ひとすじの光(2011.2)*Night*

「わかった」
 この一言で幕を引いた夢の時間。
 奈良先輩に言った事が、まさか現実になるなんてあの時は思いもしなかった。このような形で託生を手放さなくてはならない事に……。
 ごめんな。オレが言わなくてはならなかったのに、お前に言わせてしまって。
 最後まで運命に足掻いた馬鹿なオレを許してくれ。
 一生側にいてお前を守ると決めたのに、その誓いさえもここに置き去りにしなくてはならない悔しさ。
 だから、せめてオレが側にいられない代わりに、ストラディバリを持っていてほしかった。二度と会うことはできないけれど、お前の側に心だけは置かせてくれ。
 卒業式の夜………。
 最初で最後の恋を手放した、抜け殻になった夜………。


 祠堂を卒業しNYに戻ったオレは、大学に行きながら親父の仕事を手伝い、島岡と共に脅迫状の犯人を捜していた。
 託生を殺そうとしたんだ。絶対に許すものか。地の果てまで追いかけてやる。
 祠堂の内部に連絡係の人間がいるだろう事はわかっていた。そうでなければ、あれだけタイミングよく仕掛けられる事は不可能だ。
 改めて当時の祠堂の学生を調べあげ一人の生徒にたどり着いたものの、その生徒は退学し行方不明になっていた。事故を起こした二人もすでに変死しており、接触した人間を調べても何も出てこなかった。
 あまりにも手際よく隠された証拠。『遊び』の為にここまでできるのは、たぶん一握りの人種だけだ。
 しかし、手元にあるのはあの脅迫状のみ。印刷されたどこにでもあるような封筒と紙。
 それでも、オレは何もしないわけにはいかなかった。
 必ず突き止めて、死んだ方がましだと言う目に合わせてやる………!


 あらゆる手を使い色々な方向から探っていたものの、何も進展せずあれから一年が経った。
 託生につけていたSPから、もうそのような異変が起こっていないとの報告に、ターゲットから確実に外れていると確信してはいたが、それとこれとは別問題だ。
 終わった話じゃない。絶対に終わらせない。時間も手段もオレは選ばない。
 そんな時だった。古くからの財閥のトップであった故オスカー・キャンベル氏の執事がオレを訪ねてきたのは。
「オスカー・キャンベル氏は、半年前に亡くなったんじゃなかったか?」
「そうですね。会長と奥様が告別式に出席なさってました」
 死んでから半年も経ち、尚且つ親父ではなくオレに何の用があるんだ?
 不審な訪問に眉をひそめたが、追い返す理由もなくオレは応接室に足を向けた。
 初老とも言える品のよさそうな男性が、きっちり頭を下げるのを見届け着席を促し、挨拶をすっとばして疑問を投げかける。
「キャンベル氏が亡くなったのは半年前ですよね?何故今頃来られたのですか?」
「主人の遺言だったんです。たぶん自分は殺されるだろうから、3月に崎様にこの手紙を届けるようにと。それより前に動くと殺されるぞ、と」
「殺される?」
 物騒な言葉に島岡と顔を見合わせ、テーブルに置かれた封筒を手に取りペーパーナイフで丁寧に封を切った。入っていた手紙を開き目を通すと……。
「なっ………!」
「義一さん?」
「島岡!ニューヨーク銀行の貸し金庫だ!」
 オレの言葉に島岡は同封されていたカードを受け取り飛び出した。


 島岡が持ち帰ったのは、今までの経緯を書いた告白文。証明の為にと添えられた書類。そして関わっていた人間の詳細な報告書だった。
 オスカー・キャンベルは、託生を殺そうとした人間の中の一人だったのだ。
「自分の復讐をオレにさせるなよ。どこまでも自分勝手な奴だな」
 告白文に目を通し、テーブルを滑らせ島岡に渡す。
「偶然決まったターゲットがキャンベル氏の古い知り合いだったんですね。それに反対し逃がしたキャンベル氏は裏切り者として殺される事になったと」
「自業自得だろ?」
 今まで笑いながら何人もの人間の運命を変えてきたんだ。この件に関しては全く同情できない。
「でも、これで前に進めますね」
「確かにな」
 ここまで詳細な書類を残してくれたんだ。託生への暴挙は見逃してやる。どちらにせよ、殺されているしな。
「キャンベル氏含めて、全員で5人。やっかいなメンバーばかりですね。正攻法は使えなさそうですよ。どうしますか?」
「………裏工作は得意なんだ。徹底的にやってやる」
 ニヤリと笑うと、
「お手伝いします」
 人の悪い顔で島岡も笑った。
「リチャード・エドワーズ。こいつが親玉か。身内は……」
「メアリー・エドワーズ。リチャード・エドワーズの唯一の身内で孫娘。溺愛しているそうですよ」
 報告書を片手に、島岡が補足する。
「まだ10歳か。使えないな」
「待てばいいでしょう?」
「島岡?」
「5年もすれば15歳。いい頃合だと思いますが?」
 意味がわからないはずもなく。
 ………なるほど。その方向で追い詰めるのが一番の得策だな。
「OK。わかった。こいつに関しては5年後だ。他の奴等から行くか」
 5年も生かせてやるんだ。感謝しろ。おっと、その前に死ぬなよ。オレが最高の終焉を用意してやるから。
 エドワーズの報告書を指で弾いた。


 あれから5年。
 告白文の中には、まだオレがマークされている事が書いてあった。執念深い人物だから最低3年はマークされるだろうと示されている。
 敵もよく調べていやがる。3年そこそこで諦める人間ではないけどな。
 マークされている状態で動くのは危険だと判断し、5年後に狙いを定め水面下で準備を進めてきた。その人間に対して一番効果的な方法で、苦しみのどん底へ引きずり落とす。そのまま殺しはしない。死んだほうがましと言いたくなる状況まで追い詰める!
 この5年の間にターゲットの一人ランドルフ・クラウンが死んだ。
 全員が初老とも言える年齢だ。死んでもおかしくはないが、出来る事ならこのオレが地獄に叩きこみたかった。
 ただ、火事による焼死というアクシデントだったから、まだ老衰で死なれるより溜飲が下がった。苦しんで死んだのだろうから。
 残り3人。
 全ての準備が一線に並んだとき。
「そろそろ仕掛けようか。一週間で方をつける!」
 オレの一言に、島岡が頷き即座に指示を飛ばした。
 二日後。政界の長老アルフレッド・カーターが大統領の暗殺疑惑を容疑に逮捕された。
 朝から流れている番組も朝刊も、このニュース一色だ。
「うまくいったようだな」
 アルフレッド・カーターが白人至上主義だというのは、この世界では有名な話だ。そんな人間の大統領の暗殺疑惑。たとえ政界の大物であっても、否、だからこそ、見過ごせない事態だ。
「CIAが動くの早かったですね。匿名でディスクを送ってまだ二日だというのに」
「それだけ当局がピリピリしてるんじゃないのか?大統領暗殺計画の『盗聴記録』があったら一気に動くだろうしな。声紋も特徴もばっちり。研究員がんばってくれたからな」
「それは当たり前ですよ。研究費が倍額。しかもこの件に関してはどれだけ金を使ってもいいという指示なら、やりたい放題徹底的に作りますからね、彼らは」
 研究する事に喜びを感じる人種。とことん突き詰める性格上、妥協は許せないらしく、完璧な『盗聴記録』を作ってくれた。
 どれだけ奴が否定しても、それこそ証拠を取ってくれと言っているようなもんだ。全て録音されディスクと照合される。
 政界の長老として皆にひれ伏された人物が、一躍政治犯。CIAはとことん行くからな。今までの自分の扱いとのギャップにどれだけ持つか、楽しませてもらおう。
「今回のおかげで色々と特許も取れそうだし、一石二鳥というところか」
 それなりの金も使ったが、すぐに元が取れそうだ。
「次は誰にします?」
「決まってる。あいつだ」
 その夜、オレはある人間と接触を取り網を張った。
 さて、予想通り網にかかってくれるかな?


 翌日の午後。
 商談のためオフにしていた携帯の電源を入れてみると、画面にずらりと並ぶ着信履歴が現れた。名前はメアリー・エドワーズ。
 ………かかったな。
「Hello、メアリー?」
「ギイ!お爺様が反対してるの!」
「今はどこ?」
「学校よ。でも行きも帰りも監視されていて出られないの」
 そんな事百も承知だ。
 アルフレッド・カーターがああなった以上、次は自分の番だとすぐにわかるだろう。大切な孫娘にオレが接触していた事に激怒しているはずだ。
「それなら、今すぐ早退しておいで。すぐに迎えの車を寄越すよ。今日は3thストリートの角だ。いつもの場所で待ってる」
「わかった」
 毎回違う迎えの場所。
 当たり前だ。オレとメアリーの接点を作ってはいけないのだから。
 民家のない郊外に作らせた小さなログハウス。ここがオレとメアリーの密会の場所。
 既に着いていた車を横目に、
「島岡、撤去する準備を始めろ」
 次の指示を飛ばす。
 もうここはいらない。今日限りメアリーとの関係も終わりだ。


 身に纏う女の匂いに吐き気がする。腕にかかる白い手も気持ち悪いだけだ。払いのけたいのを我慢してサイドテーブルから煙草を取り火をつけた。
「ギイ、今日はどうしたの?なんだか激しかったけど」
「だってメアリー、これが最後なんだ」
 そう。やっとだ。こんな茶番は今日限りなんだ。
「イヤよ!そんな事言わないで」
「君のお爺様が反対しているんだろ?君のお爺様が頑固なのは有名な話だ。たぶん面会を求めても拒否されるだろうね。それに………そろそろオレも周りがうるさいし」
「それって、ギイが誰かと結婚するって事?!イヤよ!ギイと結婚するのは私!」
 笑いが込み上げるほど、子供じみた一直線の思いこみ。
 お前と結婚なんて、死んでもするか。
 灰皿に煙草を揉み消し、メアリーを抱き寄せた。
「君のお爺様がいなければ、メアリーと結婚できるのにね」
 耳に口唇をつけて囁く。
「お爺様がいなければ………」
「こんなにメアリーを愛しているのに、別れなければならないなんて……。君のお爺様さえいなければよかったのにね」
「お爺様さえいなければ、ギイと結婚できる」
 ちょっと優しい言葉をかけ愛を囁けば、本気だと勘違いし付いてきた少女。誰にも内緒の恋だからと言えば秘密を共有する楽しみをも生み、オレの言う事に従順に従った可哀想な少女。
「ギイ?」
「アロマの用意してくるよ」
 ローブを引っ掛け隣の小部屋に入り、ハーブに薬を混ぜロウソクに火をつけた。立ち上る煙に眉をしかめ素早く部屋を出て声をかける。
「メアリー、隣で休んでおいで。オレはシャワー浴びてくるから」
 メアリーはシーツを巻きつけ、ふらふらと隣の小部屋に入っていった。
 勝手にやってろ。薬はごめんだ。
 バスルームに入り、気持ち悪い匂いと感触を一秒でも早く落としたくて一気にレバー回す。頭から熱い湯を浴びながら、虫が這い上がるような感触を思い出し数度吐いた。
 あの女、ベタベタ触りやがって。
 経験上、誰でも抱けると思っていた自分が、こんなに苦痛を感じるとは想定外だった。体の快楽と心は別物だと。切り替えれば大丈夫だと勘違いしていた。
 もうオレの体は託生しか受け付けない。
 バスルームを出ると、メアリーはまだ小部屋から出てはいなかった。
 手袋をはめメアリーの鞄からオレが渡した携帯を取り出す。ついでに彼女所有の携帯も取り出し、オレの痕跡が残っていないか確認した。
「本当に素直だな」
 渡した携帯からでないと通じないと言い含ませておいたからか、所有の携帯には何一つ残っていなかった。数人のアドレスのみ。
 個人を見る前にバックの大きさに尻込みされ、メアリーには友人と言えるような人間が誰一人いない。周りにいるのは、友人のふりをして付きまとう下心のある人間だけだ。
 だからこそ、優しい言葉をかけるだけでついてきた。寂しがり屋のメアリー。
「あのじいさんの孫に産まれた事を恨むんだな」
 所持品を全て確認し終わったオレは、
「メアリー、そろそろシャワーを浴びておいで。オレが洗ってやるよ」
 殊更優しく声をかける。
 オレの声にのろのろと小部屋から出たメアリーの肩を抱き、バスルームへといざなった。
 薬入れすぎたか。かなり髪に移っている。
 レバーを回し、触りたくもない体からオレの痕跡を綺麗に洗い流した。
「ねぇ、ギイ。お爺様がいなかったら結婚してくれる?」
「もちろんだよ」
「キスマークもつけてくれるの?」
「君がオレの物になったらね」
「本当?」
「本当だよ」
 薬が効きトロンとした口調でメアリーが何度も繰り返す。
 どれだけ強請られても付けなかったキスマーク。
 オレがオレの痕跡を残したいのは、この世でただ一人だけだ。肌を愛でるなんて気持ち悪くてできるはずがない。
 メアリーの髪を乾かし服を着せ、待機してある車に乗り込む。遠くなるログハウスを見るのは、これで最後だ。
 あとは島岡に任せておけばいい。
「お爺様がいなければ………」
 車に乗ったあと、自分の世界に閉じこもりブツブツ言っているメアリーを眺めた。
 どこからどう見ても、完璧に薬中だな。
 屋敷の2ブロック前で降ろし、ぼんやりと歩いていくメアリーを車の中から見送る。
「Good luck、メアリー」
 明日の朝には全てが終わっているだろう。


「お待たせして、申し訳ありません」
「いえ、こちらこそお忙しい所をお邪魔しまして」
 会議が終了したと同時に、島岡から警察の人間が訪ねてきている事を耳打ちされ、気を引き締めた。来る事は予想内だが、どこまで調べてきたのか。
「先日祖父殺しで逮捕したメアリー・エドワーズなのですが、あなたと結婚するために殺したと供述してまして」
 もちろん話の内容がわかってはいたが、
「そう言われましても、私はメアリー・エドワーズとは面識がないのですが」
 オレは驚きと戸惑いを顔に浮かべ、刑事らしき人物を見た。
 オレを疑っている様子はないな。痕跡は見つからなかったということか。
「やはりそうですよね。メアリーの携帯を調べても、それらしき名前も番号も見当たらない。通信履歴を見てもそう。そしてあなたと会っていたと言う建物も見に行ったのですが、存在しない。何かであなたの写真でも見たのでしょうか?」
「面識がない以上、そうとしか考えられませんが」
 笑いたくなるのを堪え、ポーカーフェイスを被りなおす。
「やっぱり薬による妄想ですかね」
 刑事は一人で納得し、
「お仕事のお邪魔をしまして、申し訳ありませんでした」
 島岡に案内され退室していった。
 リチャード・エドワーズ。
 託生を殺そうとした親玉。
 溺愛している孫娘に殺されるなんて最高だろ?
 笑いを噛み殺し、最後の一人ブライアン・ピーターソンの顔を思い浮かべた。


 ハーレム近くの汚い下町。
「落ちたもんだな」
「今は、小さなアパートの一室で暮らしています」
 まさかこんなよぼよぼのじいさんが、あのピーターソン・コンツェルンの先代だとは誰も思わないだろうな。息子夫婦を頼るも、門前払いだったらしい。あれだけやりたい放題にやって、暴力三昧の父親なんか顔も見たくないだろうさ。
 元々は、息子に会社を譲り自分は楽隠居したつもりだったのだろう。事実、隠居したって有り余る金が懐に入っていたはずだ。
 ただ、資産が現金じゃなかったのが痛かったな。お前が持っていた株券は、全て紙切れになっちまったんだもんな。
 この5年。密かに圧力をかけ持ち株会社を全て倒産に追いやった。
 ピーターソンが持っていた株は、全てが仕手株。安定株と違い投資目的で売買される仕手株は、業績が株価を決める。
 株価の上がり下がりが激しい会社ほど、何らかの黒い部分があって当たり前。そこを突けば、おのずと状況判断した株主の売り注文が多くなり、結果連日ストップ安。経営を立て直す前に倒産だ。
 そこの社員に恨みはないから、全てFグループで引き取ったが。
 そのおかげで、何故かオレの評価も高くなって副社長の座につけたのだが、これはおまけだ。
 お前を地獄に落とす事だけが、オレの目的なのだから。
 よろよろと歩いていたピーターソンがつまづいた。足腰が弱っているらしく、すぐには立てないようだ。
 島岡が差し出したケースの中から針を持ち、車のドアを開け手を差し伸べた。
「ありがとうございます」
 目の前に現れた手に何の疑問も持たず、ピーターソンは素直にオレの手に重ね……。
「つっ!」
 自分の掌に深く刺さった針を凝視し、瞬時顔を上げオレの顔を見たとたん血の気を失っていった。一応オレの顔は覚えていたようだな。
「崎義一………」
「どうせ老い先短いんだ。いつ死んでもどうってことないだろ?」
 殺すだけが復讐じゃないさ。
 刺された針を慌てて抜き、
「お前は、なにを?!」
 くしゃくしゃの口から涎を流し、わめき立てた。
「研究所で発見された名前も付いていないウイルスだよ。もちろんワクチンなんて物は存在しない。動物実験の結果、人間でも致死率100%だけどな」
 オレの言葉に、パクパクと口を動かし言葉にならない言葉を発して脂汗を流す。
 人を殺す事が趣味な癖に、自分が死ぬ事は怖いのか。
「……いつ………いつ発症するんだ?今すぐなのか、数ヵ月後なのか、数年後なのか?!」
「さてね?人間で実験はしてないから」
 苦しむがいい。恐怖に震えるがいい。いつ発症するかわからない未知のウイルスで。
 いや、その前にショックで逝くかもな。
 そのまま動かなくなった奴を置いて、車に乗り込みシートにどさりと座りこんだ。
 ………これで、終わりだ。
 やり遂げた達成感と心が空っぽになったような虚無感にぼんやり窓の外に視線を向けた。
 長かったような短かったような曖昧な時間。
 これまで復讐のためだけに生きてきた。終わった今、託生のいない現実をこれからどう生きていけばいいのか。……生きていけるのだろうか。
 しばらくして車が停車し、島岡がドアを開けた。
「ここは……」
 ケネディ国際空港。
「義一さん、これを」
 渡された封筒に入っていたのは、シャルル・ド・ゴール空港行きの航空券と託生のフランス公演初日のチケット。
「島岡………?」
「2階席の端です。舞台からは遠くてギイとはわかりません」
 行ってきて下さい。
 思考力なんてなかった。
 そのまま搭乗口まで連れて行かれ、人波に押されるがまま旅客機に乗り込んだ。
 NYからパリまで8時間。その間、自分が寝ていたのか起きていたのか、全く記憶がない。ただ、託生の事だけを考えていたように思う。


 花市場で花束を作ってもらい会場まで来たものの、オレは中に入る事ができなかった。眼鏡をかけるだけで印象が変わるのか、知っている顔がちらほらいるものの、誰もオレだとは気づかず目の前を通り過ぎていく。
 何を考えて島岡は用意したんだ?
 チケットを何度も手でなぞり、立ち尽くしていた。開演まであと5分。
 託生の顔を遠くから見るだけだ。
 そう決断しギリギリに滑り込んだ会場内は既に客電が落とされ、息を整える間もなく託生が舞台に現れた。
 託生………!
 遠く……顔もわからないくらい遠い距離なのに、オレの心はざわめいていた。6年ぶりに見た託生。昔と変わらない華奢な体つきに周りを包む優しげなオーラ。
 託生の深く澄んだバイオリンの音色が………どす黒いオレの心に春風のような優しい音色が響いてきた。
 今のオレには眩しすぎるほど強い光。人間の心を失い凍っていたオレを一瞬で溶かす。
 あの温室で、佐智の別荘で、いつも音楽に真正面から向き合っていた素直な心。その心に愛され包まれた幸せな日々。託生の怒った顔、泣いた顔、笑った顔。鮮やかによみがえる祠堂での時間が、走馬灯のように現れては消えていった。
 託生の姿がぼやける。
 あまりにも愛しすぎて、心が張り裂けそうなくらい苦しい。
 アンコールを待たずに花束を座席に置き、会場を抜け出した。


 あの夜から6年。
 託生と別れ、奴等を追いかけ。地獄に落としてやると執念だけで生きてきた。その後のことは一切考えていなかった。いや、死のうが生きようがどうなってもいいと思っていた。
 それなのに託生への想いを再認識したとたん、溢れる恋心が胸に渦巻きお前を求めてやまない生命力ともいうべき力が沸いてくる。もしも託生が昔と同じようにオレを求めてくれるのならば、全身全霊をかけて愛していく。
 しかしこの事件でわかった事が一つある。
 託生の側にオレがいると、託生が危険な目に合うという事。
 これから先も、同じような事が起こる可能性の方が高いんだ。自分の幸せの為に託生を犠牲にするなんて、できるわけがない。
 たとえ託生が愛してくれたとしても、もう一緒にはいられない。
 どれだけそこにいたのだろうか。
 ふいに話し声がして、その方向を向くと託生がスタッフ数人と並んで歩いてきた。
 咄嗟に物陰に隠れ様子を伺っていると、会場の方から誰かが走って託生を呼び止めた。
 オレが置いてきた花……。
 花束を差し出され両手で受け取った託生は、キスをするように香りを嗅ぎ、大切そうにふわりと抱きしめ微笑んだ。
 誰からの花束でも、託生はそうしていただろう。しかしオレの想いを抱きしめてくれたような幸せが、オレの心を満たしていく。忘却の彼方に置き忘れていた幸せが………。
 託生の後姿が通りの向こうに消えるまで、オレは立ち尽くしていた。
「託生………」
 幸せは、もうオレの中にあったんだな。
 あの短い日々の中で、託生は一生分の幸せをオレに与えてくれていた。
 それだけで十分………。
 愛している。ずっとお前だけを想っている。
 この想いだけで生きていけるから。だから、ずっと輝いていてくれ。




「Reset」設定の卒業直後から6年目までのギイ側の話でした。
そして、最初に謝ります!アメリカでの株の売買システム、私知りません(極汗)日本のやり方で書いてますので、そのあたりは読まれた後ですがスルーしておいてください。だったら調べろよってのは、ちょっとなしで;
予告どおりというか、好き嫌いが別れそうな黒ギイ。
書きながら「悪魔だ………」と呟きつつ、「ま、いっか」と自分に甘くなり、なんだかふらふらしながら書いたような気がします。
内容はResetを書いている時に、浮かんでました。ギイの事だから、これくらいはするだろうなぁみたいに。
ただ書くとなると内容が内容だけに、やっぱり躊躇してしまうわけで;
今回も、皆様の後押しで書けたようなものです。ありがとうございました。
(2011.2.4)
【妄想BGM】
⇒Morning Star(動画サイト)
 
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