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● ● 雪に残った足跡-12-完(2013.3) ● ●
年末年始の賑やかなイベントが終わり、託生の誕生日を一ヵ月後に控えた日。三ヶ月に一度の定期健診のため、託生と二人、病院を訪れた。
託生が治療を受けている間、別室で医師に勘違い男の事件を伝え、自分なりに考えたことを話すと、 「託生さん、とんでもない男に目をつけられましたね」 驚きを滲ませ医師は苦笑した。 「え?」 「その男は、十中八九、エロトマニア(恋愛妄想・熱情精神病)ですよ。クレランボー症候群とも言いますね。我々、精神科医でも、さじを投げる病気の」 「エロトマニア………!」 言われて思い出した。 自分が相手に愛されていると思い込み、その人間の中ではそれが真実と移り変わり、自分がいなければ相手は幸せになれないのだと妄想を募らせ、相手が自分の思い通りにならないとわかると、挙句の果て逆恨みを起こし暴力やストーカー行為に変わる。 正論を言ったって通じない。全ては捻じ曲げられ、自分の都合のいいように解釈される。 そして、被害にあっている人間は体調や精神を病み、ボロボロになってしまう。 あー、そうだった。託生の件で読み漁った心理学の本にあった。 そして、託生を侮辱したあの事件は、もう最終段階だったのだと気付いて、ぞっとする。侮辱だけじゃなく暴力行為を受ける可能性もあったと託生には言ったが、本当にそのような状態になっていたかもしれない。 託生は頭から、からかわれていると決め付けていたから、被害者が受ける精神的ダメージを受けなかった。 このときほど、託生の性格に助けられたと思ったことはない。 プライドの高さや自己中心的な性格、癇癪を起こすような独断的な性格から自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)だとは思っていたけど、エロトマニアなら頷ける。 なぜなら、エロトマニアの根の部分は、自己愛性人格障害だから。 あの勘違い男は、結局心身喪失の状態のまま退学処分を受け、引きこもっていたマンションから連れ出されて実家に帰っていった。地元に戻っても事業が火の車だから、そこに今までと同じように住めるかどうか知らないが、そんなことオレには関係ない。 無事、託生から引き離すことができたので、それで良しとした。 「今回、託生さんの心のバランスが崩れたのは、崎さんの見解であっていると思いますが、元々土台部分が不安定なので、バランスを崩しやすいんですよ」 「土台ですか?」 医師の言葉に、土台という物を考えてみる。 普通に考えれば、人間の土台は親との信頼関係だ。 赤ん坊は自分の欲求……空腹や不快である状態を泣き声で伝え、それに応えてくれる人間がいることに気付き、その後、疑いもなく必ず欲求を解消してくれるその人間を求めるようになる。初めての信頼関係だ。 もちろんそれだけではなく愛情や躾なども関係し、幼児期に親……特に母親と子供の間には基本的信頼関係というものが築かれる。これは、その後の人格形成に重要な影響を与えるが、他人との人間関係を築くための基礎訓練も兼ねていた。 しかし、託生と親の間に信頼関係が築けていたとは思えない………。 「それは、親との関係ですか?」 「それが………」 てっきり託生と親の関係のことだと思ったのだが、医師が苦笑した。 「普通はそうなんですけど、託生さんの場合、崎さんなんですよ」 「え……?」 オレが土台?親じゃなくて? それだけを聞けば、狂喜乱舞して喜びに酔いしれるところだが、不安定なのだと指摘を受け目の前が真っ暗になる。 オレのことが不安定で、託生が心のバランスを崩しやすいということなのか?オレの存在が、託生を不安定にさせている? 血の気が引いたオレの顔色に、医師が慌てて、 「崎さんではなく、崎さんとの関係です」 と訂正したのだが、オレとの関係が不安定なのだと言われても、あまり違いはない。 考え込んだオレを見ながら、どう説明すればいいのかと医師は首を捻り、 「例えば、婚約者ではなく、恋人だとすれば、もっと託生さんは不安定になります」 と、例を出してきた。 「え?」 「表向きは、崎さんの家にホームステイしている留学生でしょ?」 そこまで言われて、やっと意味がわかり、大きな溜息を吐いた。 ………あぁ、そうか。そういうことか。 託生の今の立場は、日本からアメリカに留学してきた一学生だ。 本当は学生ビザではなくフィアンセビザを使いたかったのだが、フィアンセビザの取得には、平均四ヶ月から六ヶ月。長ければ八ヶ月かかる。しかも、入国後九十日以内に結婚しなければいけない。 祠堂卒業時、託生はまだ十八歳だった。二十歳の誕生日まで二年。 たとえ取得しても時間的に無理だったため、フィアンセビザを諦め、学生ビザでの入国になったのだ。 しかし、学生ビザの条件は『学業を習得したあと、すみやかに出国すること』だ。 もちろん、その間に結婚するつもりだが、実際に、まだ結婚はしていない。 婚約者と言っていても、法的になにかしらの束縛があるわけじゃない。託生とオレの口約束だと言ってもいい。 そのような婚約者という不安定な立場。学生ビザの条件により、いつか日本に帰国しないといけないという不安。 その不安定な状態に甘んじてくれているのは、オレを信用してくれているから。 全ての手続きが終わったら結婚しようと、その言葉だけを信じて、託生はアメリカに渡ってくれたのだ。 オレだけを信じて………。 「先生。託生と結婚させてください」 もう、これ以上、待てない。こんな不安定な状態に、託生を置いておきたくない。 まだ、子供を受け入れられないのはわかっているけれど、それなら作らなければいいこと。オレは、託生と一緒に生きていきたいだけだ。 一緒に笑って、泣いて、時には喧嘩するかもしれないけれど、どんなときでも託生の側にいたいんだ。 必死の形相で詰め寄ったオレに、医師は優しく微笑んだ。 「はい。ご結婚されたほうが、託生さんの心の安定に繋がると、カウンセラーと結論が出ました。ただし、許可が出るまでは、絶対に子供を作らないでください」 「あ………ありがとうございます!」 条件付きではあるが、念願の結婚の許可だ。 頭を下げながら、オレを土台部分に定めてくれていた託生に感謝した。 託生自身が気付いていない深層心理で、そこまでオレを想ってくれていたとは。 必ず託生を幸せにするのだと、そして二人で幸せになるんだと、決意を新たに診察室を後にしたのだった。 ちょうど二年前の今日、託生を病院に運んだ日だったと思い出したのは、病院から一歩外に出たときだった。 あのときと同じような、粉雪が降っている。 「ギイ、どうしたの?」 立ち止まってしまったオレを振り返り、託生が小首を傾げた。 体つきは変わったけれど、その表情は遠い昔、初めて会ったときと変わっていない。真っ直ぐとオレを見つめ、包み込むような笑顔を惜しげもなく与えてくれる。 「ギイ?」 不思議そうに戻ってきた託生のもこもこの帽子を両手で引き下げ、 「耳、真っ赤」 ついでに赤くなっている鼻にキスして、託生の頭を引き寄せた。 寒がりで恥ずかしがり屋の託生は、冬しか肩を組むことを許してくれない。だから、べったりと託生を抱き寄せ、思う存分託生の温もりを堪能するのが、ここ最近のオレの楽しみだ。 「託生。戸籍の手続きの準備に入っていいか?」 「うん。やっと二十歳になるんだね」 嬉しそうに微笑んで見上げた託生の目に、迷いはなかった。 女性であることに違和感を感じていても、自分の決めた未来を真っ直ぐに見つめている。 運命に翻弄されることなく、一つ一つ堅実に乗り越え、地面を踏みしめて歩いていっている。 意識のない託生を抱いて寮の玄関を飛び出したとき、雪に残ったのはオレの足跡だけだった。 しかし、今、足元に残されているのは二人分。 小さな棘が刺さった心を抱えながらも、気丈に前を向き微笑んでいる託生と、一緒に歩いていこう。 春が来て雪が消え、足跡が見えなくなっても、無限大の可能性を秘めた未来に向かって、二人の足跡を残していこう。 お読みいただき、ありがとうございました。 6話予定だったのが、なぜ2倍になってしまったのか、そして、どの辺りをピックアップして書く予定だったのか。もう思い出せません; 今更の婚約時代、ということですが、設定は2年も前になってしまう「薄紅に彩られた道」のときに決めていたものです。 いつか機会があればと思いつつ、未来番外編まで書いてしまい、このままお蔵入りかなと思っていたんですが、今回組み込めそうな話が浮かびましたので、書いてみました。 今までの本編は、どちらかと言えばACに関する話が多く、インターセックス関連(?)に関してはあまり書いていなかったと思います。 が、やはり問題の一つでした。 少しでも設定が消化できましたので、私的には満足しております。 (2013.3.10)
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