章三シェフのお菓子教室 (2002.2)

「どうして僕が、こんな事をしなくちゃいけないんだ?!」
 調理室のテーブルに苛立ちながら、それでも量は正確に計り、材料を並べていく。
 確かに、大学の合格通知は貰っているので、他の連中に比べて優雅な時間がある。しかし、こんなのに付き合わされる義務はない。
「全く、高林の奴」
「僕がどうかした?」
 ドアから高林初め、吉沢、葉山、三洲、真行寺の面々が入ってきた。
「赤池先輩、今日は宜しくお願いしまッス!」
 やけに元気な声の真行寺に、溜息はますます深くなる。
「材料は並べておいたから、手を洗っておけ」
 はぁ。どうして、こうなってしまったのだろうか………。

 
「赤池、バレンタインケーキの作り方教えてよ」
 校舎の廊下で、待ってましたとばかりに、高林が腕を掴んだ。
「は?」
「だから!!今度の日曜日、バレンタインだろ?吉沢にケーキを贈りたいんだ」
「それで?」
「赤池に教えてくれって言ってるんだよ」
 もしもし?僕は元風紀委員長なんだぜ?そういう連中を取り締まるのが、僕の役割なんだが、こいつはわかっているのだろうか。
「どうせ大学受かって、時間余ってるんだろ?」
「余ってはいるが」
「じゃあ、教えてよ。高校最期のバレンタインくらい、豪勢な物を送りたいんだ」
 恋する乙女よろしく顔を紅潮させて、高林は食い下がった。この調子では、はいと頷かない限り、離してはくれないだろう。
 溜息を一つ吐き、
「教えるのはいいが、高林、ケーキはやめとけ」
 忠告をした。
「どうしてだよ?」
「あれは、結構難しいんだ。土台のスポンジが石の様に硬くなるかもしれん」
「え〜〜〜〜〜?!」
 卵の泡立ては出来ても、小麦粉の混ぜ方は、ある程度技術がいる。第一、チョコレートをコーティングするにしても、テンパリング作業がいるし、チョコレートクリームだと、その辺りがクリームだらけになるのは、目に見えている。
 料理もしたことがない高林に、果たしてケーキが焼けるのだろうか。………否だ。
 どうせ教えるのなら、僕としても完璧なものを教えたい。
「その代わり、クッキーはどうだ?」
「クッキー?」
「まぁ、バターを泡立たせるのに労力は使うが、型抜きクッキーだと失敗は少ないと思う」
 これなら多少堅くなっても、食べられる範囲であろう。
「石のケーキを吉沢に食べさせるわけにはいかないし………。そうか!ハート型のクッキーをあげればいいんだ!」
「い………いや、ハート型とは………」
「決めた!ハート型のクッキー教えてよ。僕のハートで吉沢を一杯にするんだ」
 そのハート型は、誰が買ってくるんだ?嫌な予感が頭を横切る。
「あ、葉山!」
 僕の考えている事など知る由もない高林が、偶然通りかかった葉山と真行寺を呼び止めた。
「高林くん。赤池君もどうしたの?」
 珍しい組み合わせに疑問符を投げ掛け、葉山が僕と高林を見比べる。
「葉山。一緒にハート型のクッキー作らない?赤池が教えてくれるんだって」
「えぇ?!」
 お………おい、一人教えるだけでも大変だと言うのに、ド素人が二人になるのか?
「どうせ、ギイにバレンタイン送るんだろ?手作りクッキー送ったら、ギイ、感動しちゃうよ」
「あ………いや………ぼくたちは、そんなんじゃ………」
 突拍子もない高林の言葉に、しどろもどろに言い訳をする葉山の横から、
「俺も作りたいッス!」
 真行寺が、手をぶんぶん振りながら立候補した。
「俺もアラタさんに、食べて貰いたいッス!葉山サン、一緒に作りましょうよ」
 目の前が暗くなるとは、このことを言うのだな。
 葉山は二人の勢いに押され渋々頷き、土曜日の午後、お菓子教室が開かれる事になった………。

 
「まずはバターを白っぽくなるまで、泡立て器で混ぜるんだ。室温に戻しておいたからな。少しはやりやすいだろう」
 わかりやすく説明をする為、同時進行で僕もクッキーを作る。
 エプロンをつけた高林、葉山、真行寺が、いそいそと作業に取り掛かった。
 吉沢は、高林の横で心配そうに様子を見詰め、三洲は椅子に脚を組んで腰掛け、おもしろそうに眺めている。
「ちょっと赤池。これ本当に室温に戻してるの?堅いじゃん」
 早々に文句を言ってるのは、高林。
「じゃ高林君、俺、手伝おうか?」
「ダメ!吉沢に手伝ってもらったら、プレゼントの意味がないじゃないか」
「あ………それじゃ、二人で作るって言うのはどうかな?えっと、俺も、面白そうだなとか思って」
 高林の機嫌を損ねないようにフォローするあたり、吉沢も慣れてきたものだ。
「うん。二人の気持ちが入ったクッキーだね?一緒に作ろう、吉沢」
 人目も憚らず抱きつく高林に、ゆでだこのように真っ赤になる吉沢。これは、相変わらず慣れないと見た。
「こんなの楽勝ッスよ」
 その横では軽い調子で、くるくると廻す真行寺。現役剣道部の腕っ節の強さは、こんな所にも役立つもんだ。
「毎日部活で訓練しているからな。このくらい真行寺にはどうってことないだろ」
 後輩を思いやるような優しい口調に、びくりと真行寺の肩が動いた。
「アラタ………さん………?」」
「楽しみにしているよ。真行寺」
 にっこりと微笑む三洲の笑顔に、真行寺の表情が固まり蒼白になる。
「わ………わかりました………デス………」
 これ以上の恐怖はないのであろう。かわいそうに………。
 賑やかな中で、一人黙々と作業をしているのが葉山。
 私用でNYに帰っているギイが、祠堂に戻ってくるのは月曜日。恋人同士がいちゃいちゃしている中では、さぞ辛い事だろう。
「葉山、ボールを手前に傾けると、やりやすいぞ」
「あ、そうなんだ」
 素直にボールを傾けて、緊張した面持ちで泡立て器を持ち直した。
「ねぇ、赤池君」
「なんだ?」
「クッキーって、どのくらいもつの?」
「ギイが帰ってくるまでは、充分大丈夫だ。その為に、ほら」
 僕は、蓋つきの缶と乾燥剤を渡した。
「これに入れておけ」
 葉山の顔が、パァっと明るくなり、
「赤池君、ありがとう」
 にこりと笑った。
 これで、もう一人からも感謝してもらえるだろう。
「次は、砂糖を3回くらいに分けて、入れていくんだ」
 説明をしながら、作業はどんどん進んでいく。
 高林のリクエストどおり、ハート型で繰り抜き(案の定、このハート型は、僕が買ってきた)オーブンに入れて一段落。
「今のうちに、洗い物済ませておけよ」
 慣れない作業にくたばっている奴らの、尻を叩く。と、そのとき、
「お、いい匂いだな」
 調理室のドアが開き、入ってきたのはNYにいるはずのギイと………柴田先輩?
「赤池君、久しぶりだね」
 にこにこと話し掛ける先輩に、
「どうして先輩が、ここにいるんですか?」
 呆然として、疑問を投げ掛けた。
「麓で偶然会って、車で送ってもらったんだ」
 先輩が口を開くより早く、ギイが応える。それに応えて、柴田先輩は同意の意味で頷いた。
 久しぶりの先輩の登場で、それぞれが挨拶をしたり、大学生活を訊いたりと、調理室はにわか同窓会のようになってしまった。
 オーブンに目を走らせながら、意識は知らず知らず柴田先輩に向いてしまっている。
 ゆっくり二人で話してみたいな。ふと思った感情に、自分自身、驚いた。
 以前のように、後輩として甘えてみたいだけだ。そう考える事で平常心を保とうと、試みた。けれども、理解できない何かに占領されていく胸の内を、言葉に出来ない。
 不可解な感情を解読しようとした時、オーブンのチャイムが鳴った。
「そろそろ焼きあがったようだな」
 皆を促し、オーブンの扉を開くと、香ばしい香りが立ち上った。
「網に乗せて、冷ましておけよ」
 一声掛けるが………こいつら訊いてないな。顔が緩んでるぞ全く・・・・。
 歓声の中、一人残されていた先輩に声を掛ける。
「先輩、お一ついかがですか?」
「貰ってもいいのかい?」
 嬉しそうな顔をしながら、焼きたてのクッキーを口に放り込む姿は、子供のようだ。
「美味い!赤池君にこんな特技があったとは、知らなかったよ」
 以前と変わらぬ優しい微笑に、ふんわりと暖かな空気が流れ込んでくるような錯覚になってしまう。
 やはり、この人の側は居心地がいいな。
「あ、そうだ。赤池」
 高林が、背後から声を掛けてきた。
「クッキー教えてくれて、ありがとう。それで教え賃というか、みんなの気持ち」
 高林が差し出したのは、封切したばかりの、映画のチケット2枚。
「え、いいのか?」
「赤池先輩の時間を割いて、教えてもらったんスから、受け取って下さい」
「それじゃ、有り難く貰っておくよ」
 バイト代ってことだよな。見に行こうと思っていたから、これはとても嬉しい。
「ということで、オレ達はそろそろ行くか?」
 さりげなく葉山の肩に腕を廻し、ギイが皆を促しぞろぞろと調理室から出て行った。
 って、おい!!
「ちょっと、待て!後片付けが残っているだろうが!!」
 廊下に叫んでも、後の祭り。さっさと階段を降りた奴らの影は、もうそこにはなかった。
「もう、行っちゃったのかい?」
 がっくりと肩を落とす僕の横で、心配そうに覗き込む柴田先輩。
 そうだ。まだ、この人がいたんだった。
「………先輩」
「なんだい?」
「さっき、僕の作ったクッキー食べましたよね?」
「あ………あぁ、美味かったよ」
「じゃ、先輩、これ手伝ってください」
「えぇ、俺が?!」
 驚いた顔に噴出しながら、にこりと笑いずいっと近寄った。
「だって先輩、僕のクッキー食べたでしょ?」
「そ………そうだけど………」
「今なら、残りのクッキーと、映画のチケットが付いてきますよ」
 手の中にあるチケットを、ひらひらと目の前にかざす。
「赤池君と二人で映画?」
「あ、いやなら、一枚だけ差し上げましょうか?」
 これ見よがしに、一枚抜き取ると、
「あ………赤池君と、行きたい」
 慌てて訂正する先輩に、笑いが漏れてしまう。いつまでたっても、素直な人だな。
「赤池君?」
「いえ、何でもないんです。さっさと終わらせてしまいましょう」
先輩を促し、洗い物の山に向かう。
「あ、先輩。今日は余り時間もありませんし、明日映画に行くと言うのはどうでしょう?」
「別に俺は何も入ってないから、いいよ」
「じゃぁ、車で迎えに来てくださいね。映画のあとは、先輩にお任せします」
「お任せって………」
「デートコース、決めておいて下さいよ」
 言うと、柴田先輩はどぎまぎと顔を赤らめ、
「わ………わかった。決めておくよ」
 袖口を巻き上げた。
 さて、明日はバレンタイン。
 たまには柴田先輩に甘えて過ごすのも、悪くないな。
 洗い物と悪戦苦闘している先輩の顔を見ながら、呟いた。
 
 
 
キッチン赤池さまのバレンタイン企画のお話を訊いたとき、私の中で浮かんだ方程式。
バレンタイン=チョコレートケーキ=章三君(爆)
バレンタインなんだから、エロい話を書きたかったのに(笑)どうしてもこの方程式から抜け出せず、
「これでもいい?」とお伺いを立てて、書いたものです。
これは………柴章なのかな???
書いた本人、はっきりわかっていなかったりする(笑)
(2002.9.4)
 
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