● ● 君が帰る場所-2- ● ●
託生の両親と再会し、念書に母親のサインを貰った翌日。
「弁護士の先生、まだ出発してないよね?」 諸事情により朝食には少し遅い時間だが、用意された食事を部屋で食べながら、託生が尋ねてきた。 久しぶりのあっさりとした和食に、妊娠してから他の食材に手をつけなかった託生も箸が進んでいるようだ。サラダの上に乗っていたトマトは奪われたが。 「まだだと思うけど。どうした?」 「お願いしたいことがあるんだ。ギイも一緒に来てほしいんだけど」 「わかった。ちょっと待ってろ」 すぐさま弁護士に連絡し、十五分後オレ達は弁護士の離れを訪ねた。 「出発間際にすみません」 チェックアウト直前に部屋にお邪魔したオレ達を、弁護士は笑顔で出迎えてくれた。 あとで聞いたところ、託生のことをずっと気にかけてくれていたらしい。 入院中から担当してもらい、託生の体のこと、親のこと、ある意味全てを知っている数少ない人間の一人だ。 「これを両親に返してほしいんです」 託生は鞄から取り出した通帳と印鑑を弁護士の前に置き、オレは息を飲んだ。 「よろしいのですか?」 「ぼくには必要がないので、両親に渡してください」 この四年間。結婚する前も、した後も、金銭的なことに関しては、託生の負担にならないように気を配ってきたつもりだった。オレを通さずとも、楽譜など学校に必要なものはもちろん、好きなものを自由に買えとカードを渡し、毎月口座に一定金額を入れていた。 初めて口座を見た託生に、唖然として「入れすぎだ!」と怒られたけれど、余っているくらいの方がいい。 それでも、遠慮しているのか自分の物はあまり買わないものだから、オレや両親がここぞとばかりに買ってきて、両親はともかくオレは「無駄遣いするな」と諌められることがたびたびある。 アメリカ人の配偶者としてグリーンカードを持っている今は、もちろん就労可能だ。 しかし崎家の人間である以上、おいそれとアルバイトをするわけにもいかず、またセキュリティ面に置いてもSPに迷惑がかかることがわかっているため、託生も大人しく学生生活を送っている。 将来、きちんとした仕事につくことは、また別の話ではあるが。 アメリカでの生活で託生に不自由はさせていないつもりではあったが、個人的な金を手放すということは、これから先、全面的にオレに任せると言外に示しているのと同じだ。 いつから託生がこのように考えていたのかはわからないが、オレにとっては喜び以外ない。 「いいよね、ギイ?」 「あぁ、もちろんだ」 オレを振り返った託生に、力強く頷く。 託生の気持ちはもちろん、これで葉山家に関わるものが全てなくなるのだから。 「先生、よろしくお願いします」 同意したオレに託生はホッとしたような微笑みを浮かべ、もう一度弁護士に向き直って頭を下げた。 このまま託生の実家に寄っていくと言う弁護士を見送り部屋に戻ると、なにも言わないオレに少し困ったような表情をして、 「いい機会かなと思って」 言い訳のように口にした。 「勝手なことして、ごめんね?」 「謝る必要なんてないぞ。それに、オレは嬉しいんだから」 「嬉しい?」 「あぁ、託生がこれから先、全てをオレに任せてくれるってことだろ?嬉しいに決まってるじゃないか。これでオレの負担が云々と言い出したら、もう一度布団の中に引きずり込むぞ」 ニヤリとして付け加えれば、 「そ……そんなこと言ってない」 顔の前であたふたと両手を振り即座に否定したあと、ハッとしたような表情をして、 「ギイ」 と睨む。 誘導尋問だと気付いたか。今更、撤回はさせないが。 「なんだ、残念」 「もう……」 託生がそう思っていたことに気付かない振りをして、ここに来いと両手を出すと、頬を膨らませながらも素直に近づき腕の中にすっぽりと収まった。 「すごく嬉しい。愛してるよ」 胡坐をかいた足の間に座らせ口唇を重ねる。 どれだけオレが喜んでいるのか、お前に伝わるだろうか。 ひとしきりのキスのあと、ほぉと小さく溜息を吐き、託生がオレの肩に頭を預けた。 「本当は、結婚したときに返そうと思ったんだけど、どう連絡取ったらいいのかわからなくて、そのまま置いてたんだ。真行寺君に言われた『いつか』が今だろうなって思って」 「真行寺に?って、いつの話だ?」 オレの腕の中で他の男の名前が出て、ムッとする。 そんなオレに気付かず、キスの余韻に浸ったまま目を閉じて託生は話を続けた。 「ほら。ゼロ番でギイに渡されたあと、部屋に戻ったら真行寺君がいたんだ」 「真行寺が?」 「うん」 「真行寺と二人きりだったのか?」 低いオレの声色に、閉じていた目をパチリと開け、 「あー、もう、なに怒ってるんだよ?」 呆れたようにオレを見上げる。 真行寺にその気がないのはよくわかっているし、たぶん三洲が託生を一人きりにさせないために真行寺を置いていったのだとは思うが、それでも男と二人きりで部屋にいたという事実が気に入らない。それが、過去の話でも。 そんなオレに一つ溜息を吐いて、 「そのとき『いつか使い道が決まるときがあると思いますよ。それまで持っていたらどうですか?』って言われたんだよ」 真行寺に相談していたことを言外に告げた。 託生のことだから、真行寺に詳細を伏せたまま、オレに金を受け取ってもらえないとでも言ったのだろう。 真行寺だって馬鹿じゃない。 託生にははっきり言えなくとも、金銭面に関してはオレに甘えたほうがいいと判断したのだろう。それに、オレがそう望んでいることも。 金なんてオレにとってささいなことで、最優先されるべきことは託生がオレについてきてくれる、それだけなのだと。 「その『いつか』が今だってことか?」 「うん、そう。あ、真行寺君、『ギイ先輩がもしも一文無しになったとき、それ使ったらいいと思います』とも言ってた」 「こらこら。オレを失業させるつもりか?」 そんなことあり得ないとわかって真行寺も軽口を叩いたのだろうが、託生の説得に一役買っていたのは認めてやろう。二人きりの部屋にいたのは聞き捨てならないが、託生の背中を押してくれたんだ。 今度、日本に行ったときに酒でも呑みに連れていくか。 「よしっ、一文無しにならないように頑張るかな」 「無茶はダメだよ。ギイ、今でも体壊しそうなくらい忙しいんだから」 「わかってるって」 託生が笑顔でいてくれるから、オレはどれだけだって頑張れるんだ。しかも、数ヵ月後にはもう一人大切な人間がこの世に生まれてくる。 オレが、託生と子供を……家族を守っていく。 |