solfège(2010.9)
「Tonight」の兄弟みたいなものです。
夕食時の食堂はどこのテーブルも満員で、ようやく見つけた空席に座りぼくはお茶を一口グビリと飲んだ。 二つ向こうの列の右斜め方向に、ギイ発見。 相変わらず一年生が周りを固め、こんなに離れていてもギイの疲労がよくわかる。 そのギイに、2階階段長の野沢政貴が話しかけた。 邪魔をされた一年生は一瞬不満そうな顔をしたが、相手が野沢階段長だと認識すると、一斉に口を閉じ無言で食事を再開する。 これが、ぼくだったら、こうはいかないな。 政貴の話に(聞こえないけど)、ギイは「仕方がないな」というような表情で苦笑し、話が終わったであろう政貴はキョロキョロと人を探し出した。 誰を探しているんだろう。 ぼんやりとハンバーグを口に入れ………ぼく?! バッチリ目が合ってしまっただけではなく、「いたっ!」とにっこり笑って歩いてくる政貴に、ぼくだけではなくギイまでもが驚いている。 スタスタとぼくが座っているテーブルまで来た政貴は、 「葉山君、教えてほしいことがあるんだけど、今夜9時に300号室に来てくれないかな?」 と、お願いのような決定事項を伝えた。 ハンバーグを飲み下し、 「300号室に?」 「うん、そう」 確認する。 「用事はないからいいけど………でも、どうして30………」 「あー、よかった!、じゃあ、あとで」 ぼくの返事を聞くやいなや、あっという間に政貴は食堂から出て行った。 でも、なぜ、3階? 呆然と見送るぼくの目の端に、肩を窄めて小さく笑うギイが映った。 全ての事柄を終わらせ、9時ぴったりに300号室のドアをノックすると、「よっ」とギイが出迎えてくれ、既に部屋の中にいた政貴が「こんばんは」と手を振った。 「で、なんでここなんだよ、政貴」 「たまには、バニラマカダミアンが飲みたくてね」 「なんだ、そりゃ」 と文句を言いつつ、目が笑っているギイ。 本当は公明正大な口実なんだろうな。いい友人に恵まれてると思うよ。 注文の品を作っている間に、話を始めててくれと言われ、 「それで、野沢君、聞きたいことって?」 と、政貴に問いかけた。 「聞きたいことというか、コツを知りたいんだけどね」 ぼくに向き直り、政貴が答える。 「聴音のコツを教えてほしいんだ」 「コツって、えっと、どの辺り………?」 楽譜の書き方なのか、リズムの取り方なのか、音の区別なのか。 ぼくの場合、自然に身に付いたものだから、政貴がどの部分を指しているのかいまいちわからない。 「俺の場合、楽譜は書ける。でも、始まる音がわからない。だからドから始まってると思って楽譜を書くと、実はレから始まっていたってのがあって、困ってるんだ」 あぁ、なるほど、音の区別ね。 「前に聞いたけど、クラリネットってB♭(ベー)がドだったっけ?」 「そう」 「それで、受験するトロンボーンがC(ツェー)なんだよね。ぼくからしたら、切り替えがよくできるなぁって思うよ。こんがらがっちゃう」 「そうなのかな。あまり考えずに運指しているから、あまりわからないんだよ」 確かにポジションさえ覚えれば、音が不安定でもその音が出るもんね。こういう場合、どういう練習すればいいのかなぁ。 ギイがバニラマカダミアの入ったカップを置き、ぼくの隣に座った。 「ありがとう」 と一口飲んで思い出す。 あっ、そうだ! 「あのさ、子供の頃、教室で必ずやってたことなんだけど、ソルフェージュって知ってる?」 「聞いたことはあるけど、詳しくは………」 あまり聞きなれない言葉に、政貴が首をひねる。 「音楽教室のコマーシャルで『ドレミファソーラファ ミッレッドー』って子供達が歌ってるのあるだろ?あれが、そう。音そのものと音階を頭に叩き込むんだ。簡単な曲でいいからピアノを弾きながらその音を歌って覚える。最終的には、楽譜を見ただけで音が拾えるようになる」 音楽の基礎の基礎。 これをやって、ぼくも絶対音感を養ったんだ。 「そうか。ソルフェージュか。それって教則本とか売ってる?」 「売ってるよ」 「よしっ!それで勉強しよう」 政貴の花が咲いたような笑顔に、少しお手伝いができたぼくも嬉しくなってしまう。 傍でぼく達の話を聞いていたギイが、 「なぁ、ソルフェージュとリトミックとどう違うんだ?」 と、素朴な疑問を言った。 「単純に言えばソルフェージュは譜読みの訓練で、リトミックは譜読みプラスリズム。歌いながら手拍子や足踏みするのがリトミック。子供向けの教室とかあるよね」 「そういう違いだったのか」 ふむふむとギイは頷くと、 「じゃあ、オレはリトミック教室に行ったほうがいいのかな」 とぼく達の腹筋を崩壊させた。 「ありがとう、葉山君。週末にでも教則本買ってくるよ」 「あ、ぼく付き合おうか?買いたい楽譜もあるし」 「本当に?じゃあ、また追って時間を連絡するよ」 消灯十五分前の放送が流れ、ぼく達は揃って立ち上がりドアに向かう。 すると、一緒に退室しようとしていたぼくを、政貴はギイに押しやって、 「ギイ、コーヒーごちそうさま。葉山君、三洲君には言っておくから」 「え、ちょっと………」 「二人とも、お休み」 と、口を挟む暇さえなく、さっさと出て行った。 「政貴のやつ、元から、こういうつもりだったか」 苦笑しながら、ギイが鍵を閉める。 「ギイ?」 そのまま、部屋の電気も消えた。 「どうする、託生?部屋に帰る?」 ドアとギイの間に挟まれ、身動き一つできない。部屋に帰れない。 「ギイ………」 「帰す気はないけどな、託生………」 くるりと反転させられ、唇にギイの熱を感じたぼくは目を閉じた。 背中に回された腕が、ぼくとドアの間に隙間を作る。 「愛してる」 「ぼくも………」 繰り返される甘いキスに、頭の中が白くにごってくる。二人の鼓動(リズム)が激しく鳴り響き、どちらの物なのかわからなくなってしまった。 「泊まっていくよな」 「………うん」 そのまま抱き上げられ、ベッドにゆっくり下ろされた。 「今夜は、オレだけの為に歌って………」 囁きを耳に吹きかけ、ギイの熱い手がぼくを暴いていく。 二人の夜は、始まったばかり。 あまりラブラブじゃないですね; 実は、私も絶対音感持ってまして(20年程エレクトーンやってましたから)、ついでにトロンボーン(C管)もやってまして、C管以外の楽器の音階を聴くと、どうしてもドレミファソラシドじゃなくて、シドレミファソラシみたいに聴こえちゃうんですよ。 だから、野沢君みたいに楽器を交代すると、無茶苦茶こんがらがるんじゃないかなぁと思って、自分を納得させるために書きました。 同じく絶対音感持っててトランペット(B♭管)をやっていた妹に聞いてみたところ、「そうでもないよ」とのことでしたが; (2010.9.24) 追記 よくよく考えてみたら、原作にソルフェージュという言葉出てたなぁと思い出しました(汗) 以前に書いたものを手直ししたものだし、訓練(?)方法も何種類かあるんで、このまま置いておきます。 (2010.9.25) |