秘密の小部屋
2012.08.25 (1/1)
目次
2012.08.25 10:35〜2012.08.25 11:27
やぐやつ
「……付き合ってない時の方がいろいろ気楽だったかな」
独り言のような矢倉のセリフに八津はぎくりとした。
1階の階段長である矢倉のゼロ番の部屋、同室者のいない個室の、来客用の横長のソファの端と端で別々に雑誌を読んでいた日曜日の昼下がり。
気楽だったかな、とは、つまり、自分と付き合うのはいろいろとしんどいと言うことなのだろうか?どこかでひどく面倒をかけているのであろうか。
額に嫌な汗を感じ、みるみるこめかみの辺りが痛くなる。
聞こえないふりをしているべきか、それとも真意を確かめるべきなのか。何か改善せねばならないことがあるのだろうか、自分たちの関係は。
背後でバサリと雑誌の閉じる音がして、自分の方へとソファが沈む。
「おい八津」
矢倉の長い腕がにゅっとのびて、
「そっちの読ませて、こっちの飽きた」
言うなり返答も待たず、矢倉はさっさと雑誌をトレードした。
無意識に体がこわばる。−−後悔されているのだろうか、自分とこうなったことを。
その時、いきなり背中が重くなった。体重をかけられて思わず少し前かがみになる。
「わ。矢倉」
八津にやや体重をかけながら背中合わせで雑誌をめくり始めた矢倉へ、
「離れて読んでくれよ、重いだろ」
クレームをつけると、
「やだ」
矢倉は雑誌に目を落としたまま素っ気なく応える。
「冗談抜きで、重いって」
これでは姿勢を保つのに気が行って、おちおち雑誌など読んでいられない。
「ようやくふたりきりになれたんだからこれくらい甘えてもいいだろ」
背中合わせで体重を預けたまま矢倉が言う。
「いいけど、ずっとこの態勢はしんどいよ」
「誤解してるかもしれないけどな、さっきの、代弁だからな」
「代弁?誰の?」
「八津」
「俺?」
「そう思ってるだろ。付き合う前の方が気楽だったかなとさ」
「−−え?」
「図星だろ」
平坦な調子のまま矢倉が訊く。
「図星もなにも」
そんなこと、考えたこともない。いや、正確には、そんなふうに今の状態を感じたことはない。
「なにか誤解してないか、矢倉?」
「してないよ」
あっさり断言した矢倉は、
「でなきゃ−−」
言いかけて、口を噤んだ。
でなきゃ、の続きが気になるのに、八津も言葉が詰まってしまう。自分の何をどう解釈されて、まるで自分が矢倉と付き合うことを後悔しているかのような印象を矢倉に抱かせてしまったのであろうか。
てっきり、さっきのは矢倉の本音かと思って、後悔されているのかと思って、一瞬にしてこめかみが痛くなるくらい冷やりとしたのに。
居心地の悪い沈黙が流れる。背中に当たる矢倉の体温も、その重さも、失いたくないのに。それほど今の自分には、矢倉は大切な存在なのに。
「八津はディスカッション向きじゃないもんな」
ぼそりと矢倉が言った。
八津はまるで条件反射のように湧き上がる感情の何もかもを、内側へぎゅっと閉じ込めてしまう。結果、表面上は常に穏やかで八津の不機嫌な表情を見ることもまずないが、八津の抱えている過去や環境を思えばその条件反射は至極当然の産物なのだろうが、だからどこかがひどく無自覚になるのだ。
無自覚ゆえに無意識のうちに抱える容量を越えて更に奥へと負の感情を押し込めてしまうのだ。
しんどいだろうに。吐き出せばいいのに。−−せめて俺の前でだけは。
案の定、やはり言葉を継げずにいる八津へ、
「でも俺は八津のこと、手放す気はないからな」
同じ調子で告げた。
途端、触れた八津の背中から僅かながら緊張が消える。
言葉はさておき身体は心に正直だ。触れていると、八津の心が垣間見える。
視界の隅に常にその姿を捉えていても、決して必要以上に物理的な距離を縮めることはなかった告白以前。滅多に言葉を交わすこともなかったが、その時ですら触れたい衝動がなかったわけじゃない。
ずっと触れたくてたまらなかった、八津の身体とその心に。
八津をやるせなく追い詰めた原因のひとつが自分である以上、償いなんかいくらでもする。高校卒業するまで黙って見守るつもりでいたが、やめにした。厄介な八津の取り巻き、厄介な八津の母親、厄介ないろんなこと、ひっくるめて立ち向かうことにしたのだ。手放したくないから。
「かかわらなきゃ、そりゃ気楽だもんな、わかるよ」
無自覚の八津。少しでも楽にしてあげたいから、俺が代弁する。
しんどいだろうけどでもそれでも、かかわって欲しいのだ。俺に。
八津はやや俯くと、
「ごめん」
謝った。
もしかしたら矢倉の言うとおり、図星だったのかもしれない。こめかみが痛くなるほどのあの緊張は、矢倉に愛想を尽かされたのかとぎくりとしたからだけでなく、気づいていたのにずっと気づかぬふりをし続けていた本音を、いきなり目の前に晒されたような気がしたからなのかもしれない。
「確かに、誰とも付き合っていない時の方が、自由だった」
矢倉が今なにをしてるのか、なにを考えてるのか、自分がどう思われてるのか、ふたりきりの時間を作るのにはどうしたらいいのか、この関係は長く続けられるのか、自分は矢倉の負担になってはいまいか、そんなことを、気づけば必死に考えている自分は、以前にはいない。
「謝ることないだろ。そんなのお互い様だ。俺だってややこしいこと始めちまったなと思ってるよ、毎日」
それでも、
「手放す気は、ないからな」
繰り返すと、八津がちいさく頷いた。
2年強の足踏み状態から、ようやく脱却できたのだ。もっと表に出させてあげたい。八津を、八津から、解放させてあげたい。
「なあ八津、その雑誌そろそろ読み飽きただろ?」
「いや、まだ−−」
矢倉のせいでろくに目を通してもいないのに、矢倉は八津から雑誌を奪うと床に落とし、
「俺の顔を見ろよ、新鮮だろ?」
背中からぎゅっと抱きしめる。
「? これだと、顔、見られないじゃないか」
意外そうな八津の静かなクレームに、嬉しくなる。
「やっぱり俺の顔、見たいんだ?」
「それは、−−少しは」
「ははっ」
矢倉は短く笑うと八津をソファに押し倒し、
「調子に乗せた八津が悪い」
耳元へ意地悪く囁いた。
(おしまい)
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