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●  薄紅に彩られた道(2011.4)  ●

 ペントハウスの窓から覗くNYの街には、雲一つない青く澄んだ空が広がっていた。
 只今、人生二度目の蜜月を満喫中。
 一度目は、あの古く狭い祠堂学院の寮で。そして二度目は、ここオレの生まれ育ったNYで。
 祠堂卒業後、すぐに二人きりで生活を始めるつもりだったオレの予定を、オレの家族は託生と一緒にいたいが為に散々邪魔をし、その結果オレと託生は本宅で暮らす事になった。
 初めてのアメリカ生活に戸惑う託生を、オレの至らぬ所で助けてくれたのは感謝している。しかし結婚を機に、泣き落とす勢いの家族を振り切って、数人の使用人と共にペントハウスに移った。
「どうして引越しするの?」
 既にオレの家族から可愛がられていた託生は「今更変わらなくても」と言っていたが、当初の二人きりで暮らすという予定を妨害され潰されたのだから、数年は二人で生活させてくれと強引に事を進めた。どうせいつかは本宅に戻らなければいけないし。
 使用人がいるから現実に二人きりというわけには行かないが、それでも邪魔をされない分、気分的に楽だ。
 託生が寂しがっていたのは気にかかったが、
「同じ街なんだから、いつでも会えるさ」
 と説得し、現にお袋と絵利子が頻繁に顔を出している。
 祠堂を卒業して二年。オレは愛しくて堪らない最愛の妻託生と、文字通り甘い新婚生活を堪能していた。


 自室で外出の準備をしていると本宅の執事より電話が入り、その話の内容に今日の予定を少し変更する事にした。
 たまには向こうに行かないと、毎晩押しかけられそうだし。なにより、今の話をしたら託生が喜ぶ事、間違いない。
「ギイ?」
 携帯をオフにした時、ノックの音と共に託生が顔を覗かせた。
 片手に持っていた携帯に気付き、
「ごめん。ぼくお仕事の邪魔しちゃった?」
「いや、本宅からだよ」
 きまり悪げに尋ねる託生に気にするなと笑いかけ、今しがた入ったとっておきの新情報を伝える。
「本宅って、もしかして」
「あれ、着いたとさ」
 オレの知らせに、託生の顔がパッと輝いた。
 高校時代よりますます綺麗になった託生が見せる、子供のような無邪気な笑顔が、絶妙なバランスで託生の魅力を倍増させる。
 この笑顔を見たいが為に、がんばるオレって健気だよな。
 両腕を差し出すと、いつものようにすっぽりとオレの胸に収まり、肩に頬を預けてホッと溜息を吐く。この一連の流れは昔からの託生の癖。
「やっと着いたんだね」
 嬉しそうな表情の託生に、オレの頬も緩んでくる。
 この話が舞い込んでから、ずっと待っていたもんな、お前。
「病院の帰りに寄って、そのまま向こうで夕食になるけどいいか?」
「うん!絵利子ちゃんとお義母さんは、この間遊びに来てくれたけど、お義父さんとは長い間お会いしてないから。なかなかこちらに来ていただけないし。お元気かなぁ」
 のほほんと続ける託生に、がっくりと肩を落とした。
 そりゃ、お袋と絵利子はまだしも、息子夫婦の家に、しかもオレがいないのに、親父が一人で託生を訪ねてくる事自体、非常識だろ。
 と、託生に言っても、どうせ通じない。
 それでも懇々と「男とは二人になるな」と話した結果、オレが嫌がるからとちょっとずれた方向に理解し言いつけを守ってくれてはいるけれど、根付いた感覚と言うのは二年そこらで変える事ができないらしい。
 男ばかりの祠堂で生活したのが、拍車をかけてるな。
「ギイ、そろそろ時間なんだけど」
「あぁ、準備はできたか?」
「うん」
 時間を確認し車のキーを持って、託生を促し自室のドアを開けた。
 平日である今日、オレが仕事を休んでいるのは託生の通院日だからだ。
 何が何でも最優先事項は託生。
 例え仕事が忙しくとも、その日だけは必ず休みにしてくれと訴え、島岡もオレの意思を尊重して、託生の通院日が決まると同時にスケジュール調整に入ってくれている。
 体調面に関しては医師に任せるしかないが、精神の安定に関しては一緒にカウンセリングを受ける必要がオレにはあった。
 やっと結婚まで辿り着けたんだ。だからこそ対応を間違えるわけにはいかない。
 がんばっている託生の為に、最大限のフォローをするのがオレの役目だ。


 祠堂卒業後、アメリカに連れてきて早々、紹介された病院へ二人で足を運び、ありとあらゆる検査、そして心理テストなどを託生は受けた。
 その後、託生のパートナーとして、別室で説明を聞いた時の事だ。
 ゆくゆくは……具体的には二年後。戸籍の問題などが解決したら結婚するのだと伝えた時、医師は難色を示した。
「二年は早すぎます」
「どうしてですか?もしも、子宮の発育などに関係するのなら……」
「それは、大丈夫です。今はまだまだ発育不全ですが、このままホルモン治療を続ければ、たぶん将来子供を持てるくらい成長するでしょう。ただ、今のままだと心がついていきません」
 医師は手元に置いた数枚のカルテを見て言い切った。
 託生はオレのプロポーズを受けてくれ、本格的な治療を受ける為に渡米も決意して、今ここにいる。本来の性、女性として生きていくと言ってくれたのに、心がついていかないとはどういう事なんだ。
「託生さんの場合、メンタル面がかなり複雑で」
 怪訝な顔をしたオレに、医師は説明を続けた。
「まずは、男性から女性に変化した事。ただ、こちらは、託生さんなりに受け止めているようで、戸惑いはあるものの納得はされているようです。問題は家族の事です」
「家族?」
 その言葉で、自分が殺気立ったのがわかった。
 託生をかっさらうように遠くアメリカまで連れてきたのに、まだあの人間が託生を苦しめているというのか?!
「託生さんはご両親からは心理的虐待、お兄さんから性的虐待を受けておられましたね?」
 確認の為に続けられた言葉に、
「………そうです」
 怒りに震えそうになるのを押し殺して頷く。
 カウンセリングの為に、託生はオレにしか話していなかった今までの親子関係、そして兄との関係を嘘偽りなくカウンセラーに伝えていた。もちろん、本人の口からオレ以外の人間に話せる状態かどうかも確認したかったのだろう。
「無理に話さなくていいんですよ」の言葉に、託生はオレを不安げに見上げ、重ねたオレの手をギュッと握りしめて、たどたどしく、時には言葉に詰まり、それでも長い時間をかけて全てを話した。
 カウンセラーとは言え他人に話すのに、どれだけの勇気がいっただろう。
「ぼくは、前に歩かなきゃいけないんだ」
 二人きりになった時、託生は涙を浮かべつつもきっぱりと答え、オレは気丈に振舞う託生を抱き締める事しかできなかった。
「虐待を受けて育った人間は、自分の子供を持つことに極度に恐怖を感じます」
「なぜ?」
 託生は特別子供を嫌ってはいない。いや、どちらかと言えば子供好きな方だ。それなのに。
「たぶん、今は具体的に認識されていないのでしょう。でも、いつか気付きます。親に愛されなかった自分が子供を愛す事ができるのかと。きちんと育てる事ができるのか。もしかしたら、同じように虐待してしまうかもしれない。なによりそんな親の血が自分に流れ、そのまた子供にその血が流れていく。虐待を受けた人間は大人になっても悩み苦しむ人が多いんです。そしてそんな自分を無意識に嫌う傾向があります」
「そんな………」
 なぜ託生が、そこまで苦しまなければいけないんだ。
「何年かかるかわかりません。一生呪縛から逃れられない人もいます。結婚イコール子供を持つという事ではありませんが、それでも子供の事を考える時がいつかくるでしょう。傷が深い分、二年という期間が短いような気がするんです」
 託生と一緒にいられるのであれば、結婚と言う枠組みに嵌らなくてもいいんだ。子供だって、特別欲しい訳でもない。けれど、そんな心の傷を抱えたまま生きていくなんて、あまりにも託生が痛々しすぎる。
「治療方法はないんですか?」
「これは託生さん自身が自分と向き合わなければいけない事なんです。ただ、今は時期が悪い。まずは女性への変化についてきちんと整理し、それから虐待に対する治療に移行する。いや、治療ではないですね。心の傷を完全に消し去る事は不可能ですから。心を回復させると言う方がしっくり来ると思います」
「オレができる事は、ありませんか?」
 いや、オレしかできない事だ。
「どんな託生さんでも受け入れる事です。カウンセリングを受けているうちに、イライラしたり、泣いたり、自暴自棄になったりする事もあるでしょう。しかし、感情が出せるのはいい方向に向いている証拠なんです。託生さんの感情を受け止めて抱きしめてあげてください」
「わかりました」
 託生を受け止める事なら、今までも全力でやってきた。これからも変わらず全力でやっていくだけだ。誰にもこの役は譲らない。
 一生託生の側にいると決めたのだから。
 そして託生が二十歳になった時。
 心の底では、まだ子供の事は受け入れられないだろうとの結果が出たのだが、当初の予定通り、オレとの関係を明確にした方が託生の安定にはいいとの結論が出て、許可が出るまでは子供を作らないようにとの厳命の元、結婚した。
 余談だが、オレとの結婚によって託生の精神状態が安定するとの診断を聞き、歓喜に打ち震えたのは誰にも言えない秘密だ。


 病院から直接本宅に行き、お袋と絵利子とお茶の時間を共にした後、託生と庭に出てスコップと台車を手に目的の場所へ行く。
「お義父さんの許可は貰ったの?」
「あぁ、どこでもいいってさ。でも探すには広すぎたんで、庭師に予め目星をつけてもらった」
 言いながら台車を押して裏庭の、ある一角へと向かう。隣でスキップしそうなくらい上機嫌の託生に目を細め、この桜の苗木を譲り受けて正解だったと心の内で自画自賛した。
 それは、出張で日本に行った時の事。
 初めて取引を決めた会社の敷地内に、桜の開花時期はもう既に過ぎているはずなのに、それは見事な桜が満開に咲き乱れ、オレはその光景に息を飲んだ。
 圧倒されるその美しさに、
「見せてやりたいな」
「御婚約者の方にですか?」
 知らず零れたオレの言葉を社長に聞き取られ、柄にもなく顔を赤らめた。
「御結婚されるそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 託生の素性を詮索ばかりする野次馬根性の人間が多い中、この社長の祝いの言葉は真っ直ぐに届き、オレの心に染み渡る。
「私の故郷の思川桜なんです。昔、この地に会社を設立したときに苗木を植え、桜の木に見守られながら少しずつ規模を拡大し、Fグループと取引して頂けるまでになりました」
 大きな桜の木を見上げながら続ける社長に、この会社との取引は成功だと直感した。どれだけ機械が発達しようとも、根底は信頼関係だ。この社長が纏める会社なら大丈夫。
「よろしかったら連絡して、苗木を贈らせていただきますが?御結婚祝いと言うには陳腐な物ですが………」
 思いもよらない有難い申し出に一も二もなく頷き、苗木がそれなりに育った頃、NYに送ってもらう約束をして日本を後にした。
 もちろん、この会社との取引は成功し、それ以後良好な関係を続けている。
 NYに戻り、早速託生に話をすると、
「大きくなっていくのを、二人で見れるんだね」
 目を輝かせて飛び上がらんくらい喜び、その日から託生は指折り数えて、この苗木が届くのを待っていたのだ。
 先ほども、手伝いたそうな絵利子と庭師に託生自らが断っていた。これだけはオレと二人でやりたいと。
「ここだな」
「いい場所だね。日当たりもいいし」
 ぽっかりと空いた南向きの更地。
 今は一メートルに満たないが、桜の苗木がそれなりに大きくなっても、十分枝を伸ばせそうだ。
「じゃ、掘るとするか」
 両手に軍手をはめ大型スコップ手に持つと、オレに倣って託生もスコップを持った。
「託生、無理するなよ」
「このくらい、大丈夫だよ」
 言いつつスコップに振り回されているような託生に笑いを堪え、黙々と土を掘りおこしていく。まだ幼い苗木なので、大きい穴を掘る必要もなくそれほど時間をかけずに掘り進める事ができた。
「託生、支えていてくれ」
「わかった」
 庭師が用意していてくれた土を、添付されたメモどおりに入れていき、
「託生、水頼む」
「たっぷりだよね」
 用意してきたジョーロで、託生が水をまいた。
 その光景が昔温室で見かけた風景と重なって、託生との未来をあがくように求めていた当時の自分を思い出し、今の幸せに胸が熱くなる。
 支柱を二人で取り付け全ての作業が終わった時、託生が抱き締めるように、桜の苗木をふわっと両腕で包み込んで、
「これからよろしくね」
 まるで家族がもう一人増えたように、嬉しそうに声をかけた。
 こんな笑顔ができるのに………。
 オレの胸の内に、苦いものが走る。
 今日のカウンセリングでは、まだ託生の深層心理の中で癒されていない部分がある事が判明した。
 小さな棘のように刺さる、託生の過去。
 でも、いつか。
 この桜の苗木がオレ達を追い越し小さな花を付ける頃には、少しでも癒されているといい。
 そしてどっしりとした木になって、あの見事な満開の桜を咲かす未来には、見上げる顔が増え賑やかな笑顔に包まれる空間になる事を願って。
「お礼状、書かなくちゃね」
「そうだな。連名でだぞ」
「わかってるよ。崎託生………だろ?」
 少し頬を染め見上げる託生を、背中から抱き締め腕を交差させると、託生がオレの手を包み込むように握った。その指には、揃いのプラチナリング。
「ギイ、好きだよ」
「オレは、愛してるぞ」
 見詰め合って触れるだけのキス。
 桜が見届けていくオレ達のそう遠くない未来は、託生の頬によく似た薄紅色に染まる事だろう。



2011年4月6日の「短文問題集」のお題がですね、

「土」「ふわっと」「探す」を使って感動する短文を作りなさい。

だったんです。
140文字制限を解除したら…と考えていると、一気に膨らみまして、こうなりました。
医者との会話部分は前々からあったものの、前後が浮かばなくて。
それとですね。
「シャベル」と「スコップ」
東日本と西日本では、真逆らしい事を書いているときに知りまして、「大型スコップ」に統一しました。
よく工事現場で使っているものだと、思ってくだされば…;
ということで、久しぶりのLifeでした。
(2011.4.7)
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