、それだけ会話が弾んでいたからだろう。
「コーヒー飲む?」
「あぁ。でも、託生。なにか用事があったんじゃないのか?」
 部屋から出るところだったのに。
「別にないよ。誰かがいるような気がしたから、ドアを開けてみただけ」
 のほほんと言い置いて、スキップしそうな足取りで、もう一度部屋の中に入った託生に苦笑し、オレは託生のあとに続いた。
「今日は、お義父さんとバージンロードを歩く練習をしたんだ」
 ドアを後ろ手に閉めたと同時に世間話をするように軽く、しかしオレにとっては重大かつ最大の課題を目の前に上げられ、ビキビキと青筋がこめかみを走ったような気がした。
 威厳を保ちながらも、メロメロで部屋を往復しながら練習していただろう親父が、簡単に目に浮かぶ。
 珍しく家にいるなと思ったら、そういうことだったのか。託生とバージンロードを歩く練習を……てことは、託生のドレス姿を見たんだな?オレを差し置いて、親父のヤローッ!
 憤慨しているオレに気付かず、託生はいつも通りキャビネットの上のコーヒーメーカーのスイッチを入れた。カップを用意しているのを横目に、上着をソファに放りネクタイを緩める。
 しばらくすると、ふわりとコーヒーの香りが漂い、
「おつかれさま」
 と言って、託生がオレの前にブラックを置き、その隣に自分の分のカフェ・オ・レを置いて腰を下ろした。
 もちろん、内線を鳴らせば、すぐさまメイドが運んでくれるし、実際以前は運んでもらっていた。しかし、恥かしがり屋の託生は、メイドと言えど他人の前でいちゃつくなんてことはできず、べったりくっついていても、ノックの音にビクリとして飛び離れること数十回。
「コーヒーメーカー、置いてもいいかな?」
 NYに来て一ヶ月後、おずおずとお伺いを立てているようで、ほんの少し拗ねた様子の託生の可愛いらしさに破顔して頷いた。
 それ以来、メイドを呼ぶこともなく、この部屋に二人で籠っているときは邪魔者が近寄らなくなった。お袋と絵利子は規格外だが。
 これから先も、続いていく習慣になりそうな予感がした。結婚したあとも、たぶん託生は、こうやってコーヒーを淹れてくれるのだろうと思えば、自然に笑みが漏れる。
「練習、どうだった?」
「うーん、なんだか足が絡まりそう」
 オレの質問に、眉をハの字にさせ情けなさそうに答える託生に吹き出した。
 これは、相当苦労したようだ。
「こけるなよ」
「なんで、そんな不安を煽るようないじわるを言うかな、ギイは」
 むーっと尖らせた口唇に、チョンとキスをして、
「それは、オレだけ託生のドレス姿を見れないから」
 少し拗ねた調子で言えば、またもや情けなさそうな顔に戻る。
 もう、なんで、こんなに可愛いかな?
 肩に回した腕で託生を引き寄せ、怒ってないよと囁けば、ホッとしたように表情を緩め、そのまま肩に頭を預けた。
 ことウェディングドレスに関しては、全く託生の意見は入っていない。絵利子とお袋が中心になり、布の選別からデザインから一年以上かけて用意していたものだ。
 これも託生が結婚式を拒否できなかった理由の一つだが、結婚許可書にサインをするだけと思っていた託生に、仰々しい理屈をあれやこれやと並べ立て、家族どころか本宅内の人間全員がグルになり、周りを固めて結婚式を挙げる手はずを整えた。
 託生の負担になっているだろうが、祠堂の連中が参列し、一週間皆と過ごせることで相殺されている。その代り、新婚旅行はなしということだが。
「あと一ヶ月なんだな」
 今から緊張していても仕方ないが、ぞくぞくと身震いがするくらい、オレはその日を心待ちにしていた。
 ずっと一緒にいるのなら、結婚という選択肢を取らなくてもいいのかもしれない。託生は、日本の戸籍もこちらでの名前も崎の姓に変えると言っているが、夫婦別姓も珍しくないのだから、結婚に拘らなくても問題はないんだ。事実、男同士だと思っていた頃は、それほど重要なことだと思っていなかった。
 しかし、オレは託生と結婚したかった。
 二人でいることが公式に認められ、一つの家族だと認定されるんだ。今まで以上に、オレ達を結ぶ糸が太くなる。
「あ、そうだ。土曜日に、ピアノの搬入があるんだって。ぼく、ペントハウスに行ってきていい?」
「もちろん。あとで、オレも島岡に聞いてみるよ。休みだったら一緒に行こうか」
「うんっ!」
 子供のようにうずうずとした様子の託生を微笑ましく見つめながら、これでいいのだと改めて思った。
 託生は納得してオレと結婚するんだ。それだけで、今はいいじゃないか。そのときは、そのときだ。
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