副社長、チョコをねだる

「たーくみっ」
「……葉山です。副社長」
 微妙な節をつけてドアの隙間から名前を呼んだ副社長に、顔を上げずに応えた。
 こういうときは、危ないのだ。
 無理難題を言われるか、不意を突かれてセクハラされるか。
 そんなぼくに頓着せず、スキップしそうな足取りでぼくの側に近寄り、
「チョコレート用意したか?」
 全く想定外の台詞を、副社長は言った。
「はぁ?」
 チョコレート?
 ……あぁ、もうすぐバレンタインデーだった。
 どうせ、女性社員から抱えきれないほどのチョコレートを貰えるのだろうに、男のぼくに何を言ってるんだか。
「チロルチョコでいいなら用意しますよ」
 どうせ文句を言われるのだろうなと思ったぼくの耳に、
「よっしゃ。託生からのチョコ確保!」
 嬉しそうな声に呆気に取られて、顔を上げた。
 一個十円だよ?そんなので、こんなに喜ぶ?
「あの……」
「もう聞いたからな。チロルチョコ貰えるんだろ?」
「……チロルチョコって知ってます?」
「あぁ。あの可愛らしい小さい正方形のチョコだろ?」
「そうですけど………」
「十四日、楽しみにしてるな」
 と出て行った副社長の背中を見ながら、なんとなく罪悪感を感じた。
 ………嫌味だったのに。豪華なチョコレートに埋もれるくらい小さなチョコレートなのに。
 ふと、先日秘書課の女性が義理チョコ用と買っていたチロルチョコの詰め合わせを思い出した。
 一個は、さすがに可哀想だよな。義理チョコ詰め合わせと知ったら、それはそれで不満な顔をするだろうけど、一個よりはマシだよね。
 って、どうして、ぼくがチョコレートを用意しなくちゃならないんだ?!
 チョコレートの話題を頭から振り払おうとして首を振り、思い出した。
「どこにいたって、バレンタインの日は会いに来るって言ったのは君なのに」
 言いたくて、絶対言えない言葉を、口の中で呟いた。


「不本意だけど、チロルチョコを用意すると言ってしまったし」
 会社近くのコンビニで、小さなチロルチョコを摘んで思案する。
「一個でいいかな………」
 どうしよう。
「あら、葉山さん」
「わわっ」
 肩を叩かれ振り向くと、制服から私服に着替えた秘書課の女性が、興味津々にぼくの手元を覗き込んでいた。
「いや、あの、これは」
「副社長ですよね?」
「えぇ、まぁ……」
 苦笑して答えたものの、
「だって『託生がチロルチョコくれるって』って、秘書室でノロけてましたし」
 続けられた言葉に、思わずチロルチョコを握り締めた。
 あんのヤローっ!なんてこと言って回ってるんだ?!
 クスクスと笑いながら、
「どうせチロルチョコを渡すのなら、面白い案があるんですけど」
「はい?」
 キラリンと瞳を輝かせた彼女が言った案に、
「………面白そうですね」
「でしょ?」
 ぼくも同意した。


「たーくみっ」
「チョコレートならあとで持っていきますから、副社長室で大人しく待っててください」
 外出先から戻ってすぐ専属秘書室のドアを開けた副社長と目も合わせずに答えたものの、それに文句も言わず、
「待ってるからな」
 ひらひらと片手を振って、機嫌良さそうに副社長はドアを閉めた。
「チロルチョコ一個に、どれだけ期待しているんだか」
 PCにパスワードをかけ、ロッカーを開けて紙袋を取り出す。
「よいしょっと。こんなにチョコレートが重いなんて、知らなかったよ」
 副社長室のドアをノックして中に入ると満面の笑顔で出迎えた副社長が、ぼくの両手に持っている紙袋を目にしたとたん呆気に取られたようにポカンと口を開けた。
「いつもお世話させられている副社長へ、どうぞ」
 ドサリとデスクの上に紙袋を置き、中からどさどさと箱を取り出していく。
 店の人が面白がって包装してくれたおかげで、見た目にはバレンタイン用のプレゼントに一応見えるけれども、この大きさがなぁ。
「開けていいか?」
「どうぞ」
 呆然と箱達を見ていた副社長が一つを手に取り、丁寧に包装を解いて………。
「託生……」
「チロルチョコです」
 次々と現れたのは、
『コーヒーヌガー』
『ミルク』
『ホワイト&クッキー』
『きなこもち』
『ホットケーキ』
『白いちご』
『北海道ミルク100%』
『抹茶ソイラテ』
『しおパイン』
『ラズベリーチーズパイ』
『いちご大福』
 ついでに『ミルクヌガー』
 一個買うかで悩むのなら、とことん用意してみたらどうだ?との助言に、確かにそれはそうだと卸問屋まで行って箱買いしたチロルチョコシリーズ全種&ビッグチロルその他諸々とにかく全てのチロルチョコ。
「お気に召しませんでしたか?」
「いや!こんなに貰えるとは思わなかった!サンキュ!」
 感激してそうな副社長に、ちょこっと労は報われたなと頷きつつ、部屋を出ようとしたぼくの腕を副社長が引き止めた。
「オレからも」
 そう言って副社長が紙袋をぼくに握らせ、ぼくの背中をドアに向けて押す。
「賞味期限が切れてたら、ごめん」
 退出間際に聞こえてきた声。
 自分のデスクに戻って紙袋を覗くと、そこには十個の箱と不二家のハートチョコがあった。
 祠堂を卒業してからのバレンタインデーと、同じ数だけの箱。
「バカだよ。用意するだけ無駄じゃないか」
 一番上に乗せられていたハートチョコの袋を破り苛立ち紛れに一口齧ったとたん、二人で初めて過ごしたバレンタインの夜が浮かび俯いた。
 ポツリとズボンに染みが広がる。
「塩辛いチョコなんて大嫌いだよ」
 呟きと涙がミックスされたチョコレートの味は、最低だった。


《おまけ》
「………なんですか、これは?」
「チョコレート用の冷蔵庫だ」
「チョコレート用………」
「チョコレートってのは適温があるんだぞ。託生からのチロルチョコを味わうためには、このくらい必要だ」
「このくらいって……チロルチョコに業務用冷蔵庫買うバカがいますか?!」

ギイが買ったのは、(たぶん)これです。
⇒こちら

(2012.2.12〜2012.2.14 小話ついったー)
 
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