秘密の小部屋

2012.11.03 (1/1)
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2012.11.03 19:18〜2012.11.03 19:31


<野沢と駒澤>

行きよりも帰りの方がわくわくしている。−−面白いなあ、駒澤って。
「そんなに楽しかったかい?」
訊くと、きらきらした瞳のまま黙ってこくりとうなずいた。
自分よりはるかに大きな図体の男にかわいいはどうかと思うのだが、かわいいものはかわいいのだ。駒澤って、本当にかわいい。
「駒澤、名前なんだっけ、三連覇のかかってた人」
「高鍋錬士六段っす」
「そうだ、高鍋さんだ。準決勝でその人に打ち勝った木和田さんがインタビューで、高鍋先輩が現役のときに勝負したかったし勝てて良かったみたいなこと言ってただろ?」
あの、逃げない感じ。最高潮の相手と戦いたいと望む、向上心。
例年文化の日に武道館で行われている全日本の剣道の大会。34歳で念願の初優勝だという木和田選手。
「あの後、次の決勝で竹刀飛ばして木和田さんが反則を取られたとき、駒澤、自分のことにようなひやっとしてたよね」
「残り時間が少ないのにまだどっちも1本取ってなくて、反則取られたら、すごくやばいんで」
「でも反則取られたらむしろふっ切れて勝負できたって言ってたじゃないか。すごいよな」
「はい」
力強く駒澤がうなずく。
「木和田さんて大阪府警の人なんだろ? もしかして、駒澤、大阪行きたくなった?」
「や。−−いや。まだわかんないす」
野沢が進学希望している大学は関東なので、駒澤が関西に行くとなると、そこそこの遠距離恋愛になってしまう。
「それはともかく、今日は誘ってくれてありがとう、駒澤」
言うと、駒澤はうつむいてあらぬ方を向いた。
−−心底うれしいと、そんなふうに駒澤は視線をそらす。が、ハッとしたように野沢に向き直り、
「せっかくの祝日に東京まで付き合わせちゃって、すみません」
と謝った。
「どうして? せっかくの祝日に、駒澤とふたりきりで遠くまで出掛けられるなんて、俺が嬉しくないわけないだろう?」
「−−そ、れなら、いいんすけど」
「しかも駒澤が誘ってくれた」
剣道の試合なのだ、自分ではなく仲の良い真行寺や真行寺でなくとも他の剣道部仲間と行った方が話も合うし盛り上がるに決まってるのに、−−剣道に詳しいとはお世辞にも言えない野沢は、試合毎に目の前で起きている状況をいちいち駒澤に解説してもらってようやく、いろいろと理解できたのであった。
そんな手間がかかる同伴者なのにもかかわらず、駒澤は自分を誘ってくれた。
「べ、受験勉強の、邪魔、なってないすか?」
「気にしなくていいよ。音大は、一般科目はさほど重要じゃないから」
重要なのは実技や聴音や楽典や視唱。しかもそちらは1日でどうこうできるような類いのものではない。
「良い気分転換になったし、良い刺激にもなったよ」
真剣勝負に挑み続ける男たちの、懸命な戦いは、そのどこまでも前向きな姿勢は、不思議と見るものに力をくれる。
「そうすか?」
駒澤の表情が晴れやかになる。−−他の人にはさほど変化がないように映るだろうが。
祠堂に戻るローカル列車の、乗客の少ない車両の4人掛けの席で、他の人もいないのにわざわざ駒澤の隣に座って、
「それにしても、都会から離れるほどに寒くなるなあ」
なにげなくつぶやくと、駒澤がそっと距離を詰めてくれる。
肩も腕も腰も駒澤の温もりに触れられて、寒い季節っていいなあ、とこっそり思う。
「野沢さん、あんまり寒いようなら俺のフリース、着ますか?」
おまけに心配を言葉にまでしてくれる。
「大丈夫」
脇に触れる温もりだけで充分だから。
「そうだ、寒いで思い出した。駒澤、初詣、一緒に行こうな」
今日は駒澤が誘ってくれたから、次は自分が誘う。
「−−はい」
駒澤は反射的にそっぽを向いて、向きながら、野沢の手をぎゅっと握った。
門限にぎりぎり間に合うかどうかの都心からのローカル列車。窓の外はとっくに日没を迎えて真っ暗で、晴れた夜空にいくつもの星がまたたいている。
駒澤に握られた手が熱い。−−寮に戻ったらどうしよう。
幸い明日は日曜日なのだ。こんなに気持ちが昂ぶっているのに、ひとりでなんかいられない。

<おしまい>
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