託生くん、社食に行く

「お腹、空いた………」
 副社長を昼食会に送り出し、溜まった書類の整理を終わらせ、昼時を少し過ぎた社員食堂にぼくは来ていた。
 ピークを過ぎた食堂内は人がまばらで、誰もいない景色のいい窓際の席に座って一息つく。
 窓から見える高層ビルの上には、真っ青な秋晴れの空が広がっていた。
「いただきます」
 小さく手をあわせ、箸を手に取る。ほかほかの唐揚げの匂いに釣られ口に入れると、ジューシーな美味しさが広がり幸せな気分になってきた。
「平和だな」
 副社長が帰ってくるまで、少しのんびりさせてもらおう。あのセクハラ男がいない時間なんて、滅多にない貴重なものなのだから。
 そう一人決めし、とりあえずは空腹を満たすことにした。
 半分ほどお腹の中に収めた頃、ざわりと空気が揺れたような気がして顔を上げた。適当に散らばり座っている社員の視線が、ぼくに集中している?
 なんとなく嫌な予感がして、ゴクリと口の中のご飯を飲み込む。
 この場から離れなければ!
 本能が危険信号を出したとき、
「唐揚げ定食か。たまには魚も食えよ」
 麗しい美声と共に秋刀魚の塩焼き定食を乗せたトレイが隣に置かれ、ガタンと椅子が引かれた。
 まさか………。
 ギギギギと首を真横に向け、
「……なに、やってるんですか?」
 呆然とここにいるはずのない男に声をかけた。
「なにって、昼飯食おうと思って。んー、やっぱりこの季節は秋刀魚だな」
 ズズズと味噌汁を飲んで、さっさとメインディッシュの秋刀魚の塩焼きに箸を刺す。
「昼食会は?!」
「あぁ、移動している最中に先方からキャンセルの連絡が来てな。もっと早くに連絡入れろってんだ。託生と一緒に食おうと思って帰ってきたら、ここにいるって聞いて来てみた」
 ……眩暈がする。
 一般社員と昼ごはんを食べようと、わざわざ帰ってくる副社長がどこにいる?
 …いや、ここにいる。
 どこまでもどこまでも、我侭で傍若無人で人を振り回すことが得意な、我がセクハラ上司。
「どこかで食べてくればよかったでしょう?」
「一人で食っても、美味くはない」
 それは、そうだろうけど。
 って、突っ込むところは、そこじゃない!
「ここ社食ですよ」
「それがどうした。オレも、社員だろ?」
 いやいやいやいや、社員かもしれないけれど、普通は副社長の肩書きのある人間が来るような場所じゃない。
 黙りこんだぼくを、どう思ったのか、副社長が箸を止めた。
「ん、秋刀魚が欲しいのか?」
「いりません」
 副社長じゃあるまいし。
「遠慮すんなよ、ほら」
 ぼくの返事を無視し、副社長は、ささっと秋刀魚を一口サイズにほぐし、ご丁寧に大根おろしを乗せて、ぼくの皿の端に置いた。
「交換な」
 そして、勝手にぼくの皿から唐揚げを奪い取る。
「…………」
 もう、なにも言うまい。
 遠巻きに、でも興味津々に見ている人達の視線が痛い。時折聞こえる女子社員の嬉しそうな悲鳴に、頭痛がしてきた。
 クールで頭の回転が速く、雲の上の存在のような人物が、社員食堂で秋刀魚の塩焼き定食…。しかも、おかずを交換など、子供じみた行動に、絶対社内でメールが飛び交うであろうことは予想できる。
「うん、秋刀魚食べないのか?」
「……いただきます」
 脂の乗った秋刀魚を口に入れ、溜息を噛み殺す。
 こんなことなら、外に食べに出ればよかった………。
 とは言っても、ここは天下のFグループ日本支社のオフィスビル。社員食堂らしい安さと、らしくない美味しさは、どこの食堂にも引けを取らない。
「美味いか?」
「はい」
 投げやりなぼくの返事に頓着することもなく、副社長は満足そうに笑い、秋刀魚の食べ方見本のように綺麗に骨だけ残して完食した。
「さてと」
 チラリと腕時計を見、トレイを右手に持ち左手でぼくの右腕を握った。
「へ?」
 がっちり拘束された右手首と副社長の顔を交互に見ると、
「帰社予定には二時間早いな。デートでもするか」
 静かな社食に響く低音。
「「「「キャーーーーーッ!!!!」」」」
 四方八方からの叫び声に、このまま気を失いたくなる。
 ナンテコトイウンダ、コノオトコハ?!
「ちょ…ちょっと待ってください!」
 ぼくのクレームを無視して鼻歌を歌いそうなくらい上機嫌でトレイを返却窓口に返し、ぐいぐいとぼくのうでを引っ張っていく。
「それとも、これから二時間、オレと副社長室に閉じこもるか?」
 耳元に口唇を寄せボソリと囁かれた言葉に、ぶんぶんと首を振る。
 このセクハラ男と密室なんて、ジョーダンじゃない!
 自分の貞操と飛び交うであろう噂を天秤にかけ、勝利したのは副社長とおでかけだった。
 デートだなんて、絶対言うもんか!!!

(2011.9.24 Blog)
 
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