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●  幸せの果て(2011.4)  ●

 両親の居間に呼ばれ、長い廊下を歩いているオレの背中には鳥肌が立っていた。
 嫌な予感がする。絶対に何かがある。
 外れた事がない己の勘を恨めしく思いつつ、この屋敷で一番重厚なドアをノックした。
 開けたドアの向こうには優雅にソファに座る親父とお袋。滅多に揃わないツーショットなのだが、この二人が揃うと何故にこうまで威圧感を感じるのだろうか。
「そこに座りなさい」
 両親の向かいに腰掛け、
「お二人揃って、どうしたんですか?」
 余裕然をぶっこいて、早速話を振る。
 嫌な話ほどさっさと終わらせたいのが人の常。
 それに、最近は大学の入学直前だからか、時間が目一杯使えるのは今だけだと言わんばかりにこき使われて、託生との時間も減っているんだ。ほんの少しの時間でも、託生の可愛い顔を見て癒されたいと思うのは当たり前だろう。
「次の託生さんの通院日がいつか聞きたくてね」
「託生の?」
 何を言われるのだろうかと身構えていたオレに、親父は飄々と肩透かしを食わせた。
 託生の状態でも知りたいのか?一応カウンセリングの内容に関しては、家族の協力も必要だと思い全てを話しているはずだが。
「来週の金曜日二十二日です。それがなにか?」
「金曜日……」
「金曜日ね……」
「父さん?母さん?」
 見詰め合って頷く両親に、背中の鳥肌が下から上にザザザッともう一度なぞっていく。なんだ、これはっ?
「じゃあ、その日の夕方から一週間出張」
 あっさりと言われた親父の言葉に一瞬意識が飛び、頭の中で数度「一週間出張」の文字を往復させて、その意味するところを脳が理解した瞬間噛みついた。
「なっ!ちょっ……ちょっと待ってください!いくらなんでも横暴です!その日は………!」
 待ちに待った解禁日!
「お黙りなさい!」
「………母さん」
 ピシャリと言われ、とりあえず口を噤んだ。こういうお袋に反論して勝った例がない。それなら一応理由を聞いておこうではないか。納得できるかどうかは、別にして。
「そのまま貴方を託生さんの側に置いておくと、あまりにも託生さんが気の毒です」
「どういう意味ですか!」
 にしては、あまりの言いよう!
「君、襲うだろ?」
「っ!」
「さすがに、それは託生さんが可哀想だから」
 半年ぶりだから、『ちょっと』託生が躊躇うかもしれないから、『ちょっと』強引に事を進めるかもしれないが、襲うなど滅相もない。オレと託生の間で。
「いや、でも、その辺りはオレだって紳士的に……って、どうしてそこまで意見されなければいけないのですか。オレと託生の仲を」
 そうだ。そこが問題だ。
 親とは言え、息子のベッド事情に口を出すなんて言語道断。これは恋人間の秘め事だ。指図される覚えはないっ!
「お黙りなさい!嫁入り前の娘さんを、お預かりしている身としては当然です」
「母さん………」
 だから二人で暮らすと言ったのに。なんやかんやと理由をこじつけて、自分達が託生と一緒にいたいが為に、引き止めた癖になんという言い草!
「ですから、お父様の言うとおり、仕事に行ってきなさい」
「お断りします」
 せっかくの解禁日を逃してなるものか!
「君に拒否権はないよ」
 悠然と微笑む親父の顔に、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。息子の恋路を邪魔するなんて、親の風上にも置けないぞ。
「………一体、貴方方は、ご自分の息子を何だと思っているんですか!」
「「飢えた野獣」」
「……………」
 反論があるなら言ってみろと言わんばかりの眼差しに…………負けた。


「御愁傷様」
 にっこり笑う小憎たらしい妹を、チロリと見やり緩めたネクタイを引き抜いた。ワイシャツが汗で張り付いて気持ち悪い。
「楽しそうだな、絵利子」
 こいつもあの両親と一緒に託生を引き止めたんだよな。この家族の託生に対する執着心は一体何なんだ?自分に不要な人間は、冷酷なくらい切り捨てるくせに……。
 って、その一族の一員なんだな、オレ。
「だいたいねぇ、託生さん初めてなんだから、もうちょっと気を使ってあげなさいよ」
「何を言ってる。今更初めてなわけ………あ…………」
「忘れてたわね、この野暮天」
 血の気が引くとはこの事だ。
 肌を重ねたのは数あれど、女性としては初めてで……。
「それに、託生さんにしてみたら、時と場所を考えろって言いたくもなるわよ。私達がいるのに。初めてって大切なんだから」
 女性ならではの見解をくどくどと解説され、オレがどれだけ即物的であったかを自覚せずにはいられなかった。
 そうこうするうちに、初めて初めてと連呼された結果、そもそもの初めて思い出す。
 二年前。同意も得ず、嫌がる託生をベッドに押し倒し、強姦まがいに無理矢理………。
「うわぁ」
「ギイ?」
 思い出して、頭を抱えてその場に座り込んだ。
 初っ端から、オレ、託生を襲ってたんじゃないか。飢えた野獣と言われても、反論なんてできやしない。しかも妹に指摘されて、気がつくなんて。
「託生さんが大切なら、もう少し考えてよね」
 絵利子は、言いたい事は言い尽くしたと言わんばかりに、すっきりした顔で退室していった。
 絵利子の言う事は一理も二理もある。
 あの託生が、家族のいるこの屋敷で初夜だなんて、絶対嫌がるに決まっている。だからと言って無理強いなんて事はしたくはない。一度失敗しているのだから。
「今度こそ、思い出に残るような初夜にしなければ」
 悶々と考えているうちに、気付けば空が白み始めていた。


「来週末、一週間の出張、行かせていただきます……」
 翌日の朝食の席でオレは親父に、了承の意を伝えた。
 ナイーブな託生の事を考えれば、知る人のいない静かな場所で、落ち着いて事を進めなければいけない。
 しかし、己の下半身具合から、医師のゴーサインが出たら、そんな事忘れて襲い掛かってしまいそうだ。
「ギイ、お仕事?」
「病院から帰ってきてからな」
「そう。お仕事、がんばってね」
 隣で朝食を食べていた託生が、オレの邪心を知らずにっこりと笑いかけた。
 ………託生が笑ってくれるだけでいいさ。オレの性欲なんて、託生の体に比べたら宇宙の塵なんだから。
 それに、今更一週間遅れようが二週間遅れようが、一ヶ月遅れようが!
「ギイ?」
 託生の声で我に帰ると、無意識にフォークでレタスを突いていたのか、いつの間にかレタスが月面のように穴だらけになっていた。
 ………止めよう。空しいだけだ。
 ドレッシングの染み込みすぎた塩辛いレタスを口に入れ、しばし考える。
 託生の顔を見ると、どうしてもそっちに頭が行ってしまいそうだ。健全な青少年だもんな。ここは改めて、出張中に作戦を練る事にするか。


 予定通り、託生の診察が終わった後、オレは一週間の予定でイギリスのロンドンに飛んだ。
 慌しい移動ばかりの毎日を過ごしながら、オレは今後の事を考えていた。
 とりあえず大学に入るまでに数日でも休みをもぎ取って、国内でもいいから託生と二人で旅行に行く。そう決めた。
 渡米してから、託生もNYから出た事がないしな。少しずつでいいから、アメリカに馴染んでほしかったのもある。
 しかし、NYに帰る日の事。
「義一さん。申し訳ありませんが、今からレイキャヴィークに行っていただけませんか?」
「島岡………」
 さすがに一週間も託生の顔が見れない生活をしていたんだ。一日でも早くNYに帰りたいのに。
 うんざりしたオレに苦笑し、
「明日、AL社に寄ってきていただきたいんです。地熱発電の開発についての顔合わせみたいなもので」
 島岡は、お使いを言いつけた。
「あぁ」
 アイスランドでは八割が水力発電、残り二割が火山による地熱発電で賄われており、クリーンでエコな発電として最先端を行き、世界中で注目されている。
「それが終わったら、帰っていいんだな」
「もちろんです」
 仕事なら仕方がない。ロンドンから三時間。今から出発すると着くのは夕方か。疲れた体を引きずりながら、オレはタクシーを拾いヒースロー空港へ向かった。
 世界最北の首都レイキャヴィークから五十キロメートルほど離れたケプラヴィーク国際空港。
 元々アメリカ海軍の軍用基地として作られた異色の空港である。以前は市街地に近いレイキャヴィーク空港に国際線があったが、今はそのほとんどの路線がケプラヴィーク国際空港に移っていた。
 島岡から渡されたメモに記されているホテルへとタクシーを走らせ、案内されたのは見るからに部屋数が少なそうな小さな洋館。
「珍しいな。こんな郊外のホテルに予約を入れるなんて」
 車寄せもドアマンもいない入り口に向かいドアを開けると、
「お疲れーっ」
 小さなロビーのソファに、見慣れた人物の姿が飛び込んできた。
「母さん、絵利子。どうしてここに?」
「貴方に、お届けものがあって」
 わざわざ、アイスランドまで?
 怪訝な顔をしたオレの首に両腕を回し、
「一日早いですが、誕生日おめでとう」
 お袋がオレの頬に祝福のキスをした。ついで、反対側に絵利子が「おめでとう」とキスをする。
 あ………。
 あまりの忙しさに、すっかり自分の誕生日を忘れていた。
「ここならバカンスに訪れる社交界の人間も少ないでしょう。託生さんとゆっくりしてきなさい」
「母さん………」
「日曜日まで、ばっちり貸切だから」
 そう言い置いて、二人は荷物を片手に、オレが今乗ってきたタクシーに乗り込んで優雅に手を振った。
 ついで入ってきた島岡からのメールには、『誕生日おめでとうございます。休暇をお楽しみください。AL社の顔合わせは後日に』
 小さくなるタクシーを見送りながら笑いがこみ上げてくる。
「はめられたか」
 自分に余裕がなかったせいか、全く気が付かなかった。少々悔しい気もするが、今日のところは有難く気持ちを受け取っておこう。
 誕生日プレゼントが待っている。


「ギイ?」
「よっ」
 フロントで教えてもらった部屋のドアをノックすると、託生が顔を覗かせてポカンとオレの顔を見上げた。鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔に吹きつつ、頬にただいまのキスをする。
 一週間ぶりの託生に、疲れが一気に吹き飛んでいくようだ。
 反対に、託生は慌てて左右をキョロキョロと見回し、
「なにするんだよ!」
 小声で噛みついてきた。手が出ないだけましか。
 これは、貸切だって事、託生には言ってないな。しかし、貸し切ったのがお袋であっても、倹約家の託生には眉を顰められそうだし、ここは何も言わないでおこう。
 そのまま託生の肩を部屋の中に押しやって、後ろ手にドアを閉める。
 すると怒っていたはずの託生の表情が、外界から遮断されたとたん、ホッとしたように緩んだ。
 なんだ。いつもの、託生流の照れ隠しか。可愛いやつめ。
 そう結論付け、テーブルの横に荷物を置いた。
「お仕事は?日曜日まで伸びるって、聞いたんだけど」
「キャンセルになった」
 木目が温かい、まるで民家のようなツインルーム。ホテル慣れしていない託生には、過ごしやすそうな部屋だ。
「あの………」
「ん?」
「お義母さんと絵利子ちゃんも一緒なんだけど」
 だから、オレと同じ部屋なのはちょっと困ると言いたげな目に、クスリと笑い託生を抱き寄せた。
「帰ったぞ」
「え?」
「帰ったと言うよりは、たぶんスイス辺りにでも行ったんだと思うけど」
 あの二人が大人しくNYに帰るわけがない。これ幸いにと、どこぞの避暑地に飛んでいるはずだ。
「それとも、お袋と絵利子が一緒の方がよかったか?」
「……ギイと二人の方がいい」
 やっと安心したのか、託生は固くなっていた体から力を抜き、オレの胸に頭を預けた。
「ただいま」
「おかえり」
 ここはNYではないが、託生の元に帰ってきたのだから、この挨拶は間違いじゃない。
 ひとしきりのキスをして、
「晩飯は食ったか?まだだったら、外にでも食いに行くか?」
 と提案した。腹が減っては戦はできぬ、だ。
「ここのレストランでいいんだけど……外って危なくないの?」
 NYの夜は危険だから夜間の外出は絶対しない事、と言い置いているせいか、心配げに託生が聞く。
「ここは比較的治安はいいし、どうせ夜中まで明るいからな」
「どうして?」
 キョトンとした顔の託生に、はたと気がついた。
「もしかして託生、ここがどこか知らないのか?」
「うん。知らない」
 …………おい。
 お袋と絵利子のやつ、有無を言わせず託生を引っ張ってきたな。
「ここは、アイスランドだよ」
「アイスランドって、もしかして北極圏?」
「もしかしなくても北極圏」
「じゃあ白夜だ」
「そういう事」
 託生の顔が輝いて、パタパタと窓辺に寄り覗き込んだ。遥か向こうには同じ位置に止まったままの太陽。まるで時間が止まったかのような不思議な感覚。
「どうせなら、冬に来たらよかったな」
 背後から託生を包み込むように抱き締めながら、高校二年に聞いた託生の言葉を思い出した。
「どうして?」
「なんと、温泉につかりながらオーロラが見れる」
「嘘?」
「ほんと」
「じゃあ、冬も来たい!」
 おや。託生がおねだりなんて珍しい。これはぜひとも叶えないとな。
「ご予約受け付けました、お客様」
 キスを掠め取って了承すると、くすぐったそうに託生が肩をすくめた。
 いつまでも外を眺めていそうな託生を窓辺から引き剥がして、階下のレストランへと連れていけたのが三十分後の事。
 久しぶりに二人きりで食べた食事は、託生の笑顔と弾む会話がスパイスになり、最高の美味しさになった。


 汚れと疲れをシャワーで洗い流し部屋に戻ると、託生はカーテンを開けて窓の外を眺めていた。
「まだ見てるのか?」
「うん。でも、太陽が……」
「なに?」
 見ると太陽が大地に吸い込まれていく。真夜中の日の入り。ほんの僅かな眠りに入るひと時。
 光を大地に残しながら隠れてしまった太陽に心を奪われている託生。
 太陽にまで嫉妬するなんて。
 自嘲に口を歪ませて、肩に回した手を頬に滑らせた。
 オレの手の動きに託生が戻ってくる。
 見詰め合って触れるだけのキス。まるで子供がするような、幼いそれ。
 そっと離し託生を見ると、添えられた手のままに顎を上げ、閉じられた目を震える睫毛が飾っていた。
 誘われるように軽いキスを何度も繰り返す。その淡い触れ合いとは裏腹に、求めてしまうオレの手。頬から首に、かきあげるようにまっすぐな黒髪の感触を楽しみ、背中から腰へのラインを辿っていく。
 託生の両手がしがみつくようにオレの背中に回った。バスローブの引きつった感触に、握り締める託生の力に、オレの理性がパラパラと崩れ落ちていく。
 このまま深く求めたい。生まれたままの姿になって、重なり合いたい。一つになりたい。
 薄く開いた隙間から差し入れた舌先が託生のそれを見つけると、ほんの少し残っていた最後の理性が弾け飛んだ。
 この半年間自重してきた深い深いキス。零れ出る吐息までをも貪るような、貪欲で凶暴なそれでいて麻薬のような甘美な味わい。
 オレも託生も、このキスの行き着くところはわかっていた。
「愛してる、託生」
「ぼくも……」
 湿った囁きが二人の間を繋いでいる。
「いいか?」
 耳元で囁いて強請るとコックリと頷いて、
「ぼく、よく、わからないんだけど………」
 情欲と戸惑いと不安の色を乗せ、潤んだ瞳で了承した。
「大丈夫。ギイ君に任せておきなさい」
 からかい混じりの声に、託生の強張った表情が緩む。すがるように両腕を首に絡めてきた託生の体を、そっと抱き上げベッドに向かった。
 視界に浮き上がる壊れそうな柔い体。舌先に感じるマシュマロのように甘い肌。そして変わらぬ託生の匂い。
 何度も交わり知っているはずなのに、初めて触れたような緊張感と胸の高鳴りがオレを支配していく。託生の吐息と嬌声が直接頭に響いて、思考が奪われていった。
 求め求められ、しとどに濡れた肌を指先に感じ深く身を沈め一つになる。ゆるやかにオレの全身を包んでいく、気が狂いそうなくらいの幸せ。
 零れた託生の涙に口唇を寄せると、小さな囁きが耳に届いた。
「託生?」
 託生の口唇が、形作る。
「愛してくれてありがとう。ぼくを選んでくれてありがとう」
 濡れた瞳を惜しげもなく晒し、笑うお前がとても綺麗で。
「オレこそ、ありがとう、だ」
 胸にこみ上げる喜び、幸せ。託生がいたから、気付けた感情。
 お前がいなければ、オレの人生なんて無に等しい。まるで極寒の極夜の中で、彷徨い歩く旅人のようなものだ。
 抱きしめあい、揺れあって、二人して昇りつめた幸せのオアシス。
 乱れた息の中、儚い笑顔を浮かべた託生は、そのまま眠りへと落ちていった。


 託生の寝顔を見ながら迎えた十九の誕生日。
 この幸せの果てには何があるのだろう。
 これから、二人で探しに行こうか。


「半年半年」と、ぶつぶつ言っていたギイの救済話です。小話ついったーから広がっただけですが。
ギイがただのエロオヤジにしか見えないのは、私の趣味でございます(爆)
まぁ、一応これで恨みは買わないだろうと………。
そして、アイスランドは、もちろん行った事がございません(笑)
息子が資料にと図書館で借りてきた本を拝借し、「ネタに使えそう」と思いながら読んで、いつかオーロラ話でも書こうかと取っておいたのですが、書く機会もないのでこちらで使ってみました。
北極圏にある国ではありますが、色々と日本に似ているらしく(火山島、温泉、捕鯨、刺身)気温も場所によれば北海道より暖かいそうです。世界最大の温泉ブルーラグーンがあるのもこの国です。
もし、行かれる事があれば、ぜひともお話を聞かせてくださいね♪
(2011.4.13)
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