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● ● 家族の食卓-その夜に-(2012.10) ● ●
講義を終え校舎を出たところで、ばったりと兄貴と会い、そのまま二人でペントハウスに帰ると、リビングから咲未のはしゃいだ声と両親の声が聞こえてきた。
「大樹、一颯、おかえり」 「ただいま」 ソファに座っている親父の顔色は、朝よりもずいぶんマシになっていた。一応、大人しくしていたようだ。 「今日はお父様とお母様がお迎えに来てくれたの」 嬉しそうな咲未の声に頬を緩ませた。 滅多にない親父の迎えは、そりゃ嬉しかろう。しかも、テーブルの上に置いてある荷物を見たところ、その後、一緒に買い物にも行ってきたんだな。 一泊と言えど、咲未にとっては立派な家族旅行。 服なんて適当に選べばいいと思っているオレ達とは違い、やはり女の子である咲未は旅行用の服が欲しかったのだろう。滅多に家族で出かけることもないのだから、倹約をモットーにしているお袋も、今日は可愛いおねだりを聞いてあげたらしい。 女の子らしい思考に微笑ましくなったが、その咲未の手の中にある物に、オレは目が釘付けになった。 まさかと思うが、親父………。 「もしかして、海に行くんですか?」 オレが声を上げる前に、兄貴が抑揚なく質問した。 声は穏やかなれど、隣にいるオレにはわかる。ユラリと兄貴から立ち上った怒りの炎が。 「あぁ、マイアミにな」 すでに兄貴の変化に気付いているだろうに、親父が涼しい表情で答えた。 一気に部屋の温度が下がり、一発触発の空気がオレには見える。 しかし、そこは親父と兄貴だ。お袋と咲未に気付かれるようなヘマを、するはずがない。 「大樹お兄様、これ、似合う?」 「……あぁ、咲未にすごくお似合いだね」 「ほんと?あのね、絵利子ちゃんのお店で選んでもらったの」 それが証拠に、ニコニコと新しい服を自分の体にあて、兄貴に感想を聞く咲未に気付いた様子はない。お袋も、そんな二人をにこやかに見ている。 ちなみに親父の妹の絵利子さん(叔母さんと呼ぶと鉄拳が容赦なく落とされる)。 昔、お袋の妊婦服、オレ達のベビー服、子供服を、趣味で作っては持ってきてくれ、そのデザインが口コミで広がり、作って欲しいという人が後を立たなくなって、爺さんと相談しアパレル会社を設立した。 今ではマタニティ&子供服のデザイナー兼実業家として名を知られている。 元々、お袋のウェディングドレスをデザインしたらしいから、そういう方面が向いていたのだろう。 その絵利子さんがデザインした水着。 今でもモデルはお袋と咲未だと断言しているのだから、どの服だってこの二人にはぴったりだ。 咲未の魅力を二倍にも三倍にも引き出すということは………あぁ、頭が痛い。 「大樹と一颯は、前に自分達で買っていたようだから、買ってこなかったんだけど……」 「えぇ、つい最近買ったばかりですから、気にしないでください」 眉を下げて申し訳なさそうに言葉を紡いだお袋に、にこやかに返し、 「父さん、今日の講義でわかりにくい部分があったんです。あとで、じ、っ、く、り、と教えていただけないでしょうか?」 笑っていない目で兄貴が親父に視線を移す。 こえーよ、兄貴。オレ、チビりそうだよ。 「わかった。食後にオレの部屋でな」 有無を言わさない兄貴の視線にたじろぎもせず、親父が了承した。 食後、お袋は咲未の荷物の準備を手伝うため二人して咲未の部屋に行き、オレ達は親父の私室に移動した。 部屋に入るなり、 「どうして海なのか、お聞かせ願いましょうか」 嵐が来る前の穏やかな海のような兄貴に、ゾゾゾと鳥肌が走っていく。 基本、落ち着いた態度を崩さず、よほどの事がない限り声を荒げない兄貴だが、怒り心頭すると背後に吹雪が吹き荒れ、周りの温度が一気に下がる。 こうなった兄貴には、相手が親であろうが関係ない。 「託生が行きたいって言ったから」 あっけらかんとした単純で最もな答えに、納得する。 親父にとってお袋の言葉は絶対。お袋の希望ならば、なんでも叶えてやろうという親父の気持ちはよくわかるし、実際に叶えられなかったことはない。 しかし、親父の言葉に兄貴の沸点が越えた。 「あのときの事を忘れたんですか?!」 ここまで兄貴が怒っているのは、あれだ。 数年前、海に行ったとき、可愛らしい咲未の水着姿と、三人の子持ちであるのが不思議なほど綺麗なお袋に、ホテルのプライベートビーチにいた男共が釘付けになり、オレ達は遊ぶどころではなかったのだ。 「肌を焼きすぎると、あとが大変だぞ」 と親父が早々ホテルに戻らせたものの、あちらこちらから蛆虫のようにナンパ男が湧き出て、その処理に追われ、NYに帰り着いたときには疲労困憊でぐったりした。 お袋にも咲未にも、気付かれてはいないだろうが。 あのとき、親父も男達を殺すような勢いで激怒していたのに、どうしてまた海なんだ? 「咲未もあのときより成長しているんです。ロリコン野郎だけじゃなく普通の男でも、百人いれば百人揃って振り向く状態なのに、しかも母さんも一緒にいれば甘い蜜を見つけた蟻のように黒だかりになるのが目に見えてます!」 あまりにもよく似ているから、母娘ではなく、歳の少し離れた姉妹に間違われることが多い。 二人揃うと、あの天然が二倍どころか数倍にもなり、ほんわか気分にふらふらと近寄る男が後を立たないのだ。 これまた、二人は気付いていないが……。 「だから対処した」 「………貸切にでも?」 「まさか」 眉間に皺を寄せた兄貴に、間髪入れずに親父が答える。 そうだよな。自分達しかいない状態じゃ、さすがに鈍いお袋も気付くよな。そして、激怒することは予想がつく。 「我侭を言って人様に迷惑をかけるな!無駄遣いをするな!」と。 では、いったい親父はなにをしたんだ? 頭に疑問符を飛ばしたオレ達にニヤリと笑い、 「別荘つきの島を買った」 オレに抜かりはない!と胸を張って自信満々に言い放つ親父に、意識が遠ざかる。 べっそうつきのしま……しま……しまぁ? 普通、島なんて買うか?! 「他人がいない状態にするには、これが一番手っ取り早いだろ?」 そうかもしれないけれど、一泊で遊びに行こうと言い出したのが今朝。そして、十二時間後には島を買っているなんて誰が想像できる? 親父のことだから、もちろんキャッシュで買ったのだろう。 お袋にバレたら貸切どころの話じゃないぞ。絶対、血を見る事態になる。 無言になった兄貴を恐る恐る横目で見、オレと同じように呆気に取られているんだろうなと思ったそのとき。 「……それなら先に言ってくださいよ、父さん」 コロッと手のひらを返すような、朗らかな兄貴の声に膝からガクリと力が抜けた。 ――――ジーザス、お前もか。 「あまりにも大樹が怒ってたんで、いつ言おうかなと考えていた」 さっきまで火花が散っていたはずなのに、このふんわりと辺りを包むパステルな空気はいったいなんだ? シャボン玉が飛んでいる幻覚さえ見えてきたような気がするぞ。 「母さんと咲未の安全のためなら、安いものですね」 「だろ?いい買い物をしたとオレも思ってたんだよ」 まるで井戸端会議の主婦が買い物自慢をしているような和やかな空気。 ………親子だ。この二人はたしかに親子だ。 もちろんオレも親父の子供だし、親父に似ているとは言われるけれど、兄貴には負ける。この突拍子もない親父のDNAを色濃く受け継いでいるのは、紛れもなく兄貴だ。 軽く億単位の金が数時間の間に動き、弁護士やら税理士やらが慌てふためく様子が目に浮かんできた。 実物も見ず、たった一泊旅行のためにポンと島を買う父親。そして、それを当たり前のように受け入れる兄貴。 間違っていないか?どこか、間違っているような気がするぞ?それとも、オレの思考がおかしいのか? もちろん、オレだって、お袋と咲未が、そういう目で見られることには憤りを感じるし、全てぶっ潰してきたが、これとそれとは違うような気もするのだ。 密かに首を捻っているオレをスルーして、さくさくと親父と兄貴が話を進めていく。 「もうすでに食材とか必要なものは運び込んでもらってるし、どうせ一泊だ。夜はみんなでバーベキュー。朝は温めるだけにしてもらっているから」 「それなら俺達だけでも、充分賄えますね。あ、SPはどうするんですか?………まさか、島内で隠れてもらうなんてことはないですよね?」 「もちろんだ。SPとは言え男だぞ?託生と咲未の水着姿を見せるわけには行かない!」 「ですよね」 「だから、島の周りで釣り人をやってもらうことにした」 「さすが、父さん。抜かりはない」 アハハと談笑している二人の会話が、宇宙語のように聞こえる。 船のレンタル手続きも、すでに済んでいるのだろう。仕事とは言え船で一泊するとは、SPも気の毒に。 「では、安心して用意してきますよ」 「おうっ。明日は早めに出て昼前には着く予定だからな」 「プライベートジェットですか?」 「マイアミ国際空港まではな。空港からの移動はヘリを使おうと思ったんだが、クルーザーの方が託生も咲未も喜びそうだから、マリーナまで車で送迎してもらうことにした」 「それは、大喜びすると思いますよ」 たった一泊のために、どれだけの金が動いているのか。一人当たりの金額はいったい幾らなんだろう……。 こう思ってしまうオレは、おかしいのだろうか。 「一颯も、さっさと明日の準備して寝ろよ」 「うん……」 こっくりと頷いたオレの頭をガシガシと撫で、親父が微笑んだ。 兄貴の言葉を借りるわけじゃないけど、百人の女がいれば百人揃って振り向くルックスを持つ親父なのに、頭の中はお袋のことでいっぱいだと誰が信じるのだろう。 一日は、お袋で始まり、お袋で終わる。 恋を知らないオレには、まだまだ理解できないようだ。 おまけ♪ (2012.10.23)
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