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● ● 君が帰ってくる場所-後日談-(2012.6) ● ●
見慣れない天井に瞬きを繰り返した。顔を右に向けると兄貴の顔が見える。
あぁ、そうか。ここ、日本だ。 「頭、痛ぇ」 二日酔いで痛いのか、それとも親父の襲撃を恐れて痛いのか、自分でもわからない。 枕元に置いてあった携帯を手に取り、時間を確認した。 七時半か。今まで本国で無茶苦茶な生活をしていたからか、時差ぼけなんてものはないけれど。 そこで、ふと気がついた。 「あれ、母さんは?」 左の布団で寝ていたはずのお袋がいない。朝の散歩か? しばらくするとカラカラと玄関の方から音がし、数秒後、静かに部屋の襖が開いた。 「あれ、一颯、起きてたんだ。おはよう」 「うん、おはよう。どこ行ってたんだ?」 「大浴場だよ」 「はい?」 なんだ、それ? 「あのね、外にもお風呂があるんだ。一颯も入ってきたら?大きいし気持ちいいよ」 お袋のさっぱりした様子と大きな風呂と聞いて興味が沸き、爆睡していた兄貴を叩き起こして大浴場とやらに行ってみた。 「おぉっ」 「すげっ、プールみたい」 寝起きで機嫌が悪かった兄貴も、誰もいない貸切状態にすっかり機嫌を直し、心行くまで大浴場を堪能した。 やっぱり、日本さいこーっ! 離れに帰るとすでに朝食の準備ができており、しっかりがっつり全部平らげ、満腹になったときハタと気がついた。 忘れてたけど、オレ達こんなに和んでていのか? 「コーヒー飲みたいね。チェックアウトまで時間があるしカフェに行こうか?」 「そうですね。俺もやっぱり食後はコーヒーが飲みたいですね」 またいつの間にか話がまとまっていて、玄関に向かった兄貴を慌てて追いかけた。 「兄さん、こんな悠長なことしてていいのかよ?親父が来るかもしれないんだぞ?」 あれだけ慌てて仕事に行った親父だから、ここに来る保障はないけれど、でも、あの昨晩のブリザードは携帯越しにでも背筋が凍るほどの迫力だった。 衛星でチェックされてるとは言え、今だったらなんとかなるかも。 「……もう逃げられないと思うぞ?」 「どうして?」 チラリと視線をオレに寄越し、兄貴が玄関の開き戸を開けた。 「おはようございます。大樹様、一颯様」 さっきまで風流な日本庭園が広がっていたのに。 いや、風流な日本庭園なのは間違いないけれど、あちらこちらに立っている異質な男達の姿に力が抜けた。 ………まだ半日も経っていないのに、もう来やがったのか。島岡さんの苦労がうかがい知れる。 「奥様、おはようございます」 「あれ、ギイのSPの……。おはようございます」 「総帥が、あちらのカフェでお待ちでございます」 「あ、そうなんだ。今からぼく達も丁度行くところだったんです。ね?」 と笑ったお袋には、このツンドラ並みに冷えた空気がわからないのだろうか。 連行されるように……、いや間違いなく連行だろう。入った和風のカフェのテーブルには、むっすりと腕を組んで機嫌が悪そうな親父が座っていた。 あ、すげぇ、くま。親父のやつ、寝てないな。 その親父の姿を見て、 「ギイ、来てたんだ」 パタパタとお袋が嬉しそうに駆け寄った。それだけで親父の表情が緩む。 「まぁな。おはよう、託生。よく眠れたか?」 言いながらお袋の頬にキスをし、軽く抱きしめた。……が、背後にいるオレ達に移した視線が鈍い光を乗せているのを認識したとたん、オレも兄貴もビシリと背筋を伸ばし震え上がった。 基本子供には甘い親父だけれど、ことお袋が関われば我が子であろうと容赦はない。この独占欲というのは、一生続くのだろうか……。 「託生……」 「なに?」 「露天風呂、入ったよな?」 「うん、入ったよ。大樹と一颯と一緒に。気持ちよかった」 「そうか……」 そんな簡単に暴露するなよ、お袋ーっ!大切な愛息子達の命をどう思ってるんだ?! 「見たのか?」 吹きすさぶブリザードを背負い、親父がオレと兄貴をロックオンした。 具体的に、なにを、とか、どれを、とか言葉がなくとも、親父の心の内は手に取るようにわかる。 『お前ら、オレの愛する託生の柔肌を見たのか?』と。 咄嗟に鎖骨の上で両手を水平にして、横に引っ張った。 ここまでしか見てないって!イブニングドレスと一緒!ギリOKだろ?! 「……本当か?」 鋭い視線に首振り人形のようにコクコク頷いていると、 「見せたのか」 これまた具体的な言葉がなくとも通じるものがあり、ぶんぶんと横に首を振って、 「洗面器」 と、一言答えた。 「……あぁ」 しかし、それだけで親父には用途がわかったらしい。 あれって、日本ではメジャーな使い方なのか。 「お前ら、二度はないからな」 兄貴と揃ってコクコクと頷き、でもそれならお袋をなんとかしろよ、と目線をお袋にずらすと、オレ達の心中を間違いなく読み取った親父は、キョトンとした顔でオレ達を見ているお袋に向き直った。 今までの会話でなにもわからないなんて、どれだけ純真なんだ、お袋。 十八まで男として生きてきて、尚且つ三年間寮生活をしていたのなら、猥談の一つや二つ……原因は親父か! 人間接触嫌悪症が治ったのが親父のおかげだと言っていたから、親父が全てを耳に入れないように根回しして純粋培養していたのだろう。 ある意味、親父の自業自得で、オレ達は完璧にとばっちりを受けただけじゃないか。 「あのな、託生。こいつらの歳で異性の親と風呂に入るってのは、世間的にないんだ」 「どうして?家族なのに」 心底不思議そうに小首を傾げるお袋に、うっと親父が詰まって口ごもる。 普通は、この歳になると感覚的に親子でも恥ずかしいとか思うのに、その感覚がお袋にはないらしい。 「だから……あー、そう。こいつらは十三歳を越えたティーンエイジャーだろう?もう自分の責任で行動できる歳だから、言ってみれば大人なんだ」 「あ、墓穴……」 「は?」 お袋の肩に両手を置き、訴えかけるように話をしている親父の台詞に兄貴が突っ込む。 「ティーンエイジャーになったら、一緒にお風呂に入れないの?」 「日本にもあるだろう?『男女七歳にして席を同じうせず』って。それと同じだよ」 必死になって、お袋を納得させようとしている親父に、 「日本じゃなくて、元々中国だけど」 兄貴が再度突っ込んだ。 「でも、母さんには関係なくね?古文と漢文、苦手だって言ってたし」 親父の部屋にあった本をオレが読んでたら、日本人なのに「ちんぷんかんぷんだ」と嫌そうな顔をしていたのを覚えている。 けれども、さすがにその言葉は知っていたらしく、 「……あ、そうか。そうだね」 頷いてオレ達を見る。 「大樹、一颯、ごめんね。ぼく知らなくて二人に失礼なことしたね」 しゅんとしたお袋に、ぶんぶん首を横に振り、 「気にしてないよ」 こんな悲しそうなお袋の顔を見たら、そう言うしかない。 基本、崎家の男はフェミニストに育てられてるんだ。 けれども、 「去年だったら一颯とお風呂に入れたんだね。残念」 と呟いたお袋に、親父のこめかみがピクリと引きつった。 お袋、もう止めてくれ!その頃には、オレ生えてる!じゃなくて、これ以上親父を刺激しないでくれ! 「だから、もう二人はティーンエイジャーだから、な?」 「うん、わかった。もう大人なんだよね」 こっくりと素直に頷くお袋にやっと納得したのか、親父の殺気が消えた。 一応親父の怒りもなんとかなったし、お袋のとんでもない行動もこれで落ち着きそうだし一件落着。と周囲の空気がふと和んだとき、 「じゃあね」 お袋が親父のスーツの袖を引っ張った。 「うん?」 その満面の笑顔に釣られるように、対お袋専用の微笑をたたえて振り向いた親父に、 「じゃあ、ギイは咲未とお風呂に入れるんだね」 無邪気に艦対空ミサイルを落とし、親父が笑顔を貼り付けたまま凍った。 そう……なるの……か……? 「だから墓穴だと言ったんだ」 思わずあんぐりと口を開けたオレの耳に、兄貴の呟きが聞こえてくる。 たしかに親父の話を総合すると、そういう考えになるのはわかるけど。でも、お袋。 それは、オレ達が許さん! 「咲未と風呂に入ったら『変態親父!』ってぶん殴ってやる」 「いや、夕食に下剤を盛るとか、毒キノコを食わせるとか……あぁ、母さんを一ヶ月ほど連れまわして会わせないようにする方が父さんには効きそうだな」 ボソボソと報復を話し合っているオレ達の向こうでは、想定外の話にショックを受けた親父が、お袋にブンブン振り回されていた。 「ギイ?ギイったらーっ。立ったまま寝ないでよーっ。………器用だな。ギーーイーーーッ!」 天然最強――――――。 (2012.6.3)
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