雨の夜と風の囁き-5-
「吸血鬼?」
「信じられないだろうな」 オレだって、この現代に吸血鬼がいるなんて信じられなかったからな。でも、託生が人を襲うところを見ていないが、オレの血を求めてここに来たのは紛れもない事実だし、あの二つの牙は人間にないものだ。 突拍子もない話に島岡も佐智も呆然としていた。オレの胡散臭い作り話に聞こえたって仕方ない。 しかし、 「でも実際カメラに映っていない人物がバイオリンを弾いているのですから、信じるしかありませんね」 「そうですね」 事実は事実だからと二人はすんなり受け入れてくれた。 元々佐智は自由な感性を持ったバイオリニストだし、島岡は事態を見て即座に調整を必要とする秘書だ。人一倍柔軟性にすぐれている。 そのことにホッとした。 それに、託生が吸血鬼だということはオレにとってどうでもいいこと。記憶を消してまで出ていったことが問題なんだ。 「それで、もう少し見ていただきたいんです」 そう言い置いて島岡はもう一度サーバーを操作し、託生が出ていく一日前の映像を映し出した。そして、 「ここです」 と、一時停止する。 階段から下り、見えない誰かの肩を抱きながらサロンに入るオレの左手の横に、透き通ってはいるがかすかに指先が見えた。 「託生さんですよね」 「……たぶんな」 でも、どういうことだ?託生は映らないはずだ。現にそれまでの映像では映っていなかったし、もちろん部屋の鏡にも映らなかった。カメラの誤作動か?それとも、なにか原因があるのか? 「吸血鬼だろうがなんだろうが、そんなこと関係ないよ」 吐き捨てるように佐智が呟き、その激しさに目をやった。 「佐智?」 「もう一度、彼のバイオリンを聴きたかったんだ。そして、一緒に弾きたかった。彼が交通事故に遭ったと聞いたとき僕は………」 声を詰まらせた佐智の目が、オレに訴えかける。 「絶対探し出して、佐智に会わせるよ」 「約束だよ」 「あぁ、必ず」 託生、お前は生きていたんだ。お前が覚えていなくても、お前を覚えている人間がいる。 伝えたら、お前は喜んでくれるだろうか。 深夜と言ってもいいくらいの時間で、このまま別宅で休むことを勧めたのだが、明日からまた連日のレコーディングだからと佐智が帰り、屋敷には島岡とオレの二人が残った。 「島岡。シークレットサービスに連絡して、この辺りの詳細な衛星写真を送ってもらってくれ」 「わかりました」 とことん付き合うつもりの島岡に遠慮なく指示を出した。巻き込むのはいつものこと。島岡も慣れたものだ。 託生がここを出ていったのが一週間前。もう、どこかに行ってしまっているかもしれない。それでも、オレはお前を探さずにはいられなかった。 やみくもに探しても効率的ではない。まずは、この井上家のある土地からしらみつぶしに探し、範囲を広げていくことにした。車に乗ったことがないと言っていたから、託生は徒歩で移動しているはず。そうであれば、一日に移動できる距離はおよそ計算できる。 少し時間がかかると言われ、島岡がダイニングで淹れたコーヒーをオレの前に置いた。 もうカーテンの向こうは光ひとつない闇だ。お前は、また一人で彷徨い歩いてるのか? 「まさかと思いますが、託生さんに貴方の血を………」 「いや、託生が嫌がった。オレの血を飲みに来たくせに、飲みたくないってな」 ここに飛び込んできたときには、オレを襲う気満々のはずだったのにと苦笑した。それなのに、飲みたくないなんて、どんな心境の変化があったのだろうか。 あのとき、オレが自分の心を吐露しなければ、託生は出ていかなかったはずだ。今更悔やんでも仕方ないが、焦りすぎた自分が嫌になる。 「その代わり一緒に食事をしたりして……託生は人間の食べ物に慣れてなかったから小食だったけどな」 気を取り直して話を戻したオレの言葉に、島岡が首を捻った。 「……本当に、その人は吸血鬼だったのですか?」 「どういう意味だ?」 「吸血鬼というものは、生者ではないのです。死者の体に魂が宿っているだけ。あらゆる生体機能は止まっています。呼吸、鼓動、汗、体温全て、死者のそれと同じなんです。ですから、食事を取ることなんて必要もありませんし、第一に動いていない内蔵が食べ物を消化させることもできません。まぁ、言い伝えられていることですので、どこまでが真実かわかりませんが」 「まさか……」 今でも思い出せる。オレの頬を撫でる託生の熱い息。滲む涙。胸に滑らせた手に響く鼓動。手に吸い付く汗。そして、達した時にオレの腹を濡らした託生の液。 そのような現象は吸血鬼には有り得ないだと? 「でも、魔術は使えたんですね?」 「あ……あぁ。最初ここに来たときオレを眠らそうとした。赤く目を光らせて。オレには効かなかったけどな。でも最終的に記憶を消されたんだから、魔術を使えるんだろう」 「………儀式を終えていないのかもしれませんね」 「儀式?」 「人間を吸血鬼にするためには、三度、吸血鬼の血を飲ませなければいけないそうです。一度に与えると拒否反応が出て、そのまま吸血鬼になることもなく死んでしまう。それに、吸血鬼側も、一度にそれだけの血を分け与えるには無理がある。なので、三度に分けるのだと聞いたことがあります」 「託生は、吸血鬼になりきれていない人間?」 「たぶん………」 そう考えると辻褄が合う。島岡の言う死者の体ではなかったということに。 そこまで考えて、頭の片隅になにかが引っかかった。 託生は、吸血鬼であり人間でもあるということを前提にして……。 元々、オレの血を求めてこの屋敷に来たのだから、これまで人間を襲って生きてきたと考えるのが妥当だろう。だが、この屋敷に来て口にしたものは人間の食べ物だ。しかも少量。 普通あれだけの量では全く足りないだろうに、弱るどころか日に日に元気になっていった。 「なぜ、元気だったんだ………?」 「血液でなくてもいいと聞いたことがあります」 無意識に呟いた疑問に、勘のいい秘書は答えを示した。 「え?」 「吸血鬼にとって血液は最高の栄養分でありますが、人間の体液であるならば、それはなんでも栄養分に替えられると」 意味深に言葉を区切り、島岡がオレを見る。 「あ………」 何度も、託生の中に流し込んだ。オレの欲望を。抱いても抱いても足りなくて、託生が拒否らないのをいいことに、託生の体を壊してしまいかねないほど求め繋がった。 もしかして、託生は無意識にそれを感じ取っていたから、SEXを拒否しなかったのだろうか?SEXも恋愛感情も知らなかった奴だ。単純に栄養補給のために……。 いや、オレだから託生は受け入れてくれたはず。でなければ、ここを出ていかない。しかし、それは都合のいいオレの願望なのかもしれない。今、こうやって託生を探そうとしているのも、託生にとってはいらぬ世話なのかも……。 オレは、託生の本心を聞いていない……。 ぐるぐると回りだし己の思考にはまりそうになったとき、携帯の着信音が現実に引きもどしてくれた。 月の光も届かない森の中、GPSを頼りに進んでいくと小さなログハウスが見えてきた。何年も前に打ち捨てられたもののようだ。こんな森の奥では、井上家の人間も気付かなかっただろう。 衛星写真をくまなくさがしたところ、井上家の土地の端、誰も近寄らないような森の奥に他の場所とは違う色合いの箇所を見つけたのだ。そこになにもなければ、しらみつぶしに森の中を探そうかと思っていたのだが、目星をつけた一つ目から見つかるとは幸運だった。 古く小さなログハウスなれど造りはしっかりしているようだ。古びたドアが、かすかな音を立てて外側に開いた。一歩踏み出すたびにミシリと床が鳴る。 託生は、ここにいるのか? 慎重に懐中電灯で部屋の中を照らしていくと、部屋の隅に簡素なベッドがあった。シーツが丸く盛り上がり、枕元に黒髪が見えている。 「託生………」 いてくれた。よかった……。 ベッドの脇に膝をつき、頬にかかっている髪をかきあげ、オレは息を飲んだ。 頬はこけ、肌は真っ青だ。屋敷にいたときとは比べようもないくらい衰弱している。そっと耳を口に近づけると、細く浅い息が漏れていた。虫の息ってやつだ。 「島岡。託生を連れて帰る」 懐中電灯を島岡に手渡し、素早くサマーコートに託生を包み込んで、別邸へと踵を返した。 島岡の先導で別邸へとたどり着いたオレは、そのまま寝室へと足を向けた。島岡は何も言わず、そのままサロンへと入っていく。 今、託生になにが必用か、わかっているのだろう。その配慮に感謝した。 ベッドにおろしても、託生は眠ったままだった。託生の服を脱がせ、自分の服も脱ぎ去る。 艶のなくなった髪。青ざめた頬。いつも真っ直ぐに見つめてくれた瞳は閉じられたままだ。 魔術が効きにくいオレの記憶を消すために、相当な魔力を使っただろうことがわかる。 自分の負担が大きいことなんて承知していただろう?なぜ、お前はそこまでして無茶をしたんだ? ゆっくりと託生の上に体を滑らせ、口唇を舐めた。口を開けろと。 「託生………」 重ねて少しほころんだ口唇から舌を差し込む。かすかに動いた舌先を誘導するように、ねっとりと舌を絡ませ、オレの蜜を流し込む。 本来ならオレの血を飲ませるのが一番いいのだろう。しかし、あれほど拒否した託生の心を考えれば、目覚めた時ショックを受けることが簡単に目に見える。 意識のない相手を抱くなんてしたくはないが、非常事態だ。 託生、許してくれ。 「あ……ぅ………」 「託生、少しだけ我慢な。愛してる」 丁寧にほぐした託生のそこに、オレ自身を深く沈めた。 |