distance(2010.10)

 これを託生マジックと言うのだろうか。
 いつもなら鬱陶しいくらい長引く仕事が全てすんなりと纏まり、予定通りの時刻、車が本社に滑り込んだ。
 そのまま自分のオフィスに戻り、人払いをする。
 仕事をしている間は、意識的に託生を胸の奥に封じ込めていたものの、こうして一人になると甘い痺れにも似た感覚が開放されゆうるりとオレを包み込んでいく。
「託生………」
 声に乗せるだけで、満ちていく幸福感。置き去りにしていた恋心が数倍にも数十倍にも膨れ上がり、心の内を支配していく。
 それに抵抗する気は全くなく、むしろ自らどっぷりと飛び込みたい気分で、溢れ出る想いに身を任せた。
 感慨に耽っていると太陽の角度が落ちてきたのか、デスクの上で反射して光る存在に気がついた。
「本当は、親父のせいだけじゃなかったんだよな」
 小さな丸い球体を手に取り、自嘲する。
 地球儀の形をしたジェムストーンペーパーウェイト。
 本宅の部屋よりオフィスにいる時間が長いからと持ち込んだ、託生からのプレゼントだ。
「毎日、目にしていたのに、どうしてお前の事を思い出せなかったんだろうな」
 昨夜の託生の涙を思い出し、悔やんでも悔やみきれない後悔に胸が痛む。
 こんな近くに、託生の心があったのに………。



 あれは祠堂を卒業した1年目のクリスマス。不眠不休で働き続け、ようやくもぎ取った2日間の休暇。
 空港まで迎えに来てくれた託生を、そのままマンションに連れ帰り、溺れるように愛し合ったその夜、「ギイ、これ貰ってくれる?」託生は小さな箱を差し出した。
 手に取ると、見た目は小さいのに、やけに重い。
 ニコニコと「開けてみて」と促す託生に、リボンを解き箱を開けてみる。
 掌に乗る小さな球体。
「これは………地球儀か?」
「んーとね、ペーパーウェイトって書いてあったよ」
 なるほど。それで、この重さなんだな。
 オフホワイトの滑らかな表面に、キラキラと光り輝く数種類の石が散りばめられている。
「ジェムストーンか。綺麗だな」
「ジェムストーンってなに?」
「宝石の原石のことだよ。ほら、この大陸に使われてるのがトルコ石、こっちがオニキス、この青いのはラピスだな。託生、知らなかったのか?」
「全然。すごく綺麗だったから、使ってもらえるかなって思って」
「もちろん使わせてもらうぜ。ありがとう、託生」
 左腕で託生を引き寄せ頬にキスすると、くすぐったそうに肩を竦めた。
 頬を寄せ合い小さな地球儀をくるくると廻し、わざと子供のようにふざけてはしゃいでみせる。
「託生、これ北海道がないぞ」
「あはは、そこまで正確じゃないよ。所詮ペーパーウェイトだもん」
 明日の今頃は、もう飛行機の中だろう。二人ともそれがわかっているからこそ、祠堂で交わしたような他愛無い話で言葉を繋ぐ。
「あのね、これ、NYと日本が人差し指の距離なんだ」
 ふと、託生の細い指が丸い球体のNYと日本を一本で結び、オレは目を見張った。
 NYと日本の距離の話題は、託生とオレとの間ではお互い口に出せない禁句だったのだ。
 特に、日本に残ると決めた託生からは………。
 9月から大学が始まり、仕事と講義だけで1日が終わるようなハードな毎日を送っていた。
 会う時間が減り、なんとか都合をつけてかける電話さえも短時間で終わるしかなく、元気そうに振舞う託生の声に、時折寂しさが滲む事に気がついてはいたが、すぐに飛んで行ける距離ではない。それぞれが納得して決めたことではあったけれども、一人きりのベッドの上で、どうして無理矢理にでも連れてこなかったのかと後悔した夜は数え切れなかった。
 それなのに、1万km以上の距離を人差し指で測るなんて、託生、可愛いことをしてくれるじゃないか。
 ペーパーウェイトをベッドサイドに置き、
「じゃあ、いつものオレ達の距離は、こんなもんか」
 託生を枕に押し付け、ぴったり人差し指の距離を空ける。
「このくらいがロスで、このくらいがハワイかな」
 言いながらどんどん距離を縮めていき、吐息がかかる距離になる。クスクスと笑っていた託生の目に、涙が浮かんだ。
「ギイ………」
「いつか、このくらいの距離で一緒に暮らそう」
「………うん」
 明日には、また太平洋を越えた場所に戻らなければならない。そんな現実を今だけは忘れて、託生に包まれたい。
 深い口付けを交わし、背中に回った託生の腕を感じながら、二人して快楽の海に溺れた。



「失礼します」
 ノックの音と共に、島岡がコーヒーを持って部屋に入ってきた。
「引継ぎは終わったのか?」
「えぇ、他の秘書が優秀ですので、さほど時間はかかりませんでした」
「ご謙遜を」
 島岡の事だから、帰宅後、すぐ動けるように引継ぎの為の書類整理を終わらせていたのだろう。オレの仕事も、データさえあればある程度の動きは読めるはず。
 島岡にしか出来ない事だが。
「これは、置いててくれたんだな」
 掌に乗せたペーパーウェイトを見せると、
「仕事道具まで処分しろとは言われませんでしたので」
 オレにカップを渡しながら、島岡はしたり顔で笑った。
 アルバムや連絡先、あらゆる過去に関わる私物がオレの部屋から消えている事は承知の上だが、からし色のマフラーまで消えていた事は予想外だったな。託生からの初めてのプレゼントだったのに。
「残ったのは、これだけか」
 呟いたオレに、
「………実は、ギイの私物に大変興味がありまして」
 島岡がおもむろに口を開いた。
「は?」
「個人的に拾ってしまい、現在私のマンションのクローゼットに隠れております」
 あっけらかんと上司命令を無視した報告をする島岡に、あんぐりと口を開け腹を抱えて笑った。
 なんという言い草だ。処分しろと言われたんじゃなかったのか?
 笑いを止めようとしたものの、せっせと荷物を運ぶ島岡が脳裏に浮かび、再び噴出すと「笑いすぎですよ」と島岡が眉を顰めた。
 滲み出た涙を拭き、
「なら、そのまましばらく預かっててもらえないか?」
「それは、かまいませんが………」
「2回も荷物を移動するのは、面倒だから」
 ニヤリと笑うと、それだけで全てを理解した優秀な秘書は「承知しました」と頷いた。
「あ、19時から会議だったか?」
「今日は、かまいませんよ。託生さんの所へ戻ってあげてください」
 明日からは、こうはいきませんけど。
 確かに、オレが欠席しても差し障りのない会議だが、託生への、島岡なりの罪滅ぼしなのだろう。
「ただし、朝は迎えに行かせていただきますよ。SPが泣きついてきましたからね」
「わぁかってるって………と、隣にまだ着替えあったか?」
「もう、既に本宅から何着か運ばせてもらってます」
 さすが島岡、手配が早い。
「サンキュ、島岡。コーヒー、ごちそうさん」
「どういたしまして」
 片手を挙げエレベーターホールへ繋がる廊下を走る。渋滞に引っかからなければ、30分後にはこの腕の中に託生を感じられるだろう。
 人差し指の距離から吐息の距離へ。
 聖なる日の約束が、今叶った。




「bond」の続きというか、その日の夕方の話です。二つを纏めて書いていたものの、どうしても繋げることができず、こういう形になりました。
地球儀型のジェムストーンペーパーウェイトは、検索すればどんな感じか出ると思います。
ギイに似合いそうだなと、出してみました。
(2010.10.18)
 
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