天使の出逢い・・・魔法使いの妹

「託生さん、耳は良いのに」
「あ、あの、ぼく、自力で何とか、頑張るから・・・」
「ダメよ。それじゃ、私が匙を投げたみたいに思われちゃう」
投げてもらって、良いのに…とは流石に云えず申し訳なくて思わず俯く。
祠堂学院を卒業したら、ギイと一緒にアメリカに行く。
そう決めたまでは、良かったけれど、利久にも心配されたように、目下ぼくの最大の敵は『英語』だった。
もともと、英語はぼくの苦手教科で、いくらギイと一緒にアメリカで生きていくと心に誓ったからといって、突然に解るようになる筈もなく。
勿論、ギイも全面協力体勢でぼくに英語を教えてくれはするのだけれど、しかも、その教え方もとても解り易くて、素晴らしいものではあるのだけれど・・・いかんせん、苦手意識が強すぎるのか、遅々として進まない。
結局、そうこうしている内にも日々は過ぎ・・・
「習うより、慣れろ!だな。実践で覚えればいい!!」
とのギイの一言で、多分に怪しい状態のまま、渡米する事となってしまった。
アメリカの場合は、日本と違って9月始まりだから、ぼくとしては、日本である程度…そう、例えば基本的な日常会話が出来るようになってから渡米したいと云ったのだけど、
「そんなの待ってたら、一生アメリカ、行けないかもしれないぞ」
と、失礼極まりないが説得力抜群な事を云われてしまえば、反論する事も出来ず、ぼくは今、崎家へ居候している。
そんなぼくに、ギイの妹である絵利子ちゃんが、家庭教師を買って出てくれたのは、崎家へお邪魔してから1週間後の事だった。
「ギイだと、直ぐに気が散っちゃってダメだと思うの。それに、ギイ。色々と忙しいんだし、留守がちじゃない?中途半端に途切れ途切れになっちゃたら、上達するものもしないわよ、絶対!」
などなど。
感心するほどスラスラと最もな理由を並び立てた。
ギイが口で負けるところ、初めて見た。しかも完敗。
それは、ともかく。
それ以来、絵利子ちゃんは"Lesson"と称しては、買い物や観劇にとぼくをニューヨークの街へと連れ出した。
そして、家へ帰ってからも、お喋りをしようと(勿論、英語で)共に時間を過ごす事が多かった。
にも関わらず…ぼくの英会話力は殆ど上がらず、カタコトですら怪しい状態だった。
「あのね、託生さんは決して間違えてないの。本当に耳も良いんだなって思うし」
「え?どうして?」
「だって、託生さんの発音、凄く綺麗だもの。ネイティブの英語みたいよ。それって、耳が良いから、正確に音が聞き取れてるってことだもの。素晴らしいことよ。あとは、経験だけよ。こればっかりは積み重ねだから、自分で意識して積み重ねていくしかないし。積み重なれば、自信にも繋がると思うんだけど・・・」
どこかで聞いた言葉だな、と思っていたら、以前に佐智さんからバイオリンについても同じような言葉を貰ったんだったと気付いた。
「もっと、楽しんで、というか、興味を持って貰えたら、覚えが全然違ってくるんだとは思うんだけど・・・そうだ。あのね、この話、ギイは絶対してないと思うんだけど・・・」
リークしてあげる。
きっと、ギイは私が幼かったから油断したのね。
覚えている訳がないと思っているんだろうけれど。
でも、お生憎様。
ギイがあんな顔して話してくれたから、とても印象に残っていて、忘れられないのだと絵利子ちゃんは語りだした。


「ギイ、どうして、急に日本語のお勉強、する気になったの?」
絵利子もその兄のギイ、こと崎 義一もアメリカ生まれアメリカ育ちのアメリカ人ではあったが、両親は日本人…母は日本人とフランス人のハーフだったけれど…という事もあり、他の国々へ行くよりは日本を訪れる機会は多かった。
けれど、子供達である自分達にとっては、言葉も習慣もまるで違う日本という国に、物珍しさから面白いと感じはしても、特別に愛着が湧くという事はなくて。
そして、多くの欧米人が抱いている様にごくごく自然に、差別意識というほどのものではなかったかもしれないけれど、どこか日本や日本人を下に見るような意識があったのも事実で。
だから、本当のところ、特に日本語を学ぼうとも思わなかったし、学びたいとも思っていなかった。
アイサツ程度が出来れば十分、話したければ、あっちが英語を話せばいい。
そんな風に思っていた。
それが、つい先日、日本を訪れてから、突然、ギイの態度が豹変したのだ。
それまで、両親が
「あなた達のアイデンティティの一つでもある日本を好きになって欲しいのだけど」
「日本はいいぞ!富士山も、酒も和食も、侘びさびも、それに女性も奥ゆかしく…て…いやいや、コホン」
冷やりとした視線を浴びて、慌てて咳払いで誤魔化したところで…
「そう。奥ゆかしい女性が、お好みでしたの」
「いやいや、だからだね、私の好みとかそういうことではなくて、だ。一般論として、という事だよ、マイ ハニー。愛してるのは君だけだよ」
甘い台詞をサラリと云って、愛妻の方を抱いて…と、見つめる2人の興味津々な眼差しに気付いて、
「まあ、兎も角、だ。知ってみて、どう感じるかだとは思うが、知ろうともせず遠ざけるのは感心しない。日本は私にとって故郷でもあるからね。訪ねる機会も多くなる。その時にスムーズにコミュニケーションを取る為にも日常会話程度は出来るようになっておきなさい」
などとあの手この手で興味を持たせようとしても、右から左とばかりに受け流しているばかりだったのだ。
「ね、ギイ。なにかあったの?あの日」
「ん?なんでだ?」
「だって、なんだかギイ、違う人みたいなんだもの」
「そうかな、うん。そうかもな。生まれ変わった気分ってこういうのかもしれない」
キラキラと輝く瞳でそれはそれは幸せそうに微笑んでキッパリ云った。
「ねぇ、なにがあったの?」
「見つけたんだ。いや、違うな…そう、出逢ったんだ。エンジェルに」


仕事の都合で、日本へ長期滞在出張をする事になった父親に合わせ、日本全国各地に散らばる別荘や、懇意にしている友人を訪ねて廻ろうと一家揃って日本へ行く事に決まった。
両親の思惑としては、実際にじっくり日本を訪れる事で少しでも子供達が日本に親しみを、好意を持ってくれるように、といったところだった。
あの日、ギイと同い年の一見すると女の子のような優しい見た目と裏腹に、中々どうして頑固で度胸も満点な井上佐智こと、さっちゃんと一緒に日本のシンボルともいえる"富士山"を眺められる温泉へ行こうと出かけた静岡。
昼間、遊び盛りの子供達が存分に走り回れるようにと連れて貰った広い広い芝生広がる大きな公園で、はしゃぎまわって、楽しくて。
その内、疲れて3人で大の字になって寝転んでる内にね、私とさっちゃんはすっかり眠り込んでしまって。
その間、ギイが一人で大人しくしてる訳、無いじゃない?
好奇心一杯、行動力は更に一杯なギイは、更に奥の林の方へ一人で入って行ったんだって。
本人、『探検家』になった気分で、大冒険へ出掛けたつもりなったらしいんだけど、ね。
木苺が、ね、なっていたんだって。
あの食いしん坊のギイが見逃すはずないでしょう?もう、夢中になってあっちの茂み、こっちの茂みと食べ歩いてどんどん奥に入っていってしまったらしくて、ふっと気付いたら自分がどっちから来たのか分からなくなっちゃった・・・つまり迷子になっちゃったの。
で、どうしたものかと困っていたらね。
そこに"エンジェル"が現れたんですって。
「エンジェル?」
思わず聞き返すと、絵利子ちゃんは悪戯っぽく微笑んだ。
そうなの、エンジェル。
林の中で、そこだけスーッと視界が開けた場所があって、そこに空からキラキラと陽光がその子に降り注いでいて、『あ、エンジェルが舞い降りた』って思ったんだって。
沢山の木苺がなっていて、それを摘んでは口に運んでて、近付く時に立てた草を踏む音でギイに気付いて微笑んでくれたんだって。
サラサラの黒い髪に夜の空を映したような瞳に桜色の頬。
思わず見惚れてたら、その子が小首を傾げながら、「どうしたの?」って。
でも、その時は、ギイ。ほら、日本語、殆ど解らなくて・・・私もギイも"アイサツ"くらいは出来たけど、それだけっていうか。
で、キョトンとしてたら、もう一度「どうしたの?迷子になったの?」って心配そうに尋ねてくれたんだって。
でも、ギイね。言葉がよく解らないのもあったけど、それ以上にね。
その子の事を知りたくて「オナマエハ?」って。今度はその子がキョトンとしてギイの顔をジッと見つめ返してくれてて、それが嬉しくて「オナマエハ?」って繰り返したんですって。そうしたら、何度目かでようやく通じたみたいで。

ツキリと小さく胸が痛んだ。
"その子の事を知りたくて・・・"ギイの幼い綺麗な思い出。
なのに、ギイにそう思わせた"その子"にひっそり嫉妬してしまう自分がいた。
そんな自分がとても嫌で思わず俯いてしまったぼくに頓着せず絵利子ちゃんが続ける。

その子がね、にっこり微笑んで「タクミ。ぼくの名前、タクミだよ」って。「タ、クミ?」「うん、そう。」ってとっても嬉しそうに笑ってて、それを見てまた"やっぱりエンジェルだ"って思ったんですって。

それって・・・ぼく?ぼくのこと?
ああ、ギイ。佐智さんの発表会で初めて逢ったんじゃないって、こういう事だったんだ。

それから直ぐに、その子を呼ぶ声がして、その子は「じゃあね、あっちが芝生広場だよ」って何度も何度も指差して、でも自分はそれとは反対の自分を呼ぶ声のする方に駆け出して行ったんですって。

「絵利子ちゃん、それって」
「うん、そう。あなたの事よ託生さん」

ぼくも、その日の事は覚えている。朧げながら、だったけど。
だって、夢か何かだと思ってた。
淡くて美しい夢。
だって、ぼくの方こそ思ってた。
「天使に出逢った」って。
とっても綺麗で優しそうな笑顔がキラキラ輝いていた天使。
あんなに綺麗で輝いてる子なんている筈はないって思って・・・だから、夢だと思ってた。

それでね、無事に帰還したギイがね、戻るなり『日本語、覚えたい。話せるようになりたいんだ』って大騒ぎで。
悔しかったんですって。
自分が解らないばっかりに、その子、"タクミ"が云ってくれた言葉が解らなくて。
"タクミ"ともっと話がしたくて、"タクミ"の事を知りたくて。
"タクミ"と同じ言葉を話して、語り合って、笑い合いたいんだって。
"タクミ"の暮らす日本を知りたいって。
それはもう熱心でね、上達も凄くて。
10歳になるまでには、母国語の英語と大差ない程になっちゃったもの。

ぼくと一緒に?
ぼくの為?

「だからね、託生さんも同じじゃないかなって、思うの」
「同じって?」
「ん〜、つまりね。英語を覚えようって思うんじゃなくて、ギイの話す言葉をって、思えたら、いいんじゃないかなって?」
「ギイの言葉」
ギイの言葉、それは、ぼくにとって愛する人の言葉だ。
なんだか、急に視界が開けた気がした。
英語に対する拒否反応みたいなものが、すぅーっと薄らいでいく気がした。
「そう、ギイの言葉」
にっこりと、とびっきりの笑顔で絵利子ちゃんが請合ってくれる。
「そっか、そうだね。・・・うん、大丈夫だ」
だって、それは"ぼくの愛する人の言葉"
                                  〜Fin~



後日談。
この日を境に、めきめきと、それまでのぼくを思えば、飛躍的に進んだ英語の習得ぶりに喜びながらも複雑そうな顔でギイが尋ねた。
「おい、絵利子。いったいどうやったんだ?託生が率先して英語を使おうとしてる」
「あら、良いことじゃない?何か問題でもあるの?」
「いや、それは・・・その通りなんだが、なんだかなぁ」
「なんだよ」
「なによ」
苦虫を潰したような顔のギイ。
「だってな、オレがあんなに一生懸命に教えた時には、全然だったってのに、だ。絵利子がチョット教え出した途端のこの変貌はなんなんだよ・・・良い事だってのは解っちゃいるが、面白くないのも事実なんだよな」
「それは、ね。ギイ」
「わ、絵利子ちゃんっ」
焦るぼくに綺麗なウィンクを投げると
「ナ〜イショ♪」
「絵利子っっ!」
「だって、大事な企業秘密だもの。ナイショだわ。ね?託生さん」
「え、と。そうだね。ナイショ、だよ、ギイ」
だって、やっぱり何だか気恥ずかしいし。
ギイの、ぼくの愛する人の言葉を知りたいっていうのが理由だなんて、恥ずかしいからギイには絶対。
「託生まで・・・」
「ほら、何ていうかさ。うん。流石、絵利子ちゃんって、ギイの妹さんだなって」
「どういう意味だ?」
「だって、ギイ。"魔法使い"なんだろ?絵利子ちゃんも、なんだよ。魔法使いの妹は、やっぱり魔法使いだったんだ。ぼくに、魔法を、素敵な魔法の言葉を掛けてくれたんだ」
それでも、まだ憮然とした表情のギイに
「ギイ、ぼくね。小さな頃に、本当に幼い頃なんだけどさ。ぼく、天使に出逢ったってこと、思い出したんだ」
ぼくの言葉に一瞬大きく目を見開き
「託生」
ぎゅうっとぼくを抱きしめた。
                                〜2つ目のFin~



そして、更にの後日談・・・

「で?託生君にはギイが当初は託生君を"女の子"だと思い込んでた話は?」
悪戯っぽくキラキラとした瞳でほのかさんが問う。
「してまっせ〜ん。"今回"は!!」
同じくらい悪戯っぽい瞳で答える。
「そうなんだ〜」
「そう、だって、ね。後々に切り札として使えると思って、取っておこうかなって」
「わ、それって・・・いい考えだわ」
窘めるのかと思いきや、綺麗にウィンクを一つ決めニンマリ笑う。
と、
「あ、でも、一つ疑問なんだけど。どうしてギイ、託生君のこと女の子だって思い込んじゃったのかしら?名前からすると、男の子の確立の方が断然高いのにね〜」
「あ〜、それはね。私もギイも、当時は日本語に興味も無かったし、で、当然、詳しくも無くて。で、聞いてたのが、3文字で最後に"コ"か"ミ"が付く名前ならほぼ女の子だって教わってたから・・・」
「あ〜、なるほどね〜。そっか、確かにねぇ。"ハナコ""アキコ""ケイコ"に"アケミ""マユミ""ヒロミ"・・・まぁ、でも"ミ"の方は男女どっちもあるけどね〜。子供に教えるなら、そうかも・・・」
幾つかパッと思いつく名前を挙げて、納得したのか晴れ晴れとした顔で笑う。
「で、出逢いから数年してさっちゃんのバイオリン発表会で演奏する託生さんを見て、で、改めて名前を確認して・・・真実を知ったらしいんだけど」
「うんうん」
「流石のギイも結構ショックだったみたいで」
「うん?」
「初恋の相手が男の子だったわけでしょう?」
「ああ、それで」
「そう。男の子は女の子を好きになって、女の子は男の子を好きになってっていうのが自然だと思ってたと思うし。葛藤とかもね。ギイも子供だったし」
「認められなかったわけだ、男の子に恋愛感情の"好き"を持っちゃったって事が」
「そう、そう。で、アレはね、多分その衝動っていうか、抵抗だったんじゃないかと思ってるの。私としては」
「ホントに来る者、拒まずだったものね〜。去る者も追わなかったけど」
何を思い出しているのか、呆れたように呟く。
「駆け引きを楽しんではいたんだと思うんだけど、あ、でも。本気の相手には、そういうことしてなかった、と思うんだけど」
一応、妹としてフォローを入れてみたり。
「ああ、そのあたりは、ちゃんとっていうのかしらねぇ。まぁ、してたわねぇ」
「でも、きっと。それで解っちゃったんだと思うんだけど」
「ああ、なるほどねぇ」
「ええ」
「託生君に恋してるって受け入れたのね。色んな"恋愛ごっこ"してみて、で、結局、全部"違う"って思い知らされちゃったのね、ギイってば」
「うん。開き直っちゃったとも云うかも。もう、そうなったら、凄かったもの。先ず託生さんの受験校を調べ上げて、そこから、画策して。あらゆる手段を駆使しまくりだったもの。日本へ、あの人のもとへ行く為に・・・」
思い出して微笑みながら、少し切なそうな顔をする。
託生さんの事は勿論、大好きだけれど、そういう気持ちとは全く別の次元でやっぱり、自分の大切なお兄ちゃんが自分達より、何よりも大切な存在を見つけてしまった事に、少し寂しいのも事実で。それでも・・・。
どうか、神様がいるのなら・・・
どうかあの2人の未来が幸せに満ちたものでありますように・・・
そっと祈る絵利子の肩をポンポンと叩きながら、ほのかも微笑む。
「切り札、大切にしときましょ、ね。絵利ちゃん」
コクンと一つ頷き、上げた顔はもう、いつもの絵利子だ。
この辺りの切り替えの見事さは、やはり崎家の一員というべきか。
「そうよね。だって、切り札だもの」
「いざって時のために、ね。ギイの色んな"武勇伝"と共に、今はナイショに大事に取って置くってことでね」
キラキラと輝く瞳で微笑む2人は天使か悪魔か。
それはそれは魅惑的な微笑みを浮かべていた。
                               〜そして、Final〜




遊奏舎の翔 拓実さまからいただきました、Life設定の『天使の出逢い・・・魔法使いの妹』です。
絵利子ちゃん大活躍!の巻(笑)
ギイ日本語堪能の裏には、こういうことがあったんですね〜。
そして後日談に納得。託生くん一筋のギイなのに、あのプレイボーイぶりは、何なんだ?って思っていたものですから。
Life設定だと「女の子に間違えた」ってのも、いやいやギイの直感が当ってた事になるんですよね。
いつ武勇伝が披露されるか、楽しみです♪
翔 拓実さま、楽しいお話をありがとうございました。
りか(2011.2.10)
 
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