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●  振り向けば、ただありふれたペンの先 -6-  ●

 その後、託生は見事マネス音楽院に合格し、九月から正真正銘の大学生になった。
 水を得た魚のように、生き生きと音楽三昧の毎日を送っている。
 しかし、アメリカの学校特有のディベートだけは苦手らしい。
 託生の性格では、日本語でさえ討論するのは難しいだろうに、まだ少し不自由な英語で、だ。
 みんなの意見を聞くだけで精一杯らしく、口を挟むタイミングも、なにを言ったらいいのかもわからないと、ディベートのあった日は毎回どっぷり落ち込んでいた。
 これだけは謙虚な日本人では通らない。どんどんアピールしないと、成績に響いてくる。
「一人一人の演奏を聞いて、ここがどうこう討論するんだよ?ぼくは、みんな個性があっていいと思うのに……」
 音楽はまったくわからずとも、オレにとってディベートは得意中の得意。
 人を口で負かす……基、意見の交換は日常茶飯事のこと。
 滅多にない託生の泣き言に、頭を撫でて慰めアドバイスをする。
「じゃあ、そのままでいいじゃん。『この部分の、この演奏方法が君らしい』って素直に言うのも手だぞ?」
「それでいいの?」
「充分。ついでに奥の手を一つ、託生くんに伝授してあげよう。誰よりも先に自分の意見を言ってしまうんだ」
「どうして?」
「意見が出尽くすと、話題を探すの大変だろ?ついでに、一番ってのは印象に残りやすいから」
 オレの助言を受け、次のディベートからは、勇気をかき集めて一番に手を上げるようになったらしい。
 一度やってみると、あとは聞き役に徹していても気にはならないから楽だということに気づき、喜び勇んでオレの部屋に飛び込んできた。
「ギイ、ありがとう」
 お礼のキスと笑顔を………だけじゃすまないよな?
 こういう相談は大歓迎だ。
 オレと託生の大学生活は、ALPに通っていた頃よりも時間は少なくなったが、その分「待ち合わせ」という楽しみが付き、それなりに充実した毎日を送ることとなった。


 託生の大学生活も一年が過ぎ、今日は後期試験最終日。
 業者からの連絡に、仕事を前倒しにして終わらせたオレは、マネス音楽院の前で託生が出てくるのを待っていた。
 二週間ほど前に大学院を卒業し、待っていましたとばかりの島岡にこき使われる毎日だが、今日は別。
 なにがなんでも、今日、託生を説得しなければならない。
 内ポケットの中に入っている、二枚のカードキーを指先で確認し、音楽院のドアを見つめていた。
 しばらくすると、ポツリポツリと学生が帰路につく中、託生が姿を現し、オレに気づいて目を丸くする。
「ギイ?」
「よ」
「迎えに来てくれたの?お仕事は大丈夫?」
 たまにオレがこうして託生を迎えに来て、その後自然史博物館でデートというのが定番になっていたが、卒業してからは初めてのせいか意外だったらしい。
「ちゃんと島岡の許可を貰って帰ってきたぞ。そんなことより、託生。今、何時だ?」
「んーっと、五時二十二分」
 嬉しそうに笑って駆け寄ってきた託生の頬に軽くキスをして、時刻を確認させる。
 オレの問いに託生は腕時計を覗き込み、素直に時刻を読み上げた。
「五時二十二分。覚えたよな?では、出発」
「え、なに?どこ行くの?」
「いいからいいから」
 託生の肩にかかっている重そうな鞄を取り上げ、セントラルパークを背に歩き出したオレに、託生は小首を傾げながらも従順にオレのあとを付いてきた。
「試験、どうだった?」
「んー、なんとかなったとは思うよ」
 好きこそ物の上手なれ。音楽に関することならば、勉強も全然苦にはならないらしい。
 バイオリンの演奏ができるギリギリの時間まで熱心に課題曲を練習し、そのあとは毎晩遅くまで机に向かっている姿をここ数日見ていた。
 試験が無事に終わったのなら、もうこれからは夏休み。
 お袋と絵利子が、ウェディングドレスの仮縫いをさせようと、手ぐすね引いて待っている。
 二度目のプロポーズのあと、どこから耳に入れたのか、
「City Clerk's Officeでの結婚式が、一番手っ取り早いよね」
 なんて夢のないことを言い出してオレを撃沈させた託生には、自分の結婚式なのに、あまり興味がないらしい。
 そりゃ、証人を用意すれば式ができるようになってはいるが、電光掲示板で順番に呼ばれて役所で式はあんまりだ。
 なので、両親と絵利子を味方に引きずり込み、泣き落とす勢いでウェディングドレスを着ることを了承させ、きちんとした教会で挙げる手筈を整えている。
 オレが卒業したと同時に式を挙げる案もあったが、できるなら祠堂の友人達にも来てもらいたいとの託生の希望に、大学生である皆の長期休暇イコール夏休みに決定し、もうすでに連絡を取った全員から祝いの言葉と出席の返事を貰っていた。
 哀しいことに、友人達の出席以外、託生の希望はなにもない………。
「託生、ここがブロードウェイな」
「うん。有名な道だけど、こうやって見ると普通の通りだよね」
「まぁ、日本で流れる映像は、タイムズ・スクエアあたりが多いから」
 ブロードウェイを横切って、そのまま真っ直ぐ進んでいく。
「この通りは、ウエスト・エンド・アベニュー」
「うん」
「で、向こう側に渡って右に曲がる」
 信号を渡って歩道を右に曲がり、一つ目の角の手前で足を止める。
「はい、到着。今、何時?」
「え?五時半ぴったり」
「マネス音楽院から所要時間八分……のオレ達の新居」
 ポカンとして指差したマンションに視線を移した託生は、何度も上へ下へと顔を往復させ、ようやく脳が理解したのか道のど真ん中で声なき叫びを上げた。
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