舞い降りたAngel (2001.8)

 ぼくはセントラルパークの湖のほとりに立っていた。
 冬のニューヨークは、日本と比べ物にならない程寒い。しかし、今のぼくには外気よりも、心が冷たく凍り付いていた。
「ごめんね、ギイ」
 昨日空港で再会したギイは、昔と変わらぬ熱い瞳でぼくを見ていた。そして、流されまいと必死にもがくぼくを、いとも簡単に捕まえてしまった。
『託生、タクミ………愛している………』一晩中囁かれた言葉。
「ぼくも愛してるよ、ギイ」
 世界中の誰よりも………。
 でも………ぼくは一度ギイを裏切ったんだ。それも彼の親友と………。
 恋人と親友の裏切り。その事実を知った時、ギイはどう思うだろう。ギイはどんなにか傷付くだろう。
 だから、何も言わずあの温かな腕から逃げてきてしまった。ぼくにはギイと一緒にいる資格なんかないんだ。
 ぼんやりと氷の張った湖を見ていると、何故か吸い込まれそうな気分になる。
 このまま吸い込まれたら、楽になれるかな。
 涙に霞む視界を捉えながら、嗚咽を押さえようと、その場に座り込んだ。
"どうしたの?気分でも悪いのかい"
 突然振った英語に、ギクリと肩が揺れる。振り向くと、若い金髪の男性が立っていた。
"驚かせちゃったかな?"
"いえ………"
"観光?"
"あ………まぁ………はい"
"こんな所にいてたら、風邪引いちゃうよ。よかったら、俺の家に来ない?"
 見ず知らずの人間に、それも世界一治安の悪いニューヨークで、普通だったら間髪要れずに断っていただろう。でも、自暴自棄になっていたぼくは、その申し出に頷いていた。
"はい………ありがとうございます"
"俺の名前はデリン。君は?"
"葉山託生です"
 そうして、知り合ったばかりのデリンの後を付いて歩き出した。途中、お風呂を入れててもらうよ、とデリンは家に電話を入れた。

 
"ただいま、ジェイス"
"おかえり。君がタクミ君かい?"
 30代くらいの男性がにこやかに出迎えてくれた。
"すみません。突然おじゃまして"
"いやいやかまわないよ。私はジェイス。冷えているだろ?とりあえず、風呂に入ってきたらどうだい"
 ぼくはありがたく、お風呂を借りることにした。
 ギイに愛された体が鏡に映る。朝シャワーも浴びずに飛び出したものだから、ギイの香りがまだぼくに残っていた。
 全てを消し去るように、ザブンと頭からお湯を掛け、ついでに涙も洗い流す。
 自分から逃げてきたのに、泣くなんて許されないことだから。
 リビングに戻ると「温まるよ」と、デリンがコーヒーを用意して待ってくれていた。
「ありがとう」
 ぼくはソファに座ってカップに口をつけた。暖かい液体が体に染み込んでいく。余りにも暖かすぎて、涙腺が緩みそうになったぼくは、一気にコーヒーを煽った。
 あれ?おかしいな。何だか急に瞼が重くなって………目の前が暗くなっていく。二人の顔が遠くなっていく………。遠く………。

 
「ん………」
 重い瞼を上げると、見慣れない部屋が映った。ここは?
 記憶を辿ってみる。デリンに声を掛けられて、それから………。
「目が覚めたか」
 突然の声にビクリとして振り向くと、ベッドの横の椅子にギイが腕を組んで座っていた。
「ギ………」
 どうして、ギイがここに?確かデリンとジェイスのマンションに、ぼくはいたはずだ。
「生憎だったな、託生。あの二人はオレの友達なんだ」
 ニヤリと笑うギイに、先ほどのコーヒーに薬が混ざっていた事を悟った。
「ちなみに、ここは山奥の別荘だ。街までは半日歩いても着かないぜ」
「どうして………」
「どうして?それはオレの方が聞きたい!」
 鈍い光を灯した瞳のギイに、心底恐怖を覚えたぼくは、ベッドの上を後ずさる。
 そんなぼくにピクリと眉根を寄せ、ギイが飛び掛かった!
「いやだ!やめて!」
「初めからこうすればよかったんだ。なんなら、これから先、ずっと二人でここにいてもいいんだぜ、託生」
 ぼくの上に乗り上げ、顎を固定し正面から視線を合わせてギイが言う。
「お願い、やめて、ギイ!」
「オレが怖いか?………怖いだろうな。狂っちまってるからな。でもな、狂わせたのはお前だ!」
 噛みつくようなキス。シャツのボタンが弾け飛び、下着と一緒にズボンが蹴り下ろされた。逃げても逃げても追ってくるギイの胸を、力一杯押し返す。と、ギイはぼくの両手を片手で諌めると、頭上に縫い止め、一気に押し入った。
 体の芯を激痛が走る。愛のない乱暴な行為に、涙が止めどなく溢れ出てきた。
 痛い、何よりも胸が痛い。もう、やめて………ギイ!
「いや………やめて………こんなの、イヤだー!!」
 気の遠くなる意識を掻き集めて叫ぶと、
「お前、ズルイよ」
 ギイは動きを止め、ポツリと呟いた。
「オレ、昨日託生に逢えて、まだ愛してくれてるって確認できて、本当に嬉しかった。やっと、戻って来てくれたんだって。でも、この仕打ちは一体何だよ?お前、オレをそんなに焦らせて楽しいか?」
 泣いているような声のトーンに、思わず目を上げると、哀しそうな瞳とぶつかった。
「違う………違うんだ」
「何が違うんだ、託生?」
 こんなつもりじゃ、なかった。ただ、ギイに知られたくなかったんだ。
 でも、それは間違いだった。話を聞いて答えを出すのは、ぼくじゃない。ギイだ。
 ギイはこう思うだろうと、勝手に決め付けるなんて、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
「託生………?」
 押し黙ったぼくの頬に、優しくギイが口付けた。流れる涙を舌先が辿っていく。
 愛撫とは違う、ただぼくを落ち着かせる為だけの優しいキス。自分の気持ちを押さえてまでも、ぼくを慮るギイ。
 ごめんね。こんなぼくで、ごめんね。傷つけて、ごめんね。
「もう泣くなよ、託生。怖くないから………オレが悪かったよ。な?泣かないでくれ」
 ぼくの涙に臆したのか、ギイは軽く口づけると、ゆっくりぼくの中から体を抜こうとした。
 ぼくはギイの背中をギュッと抱き締めて、動きを阻んだ。
「託生?」
「ごめん………ごめんね、ギイ」
「おい、託生。もう怒ってないから、泣かないでくれよ」
 ギイが子供をあやすように、何度も背中を撫でてくれる。
「違う、ギイ………ぼく………ぼく…………」
「託生?」
「………寂しくて………どうしようもなくて………赤池君と………ごめんなさい…………!」
 ギイは一瞬ポカンとした顔をして、ぼくの瞳を覗き込み、台詞の意味するところを理解すると、息が出来ない位きつくきつく抱き締めた。
 どのくらい時間がたったのだろう。ギイはごめんなさいとしがみつくぼくを、ゆっくりと引き剥がし、頬を両手で包み込んだ。
「言ってくれて、嬉しいよ」
 優しい瞳で、ぼくを見詰める。
 嬉しい………?
「謝るのはオレの方だ。寂しい思いさせて、放ったらかしにして、すまなかった」
「ギイ………?」
「愛してるよ、託生」
 優しくキス。輪郭をなぞるように、小さなキスを繰り返し、深く合わせる。舌を絡め、逃げて誘って、いつのまにか、ぼくの腕はギイの頭に廻され、柔らかな髪をまさぐっていた。
 ぼくの中に入ったままだったギイも徐々に勢いを取り戻し、ぼくもギイに煽られ全身でギイに応える。と、ふいにギイが体を退けた。
「ギ……イ………?」
 ギイはふわりと微笑むとゆっくり時間を掛け、体中をキスで埋め尽くしていった。頭の先から足の指1本1本までも、ぼくの罪を消し去るように、所有印を押していく。
「や………ダメ………早……く」
「まだだ」
 甘い疼きから逃れようと体を横にすると、今度は背中を愛される。
「ん………!」
 これが罰だとでも言うように、ギイは口唇で手で言葉で、ぼくを崖の淵に追いやっていく。
「も……う………お願い………早く来て………ギイ…………!」
 理性をかなぐり捨て、涙ながらに哀願すると、ギイは満足そうな笑みを浮かべ、ぼくの上に覆い被さった。
 そしてぼくたちは、深い闇に落ちていった。

 
 嵐のような情事の後。雪が積もる外気が嘘のような温かい腕の中で、ぼくは幸せを噛み締めていた。言葉もなく、ただ愛し気に髪を梳く長い指の感触が、心地よい。
「託生」
「ん………?」
 見上げると、そのまま額にキス。
「一度二人で、章三に会いに行こう」
「え?」
 まさかギイ………。
「そんな不安そうな顔するなよ。大丈夫、殴りゃしないよ」
 ふふっと笑って、ぼくの前髪を掻き上げた。
「奴の事は感謝こそすれ、怒ってなんかいないぜ」
 方法はどうであれ、託生を助けてくれたんだからな。
「じゃあ、何?」
「章三が安心して、新しい恋が出来るように、託生の顔を見せに行こう」
「ぼくの顔?」
 同じマンションに住んでいたのだから、ぼくの顔なんて見飽きてると思うんだけどな。
「今の託生。凄く綺麗な顔してる」
「ななな、何言ってるんだよ!そんなことあるわけ………ん」
 ふさがれた口唇。
 軽く舌を絡め、「あるんだよ」夢を見るように薄茶色の瞳を細めて、ぼくを見詰める。
 いつまでもその瞳に映っていたくて、つい言葉が滑り落ちてしまうんだ。
「愛してるよ、ギイ………世界中で一番………」
 ギイは一瞬目を見開き、これ以上ない嬉しそうな顔をして、ぼくを抱き締めた。
 温かなギイの腕の中。ここがぼくの帰る場所。
 
 
 
ギイ、章三君と続いたら、やっぱり主人公の託生くんでしょう。
で昔からギイって、絶対ストーカーだよって思ってたものですから(こらこら)
ストーカーっぷりを発動してみたわけです。
あの美男子じゃなかったら、捕まるぞ。
ちなみに、ギイサイドのお話もどこかにあります(笑)
(2002.9.4)

追記
ギイサイドは表に出しました。
自己責任の上、ご覧ください
(2004.12.17)
 
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