Birthday (2014.2)
「あのね」
呆れたような大きな溜息を吐き、 「この歳で誕生日ってのも別に嬉しくないし、だいいちにギイが仕事を疎かにすることほど、ぼくが嫌なことはないんだよ?」 「それは、わかってるけどさ……」 のろのろとスーツに着替ている間に、さっさとコートをクローゼットから持ってきた託生が、腰に手を当ててすごんだ。 託生の言わんとするところはわかる。 オレだって、自分の誕生日は今更だと思うし、まぁ、それにかこつけ託生に我侭言ったりはするだろうけど、一つ歳を取ったからと言って嬉しいなんて思わない。 けれども、託生の誕生日となれば別。 この世に生まれてきてくれて、こうやって、今オレの側にいてくれる奇跡を祝う日なんだ。しかも、十年ぶりに。 だから、なにがなんでも今日は休暇を取りたかったのに、どうしても抜けることが許されない契約で……、他のヤツを行かせば相手の機嫌を損ねてサインをしてくれないか、イチャモンをつけて契約条件を変更させられるか、とにかくオレが行かなきゃどうしようもない契約があって、渋々仕事に行く用意をしていたわけだ。 そのとき、部屋の内線が鳴り、受話器を取った託生が一言二言喋ったあと、 「松本さんが迎えにきたって」 受話器を静かに戻し、振り向いた。 瞬間、むっすりと表情を変えたオレに、 「松本さんに、当たらないでよ」 松本の顔を見たとたん、嫌味を言いそうなオレに釘を刺す。 「わかってるよ」 託生の前で、そんなことするかよ。怒られるのはオレなのに。やるなら、車に乗ってからだ。 「ほら、そんな顔しないで。ぼくの誕生日なんだから」 びよーんと遠慮なくオレの頬を伸ばして、託生が笑う。 確かに、自分の誕生日に恋人が不機嫌なのは良くないよな。 天を向いて大きく溜息を吐き、腕の中に託生を閉じ込める。 「早めに帰ってくるから。夜は二人でお祝いしような」 スケジュールはいっぱいだけど、託生が生まれた日を祝いたい。………次は祝えるかどうか、わからないのだから。 「無理しないでね。いってらっしゃい」 そんなオレの暗い心に気付かず託生がオレの頬にキスをし、応えるように行ってきますのキスを口唇に落とし、コートを片手に部屋を出ていった。 午前中は視察に商談にと、あちらこちらに飛び回り、本社に戻ってきたのは昼過ぎのこと。次の仕事は、面倒なあの契約だ。 「お食事を、こちらにお持ちします」 「あぁ」 それほど腹は空いていないけど、自分の体調管理も仕事の内。 島岡が戻ってくるまでの間に、さきほどの商談内容をまとめておこうとPCに向かって数分後、ノックが鳴った。 「どうぞ」 声をかけつつも、ディスプレイから目を離さない。どうせいつものことだし、島岡も食事を置いて、すぐ部屋を出ていくだろう。 そう思っていたのに、 「副社長。どちらに置けばいいですか?」 なんて聞かれて、 「いつもの………………え?」 聞こえてきた声に思考が停止しギギギと顔を上げると、 「副社長、お昼ご飯の時間ですよ」 してやったりというような表情で、託生がにっこりと笑った。 「託生………」 「今日だけ、秘書見習いの葉山です」 首に許可証をかけ、スーツを着た託生がワゴンに手を添えてオレを見ている。 ポカンとしてしまったオレに、 「で、ギイ。お昼ご飯、どこで食べるの?」 「え……あ、そのテーブルで」 と応接セットを指差すと、託生は手際よく二人分の食事をテーブルに並べ、オレを手招きした。 「冷めちゃうから、ギイ、早く」 「あ、あぁ」 どうせここには託生とオレしかいないのだからと、画面を開けたままソファに移動し、座ったと同時に託生が濡れタオルを手渡した。条件反射で受け取り、しかし、むくむくと疑問が沸き起こる。 「朝、そんなこと言ってなかったじゃん!」 「うん。島岡さんにも松本さんにも口止めしてたし」 それでか。八つ当たりしても、なぜか松本がへこんでなかったのは。 「今日だけ?」 「そう、今日だけ」 「なんなら、これから空いた日は……」 「きょ、う、だ、け」 ばっさりぶった切り「いただきます」と手を合わせた託生は、パクリとフォークを口にくわえた。 「やっぱり邪魔かな?」 「そんなことはない!」 邪魔なはずあるか。託生が一日この副社長室にいて、秘書をしてくれるなんて! ………ん?よく考えれば、託生が秘書をしてくれて嬉しいのは、オレ。しかし、今日は託生の誕生日。オレが喜んで、どうする? 「あのな」 「なに?」 「今日は託生の誕生日なんだから、オレが託生になにかをしたいんだけど」 「だから、やってもらってるよ」 「なにを?」 「お仕事」 なにを今更と言いたげに、託生が首を傾げた。その角度が、また計算されたように託生の可愛らしさを倍増させているのだが、今日でお前何歳になったんだっけ?こんなに可愛くていいのか?歳、誤魔化してないか? いや、それよりも、託生。お前の台詞、答えになっていないと思うのだが、気のせいか? 「オレが仕事するのは当たり前のことなんだけど」 そう。言い方は悪いが、託生のために仕事しているわけじゃない。オレは、自分のやらなければいけないことを、やっているだけだ。 あ、そうかと呟いて、 「んー、ぼく、ギイがお仕事しているところが見てみたかったんだ」 「はい?」 興味津々にキラキラとした目で見つめてくれるのはいいけれど、そんなの見て面白いのか? 「だって、恰好いいだろ?」 当たり前のように言われて、口に入れたブロッコリーが丸ごとゴクリと喉の奥に消えていく。食道を通って、あ、今、胃に到達したな。………じゃなくて! 相変わらず、お前、なにも考えずにしゃべってるだろ? 呆気に取られて思わず絶句してしまったオレを見てどう思ったのか、 「あっ!ギイは、いつも恰好いいけどね!ほら、たまに対談しててテレビに映ってたら、また別の角度からギイを見れるっていうか、だから、あの………」 両手をわたわたと振って言い訳する託生の右手を取り、手のひらにチュッとキスをした。 「わかった。今日はバリバリ仕事するから、じっくり見てくれ」 託生が、そう望んでいるのなら、恰好いいというオレを思う存分見せてやる。 託生は目を細めて「うん」と嬉しそうに頷いた。 とは言え、その後オレがこの部屋にいたのは二時間ほど。次は厄介な契約だ。さすがに社外の人間を連れていくことはできなくて、託生は本社で松本と留守番となった。 でも、こうやって見送られるのも、いいものだな。 「火打石で、お見送りしてあげたいくらいなんだけどね」 気難しい相手だと松本に聞いたのか、託生が残念そうに呟いた。 「火打石?あー、切り火を切るのか」 厄除けと縁起担ぎのまじないだったな。しかし、日本であっても、今の時代なかなかそんな代物を目にすることもできないだろうし、なにしろ、ここはNY。 託生の、その気持ちだけで………。 「あ、僕、火打石持ってますよ!」 すかさず申告した松本に、顎が落ちる。 なんで、火打石なんて持ってるんだ?!しかも、スーツのポケットから、なぜ出てくるんだ?! 「セキュリティチェックで、よく引っかからなかったな」 「最初、これはなんだ?と言われましたけど、日本の江戸時代の云々って言ったら、すぐに許可が出ましたよ。『Oh!Cool!』って、しばらく遊んでましたけど?」 それでいいのか?ここは、本社だぞ?頭が痛い。 「じゃあ、お借りしていいですか?」 「どうぞ、どうぞ」 でもって、疑問にも思わず借りるのか、託生? なんだか眩暈がしてきた。ここは江戸の長屋ではなく、本社のオレの執務室の前だよな? 島岡、咳払いで誤魔化そうとしているみたいだが、笑いを堪えてるのがバレバレだぞ。 「火災報知器、大丈夫かなぁ」 「ライターの火に反応しないので、大丈夫ですよ」 「あ、そうですか。うーんと……」 「左手で石を持って、右手で火打鎌を石に打ち付けるんです」 「こうかな?」 そうして時間も押し迫っていることだしと、カチカチッと火花が飛んだかどうかは知らないが、形だけオレに向かって切り火を切り、 「副社長、いってらっしゃいませ」 にっこり笑い、託生が頭を下げた。 あー、なんだか、本当に託生が秘書になったみたいだ。 二度目の「いってらっしゃい」に見送られ、上機嫌で訪問したオレの勢いに圧倒されたのか、あっさりとサインをもらい、時間を繰り上げ本社に向かう車の中、オレは島岡に疑問をぶつけた。 「いつ、託生に言われたんだ?」 「十日ほど前です。貴方の電話が終わるのを待っているときに零されたので、それなら、次の休暇に来られますか、と」 Fグループ本社の、しかもオレの部屋への許可を一秘書が出すのは普通あり得ないが、島岡なら別。元々、親父の秘書で信用度は誰よりも高い。 どちらにしろ、託生がなにか損害を与えるなんてことは万が一にもないし、それどころか、オレのモチベーションを高めてくれ契約もあっさりと決まった。 しかし、秘書ならばこの状態を喜んで然るべきなのに、島岡の表情は硬い。 「サプライズ好きの貴方が、花束しか用意していなかったようなので、少しお手伝いをさせていただいたつもりですが?」 案の定、口調は穏やかなれど、オレを見る目が笑っていない。責めるよう視線から逃れるように顔を窓の外に向けた。 「………託生が物はいらないと言ったからだぞ?」 「いい口実ですね」 「島岡………」 含みのある言いように睨むも、島岡はどこ吹く風だ。 託生へのプレゼントを、ずっと考えていた。しかし、どれだけ考えても、託生の手元に残るものは避けるべきだと思ったんだ。いつかまた手放さなければいけないのに、オレを思い出させるようなことはしたくない。 今、託生がここにいるのは一時的なこと。それを、オレは忘れてはならない。 そんなオレを横目で見ながら溜息を吐き、 「………今日の仕事は、ここまでです。託生さんが自然史博物館で待ってます」 島岡がモバイルをパチリと閉めた。 「調整してくれたのか?」 「私から託生さんへのプレゼントです」 「そっか。サンキュ」 あらかじめ運転手に指示していたのか、車は自然史博物館の前で止まった。 「今は、あのときとは違います。託生さん自身、自分の意思で動けるだけの行動力を持ってます。貴方がどう思おうとも、自分で納得しない限り、託生さんは貴方から離れないでしょう」 車外に出ようとしたオレの背後から、島岡が声をかける それは、もう遅すぎるということなのか?託生の手を取ってしまった、オレの落ち度と言いたいのか? 緩やかに動いている託生の周囲が、いつ、なんどき、オレの利害の影響を受け嵐のようになるかもしれないのを、一番よく知っているのは島岡だ。 「………肝に銘じておくよ」 「いいえ、ギイ。私は覚悟を決めろと言ってるんです」 振り返ったオレに、島岡は真剣な瞳で忠告した。 さすが真冬のNY。こんな雪の中、自然史博物館に遊びに来るような物好きな人間はいないようで、海底のフロアには誰もいなかった。託生以外は。 オレに気付いた託生が、嬉しそうに小さく手を振る。 「お疲れ様。契約、うまくいった?」 「いったいった。託生こそ、臨時秘書、お疲れ」 ベンチに座っている託生の隣に腰かけ、頭上のクジラを見上げた。ここに来るのも久しぶりだ。託生を思い出してしまうからと、オレはこの十年、自然史博物館に近寄ることはなかった。 誰もいない館内に安心してか、ポテッとオレの肩に頭を乗せ、同じように託生もクジラを見上げている。 世界が、海底にいるように二人だけなら、ずっと離さないのに………。 「今日は楽しかったよ」 「そうか?オレ、部屋にいるときは、PCに向かっているか電話だけだったろ?」 「それでもさ。ギイの側にいるだけで楽しかった」 そう言って託生が幸せそうに微笑む。 オレがいるだけで充分なのだと、とても単純で、そして難しい望みを真っ直ぐにぶつけてくる。お前のその気持ちが、嬉しくて哀しい。 NYまで連れてきてしまったけど、オレは………。 「会社の帰りに待ち合わせなんて、オフィスラブみたいだね」 いたずらっ子のような表情で、託生がオレの目を覗いた。託生にそのつもりはないだろうけど、オレの心を見透かされそうな気分になり、暗い気持ちを奥底に隠す。 今日は託生の誕生日なんだ。楽しい思い出だけで終わらせたい。 「禁断のオフィスラブか。なかなか美味しいシチュだな」 気持ちを切り替えニヤリと笑うと「なに考えてんだよ」軽く肘で突く真似をしながらクスクスと笑う。 暗い海の底に沈みこみそうなオレの腕を引っ張り上げ、託生が心ごと抱き上げてくれる。 「会社帰りに待ち合わせをして、まずはディナーかな」 言葉にしながら、託生の手を取り立ち上がらせた。 ペントハウスで祝うつもりだったから、ここに花束はないけれど、この時間なら充分デートコースを楽しませてやれる。 「そのあとは?」 「映画でも観劇でも、どこでもお望みのままに」 「うーん。でも、ギイに任せちゃっていい?まだ、NYのこと、よくわかってないから」 「あぁ。その代り、最後までオレに任せろよ?」 「………オフィスラブのデートの最後は、なに?」 「それはもちろん、濃密なベッドタイム」 耳に口唇を寄せて囁くと、顔を少し傾けて小さく口唇の端にキスをし、 「お任せします。ふ、く、しゃ、ちょう」 艶っぽく託生が微笑んだ。 急に思い浮かんだので、慌てて書いてみました。が、慌てすぎて、どうなのかちょっと疑問。 タイトルも、まんまという。 昨日の内にアップしたかったんですけど、仕事の関係で間に合いませんでした。 でも、まだ、NYでは18日だし……という、こじつけでアップします。 なにはともあれ、託生くん、誕生日おめでと〜。 (2014.2.19) |