Reset(卒業後)
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祠堂を卒業し、日本の音大に3年、その後フランスに留学して2年。
その間にいくつかの賞も取り、中には日本人初というものもあった。
投げ出してしまいたいというくらい辛い練習ではあったけれども、自分の音を認められたようで、とても嬉しかった事を覚えている。
あとから聞いた話では日本でもニュースやワイドショーなどにも取り上げられ、自分の知らない内に「葉山託生」という名前が勝手に一人歩きしていたようだ。
そんな事は露知らず、その頃のぼくの悩みは帰国後の事だった。
賞を取ったからと言って、すぐにバイオリニストとして活動できるわけじゃない。いっそのことフランスに留まって、どこかのオーケストラにでも入団しようかと考えていた時、佐智さんが一人の男性を連れて、狭いステュディオ(ワンルーム)に訪ねてきてくれた。
その男性が、ぼくのマネージャーである桜井さんだ。
ぼくのマネージメントをしたいとの申し出に、半ば本気で驚き、半ば物好きなと呆れ、でも佐智さんの後押しもあって、ぼくは全てを任す事にした。
「自分の音に自信を持って」
昔から何度も佐智さんに言われ、開き直りとも言えるような心境で、自分の音にどうにか自信を持てるようになったものの、『バイオリニスト葉山託生』が世に通じるようになったのは、事務所の売り出し方が上手かったのだと今でも思う。
以前のニュースなどで取り上げられた賞を前面に押し出しつつ、天才バイオリニスト井上佐智の友人である事(佐智さんに申し訳なく思ったが、反対に「どんどん使って」と笑われてしまった)、愛器がストラディバリである事、とにかくぼくを世に出す為に事務所内はありとあらゆる手段を用いた。
どういうツテを使ったのか、番組のテーマソングやCMソング、BGMで使えそうなインストゥルメンタルなどを手がけ始めると一気に名前が浸透していき、コンサートもありがたいことに満員の状態だ。
あまりの勢いに心がついていけなくて悩む事もあったけれど、
「託生君の音楽を、皆さんに聴いてほしいだけだよ」
だから協力は惜しまない。
そう笑った佐智さんと桜井さんの言葉に、ぼくはせめて聴きに来てくださる方をがっかりさせないように、黙々と練習を続けるしかなかった。
プロになって5年。周りの人の尽力によって、ぼくはバイオリニストとしての道を歩いている。
「予定通りに進んでよかったですね」
佐智さんに誘われ何枚目かの共同CDを作る事になったのは、初秋のパリ。
二人とも東京にいたのに、なぜわざわざパリなのかと佐智さんに聞くと、
「なんとなく?」
力が抜けそうな答えが返ってきた。
たぶん『パリのスタジオにて収録』のような言葉を付けたいが為だと思うけれど(これも戦略のひとつだと桜井さんに教わった)、どこでレコーディングしても同じだとぼくは思う。
こちら側の事務所と佐智さんの所は今ではツーカーの仲なので、有無を言わさずパリに送り込まれて1ヶ月。今日、レコーディングが無事終了したのだった。
佐智さんとぼく。それぞれのマネージャーの大木さんと桜井さん。
4人でパリの石畳の上を歩いていると、スッと車が止まり歩道側の窓が降りた。
そして。
「佐智?」
中から聞こえてきた低音に、世界が色をなくした。全てがセピア色に染まり、目に映る風景も人も時間さえも一瞬止まったように感じた。
「義一君、久しぶり」
佐智さんの声で我に返り、車から離れるように一歩後ずさり俯く。
こんなところで、会うなんて。
車の開閉音が耳に届き、風が懐かしい香りを運ぶ。あの頃と変わらない不思議な花の香り。
視界に靴の先が写りぼんやりと顔を上げると、学生時代より落ち着いた雰囲気をかもしだし、一目で上流階級の人間だとわかる仕立てのよいカジュアルな服に身を包んだギイが、目の前に立っていた。
「託生も、久しぶりだな。元気にしてたか?」
「ギイ……久しぶりだね」
余所余所しい挨拶。
それもそのはず。ぼく達は10年ぶりに再会したのだから。
ぼく一人であったなら、すぐさまなんらかの理由をつけて、この場を離れていただろう。しかし、彼は佐智さんの幼馴染でもあるんだ。居心地の悪さを感じつつも、佐智さんの後ろで会話が終わるのを待っていると、
「義一君、時間があるんだったら、お茶でもどう?僕達が泊まっているシタディーヌ、すぐそこなんだ。ね、託生君?」
奈落の底に落ちたような気分を味わう事になった。
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