背中で感じる恋ボツ
2011年07年26日 Blogから転載
翌日、オレが目を覚ました時には、託生はもういなかった。 あの顔色で、仕事に行ったのか? 出張翌日なのを考慮して、島岡が今日の予定を遅らせてくれていたのだが。 「今なら事務所に託生の顔を見にいけるな」 多少オフィスに行くのが遅れたって、今日はデスクワークだ。 スーツに着替え車に乗り込んだオレは、運転手に行き先を告げた エレベーターを降り、まっすぐスタッフルームに向かうと、中からボソボソとスタッフ達の深刻な声が聞こえてきた。 「託生さんがお断りしたのには、何か理由あったのだと思いますが」 「えぇ。それはわかってます。こんなこと初めてですから」 「でも、このままでは……」 漏れ聞こえてきた内容に、眉が寄る。 オレが知らない間に、何か問題が起こっていたのか? 「何か、あったのか?」 「副社長!」 スタッフ全員の視線が、オレに集まる。顔を見合わせ、目で会話をしたスタッフ達を代表して、 「実は………」 桜井が事の詳細を話し始めた。 「話を蹴った?託生が?」 「はい」 託生はスタッフが決めた事に「NO」を言わない。仕事の選り好みはしないというよりは、スタッフが決めてきた仕事に間違いはないと信頼をしているからだ。 だから、託生らしくないその行為に眉をひそめた。 「その件以来、あちらこちらからキャンセルが相次いでおります」 モリスが裏から手を廻して、託生の仕事を妨害しているのか。 「託生とモリスが二人きりになった事はなかったのか?」 「………一度私が席を外しましたが、その時はマイケルとジョンがついていました」 「でも、その後に、託生さんが『話はなかったことに』と」 「マイケルかジョンか、どちらかの話が聞きたい」 桜井が、レッスン室でガードをしているマイケルを呼び出した。 「マ……マイケルであります!」 「あぁ、呼び出して悪かった。託生の事で聞きたい」 「はっ!」 「桜井が席を外したとき、モリスは何か託生にしゃべりかけたか?」 「はい!ただ………」 「ただ?」 「俺……いえ!私達にはわからない言葉だったので、何を言っていたのかまではわかりません」 「それか………」 日本語かフランス語か………たぶん、日本語だろうな。 桜井が席を外すのを待って、何かを言った。 「その時の監視カメラの映像はあるか?」 「はい、すぐに用意できます」 スタッフが映像を用意している間に、社にいる島岡に連絡する。 「義一さん、また………!」 島岡のお小言を無視し、 「島岡?プロデューサーのピーター・モリスを調べてくれ。特に、交友関係を中心に」 「………わかりました。ですから、す、ぐ、に、帰ってきてください!」 「はいはい」 すぐには帰れないけれど、一応返事をして携帯を切る。 「用意できました」 応接室には、モリスと向かい合わせに座った託生と桜井がいた。このカメラでは見えないが、ドア付近にマイケルとジョンがいたのだろう。 桜井が立ち上がり会釈をして席を立つ。 そして、モリスが託生に何かを言った。とたん、託生の顔が豹変する。あの嫌悪症時代によく見た、人を射るように睨み付けた表情。 託生の口唇がはっきりと動いた。 『おことわりします』 音声までは入っていない防犯カメラ。 読唇術で読んだモリスの台詞に、 「ぶっ殺してやろうか………」 心の中で呟いたつもりが、口に出てしまっていたようだ。 ギョッとオレを見るスタッフに、気にするなと手をふる。 「当分の間、レコーディングの方に力を入れておいてくれ。これに関しては、オレが動く」 オレの言葉にスタッフルームの空気が安堵に包まれた。 「わかりました」 「じゃあ恋シリーズを進めましょうか」 あちらこちらから次の仕事の案が出始めた中、 「副社長」 桜井がオレに話しかけた。 「なんだ?」 「託生さんは、いったい何を………」 「下種な勘違いヤロウに目をつけられただけさ」 意味を理解したスタッフの目が、嫌悪感で歪む。 ここにいる連中は、正攻法でバイオリニスト葉山託生を売り出してきた。このようなやり方がある事を承知してはいるものの、毛嫌いしているやつらばかりだ。 「託生さんを、そんな目で見ていただなんて」 「副社長。とことん、やっちゃってください!」 過激な女性スタッフの台詞に、「了解」ニヤリを口元を歪ませた。 「はい、桜井。どうしました?」 ジョンから何かが入ったのだろう。桜井がヘッドセットで応対する。 「え?ジョン、託生さんを止めてください!」 慌てた桜井の声にオレはスタッフルームを飛び出し、事務所の奥、練習に使っている防音室に向かった。 廊下の角を曲がると、桜井から指示を受けたジョンが、必死に託生を引き止めているところだった。 「託生!」 「えっ、ギイ?!」 「どこへ、行く?」 「えっと………買い物に」 嘘付け、目が泳いだぞ。 託生の手からバイオリンケースを取り上げ、桜井に渡し託生を抱き上げる。 「うわぁっ!」 ここでお姫様抱っこしないだけマシだと思え。 「ギイ、おろせ!」 「うーるーさーいー」 「おろせってば!」 「暴れると、落ちるぞ」 託生を荷物よろしく肩に抱き上げ、 「誰も入るな」 そのまま防音になっているレッスン室へ入り、廊下側のブラインドを下ろし鍵をかける。 大またに部屋を横切りドサリとソファに託生を放り投げ、腕を組んで見下ろした。 託生が乱暴に投げ出された体を慌てて立て直し、キッと睨みつけてくるが、そんな事どうでもいい。 「ピーター・モリスの所に行く気だったんだろ?」 「どうして………」 「あいつに抱かれるつもりだったのか?」 我ながら険呑な声だ。 「違う!!」 「じゃあ、どういうつもりだ?!」 「皆が困ってるから、話だけでもしたくて………」 「話で済む相手なら、最初からこんな事はしない!それこそ、相手の思う壺だ」 「でも!」 大きな溜息を吐いて、言い聞かすように説明する。 「あのな。事務所のスタッフは、全員マネージメントのプロだと言ったろ?しかも、ここはアメリカだ。あいつらのホームグラウンドだ。アメリカでのやり方なんて、百も承知している。託生が自ら動くことはない」 「でも………」 「信じてやれよ」 託生がハッとしてオレを見た。 「5年、ずっと一緒に仕事してきた仲間だろ?」 「うん」 オレの言葉にこっくり頷いた形のまま俯いた ポツリとズボンに水滴が落ちた。 正面に跪き、肩を引き寄せ、ゆっくり腕の中に閉じ込める。 「大丈夫だから」 自分が断ったが故に、スタッフを巻き込んだことを気に病んでいたのだろう。何もできない自分が、悔しくて堪らなかった。 しゃくりあげていた託生が落ち着いたのを見計らい、 「それより、どうして昨晩オレに言わなかった?」 疑問を投げかける。 昨晩の託生は、極々自然に否定した。オレが勘違いするくらいに。桜井から聞いて、託生が隠し事をしている事に気付かなかった現実に愕然としたのだ。 「だって仕事上の話だよ?ギイに心配なんてかけたくなかったし」 「そうじゃないだろ?オレは恋人の貞操の危機を今まで知らなかった間抜けやろうじゃないか」 「ごめんね、ギイ」 ぼそりと謝った託生の頬に「わかればよろしい」とキスをした。 内ポケットの携帯が鳴り、ディスプレイに浮かんだ名前を横目で確認して、ブチッと電源を切った。 てっきり出ると思ったのだろう託生が、ギョッとオレを仰ぎ見る。 「なに、してんだよ?!」 「これは、いいから」 「いいわけないだろ?!あ、ギイ、仕事は?!今の島岡さんじゃ?!」 見る見る内に託生の目が釣り上がり、 「帰れーーーっ!」 蹴飛ばす勢いでオレの腕を引き鍵を開け、ドアの外に押し出した。 様子を伺っていたらしいスタッフの面々が一歩後ずさり、 「ちょっ………託生!」 「帰れったら!仕事してこい!」 「だいたい、お前が…………!」 「仕事に穴を開けるような事するんだったら、日本に帰るからね!」 「そ……それは」 「だったら、仕事してこい!」 「わかった!託生、押すな!」 ぐいぐいと背中を押す託生にたたらを踏みながら、 「おい、桜井!」 背後にいるだろう桜井を呼ぶ。 「はっ!」 「託生、しっかり見張っとけよ」 「はっ!」 「ぼくの事はいいから、帰れってば!」 エレベータの中に押しやられ、扉が閉まる直前、 「ありがとう」 託生の口唇が、そう動いた。 |