かわらないもの おまけ
ギイのゼロ番に来ると、ほっとする。
喧騒から逃れたように静かな部屋の中、ソファに導かれたぼくは、テーブルの上に用意されていた食料に目を瞠った。 ぼくたちを追いかけ、結局夕食を食べそびれたギイは、章三に頼んで夜食を、それもぼくの分まで確保していたのだ。しかも、大量に。 だけど、大変大変申し訳ないことに、 「ごめん。……食べられそうもない」 空腹のピークを通り越えてしまったぼくの胃袋は、炊き込みご飯のおにぎりも、購買で人気の焼きそばパンも、受け付けてはくれなかった。 「今度からはメシの方を優先させろよ」 ギイは笑いながらぼくを叱る。そして牛乳たっぷりのカフェオレをぼくに渡して、 「託生。少しでも食べられそうなもの、ないか?」 今度は少し心配そうに、ぼくに訊いた。 ぼくはちょっと考えて、 「……甘いものなら」 「甘いもの?」 「うん」 と答えたものの、もう購買は閉まっている時間である。 いくらギイでも無理だろうなと思いながら頷いたぼくに向かって、ギイはニヤリと笑って見せた。 「かしこまりました。お姫様」 「ギイ!」 誰が姫だよ! 恥ずかしいこと言うな! ぼくの苦情をさらっと聞き流して、 「託生、運がいいな。ちょうど今日もらったばかりだ」 ギイはテーブルの上に小さな瓶を載せた。 小さなジャムの瓶を思わせるその中に、目いっぱいに詰まった淡い黄色。 「プリンだ」 「島岡が持ってきてくれたんだよ」 おまけ、とギイは四角い封筒を掲げて見せる。 「託生の経過報告のついでに、渡米後に通う語学学校のパンフレットを持ってきてもらったんだ。あと、ちょっとした『特別授業』案と言うか。まぁ、これは後でいいから、先にメシ食おうぜ」 「うん」 お言葉に甘えて、可愛らしくラッピングされた瓶のふたを取る。 ふんわりと優しいバニラの香り、そして一緒についているカラメルの香ばしさに、食欲をそそられる。 「いただきます」 「どうぞ。……託生。確かお前、甘いの苦手だったよな?」 「うん。――あ。これ、美味しい」 「……まぁ、いいか」 ぼくの隣に座ったギイは、ぱくりと炊き込みご飯のおにぎりを頬張って、 「で? 伸之と二人で何のナイショ話してたんだ?」 改めてぼくに訊いた。 「言わなきゃだめ?」 やっぱり少し言い辛いんだけど。 首を傾げて訊いたぼくを、ギイはじーっと見つめて、おにぎりを片手に深々と溜息をついた。 「な、何?」 「お前なぁ……今オレ、うっかり『言わなくていい』って言いかけたぞ」 言ってくれても、よかったのに。 口にしなかったぼくの本音は、されど、きっちりギイに伝わってしまったようだった。 「ばーか。そんな簡単に釣られてたまるか」 わしゃわしゃと、ぼくの髪の毛を掻き混ぜる。 「なーんかこう、最近特にだけどさ、託生の手のひらの上で、上手に踊らされてるような気がしてしょうがないんだよなー」 「そんなこと、ぼくにできるわけないだろ」 「そうかー? 託生が思ってるよりずっと、男って単純だからな。お前、可愛いし」 ぎくりと、ぼくの動きが止まる。 「たーくーみー?」 横から、ギイがぼくを覗き込む。 「……聞いてて、嬉しくない内容かも知れないよ?」 「託生のことだろう? それが何だってオレは嬉しいよ」 「本当に?」 「本当に」 ぼくはもう一口、プリンを口に運ぶ。ふんわりした柔らかな甘さの塊が、苦味のあるカラメルと混じり合ってゆるゆると溶けていく。 優しくて、ほっとする。 「あのさ」 「うん」 「さっき、伸之が可愛いって言って、その後気のせいだったって言っただろう?」 「そうだな」 「他にもいたよね。矢倉くんとか」 「可愛いってお前に言ったヤツがか?」 「ううん。だけじゃなくて、その後、よく見たらそうじゃなかったって訂正したのが」 「ああ、でもそれは」 ギイがぼくから視線を外して、言いにくそうに、 「オレのせいなんだけどな」 小さく言った。 「うん。伸之から聞いた」 「それが気になってたのか?」 「まぁ、そうだね」 「何だ。てっきり違うことかと思ったのに」 いつの間にそんなに食べたのか、二つ目であろう海苔の巻かれたおにぎりのカケラを口に放り込むと、ギイは焼きそばパンに手を伸ばした。 「違うことって?」 「お前、『可愛い』って言われる度に複雑そうなカオになるからさ。伸之にそういう話してるのかと思ったんだよ。で、お前が伸之を連れて行ったのは、オレの目の前じゃ話し辛いんだろうなと。お前に一番可愛いって言ってるの、オレだろうから」 びっくりした。 「ギイ、すごい」 彼の注意力や観察力に感服するのは今更のことなのだが、でもやっぱり、すごい。 「お前、わかりやすいからなぁ」 「悪かったな。――ギイにそう言ってもらえて、全く嬉しくないってことはないんだよ。だって、褒めてくれてる、んだよね?」 「当たり前だろう」 「だよね。だから、余計に言いにくいって言うか……褒めてくれてるのに、喜べないのが申し訳ないと言うか」 「んーとさ、託生」 ギイは少し考えて、 「オレは別に、託生が女の子だから『可愛い』って言ってるんじゃないってのは、わかってるよな?」 そう、訊いた。 「え、あ、そう、なの?」 「そうなの。だってオレ、ずっと前から託生に言ってただろ。オレの託生は『可愛い』って」 「……そ、そうですね」 う、真顔で言われると、恥ずかしい。 「託生はその度に喜んだり嫌がったり恥ずかしがったり、してくれてただろ。それを、性別が変わったから感じ方まで変えろって言うのは、暴論なんじゃないかとオレは思うんだよ」 「でも、普通、喜ぶものだよね?」 「一般的にはな。でも女性のみんながみんな、『可愛い』って言われて喜ぶかどうかは疑問だな。――と言うかさ。そういう常識みたいなものに囚われて、託生が託生じゃなくなっちまう方が、オレとしては悲しいんだけどな」 「ぼくがぼくでなくなる……?」 「そうだろ。可愛いって言われて嬉しいと思えないのも、託生の感性だろ。そりゃいつまでも今の託生のままじゃないだろうし、自然に変わっていくものもあるだろうけどさ。でも、無理に変えることなんかないんだぞ」 「ギイ……」 見た目のことなんか気にするの、らしくないって伸之にも言われたっけ。 「ありがとう、ギイ」 「どういたしまして」 ぼくに向かってふわりと笑う。その笑顔に見惚れてしまって、 ――手のひらの上で踊らされてるの、ぼくの方だよ……。 つい、ひとりごちる。 「後でちゃんと、伸之に礼言わないとな」 「お礼?」 「伸之に祝ってもらえたんだろ? お前泣いちゃってたから、礼どころじゃなかっただろうけどさ」 「あ、うん」 おめでとうって、それだけだったけど。 すごく嬉しかったから。 何よりも――勇気をもらえたから。 「ギイ」 「うん?」 「ぼく、頑張るね」 ギイは嬉しそうにぼくをそっと引き寄せて、 「一緒に頑張ろうな。託生」 甘い囁きに、ぼくはうっとりと頷いた。 「だからってギイ」 テーブルの上を埋め尽くしていた食料を片付けた後、島岡さんが持ってきてくれた資料をギイが見せてくれた、のだが。 「何でスケジュールの中に、語学だけじゃなくてダンスまで入ってるんだよ!」 「だってさ、託生。三月に渡米しても、すぐに入学ってわけにはいかないんだぞ? それなら空いた時間を有効に活用するべきだと思わないか?」 日本人より日本語の達者なアメリカ人が、ぼくに滔々と説明する。 「一日中英語漬けの生活だと、英語アレルギーの託生にはきついんじゃないかと言う、配慮だよ」 「だからって、これ」 ダンスってきっと、社交ダンスだ。 他にもマナーだの歩き方だの、まるで、 「まるで、マイフェアレディだ……」 かつて映画好きの友人とリバイバルで見た、かの名作が脳裏をよぎって、頭が痛くなってきた。 「ダンスなんか無理だよ」 「リズム感いいんだから、大丈夫だよ。貴族の子女が踊ってたんだぜ。託生にだってできるって」 「それならワルツを演奏する方がいい」 「却下。いいじゃんか。一緒に踊ってやるって」 「いりません。いやだよ」 だって、ドレス着なきゃいけないじゃないか。 とは、さすがにぼくも口には出せなかった。 「頑張るんじゃなかったのか?」 少し悲しそうに、ギイにそう訊かれると、計算尽くだとわかっているのに胸が痛む。 「う……そうだけど」 「音楽の勉強続けるんだから、ダンスの知識だってあって困るものでもないだろう」 「そ……れはそうなんだけど」 「オレがついてるって。足くらい、いくらでも踏んでくれていいからな」 「そんなに踏まないよ」 そこで笑ってしまったらもう、イヤだと言えなくなってしまう。 「オレのワガママなのは、わかっているんだけどさ」 ギイの、淡いブラウンの眸が、ぼくを映す。 「オレと結婚するなら、いずれ必要になるかも知れないものだし。な?」 「……うん」 「頑張ろうな」 「うん」 素直に頷いたぼくに、ギイは満足げに微笑んだ。 ……その後、ギイの思惑はものの見事に、崎家の女性陣によって蹴散らされたわけだけれども、それはまた別の話だ。 めいさまからいただいたLife設定「かわらないもの」の続き、「かわらないもの おまけ」です。 そうですよね。ギイは昔から「可愛い」連発してましたもんね。 男とか女とか関係なく、託生くんは託生くんですから。 ところで、最後のギイの策略は、完全におじゃんになる予定です(笑) めいさま、おまけまでつけていただき、ありがとうございました。 りか(2010.11.27) |