● ● Go for it!-6- ● ●
よく章三がヒヨコのインプリンティングだと揶揄していたけれど、真っ直ぐで疑いを知らない瞳で見つめられ、佐智を口実に賛成できないと口に出した自分の懐の小ささを思い知らされた。
託生自身、今すぐバイオリニストになるなんて考えていないことはわかっていたから、そのまま黙っていればよかったのかもしれない。 しかし、 「ありがとう、ギイ」 あんな笑顔を見せられたら、託生にとって最大で最良の策がわかっているのにも関わらず知らせないことに、罪悪感を感じたのだ。 託生らしく生きてほしい。そう願いつつも、誰にも見せずオレの側だけで笑っていてほしい、と黒い感情が胸の中を渦巻く。 昔から変わらない、いや、日ごと膨れ上がる独占欲。 託生には知られたくないとひた隠し、託生の一番の理解者として振舞う自分が滑稽だ。 託生の笑顔が見たい。託生の喜ぶ姿が見たいと、自分の気持ちと正反対の行動を取りながら、オレは後ろめたさを感じていた。 佐智のコンサートが二日後に迫ってきた。 バイオリニストになると決めたその日から、託生が生き生きと輝いている。子供達の成長とは別に、自分の人生の生き甲斐とも言うべきものが見つかったからだ。 その弾けるような笑顔に嬉しさを感じつつも、笑顔を作り出しているバイオリンに対して妬みと羨みが吹き出し交差する。 そんな思いを抱えながら帰り着いたペントハウスで、出迎えてくれた執事から託生がまだ練習中だと聞き、そのまま防音室に行こうかと足を向けたが、思い直して階下に下りた。 シャワーと着替えをしたあとにでも、休憩用の飲み物を差し入れした方が、キリがいいだろうと思ってのことだ。 もうすでに子供達も寝ている時間だから、各自の私室があるこの階は、廊下に置いてある時計の秒針の音しか聞こえない。 しかし、居間のドアを開けようとして、ふと廊下の向こうに視線をやると、大樹の部屋の隙間から、光が漏れているような気がした。 「なんだ?」 託生が、一人一人ベッドに入るまで見届け、部屋の電気を消しているはずなのに。 そっとドアノブを回して中を覗き込むと、やはり煌々と照明がついている。そして、フローリングの床に、大樹どころか一颯と咲未もコロリと横になり、深い寝息を立てていた。 「おいおい」 こいつら、こっそりと部屋を抜け出してきたな。 とりあえず、子供達をベッドに放り込もうと近づいたとき、子供達の真ん中にある画用紙に気がついた。 「これを描くために………?」 眠いのを我慢して、こっそり集まり、託生に内緒で仕上げていたんだな。 子供達の優しい心に目を細め、大樹のベッドに三人を寝かせて静かにシーツをかけた。 床に散らばったクレヨンを片付けて、画用紙と共に机の上に置く。カラフルな、見ているだけで楽しくなりそうな子供らしい絵に、三人の気持ちが流れ込んできた。 自分達は佐智のコンサートに行けないから、その前に託生に「がんばって」と伝えたかったのだろう。 こいつらは、託生の腹の中にいる頃から、託生のバイオリンを聴いていた。あの優しい音の中で目覚め、母体の中で遊び、そしてまたバイオリンの音で眠りにつく。 オレよりも、ずっと託生のバイオリンの素晴らしさを知っている。 託生が「バイオリニストになる」と伝えたとき、心から喜んでいたもんな。託生のバイオリンは、子供達の誇りなのだろう。 側にいてほしいだとか、誰にも見せたくないだとか、ごちゃごちゃ言い訳を作って我侭を言っているオレより、こいつらの方がよほど大人じゃないか。 画用紙を裏返し、その場にあったメモ用紙に『フレームを用意するから、託生に渡すのは待て』と書いて、大樹の枕元に置いた。 「ありがとな」 ぐっすりと眠る三人の頬にキスをして、部屋の明かりを消し廊下に出た。 三人の素直な気持ちに、オレの覚悟が決まった。 託生がNYに来て十年。あそこまでバイオリンを愛している託生が、なにもせずに今まで家にいてくれたこと自体、奇跡のようなもんだ。 そう思ったとき、ふと今の自分の感情に記憶が引っかかり、記憶の糸を手繰り寄せた。そして、糸の先に見つけたものに苦笑する。 オレって進歩がないんだな。 今の状況は、託生が大学の進路を決めたときと同じじゃないか。 あのとき、託生はこの街でオレと生きていくために、自分で自分の道を決めた。そして、マネス音楽院へ進学した。 そして、今、現実にオレとNYで生き、今度は自分の人生を切り開くために、一歩を歩み出そうとしてるんだ。 新しい門出を祝えないなんて、夫のすることじゃない。託生の全てを愛しているのなら、心から全力で応援すべきだ。 オレはきびすを返して、防音室へと走り出した。 |