● ● 君が帰ってくる場所-4-完(2012.6) ● ●
「オレ、露天風呂なんて初めてだ」
「俺もそうだけど、開放感が溢れて気持ちいいな」 こんな満天の星空の下で風呂に入るなんて、NYでは絶対できないことだ。 「ペントハウスに作れないかな」 「ジャグジーは作れるだろうけど、こんなに風流な露天風呂ってのは無理だろうな」 確かに。それに作れるのなら、もうすでに親父が作っていそうだ。 「吹っ切れたか?」 「あぁ、悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなった」 いや、お袋と比べたら、あんなちっぽけなことで悩んでいたのが恥ずかしくなったのだ。 ふと、優しく目を細めている兄貴と親父が重なった。 「兄さんもあったのか?」 オレみたいな、自暴自棄になった時代が。 「そりゃ、崎に生まれた子供だからな」 両手を広げ、ひょいと肩を上げる。 もしかしたら、オレ達だけじゃなく、親父も爺さんも同じような時代を過ごしたのかもしれない。しかし、それを乗り越えたのは、お袋と婆さんの存在があったから。お袋の言う運命の人のためなら、どんな力でも沸いてくるような気がする。 もうすでに運命の人を見つけたらしい兄貴と咲未が少し羨ましくもあるが、オレはオレ。 いつか運命の人と巡り会えたとき、自分自身を見てもらえるような自分になるために、今は自分の出来うる限りの努力をしていこうと思う。 「日本いいなぁ。オレ、父さんみたいに留学しようかな」 「それもいいんじゃないか。今しかできないこともあるだろうし」 子供の内にしか経験できない自由。子供だけの特権。 その自由をどう使っていくのか。 たとえ将来無駄になったとしても、その経験した事実は一生消えない思い出になるだろうから。 「兄さんはどうするんだよ、美波ちゃんのこと」 「……今は父親の友人の息子で、ちょっと顔見知りのお兄ちゃんって認識だろうから、とりあえずは忘れられない程度に顔を出すことにして、大学院を卒業したら日本支社に行かせてもらうよ」 「日本支社?!」 「今、父さんがアジア事業拡大を考えてるんだ。それに乗じてって感じになるだろうけど」 いつから兄貴が美波ちゃんのことを好きだったのかは知らないが、兄貴は兄貴なりに着々と前に進んでいるのか。 「でも、これ以上大きくして統制取れるのか?」 今でも親父だからなんとかなっている物を。 「お前がいるじゃん」 「へ、オレ?」 「俺はどちらかと言うと交渉が得意分野だ。だから新規開拓や取引については俺がやる。お前は、アイデアマンだからな。グループ内の改善や合理化はお前の方が向いている。共同経営ってのもいいんじゃないか?」 「二人三脚で行くってことか?」 内と外で? 「俺一人で、あのFグループを統制するのはちょっと荷が重いから、考えてくれたらありがたい。でも、お前が将来やりたいことがあるというのなら無理強いはしない」 兄貴の言葉に、彷徨っていた深い霧がさーっと晴れ渡っていくような気がした。 なにも目標がなく、ただただ頭に詰め込むだけの勉強をして、大学へも合格したから行ってみるかとしか思っていなかったけれど、自分の身につける知識が具体的に将来に繋がるのであれば、遣り甲斐が出てくる。 「オレもMBA取るから、待っててくれ」 「よしっ、頼むな」 差し出された兄貴の手をがっしり握った。 「大樹ーっ、一颯ーっ、入るよーっ」 ………なんだってーーーーっ?! とんでもないお袋の台詞が耳に飛び込み、 「いや、ちょっと……!」 「母さん、待って!」 オレと兄貴が想定外の事柄に慌てるも、湯煙の向こうでガラガラと開き戸が開き、思わず「見てはいけない!」と本能が叫び、とりあえず庭を隔てている壁を見詰めた。 ついでに股間を隠して……あ、濁り湯だから見えないか。 バシャンと大きな水音が鳴り、頭に湯しぶきがかかる。 お袋のヤツ、飛び込んだな。 世間的には、国際的なバイオリニストでFグループ総帥夫人だったと思うけど、この子供っぽい行動はなんなんだ? 振り向いていいのか?それとも、お袋が出るまで壁を向いていたほうがいいのか? グルグル考えてる背後から、 「母さんっ!」 兄貴の怒鳴り声がし、恐々振り向く。 そこには、にこにこと嬉しそうに頭にタオルを乗せたお袋が、ちょこんと湯船に浸かっていた。 「なんてことしてるんですか?!」 「あ、かかっちゃった?ごめんね」 「いや、それはいいんですが……じゃなくて、息子が入っている風呂に飛び込む母親がどこにいるんですか?!」 文句を言いたくなるのはわかるけど、現にここにいる。それが自分の母親ってのは認めたくないけど。 「どうして、親子なのに?」 「いや、親子と言えども普通はこの歳の子供と入らないでしょ?!」 「昔は一緒に入ったのに……」 「いつの話ですか?!」 「裸の付き合いって言うし、ね?」 「それは男同士の話でしょうが!」 「前に来たとき寒いから露天風呂は入るなって言われたんだよね」 「それなら、父さんと入ったらいいでしょ?!」 「ギイ、忙しいもん」 むーっと膨れるお袋の頬に、親父がここに来る時間があったら、二人で露天風呂に入るのかと突っ込みたかったけど止めた。 そんなことより、オレ達にはひたひたと迫り来る恐怖がある。 「子供が殺されてもいいって言うんですか?!」 「誰に?」 「父さんに!」 うーんと宙を睨み、 「大丈夫大丈夫。あまり気にしすぎるとハゲるよ?」 軽く笑い飛ばされて、兄貴が力なく風呂に沈んだ。 けど、お袋と一緒に露天風呂に入ったなんてことがバレたら、絶対親父に半殺しにされるよ。 「やっぱり露天風呂って気持ちいいねぇ」 オレ達のげんなりした様子なんて気にもせず、鼻歌を歌いだしたお袋に大きな溜息がこぼれ出る。 昔から思ってはいたけれど、どこまでもどこまでもお袋ってマイペースだったよな。 そういえば、親父と爺さん、そして兄貴とオレ。珍しくこの四人が揃ったとき、懇々と言われたことを思い出した。「崎家の女性陣に勝とうと思うな」と。 なんとなく親父の苦労がわかったような気がした。 風呂から上がったお袋がご機嫌で「ビール飲もう」とか言い出して、兄貴とオレもご相伴に預かり、しかし、仕事の疲れからか早々にお袋は夢の世界に旅立った。 「あーあ、寝ちゃった」 枕に突っ伏して寝てしまったお袋に布団をかける。その間に、兄貴が部屋の明かりを消し、間接照明だけをつけ、ついでに、冷蔵庫から新しいビールを取り出した。 なんだか、怒涛の一日だったような気がするけど、昨日までとは全く違うすっきりとした気分で終われそうだ。 手渡されたビールのプルトップを開けながら、 「こういうのも新鮮」 布団の上で胡坐をかきながら、部屋の中をぐるりと見回した。 「なにが?」 「布団。それと、全員が同じ部屋で寝るの」 「アメリカでは、基本個室だからな」 風呂から戻ったら、部屋に三組の布団が敷いてあったのには驚いた。聞けば、家族だけではなく友人同士、クラブやサークルの合宿などでも、同じ部屋で皆が寝るらしい。 しかも、この離れは二部屋あるから食事をする部屋と寝室と分かれているが、一部屋だけの場合、食事をしたテーブルを片付けてそこに布団を敷く。 同じ部屋を使いまわす古くからの日本のアイデアに舌を巻いた。 「もしも親父と咲未がここにいたら?」 「その辺りに布団が増えるだけだろう」 「じゃ、誰が一番早く寝ると思う?」 「咲未……と言いたいところだけど、たぶん父さんかな」 確かに年中睡眠不足の親父ならば、このフカフカの布団に入った瞬間に寝てしまいそうだ。 お袋がころんと寝返りを打ち、起こしてしまったかと少し焦ったが、気持ち良さそうな寝息が聞こえてきてホッとする。 「お前さ」 兄貴の声に呼び戻され、振り向いたオレに、 「母さんがなにも言わなかったの、なぜだかわかるか?」 兄貴が質問を投げかけた。 「いや、全然」 変わらない笑顔で「おかえり」と言っていたから、なにも考えていないと思っていた。でも、それは違っていたのか? 「『いつか一颯は帰ってくるよ。ここは一颯の家なのだから。あの子はそれを知ってるから。だから待ってるんだ』ってな。いつ帰ってくるかわからないからって、極力家にいるようにしてさ。でも、さすがに佐智さんの誘いを断ることができなくて、今回渋々仕事に行ったんだけどな」 「………」 毎回どうしてお袋がいるのか不思議に思っていたけれど、オレのために仕事を休んでくれてたんだ。 シッター任せにしなかったお袋が取る行動なんて、考えればすぐわかることなのに。 「お前が落ち着いてくれるのなら、一安心だな」 「ごめん、迷惑かけて」 「そう思うのなら、父さん対策は、お前に任せることにしよう」 「へ?」 うわっ、忘れてた! やっぱりバレたら、半殺しなのか?! 「だいたいな、あれに関してはお前が原因なんだぞ、一颯」 「いやオレのせいじゃないだろ?」 「いーや。母さん、一颯が今日普通に話してくれたって喜んでたんだよ。その延長でテンションが上がって、露天風呂らんにゅ……」 Reeeeeee! 畳の上に置いていた携帯が突然鳴り、お袋が起きてしまうと相手を確認せずに、 「Hello?」 思わず取ってしまった。そして、地の底まで後悔した。 『一颯か?』 タイミング良すぎだろ、親父……。 「あ、うん。墓参り行ってきたよ」 『すまなかったな。あそこから東京に戻るのも、時間がかかっただろ?』 「いや……あの……」 『どうした?』 「お墓の前で母さんに会って……」 『託生も今日行ったのか。で、三人で東京に帰ったのか?』 「いや、そのまま一緒に旅館に泊まることになって」 『…………』 直後、お袋の携帯が光った。その青白い光を目にしたとたん、悪寒が背中を走り抜けた。 『そこ、熱海だな?』 「うん」 『しかも、露天風呂付きの離れのようだな』 さすがFグループの衛星。GPSの感度は抜群だ。 ……ではなく、一段低くなった声色に、一気に空気の温度が下がったような気がした。 携帯を握っている手が汗ばみ、冷や汗がだらだらと流れる。 兄貴、親父がヤバイよ。声が………。 『一颯……』 「はい!」 『露天風呂はよかったか?』 「いや、あの、その………」 気持ちよかったけど、でも、そう言うとバレたときに変に誤解されそうだし、かと言って、今の状況もバレそうな気もするけど、いったいどうやって誤魔化せばいいんだ?! お袋絡みにはとてつもなく勘が冴えるこの親父を! 『わかった……お前ら逃げるなよ』 マフィアのボスが遥かに可愛いと思えるほどのドスの効いた声を残し、一方的にラインが切れた。 地獄の底から這い出た何本もの手が、自分に向かって伸びてきているような気がする。 「バレたみたい……」 「いーぶーきーーーーっ」 だって、対策もなにも考える暇なんてなかったじゃないか! 「兄さん、逃げよう!今すぐ携帯置いて逃げよう!」 「馬鹿か。衛星でチェックされてる」 「え………?」 額に手を当て溜息混じりに言った兄貴を凝視した。 衛星って、なに?あれって、GPSの電波を受信するだけのものだろ? 「親父にとってGPSは簡易的な物だ。もしものときのために、一人一人を衛星のカメラがチェックしてる。たぶん、今頃シークレットサービスに指示が出ているだろう」 「なんなんだよ、それ?!お尋ね者じゃねーよ!」 「だから逃げても無駄だ。諦めろ。俺はもう諦めた」 「兄さん、早すぎっ!」 一声で世界情勢を変えるほどの力を持っているにも関わらず、お袋が関わると独占欲丸出しで嫉妬深い親父と、どこまでもどこまでも天然マイペースなお袋。 でも二人が力を合わせれば、無限大の力を発揮する最強の両親。 そんな二人の間に生まれたオレが、些細な誹謗中傷に負けるなんて、両親の顔に泥を塗るようなものじゃないか。 崎家がなんだ。オレはこの二人の息子なんだ。 この両親が愛情を注いで作ってきた我が家。そこがオレの心が帰る場所。 お読みいただき、ありがとうございました。 Life未来番外編でございました。 先立って小話ついったーで、三兄妹の話を書いたりしていましたが、すでに性格とかは設定できていたんです。 そして「君が帰る場所」を書いていたときから、この辺りの理由で躓くのは、絶対一颯だろうと……。 なので、タイトルも少しリンクさせました。 あと、一応、大樹は「俺」で親には敬語、一颯は「オレ」で親にはタメ、で分けてます。 ギイの息子達が「僕」って言うのは、ちょっと考えられなくて; あ、咲未の運命の人ってのは具体的に誰かは決まってます。が、ネタの一つなんで、ここでは内緒♪ では、本編より先にできてしまった、後日談をどうぞ♪ (2012.6.3) |