● ● 十二月の食卓(2012.12) ● ●
クリスマスシーズン真っ只中。
仕事やパーティとペントハウスには着替えに戻るだけの毎日を送っている親父と、自分のクリスマスコンサートと引きつり笑いを浮かべながら親父のパーティの付き添いに忙しいお袋。 両親がこの時期忙しくなるのは長年の習慣でわかっているから、咲未を一人きりの食事で寂しがらせないように、兄貴もオレもこの時期は友人達の誘いを断り真っ直ぐ家に帰ってきていた。 シスコンと言われようが、可愛い咲未のためだ。 それに、オレ達が小さかった頃、お袋は仕事をセーブして側についていてくれたし、親父だって当時は専務だったから、今ほど殺人的なスケジュールではなかった。 しかし、執拗な佐智さんからの誘いに、お袋は咲未が一歳になる頃、活動場所をNYに限ってはいたが、本格的にバイオリニストとして仕事を入れ始め、同じく親父も副総帥になり祖父の仕事を引き継ぎだした。 もちろん仕事以外の時間は全て子供のために使ってくれていたし、軽い打ち合わせ程度ならペントハウスの防音室で済ますことも多かったが、必然的に咲未が両親と過ごした時間というのは、オレ達よりも少ない。 だからこそ、咲未のフォローはオレ達の役目だと、暗黙の了解で兄貴もオレも動いている。 ただ、咲未が寂しいと駄々を捏ねたことは一度もないので、これはオレ達の杞憂なのかもしれない。 お袋似の天然な性格は、自分の周りの状況を素直に受け止め、そして受け入れる。その事実に疑問を感じることがあっても、自分の意見を挟むことはない。 もしかしたら、オレ達兄妹の中で、一番客観的に物事を見ているのは咲未じゃないかと、この頃思う。 そんなクリスマスシーズンに、とてもとても珍しく家族が揃ったディナーの時間。 「あ、父さんに、教えてもらいたいことがあるのですが」 和やかな空気の中、兄貴が親父に話しかけた。 メールを送ってまで、わざわざ聞くほどのものでもないが、ちょっと気になる疑問ってヤツか。こんなときでないと、親父と話せるチャンスはないものな。 食事の手を止め、親父が微笑みながら兄貴を見返した。 「ん、なんだ、大樹?」 「MBA(Master of Business Administration・経営管理学修士)は取る予定ですが、J.D.(Juris Doctor・法務博士)も取った方がいいのでしょうか?もしくは、父さんのように、LL.M.(Master of Laws・法学修士)まで必要ですか?」 「え………?」 「先日、law school(法科大学院)に顔を出したときに、父さんの修士論文を見る機会がありまして」 へぇ、親父ってlaw schoolまで卒業していたんだ。祠堂に三年間留学していたのに、よく、そこまで取れたもんだ。 同じようにスキップを繰り返していたとは聞いていたけど、オレ達とは比べ物にならないくらい優秀だったんだな。 ……と、素直に親父の頭脳に感嘆していたオレの視界の空気が、ゆらりと揺れたような気がした。 青白い陽炎のような、しかし、触れることができれば、灼熱の炎のように熱いゆらめき。 その空気の発信源に気づいて兄貴の表情が凍り、オレの手も止まった。親父に至っては、血の気が引いている。 「大樹。ギイのその修士論文って、何年前かな?」 お袋が小首を傾げてにこやかに。けれども、まったく笑っていない目で、兄貴に聞く。 兄貴か親父か?!なんだかわからないけれど、お袋の地雷を踏んだ?! 「か……母さん?」 いつも冷静な兄貴なのに、ポーカーフェイスが崩れている。たぶん頭の中では、今の会話を何度もなぞって、原因を究明しているに違いない。 「託生、あのな………」 「ギイは黙ってて」 慌てて口を挟んだ親父を、ぴしゃりと黙らせ、 「大樹?」 と、再度兄貴に質問する。 親父とお袋。どっちに付けばいいのか、おのずと答えは出てくるもの。 兄貴は選択を間違えず、チラリと親父に目線で謝り、 「ああああの、確か十八年前でした」 引きつりながら答えた。 「十八年前だね?」 「はい」 「ありがとう」 礼を言うなり、くるりとお袋が親父に向き直った。と同時に、怒りのピントが真の人間に合ったのがわかる。 十八年前と言えば、親父とお袋が結婚した頃だよな。 親父ぃ、いったいなにをやらかしたんだよ?!お袋がここまで怒るなんて、滅多にないことだぞ! 「ギイ」 「あのな、隠してたわけじゃないぞ」 「うん、ぼくに、話す機会がなかっただけだよね?」 「そうそう、話す機会が……」 「って、言い訳がいつまでも通じるとは思うなよ」 調子良く会話を続けようとした親父の台詞をさらい、低く低く地の底を這うようなお袋の声色に、兄貴とオレの背筋がビシッと伸びた。 ひぇ!お袋が本気で怒ってる!いったい、なにがどうなってんだよ?! あ、仕事の忙しさと、パーティの八つ当たりも入ってるか? オレ達の前だから言葉だけで収まっているが、二人きりなら絶対親父、襟首締め上げられている。 てか、咲未!お前、よくこの空気の中で、食事を続けられるな?! 横目で恨みがましく咲未を見ると、もぐもぐと肉を口に入れ、「このソース美味しい」などと、舌鼓を打っている。 こういうとき、咲未のお袋似の天然が羨ましい………。 「とりあえず、大樹の質問に答えてあげたら?」 「え、あ、あぁ」 お袋の進言に、爆弾を落として申し訳なさそうな顔をしている兄貴に、冷や汗をたらたら流しながら、親父が向き直った。 「だ、大樹」 「はい!」 「J.D.もLL.M.も、特に必要はない。が、お前が個人的に勉強するのは別だ。取りたかったら取ればいい」 「わかりました。ありがとうございます」 ちらちらとお袋の様子を気にしながら、親父がアドバイスした。 親父の台詞に、じゃあどうして親父はLL.M.まで取ったのかと疑問は浮かぶが、この話題は早く終わらせないといけないようだ。 お袋も食事を再開したし、まぁ、食後、親父がどういう運命をたどるかはわからないが、オレ達を巻き添えにさえしなければ………。 「お父様は、どうして取ったの?」 さーくーらーーっ! お前は、どうして、そう聞きづらいことを、サラッと口にするんだ!ってか、終わらせたいんだよ、この話は! さっきまで興味なさそうに黙々と食べていたのに、終わったとたん話を蒸し返すな! しかし、咲未が浮かべた素朴な疑問は、たぶん親父以外の人間全てが思ったこと。 オレだって、場所を変えていつか聞こうと思ったからな。 「咲未………」 親父が複雑な顔をして、咲未とお袋の顔を交互に視線を移し口篭る。 おや、親父が口篭るなんて、珍しい。いつでも、自信満々に言い放つのに。 小首を傾げ、お袋によく似た仕草で親父を見上げる咲未を無視できるはずがなく、親父が言葉を捜している。 隠しておきたい理由があるのか? そんな親父の態度に、お袋までもが訝しげに親父を見やり、オレと兄貴が目を見合わせたとき、 「お母様のため?」 確信を持ったように咲未が問いかけた。 その言葉が、ストンと胸の中に落ちる。 お袋が怒っている理由は棚の上にとりあえず置いて、企業家として仕事をしている親父がlaw schoolに行っていたというのは、不可思議なことだ。 そりゃ、誰だって法律を知っているに越したことはない。 しかし、顧問弁護士が何人もついているのだから、親父がLL.M.まで取る必要はどこにもない。 「咲未。お前、どうしてそう思うんだ?」 「だって、お父様って、全部お母様に繋がってるんですもの」 当たり前すぎる理由と、それを親父が口篭る理由が繋がらないが、それ以外の理由など考えられるわけでもなく、咲未の意見に素直に頷き親父に視線を移す。 お袋も、咲未の言葉になにかを感じたのか、 「ギイ?」 覗き込むように親父を見上げた。 家族全員の視線を受け、 「……あの頃は、まだ色々とあったからな」 苦く笑った親父の表情に理解した。当時、葉山家関連のことが、まだ片付いてなかったのだと。 「お母様のためでしょ?」 「あぁ。託生を守るためだ」 無邪気に聞いた咲未に親父は力強く頷き、くしゃとお袋の髪を一撫でした。 咲未には葉山家のことはなに一つ話していないから、深い意味はわからないだろうに、それだけで咲未は納得した。そして、そこにいた人間全員を納得させた。 全てはお袋のために。 親父の原動力は、いつもお袋にある。 咲未の機転(?)で、お袋の殺気が消えたのはいいけれど………。 「バカだよ、ギイ。すでにMBAまで取ってたのなら、あんなに忙しい毎日を送らなくてもよかったのに……」 「そんなことないぞ?託生と大学生活を送れたんだから」 「ギイ………」 「託生………」 見詰め合う恋人同士……じゃなくて、結婚十八年の熟年夫婦だよな! 「まだ夏だったかな………」 「じゃあ、あのクリスマスツリーは幻なんだろうな」 「お父様とお母様、今日もラブラブね〜」 食後、居間に移動したはいいけれど。オレ達の存在をすっかり忘れてくださっている両親に、深い溜息を吐く。 いつでも、どこでも、どこまでも恋人気分を味わえるのは、この二人の特技なのか? 「お兄様、はい」 咲未のマイブームらしい金平糖を手渡され、そのトゲトゲしい外見に似つかわしくない甘ったるい砂糖の塊を、苛立ち紛れに口に入れ噛み砕く。 目の前の光景と金平糖と、どっちが甘いんだろうと考えるのは愚問か。 ニコニコといちゃつく両親を見ながら幸せそうに金平糖を口の中で転がしている咲未には、この空間そのものが幸せの象徴なのかもしれない。 しかし、ソファの一角でピンク色の空気製造機と化した両親を、生暖かい目で見守るしかないオレ達は、諦めとも言える境地に差し掛かりつつある。 Blogより、加筆転載。 (2012.12.12) |