ポジション(2003.7)
託生と同室になって、早2週間。
初めの頃はお互いの生活のペースが掴めず、オレはともかく託生は戸惑っていたようだが、今では一日の時間の流れを共有できるようになった。 そして、1年の頃は授業が終わると、食事以外は部屋から出なかった託生を事あるごとに連れ出し、疲れない程度に他人と接触させるようにしている。 基となる原因は、まだわからない。 しかし、少しでも本当の託生に戻したい。 その思いから、章三の訝しげな視線を受けながら、託生を副級長に任命した。 側に居たいという感情も、もちろん入っていたが。 でもな、章三。 お前も、本当の託生を知らない。 託生は「無関心」と言われているが、結構責任感が強いんだぞ。出来ない人間を、オレが指名するはずないだろう? 6時間目の終わりのチャイムが鳴り、HRまでの空き時間。 松本が来るまでの間、それぞれが帰りの用意や友人と話をしたりと、教室内がざわざわと喧騒に包まれていた。 今日の日直は、託生。 人の間を泳ぐように抜け、チョークの粉に少しむせながら黒板を消している。 その顔が妙に子供のように見えて、クスリと笑いを零した。 「おい、ギイ。何がおかしい」 おっと、章三の存在を忘れていた。 この2週間、託生を連れての行動にはどうしても制限があり、オレが動けない分、章三が走り回っていた。 「人を使い走りにしてるんなら、話くらいちゃんと聞け」 「すまん」 片手を上げて拝み、目の端で託生を捕えながら、章三の話に耳を傾けたその時。 自分の席に戻ろうと河合の後ろを通り抜けた託生の顔面に、河合の振り上げた手が、バシッと音を立ててヒットした。 反射的に立ち上がり託生の側に駆け寄ろうとしたオレに、章三が「ちょっと待て」と押し留める。 「邪魔するな!」 章三にしか聞こえない程の小声で睨みつけるオレに、 「自分の努力の結果を見るのも、いいんじゃないか?」 と、章三はニヤリと笑った。 託生は一瞬自分に起こった事がわからず、目を白黒させながら、殴られた鼻を右手で押さえて立ち尽くす。 「ごめん!!」 振り向きながら謝った河合の顔が、相手が『葉山託生』だと知って変化する。面倒臭いやつに当たっちまったなというような、表情だ。 クラス内のやつらも、黙ってその成り行きを見ていた。 しかし、過失ではあるが殴った事には変わりはない。 「葉山、ごめん」 口だけとも受け止めるような口調で、もう一度謝った河合に、 「あ、ぼくもぼーっとしていたから………。大丈夫だから気にしないで」 痛みに目を潤ませながら、それでも相手を労う託生に、その場に居る全員が驚きに息を飲む。 オレでさえも、驚いた。 今までの託生なら、相手をちらっと見て、無言でその場を離れただろう。その託生が相手の言葉に応え、その上「気にするな」と相手を思いやっている。 たったそれだけの事なのに、オレは感動で胸が痛んだ。 「たまには、放っておくのもいいもんだろ?」 章三の言葉に、素直に頷いた。 託生は、変わっていたんだな。 変化の影に、オレが関わっている事が誇らしい。 感動に浸っていたその時、託生の右手から赤い液体がポトリと落ちた。 「葉山、鼻血!!」 今度こそ、オレは走った。 しかし、託生の席とは端と端。 しかも、全員が揃っている教室内を横切るのは至難の業で、教卓の前を通ろうとしたオレの目に、 「とりあえず、座れ!」 と、席を譲りブレザーを引っ張って託生を座らせる中川や、 「ティッシュ!ティッシュくれ!!」 と、みんなに叫んでいる河合や、その声に応えるまでもなく、ティッシュを投げつけている皆の姿が映る。 「託生!」 「ギイ」 言われるまま座り、渡されるままティッシュを鼻に当てながら、でも、皆の反応に付いていけなくておどおどとオレと見た託生に、心配ないと微笑んでみせた。 「大丈夫か?」 「うん………」 頭を上に向けさせ、血が止まるのを待つ。 「ギイ、ほら」 しばらく消えていた章三が、ハンカチを数枚濡らして持ってきた。 「サンキュ、章三」 託生の右手を開けさせ血を拭う。 「止まったか?」 顔を正面に向け、そっとティッシュを外す。汚れている顔を拭き、様子を見ると、鼻血は止まったようだった。 「大丈夫そうだな」 「うん」 オレの声に、クラスの空気がほっとしたものに変わる。 心配そうに立ち尽くしていた河合も、安堵の溜息を吐いた。 「葉山、ごめんな」 「え、あ、もう、大丈夫だし………あの………」 何度も謝られてどうしようと、縋るような目でオレを見た託生に、 「河合。この後、用事あるか?」 と助け舟を出した。 「いや、何も入ってないけど」 「じゃ、託生の掃除当番代わってやってくれないか?」 「え?!」 「OK、わかった。場所はどこだ?」 「裏庭」 「そ………そんな、いいよ、ギイ」 託生にしてみれば、そんなつもりでオレを見たんじゃないと思っているだろうが、不可抗力とは言え、河合は怪我をさせたのだ。このくらい、当たり前だよな。 それに、 「葉山は気にしないでくれ。掃除は俺が引き受けた」 笑顔で応える河合の表情も、今までと違っている。 出来る事なら関わりたくないといった状態から、ごくごく普通のクラスメイトに話すような気軽さだ。 「ギイ。級長。今日のHRなしとの、松本先生からの伝言だ」 割って入った章三の声に、皆が手持ち無沙汰で待っているのを思い出した。 慣れない雰囲気に小さくなっている託生の為にも、ここは早く帰ってもらった方がいい。 「おぅ!ってことでHRはなし。皆、解散してくれ」 オレの一声に、目を見合わせながら、ざわざわと散っていく。 「じゃあ、河合も頼むな」 「任せとけ」 いつの間にか自分そっちのけで話が進み、あたふたと慌てている託生に、 「託生も帰るぞ」 と、促した。 「え?!あ………うん。あの………河合君、ごめんね」 「気にするなって。俺が悪かったんだから、当たり前だよ」 謝る必要はないのに、本来の託生の性格が出たのか、申し訳なさそうに言って自分の鞄を手に取る。 そして、教室を後にした。 夕食の席では、何人ものクラスメイトに声を掛けられ、どぎまぎしながらも少し顔を赤らめて「ありがとう。大丈夫」と言葉を返し、食べ終わるのにいつもの倍の時間がかかってしまった。 「託生、疲れてないか?」 小声で問うたオレに、託生は一瞬きょとんとした顔をし、 「うん。大丈夫」 無意識の事だろうが、ふわりと微笑んだ。 ドキリとした。 何もかも包み込んでくれるような笑顔に、託生は何も変わっていないと、改めて確信する。 嬉しさに、抱き締めたい衝動を押さえ込み、ポーカーフェースを作ったオレの目に映ったのは、箸を止めこちらを凝視してる奴らが数人。 それも、驚いた表情ではなく、これは………。 「託生、帰るぞ」 「え、うん」 突然立ち上がったオレに、託生が慌てて後に続く。 そして、託生を急かしてトレーを返し、急いで食堂を後にした。 託生の原因を取り除き、元に戻ってほしい。そして、二人の関係をもっと深く築いていきたい。 しかし、託生が元通りになったら、オレの周り、ライバルだらけになるんじゃないか?! 「ギイ、さっきから黙って、どうしたの?」 食堂を出てから一言も喋っていないオレに、託生が覗き込む。 「託生!!」 託生に向き直ると、託生はビクリと一歩下がり、 「な………なに、突然?」 訝しげに、問う。 「オレ、お前の恋人だよな」 「な!………こんな所で、なに言ってるんだよ」 そそくさと小声で言って、耳まで真っ赤にして託生が足早に廊下を進む。 「なぁ。オレの事、好き?」 「ギ………ギイ!!」 追いかけて耳元で聞くと、真っ赤な顔を更に赤くして、ジロリと睨んだ。 睨んだ顔も、可愛い。 と、思った瞬間、オレは託生の口唇を塞いでいた。 死角部分とは言え、誰も来ない保証などない往来。 「だ………だ………だ………大っ嫌いだ!!」 託生は口唇を両手で押さえ、脱兎のごとく逃げ出す。 「託生〜〜〜〜〜〜〜」 名前を呼びながら、これからの事を考える。 恋人の位置を維持するには、どうしたらいいか。早急な検討が必要なようだ。 嫌悪症時代を書くのは、1年10ヶ月ぶり………ってか、一度しか書いた事がないけど;(Sweet) CDが届いて、改めて嫌悪症時代の話を読んで、思いつきました。 でも、実際はどうだったんだろうなぁ。 (2003.7.3) |