副社長、社食にはまる

 ノックもなしにドアが開き、
「託生、昼飯行くぞ」
 当たり前のように副社長が呼んだ。
「……保存しますんで、少し待ってください」
「早くしろよ。オレ、腹ぺこぺこ」
 それなら、さっさと一人で行けばいいじゃないか。
 言葉を飲み込み、ついでに溜息も飲み込んで、ノートにパスワードをかけた。
 のれんに腕押し。ぬかに釘。
 なにを言ったって口で勝てないのだから、諦めるしかない。
「お待たせしました」
 ドアノブに手をかけたまま待っている副社長に声をかけ、先を促した。
「今日の日替わりはなんだろうな」
 鼻歌を歌いそうな上機嫌でエレベータに乗り込んだ副社長を見て、やはりあのときの自分の選択を間違えたと思った。社食の安さにも美味さにも負けず、外に食べに行けばよかったんだ。
 あの秋刀魚定食を食べた翌日から、副社長は毎日ぼくを誘いに来るようになった。
 どこの会社の副社長が、社食の日替わり定食を楽しみにしているんだろう。
 社食に入り副社長はトレイを手に取り、列の最後尾に並んだ。
 以前は周りの人間がギョッとして先を譲ろうとしたのだが、今は軽く会釈をするだけでトレイを持って並んでいる副社長の姿を見て驚きもしない。
「大盛りで頼む」
「はい。副社長にスペシャル大盛り〜」
 と、おばさんまでこんな調子で。
 あぁ、馴染んでる。これでいいのか、我が社の副社長は………。
「ここ、いいか?」
「ははははいっ!」
 それでも、やはり副社長と相席というのは敷居が高いらしく、そこにいた四人の女子社員がいっせいに背筋を正した。
「珍しい組み合わせだな」
 何のことかと副社長の視線を辿ると、そこにはお弁当箱に入れたご飯と社食のおかず。
「ごはんが多すぎるので、持ってきてるんです。節約にもなりますし……あっ」
 副社長の前で節約なんて家庭染みた言葉を言ったことに羞恥を感じたのか、顔を赤く染めた女子社員に、
「節約はいいことだよ。いい奥さんになれそうだな」
 ニコリと笑った副社長に、周りの人間も頬を染めた。
 天然たらし……。
 呆れて、黙々とご飯を食べていると、
「あのぉ、副社長」
 おずおずと、女子社員の一人が副社長に話しかけた。
「なんだ?」
「副社長と葉山さんがお付き合いをしているのは、本当なんですか?」
「ぐっ!」
 喉に詰まりそうになったご飯を、副社長が差し出した水を一気に飲んでやりすごす。
 って、今、何て?!
「ん〜、わかる?」
「ちょっ!」
「あ、本当にお付き合いなさってたんですか?!」
 嬉しそうな声で再度聞く女子社員の声に、
「違います!」
 反射的に否定したものの、
「照れなくてもいいんだぞ」
「照れてません!」
 本気で言っているのに、ニヤニヤと笑う副社長にどう反論しようかと思い巡らせているうちに、
「でも、まだ、こういう状態でね」
「副社長、応援してます!がんばってください!」
「ありがとう」
 まるで選挙に立候補した候補者が応援してくれる人達とがっしり握手をしているような光景に、がっくり力が抜けた。
 がんばれって……応援って……。
 ぼくの貞操の危機を考えろーーーーーっ!!

(2011.10.30 小話ついったー)
 
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