Good Night(2014.5)

 かすかな衣擦れの音を耳が拾い、指先に触れたシーツを探るように腕を伸ばした。……つもりだったが、たぶん1ミリも動いていないだろう。
 ふわふわとした心地よい睡魔と、余すところなく愛された名残が、幸せと共に気だるく体を包み込み、また夢の中に引きずり込まれそうだ。
 うとうとと夢と現実の狭間を行き来している耳に、また衣擦れの音が届いた。
 ぼんやりと重い瞼を開け音のした方向に視線を向けると、ギイがいた。
 窓の向こう側は朝を迎えた気配がするけれど、カーテンを閉め切った室内はまだ薄暗い。
 ぼくを起こさないようにか、ゆっくりとした動きでシャツのボタンを留めるギイの後ろ姿だけが部屋に浮かび上がっている。
 背中、広いなぁ。
 綺麗にプレスされたシャツが体のラインを写し、何度も見ているはずなのにドキリと心臓が鳴る。
 帰る家は同じなれど、ここ数週間仕事ですれ違い、会ったとしても寝顔だけという、なんとも複雑な日が続いていた。お互い仕事をしているのだから、仕方がないのはわかっていたけれど、隣にギイが寝ていて我慢しなければならないことも、疲れているギイに対してそんなことを考えてしまう自分に自己嫌悪に陥ったりもした。
 だから珍しく早く帰ってきたギイに求められても、なぜだか腹が立って拒否してしまって……今考えれば、完全なる八つ当たりだと思うけれど、そんなぼくにギイは苦笑しつつ言葉巧みに丸め込み、気付けばギイの腕の中。
「託生の寝顔で我慢してたんだぜ?」
「う…そ……つき……っ」
「ほんとだって。確かめてみろよ、託生」
 揺れる体と視界に映る光る汗。口唇に直接吹き込まれる囁きが、ぼくの脳内をかき回し、文句はいつのまにか言葉にならないものになっていた。
 ……と、ギイの背中を見ながら思い出し、一人顔を赤くしていたら、
「まだ、寝てろよ」
 ネクタイを結びながら振り向きもせずギイが言い、飛び上がらんばかりに驚いた。
 気付かれていないと思っていたのに、なぜ?!
 あたふたとシーツを引っ張り上げて、赤くなった頬を隠そうとしたぼくの視界に、壁にかけてある鏡の中でニヤリと笑うギイが映る。
「……ギイっ」
 気付いていたなら声をかければいいのに、相変わらず意地悪だ。
 こっそり見ていただけじゃなく、昨晩のあれやこれやを思い出してしまった気恥ずかしさから、乱暴に寝返りを打ったぼくに頓着せず、大股にベッドに近づきギイは枕元に腰かけた。
「悪趣味だよ」
「ごめん、託生があまりにも可愛くて」
 言いながら大きな手が頬を滑り、反対の頬に口唇が触れる。
「オレに見惚れた?」
「見惚れてません」
「ずっと見てたじゃん」
 ニヤニヤと嬉しそうに指摘され、
「あー、もう、しつこいな」
 目の前にある頬を撫でる親指を苛立ち紛れに噛み、ふと思いついてそのまま舐めてみた。とたん勢いよく視界がぐるりと回り、熱い口唇に簡単に塞がれてしまう。
「誘ってる?」
「誘ってません」
 舌を絡めながらくぐもった声で返事しても信憑性は薄いと思うけど。
 覚醒しきっていない意識が、今度は甘く移り変わっていく。
「こんなになってるのに?」
 シーツに潜り込んだ悪戯な手が、ぼくの肌を探っていく。昨晩、指先がたどった軌跡を体が思い出し、体温がふわりと上がったような気がした。
 あんなにもしたのに、まだギイが欲しいなんて……。
 少し掠れたギイの声に流れてしまいそうになったとき、素肌に当たった時計の冷たさに意識がクリアになった。
「……ィ、ギイっ!仕事!松本さん、迎えに………」
「待たせておけよ」
「なに言っ……ダメだったら、ギイ!」
 ぼくは、人を待たせてまでSEXできるほど厚顔無恥じゃない。そんなことをして、次にどんな顔で松本さんと顔を合わせればいいんだ。
 ジタバタと暴れだしたぼくに、先を進めることを諦めたのか、
「相変わらず、男心の妙がわからんヤツだな」
 全体重を乗っけて枕にどさりと頭を置き、ギイは大きな溜息を吐いた。
 失礼な。昔はともかく今は理解してるよ。仕事で出かける用事さえなければ、このまま二人でベッドにいてもいいかなと思うくらい。
 だから、
「続きは、今夜にしよ」
 早く帰ってきての願いと、その気にさせられたことへの仕返しを兼ねて、俯せているギイの耳に口唇を触れ合わせ囁く。これだけで悶々とした一日を送るだろうことは承知の上。
 案の定、ギイはビクリと体を震わせ「くそっ………」低く唸り、勢いよくベッドから起き上がった。
「絶対、帰ってくるからな。拒否るなよ」
「うん」
「寝てても起こすからな」
「いいよ。どうせならバスローブ一枚で待ってようか?」
 ぼくが言うなり、ギイは鼻を押さえて俯き、
「あー、うん、そうだな」
 などと、ボソボソと口の中で唱えて諦めたように力なく立ち上がった。と同時に、ぼくもベッドの上に起き上がる。
 あちらこちらにキスマークが散っているのは、昨日の情事を思い出せば見なくてもわかること。そして、これが煽る材料になるのも、ギイの性格を知っていれば簡単に想像がつく。
「いってらっしゃい」
 恨めしそうに見るギイに、にっこりと手を振ると、
「いってくる」
 軽くキスをして上着を手に取り、ギイは部屋を出ていった。
 ――――――――三秒後。

「ちくしょーーーっ!」

 廊下から聞こえてきた絶叫に吹き出し、
「いつまでも、やり込められると思うなよ」
 呟いて、もう一度ベッドに潜り込む。
 あれだけ煽れば、昨晩以上に濃厚な夜になるのは絶対だから、夜までに体力を戻さなきゃね。
「おやすみなさい」




先日のフォルダ上書き事件で、旧フォルダから捨てたはずのファイルが復活し、どうせだからと仕上げてみました。
山なし谷なしだったから、ボツったんですけどね;
暇つぶしのショートショートだと思ってください。
(2014.5.5)
 
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