● ● Fair Love-3-完(2014.2) ● ●
止まっていたエレベーターに乗り込むと、ギイは胸元に入れていたIDカードを操作盤にかざした。目的階のランプがついて、音もなくエレベーターが上へ動き出す。
へぇ、このIDカードって、こんな風に使うのかなんて考えながら、階数を表示するランプの動きを見ていたぼくに、ギイが振り返った。 「ごめん。驚いただろ?」 「え、あ、どれ?ぼく、なにがなにやら、全然わかってないんだけど」 そりゃ、いきなり本社に連れてこられたのも、それが全部計画の一部らしいのも驚いたけれど、なにやらギイがぼくになにかを隠していた方が驚きだ。怒るかどうかは、話を聞いてからにするとして。 「そうだよな」 エレベーターが止まりスーッと開いたドアの向こうは、先程のロビーの喧噪とは程遠いシンと静まり返ったフロア。毛足の長い絨毯が敷かれた落ち着いた雰囲気の……、あ、重役クラスのフロアなのか。 大きなガラス張りのロビーから続く左右の廊下の向こうに、重厚なドアが見える。そして、あちらこちらに監視カメラも。 そうだよね。本社の重役フロアなんだから、トップクラスのセキュリティが使われているよね。もしかしたら、天井から壁が下りてきて閉じ込めたりするのかも。 その重厚なドアもIDカードで開け、ギイはぼくを一つの部屋に導きいれた。 「ここは?」 「オレの執務室」 磨きこまれた重厚なデスクにいくつかのディスプレイが並び、今入ってきたドアの横には応接セットが置いている。そして、奥にもう一つのドア。 ギイが、毎日お仕事をしている部屋。物珍しさに、じっくり見てみたい気もするけど、今はそんな時間はない。 「あの、ごめんね。勝手に仕事場に来て……」 「託生のせいじゃないだろ?親父が連れてきたんだから」 「でも………」 ここは、ぼくがいていいような場所じゃないような気がするんだ。神聖な仕事場であって遊び場じゃない。あのロビーで、ぼくだけが浮いていたんだ。 「これ……」 ギイが、首からかけているIDカードを手に取った。 「お義父さんに渡されたんだけど、返した方がいいよね?」 「………いや。親父が直接渡したのなら持っていた方がいい。ただし、なくすなよ。それ、このフロアに入れる許可が出ているカードだから」 重役フロアの?! これ、帰ったら鍵付きの引き出しに入れよう。うん、そうしよう。 「ギイ、話って?」 なかなか切り出さないギイに、ぼくの方から話を振った。だって、島岡さんが二十分しか時間がないって言っていたし、それに、お義父さんがここまでして、ギイから話をさせようとしていたのだから、とても大切な話のような気がする。 昨日も一昨日も、それこそ毎日のように、ぼくの部屋に帰ってきていたのにも関わらず、今まで話せなかった話。検討はつかないけれど、とても大切で、そしてぼくには言い難い話。 ギイは諦めたように大きく息を吐き、苦笑してぼくの手を取った。 「託生、こっち」 促されるまま後に続くと、デスクの背後にある窓辺にギイは寄った。 「うわぁ」 マンハッタンが一望できる。五番街のペントハウスも相当高いけど、ここは車が米粒のように見える。歩道では大きく見えていたビルも、足元より下だ。そのあたりの展望台なんて目じゃない。 ギイは慣れっこだろうし、この景色を楽しむような時間はないだろうけど。 「託生。ここから歩いている人間が見えるか?」 聞かれて、ぼくは窓の下、遥か遠くに見える地上を見下ろした。 かろうじて走っている車が判別できるだけで、人の姿なんてどれだけ目を凝らしても見えやしない。 「無理だよ。車でさえ米粒のようなのに、見えるわけないじゃないか」 ギイを振り返り首を振ったぼくに、 「あぁ。でも、いるはずだよな?歩いている人間が」 確認するように、ギイが再度問う。 肉眼では見えないけれど、いるはずの人。でも、その人がなに? 「その見えない人間を、Fグループの末端だと考えてほしい」 首を傾げたぼくに、ギイはそう言った。 「末端?」 「この本社だけで数千人が働いているけど、Fグループってのは色んな分野の会社が集まっていて、そのまた下に子会社、孫会社、果ては小さな町工場にまで繋がっている。Fグループ傘下でなくても、資金を出している関連会社があったり………。実質Fグループに携わっている人間がどれだけいるか、オレは把握してない。それに、その一人一人の家族も関係者として数えれば未知数だ。ここから、歩いている人間が見えないように」 ギイは、いったいなにを………? 「でも、見えなくても関係者だし、今は親父がFグループ総帥として彼らの生活を守ってる」 何万人もの人間の生活が親父の肩にかかっている。 どこまでも続くビル街を遠く眺めながら、ギイは自分に言い聞かせるように呟いた。 Fグループのことを、ぼくはあまり知らない。世界有数の大企業ってことくらいだ。 手っ取り早くギイに教えてもらう方法もあったのだけど、今までギイはその手の話をすると綺麗に逃げてしまって、気付けば必ず全然別の話になっている。だから、あまり話したくないのかなと図書館で調べようとして、でも、あまりにも複雑で断念してしまった。 「今は、親父の仕事に比べたら研修中みたいなものだ。学生の頃から仕事をしていたと言っても、外交ってのは自分の顔を売るためのものだったし」 ゆっくりとぼくに視線を戻したギイが、 「でも、いつか。オレは、親父のあとを継いで総帥になる」 きっぱりと言い切った。いつか自分の肩に何万人ものの生活を背負うのだと。 現在、世襲制を取っている企業はほとんどないと聞いている。でも、ギイだから。ギイでないと、このFグループは成り立っていかないと思うし、事実年若いギイがこんなフロアに自分の部屋を持っていることで証明されている。ギイが将来総帥になるのは順当なことだと思うのだ。 「それと同時に、今以上に煩わしい外野に取り囲まれることになるだろう」 「え?」 「Fグループの顔になるんだ。ビジネス上のことはもちろん、社交界などにも頻繁に顔を出さなければならいだろう。今はかろうじて守られているプライベートなんてのもなくなる」 「そ……うなんだ………」 仕事が忙しくなるだけじゃなくて、生活そのものがオープンになっていくんだ。 「ただ、オレは慣れているから、そのくらいどうってことないけど………」 そういったん言葉を切り、ギイは口元を引き締めた。そして、ぼくの目をじっと見つめる。 「オレと結婚すれば、託生もそうなる」 「え?」 「一挙一動に関心を持たれ、近づこうとする人間、陥れようとする人間、ありとあらゆる人間が託生を取り囲むようになるんだ。心から信用に値する人間が、わからなくなってくる。今は学生だし、まだ託生自身ドクターストップがかかってるから、表に出ることはなくても、親父が引退してオレが総帥になったとき、否応なく引っ張り出されることになる。………結婚したらFグループ総帥夫人だから」 「総帥夫人………」 「あぁ。オレと結婚することによって、託生は託生が思っている普通の生活というのができなくなる。家から一歩外に出れば、プライベートなんて皆無だ。どこに行くにしてもSPが常時ガードし、やりたいこともなかなかできなくなるだろう………本当は、オレと結婚することは、託生にとってデメリットなんだよ」 学生時代、ギイと同室だというだけで、妬まれることが多々あった。嫌がらせも陰口も、嫌と言うほどされた。けれども、結婚したら規模が違うんだろうなというのは、さっきのロビーでの視線でわかる。男女問わず、年齢いとわず、投げかけられた視線は同じだったから。 三年生のとき、家の密命を受けた新入生が、あれやこれやとギイに接触しようとしていたけれど、それはまだ可愛いものだったんだ。 「それでも、オレと結婚してほしい」 「え?」 「託生に選択権を渡せと言われていたんだ。デメリットを知らせずに結婚するのはフェアじゃないって」 それで、お義父さんが………。 「託生、どうする?」 真剣な眼差しの中に揺らぐ不安。 ぼくは半分も理解していないだろう。崎の家で生まれ育ったわけではないし、はっきり言って一庶民だ。ギイの言うプライベートのない生活というのも、経験したことはない。でも。 「覚悟して返事しろと言ったのはギイだろ?ぼくは前言を撤回しない」 「今までと同じ生活はできないんだぞ?」 「そんなの、経験しなきゃわからないじゃないか。それに、メリット、デメリットで結婚って決めるものなの?違うだろ?それを言うなら、ぼくの方こそデメリットだらけだよ。ギイの立場を考えれば、後ろ盾のないぼくなんかより、どこかのご令嬢と結婚した方がFグループのためにもなるし、崎家のためにもなる」 「そんなこと………っ!」 焦ったように、ぼくの肩を両手で掴んだギイを見上げた。 「それでも、ギイはぼくを選んでくれたんだろ?」 ぼくが男でも女でも関係ないと。託生が託生だからだって、言ったのはギイじゃないか。どんなぼくでも愛してるって。ぼくだって、どんなギイでも愛してるんだ。 「………あぁ」 ホッとしたように緊張を解いたギイがぼくを抱きしめた。 そのギイの肩越しに見えるマンハッタン。ここからは見えないけれど、たくさんの家族があって、たくさんの人が生きている。 何万人の生活を守ると決意しているけれど、それならギイを守るのは誰?いくら精神力が人より強くたって、疲れないわけがない。 ぼくはギイのお仕事の手伝いなんてできないけれど、側にいることはできる。愚痴だって泣き言だって、ぼくが聞くよ。ギイを支えるのは、ぼくの役目だから。 でも、少しくらい文句を言ってもいいだろうか。 ものすごく重要で大切な話だと思ったのに、いや、ギイにとってはそうなのかもしれないけれど、ぼくにとっては拍子抜け。なんだそんなことかと言いたいような気分だ。 「バカだよ、ギイ」 「そうか?」 「そうだよ。三回もプロポーズされるぼくの身も考えてよ。その場の雰囲気に流されて返事したわけでもないのに、気持ちを疑われてるような気になってくるじゃないか」 「そういうつもりじゃなかったんだけど、ごめん」 情けなさそうな顔をして謝るギイに吹き出すと、「笑いすぎ」とギイが頬を赤くしてそっぽを向いた。ロビーで注目を浴びながら颯爽と歩いていた姿は、どこにもない。 あ、そうだ。 「ついでに聞くけど、もし、ぼくがNOと言ったらどうするつもりだったの?婚約解消?」 「いや。そんな答えは聞きたくないけれど、解消はしない」 「しない?」 「託生にいい返事を貰えるように、何年でも待つつもりだった」 「……それって、選択権あるのかな?」 今と同じような気がする。 ギイの常識とぼくの常識が違うことも多々あるし、特にお金に関しては価値観が全く違う。四年一緒にいるけれど、まだ知らないこともあるだろう。 今回、ギイが悩んだように。ぼくが、全然気にしてなかったように。でも、ぼくのことを想って考えてくれたのだから………。 「ぼくのことを大切にしてくれて、ありがとう。でもね、ぼくはギイの一番の理解者でいたいから、悩むくらいだったら言ってほしい。そして二人で考えようよ。ぼくはギイと家族になりたいんだ」 恋人よりもっと近くに。人生を共に生きていくために。 近づく口唇に目を閉じた。ギイの大きな背中に腕を回し、彼を抱きしめる。 ぼくにはなにもない。あるのは、こうやって抱きしめられる腕だけ。それでよければ、いつだって君を抱きしめるよ。 顔を出してくれた祠堂の皆も、お義母さんと絵利子ちゃんも、時間だからと控室を出ていった。 スタッフの人に付き添われ聖堂に向かうと、重厚な扉の前でお義父さんがにこやかにぼくを待ってくれていた。 「託生さん」 「はい」 差し出された腕に右手を添え、小さく深呼吸をする。 両開きの扉があき、聖堂内にパイプオルガンの音が鳴り響く。 バージンロードの向こうにギイが見えた。 駆け出したくなるような胸の鼓動を必死に抑え、一歩一歩君に近づいていく。 一歩一歩、幸せに繋がる道へ………。 改めまして、150万HIT、ありがとうございました。 今回も例にもれず慌ただしく、もう少し計画ってのを考えような、と今は思っているのですが、たぶん、すぐに忘れることでしょう(笑) 今更ながらの婚約時代。熟年夫婦ばかり書いていたような気がするので、初々しさってのが表現できているのかちょっと不安だったりします。 でも、婚約時代だからこその悩み事を書けたのと、いつも通りの設定を組み込めたので私的には満足してます。 では、3話よりも早くできてしまった、後日談をお楽しみください。 (2014.2.16) |