会議室と雨

「ヤバイ。あれがないと今日の仕事に差し支えるのに」
 昨晩の会議のメモ。
 副社長とマンションに戻り、自分の部屋に帰って入力しようと鞄の中を探ったもののメモは見当たらず、会議室に忘れてきたことに気付いて血の気が引いた。
 社に戻るにはあまりにも遅い時間だったので、翌日の早朝、警備室から鍵を借り、ぼくは会議室に足早に向かったのだ。
 ドアを開け手探りでスイッチを入れて、ぼくが座っていた机周りを探す。
「あった………」
 最終の会議だったから、あのあと誰もこの部屋に入っていないのだろう。あっさりと見つかったメモに、深い溜息を吐いた。
 ドアを施錠し鍵を返したぼくは、自動販売機で買った缶コーヒーを手に、専属秘書室のドアを開けた。
「そろそろ梅雨が終わってもいい頃なのに……」
 閉め忘れたカーテンの向こうには、ビル街を洗い流すような激しい雨が降っている。
 ………雨は嫌いだ。
 もう大丈夫だと思っていたのに、一人雨の中に立ったとき気づいた、ぼくの心。
 祠堂で雨の冷気を感じなかったのは、隣に彼がいたからだ。
 あの日から、ぼくの心は凍ったまま。
 彼の父親から告げられた言葉は、人の道を外しそうな子を思う親として、当たり前すぎるものだった。
 何の因果か、今、彼の秘書として側にいるけれど、いつか……彼にふさわしい人間が隣に立つだろうことを、自分の心を殺して待っている。
 雨の雫を追うように、曇り一つない窓に指を置き、つつつと滑らしたそのとき、ぼくの手を包み込んだ大きな手。
「一声かけていけよ」
「………メモを置いていたはずですが」
「水を零しちまって、読めなくなったんだよ」
 そう言って、包み込まれた背中の暖かさに安堵の溜息が零れ出た。
 当たり前のように感じていた、この温もり。拒否しないといけないのに、この腕から抜け出せない。
「泣くなよ」
「泣いてなんか……」
 そっと振ってきた口唇。
 柔らかく包み込んで、ふと離れ、
「ここが、泣いてるだろ?」
 吐息がかかる距離で囁かれ、指が心臓の上を押した。
 今だけ……目を閉じているほんの少しの時間だけ、夢を見ても許されるだろうか。
 窓に置いた指が、スーツの布地を掴む、その間だけ。


(2012.1.14 小話ついったー)
 
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