翼を広げたAngel (2001.8)
「ニューヨーク時間、明日の午後2時45分。ジュリアード入学の為、葉山がケネディ空港に着く」
葉山の乗った飛行機が飛び立つのを見届けた僕は、成田の駐車場でニューヨークにいる相棒に電話を掛けた。 案の定、あいつは葉山を忘れてはいなかった。今頃嬉々として出迎える準備をしているだろう。 これで、よかったんだよな、葉山。………いや、託生。 胸の奥に苦いものを噛み締めながら、蒼い空を見上げた。 3年前ギイと別れた葉山は、見ている者が辛い程無理をして笑っていた。 「大丈夫だよ」 そう言いながら、でも時々ふっと遠くを見る眼差しに、気が付けば追いかけていた。 「栄養失調になりそうだから、近くに住んでやるよ」 同じマンションに住んだのも、葉山の側にいたかったから。ギイ程ではないにしろ、頼りにされたかったから。 見守るだけでよかった。恋人の相棒から、葉山個人の友人して認知してもらえたら、それだけでよかったんだ。 大学は別々であれ、僕達はよく連れ立って遊びに行った。葉山の希望でディズニーランドにも行ったな。 何もない時でも、お互いの部屋を行き来し、「めんどうだから」と合鍵を交換する仲になった。 それでも、葉山の中にはあいつしかいなかったんだ。 いつのまにかあった黒いシンプルな灰皿。葉山が使わないのは一目瞭然だ。 僕の入り込む隙間は1ミリもなかった。………そのはずだった。 「眠れないんだ」 目の下に隈を作り、葉山が僕の部屋を訪ねてきた。 丁度、試験と重なり1週間程会っていなかった時のことだ。 あまりにも青白い顔に、 「食うもん食ってるか?」 と聞くと、首を横に振った。 あいにくと買い物にも行ってない状態だったので、とりあえず栄養を補給させ、アルコールを飲ませる為に、居酒屋に向かった。 どちらかと言えば笑い上戸で、いつも陽気に飲んでいる葉山がその日はやけに無口で、何かに悩んでいる事は明白だった。いつもなら、葉山の性格上すぐにぼろが出て、フォローなり何なり出来るのだが、今回は何故か見当がつかない。 もう少し頼りにしてくれてもいいのに、小さく溜息をつき、箸の進まない葉山にあれこれ世話を焼く。 帰ってすぐに眠れるようにと酒を飲ませたものの、気が付けば葉山は脚がおぼつかない状態になってしまっていた。 「飲ませすぎたな、大丈夫か?」 そう言いながら、葉山に肩を貸しマンションへの道のりを歩く。 頬にあたる葉山の吐息。酔いが回り潤んだ瞳。 こんなに色っぽい葉山は初めてで、抱き締めたい衝動を懸命に堪えた。 合鍵を使いベッドまで運んでやると、いつのまにやら葉山は小さな寝息をたてていた。 静かに横たえ、布団を胸まで掛けて、やっと一息付いた僕の耳に聞こえたのは、 「………ギイ………」 愛しい人を呼ぶ、葉山の声。そして、頬を伝う一筋の涙。 張り詰めていた理性の糸が、音もなく切れた。 葉山の口唇にそれを重ねる。僕の存在を知らしめる為に。 柔らかな口唇に一瞬離しかけ、でもいつの間にか頭の後ろに回っていた葉山の腕に、やんわりと引き戻された。 何度も重ねるキスが、しだいに深いものになっていく。 「………愛してる、ギイ………」 キスの合間に囁かれる言葉。 忍び込んだ舌を絡め、逃げるように引っ込めれば、またそれを追う。吐息までも貪るように、きつく吸うと葉山の口から飲みきれなかった唾液が零れた。 危険だと警告が鳴っている。 しかし溢れ出てしまった想いは、もう止められない………! 「託生………好きだ………」 微かに頷き先を促す葉山に煽られ、早急に体を求めた。 「はぁ………ん………ギイ………ギ…………」 「託生………!」 ギイ………と恋人の名前を呼ぶ葉山に、胸が張り裂けそうな痛みが走る。葉山の全てがこの腕の中にあるのに、心だけ遠く彼方に飛び立っている。 揺れ合いながら、キスで葉山の呼吸を奪い言葉を塞ぐ。これ以上聞きたくなかった。 今お前を抱いているのは、この僕だ。気付いてくれ………託生! 祈りは空しく意識を失う瞬間まで、僕だと認識することはなかった。 眠りについた葉山の体を清め、何事もなかったかのようにパジャマを着せ掛けた。これで今までの関係が崩れてしまうのが怖かったからだ。 さっきは、僕を認識して欲しいと思ったのに、今は全て無かったことにしたいとは、随分いい性格してるよな。 苦笑をもらし、バスルームへと向かう背中に呟きが聞こえた。 "………章三………" ギクリと歩みを止め、恐る恐る振り返る。しかし、ベッドには安らかな寝息の葉山。 「空耳か」 ハァーと大きく肩で安堵の溜息をつき、ドアを開けた。 翌日、葉山は二日酔いで何も覚えてはいなかった。だから、あの時間は一度だけ許された僕だけの大切な思い出。 そして、「ジュリアードに行かないかと、教授に言われている」と聞いた時、その思い出は心の奥底に封印した。 葉山はかなり迷っていた。 ギイへの変わらぬ想いを、身をもって知らされていた僕は、 「行ってこいよ」 葉山の肩をポンと押した。 葉山がニューヨークに行って1週間。 こんなにぼーっとした時は今までなかったんじゃないかと思う位、毎日が無意味に過ぎていった。 何もやる気が起きない。部屋の掃除さえ出来ない状態だった。 何度目かの溜息をついた時、 ピンポーン! あまりにも軽いチャイムの音に、チッと舌打ちをし無言のまま乱暴にドアを開けた。 「よう、章三」 ドアの先には、やけに大人っぽくなった相棒が立っていた。 「………………」 「どうしたんだ、章三?あぁ、こないだは、ありがとな」 呆然として言葉が出ない僕に、畳み掛けるように言った。 「ギイ?なんでここにいるんだよ。………葉山はどうした!?」 せっかく人が教えてやったのに、まだ口説いてないって言うのなら僕にも考えがあるぞ。 「託生なら、いるぜ」 こちらからは死角になっているドアの向こうから、 「赤池君、ただいま」 葉山がとびきりの笑顔で顔を出した。 「葉山………日本語勉強しろ」 緩んでしまう顔を誤魔化して誤りを指摘すると、 「日本に帰ってきたんだから、ただいまでいいの!」 案の定、頬を含まらせて拗ねた。 「とにかく入れよ。掃除は出来てないけど」 二人を招き入れると、そのままキッチンへ向かう。 「めずらしいな、章三が掃除してないなんて。それとも、人間変わったのか?」 「僕は僕だよ。ちょっと疲れてただけだ」 葉山がいなくなって、何もする気がなかった、なんてギイの前では死んでも言えないからな。こいつがヤキモチを焼くと手に負えない、のを僕は知っている。 「それはそうと、どうしたんだよ。荷物は送ってやるって言ったのに」 コーヒーを持って部屋に戻ると、ギイはベッドに腰掛け、葉山はいつものように、隅に寄せてある自分のクッションを勝手に出して座っていた。 それだけで、今までのイライラが嘘のように消えていく。 「一度、託生の部屋が見たかったんだ」 葉山が口を開く前に、ギイが答えた。 「ダンボールしか置いてないって言ったのにね」 呆れた口調の葉山に同意して、 「それだけの為に、高い航空券使ってはるばる日本まで来たのか?無駄使いもいいとこだぞ」 諌めると、ギイは少し顔を赤らめ、 「うるさいな」 ごろんとベッドに横になった。 クスクス笑う葉山にコーヒーを手渡し、自分も一口飲む。暖かな沈黙が部屋の中に流れていた。 「拗ねてないで、一緒に飲もうよ」 ギイはよっこらせと起き上がり、当然のように葉山の横に座り、カップに手を伸ばす。 こうして3人が一つの部屋にいると、まるで祠堂に戻ったかのようだ。 3年間離れていたことを感じさせないように、ギイと葉山はお互いを見詰めていた。 会えなかった時間が、二人の想いを育てていたんだろう。 完敗だよ、ギイ。お前しか葉山を守る者はいない。だから、僕も元の位置に戻ろう。障害の多い不憫な恋人達を見守る、苦労の耐えない相棒に。 数日後荷物の整理も終わり、ニューヨークに帰る二人を成田まで見送りに来ていた。 「スマン。ちょっと、野暮用」 と言いながら、ギイがトイレに向かった。それを横目で追っていると、 「赤池君」 「なんだ?」 振り向くと、口唇に暖かいものが触れて、ゆっくりと離れていった。それが、葉山の口唇だったと認識するのに、数秒かかってしまった。 「葉山………?」 「今までありがとう。………章三」 優しい慈しむような微笑にぶつかって、僕は全てを悟る。 「………託生!」 葉山は突然の抱擁に驚きもせず、僕の背中に腕を廻し肩に頬を埋めた。 あの時の呟きは、やはり空耳ではなかったのだ。葉山は無に戻したい僕の気持ちを知って、何もなかった振りをしていたのだ。 「幸せになれよ」 「………うん」 抱き締めた体が、小さく震えていた。その温もりと甘い香りを忘れないように、腕に力を込める。 と、 「あー!!お前ら何してるんだ!?」 僕達のささやかな時間は、無情にも野暮用から帰ってきた邪魔者の声に引き裂かれた。 「別れの抱擁」 僕と葉山の声がはもって、抱き合ったまま顔を見合わせクスクスと笑い転げる。 「離れろー!託生はオレの物だ!」 ギイは葉山の背中から腕を廻し、くるりと抱きこんだ。 葉山は真っ赤になりながら、「やめろよ」なんて言っているが、恥と言う二文字を知らないこいつには通用しない。 ロビーに搭乗の案内が流れた。 「じゃ、オレ達そろそろ行くな」 「あぁ、元気でな」 「赤池君も、元気でね」 葉山の声に片手を挙げ、にっこりと笑ってやる。葉山は安心したように微笑むと、ギイの後を追うように背中を向けた。 二人の影が、搭乗口に消える。 「今度こそ、幸せになれよ。………託生」 僕は小さく呟き、EXITへと歩き出した。 第2作目ですね。思いっきり、章託(笑) でも精神的には、ギイタクですよ? イレギュラーは苦手ではありますが、ギイタクには欠かせない人なので出してみました。 これも、わけありで掲載を中止してもらってます。 (2002.9.4) |