仲直り計画(2011.6)

「共同CDですか?」
「えぇ。レコーディングはパリでどうです?1ヶ月ほどの予定で」
 まだ託生さんが無名に近かった頃はもちろん、バイオリニストとして名前が浸透した今でも、佐智さんは「託生君と弾くのが楽しいから」と帰国されたときには必ずこちらに顔を出し、同時に新しい仕事の話を持ち込んでいました。
「そうですね。パリだったら託生さんもよく知っている場所でしょうし。来月頭からならスケジュールが空きますが…」
「それは、よかった。僕も来月は空いているんです」
 佐智さんの了承の声に、託生さんの来月のスケジュールは決定しました。細かい事は大木さんと打ち合わせる事にして…と思考を巡らした私の顔を、佐智さんが表情を引き締め見つめた。
 そして。
「桜井さん、託生君の本当の音、聴いてみたくないですか?」
「本当の音……ですか」
 託生さんのマネージャー兼SPとなって5年。一番近くで託生さんの音を聴いていたつもりだったのに、本当の音とはいったい……。
「託生君もプロですし、もちろんプロとしての音を持っています。でも、本当の音は違います。僕はもう一度聴いてみたいんです」
「……聴いた事があるんですか?」
「えぇ、もう10年以上前に」
 10年前と言えば、まだ託生さんが高校生だった頃の話ですね。その頃に奏でていた本当の音。たぶん、技術的には今よりも劣っていたはずの音なのに、天才バイオリニストがもう一度聴いてみたいという音とは、どんな音なのでしょう。
「本当の音がどんな音なのか私にはわかりませんが、聴けるものなら聴いてみたいとは思います」
 私の答えに佐智さんは満足そうに笑い頷きました。
「一種の賭けなんですが、手伝ってもらえますか?」
「それは、もちろん」
 その音が聴けるのなら。
「今度のレコーディングの予定を、託生君には3週間だと言ってほしいんです」
「3週間?」
「それと……義一君にもね」
「副社長にもですか?」
「もう、いい頃合いだと思うんですよ」
「佐智さん?」
「いいかげん、託生君に義一君の事を黙っておくのも、皆さん苦痛でしょ?」
「それは……」
 私を含めてスタッフ全員、副社長からの厳命を受けていました。絶対に、託生さんには気付かれるな、と。
 ただ、やはり、託生さんを騙しているような後ろめたさが、常に付きまとっていました。
「副社長と託生さんは、お知り合い……なんですよね?」
「えぇ」
「仲違いをしているのですか?」
「さぁ。それは、聞いていないのでよくわかりませんが」
「ようするに、二人の仲を戻せば、託生さんの本当の音が聴けると?」
「そういうことです」
 託生さんと副社長が同じ高校に通ってらしたのは知っていました。
 学生時代に喧嘩別れでもしたのでしょうか?あ、心優しい託生さんなら、ご友人との喧嘩別れで傷ついて引きずっていることも考えられます。
「レコーディングの最後の1週間は、初回特典という形のおまけを作る事にします。話は向こうに行ってから決まったという事にして。そして、最終日に託生君と義一君をバッティングさせます。その後は、義一君自らが動くようにしますから」
「……そんなに上手く行くんでしょうか?」
「大丈夫です。島岡さんも、こちらに引き入れています。僕達は、時間通りに動くだけです」
 島岡さんまで協力しているのなら心強い。それに、託生さんからは副社長の名前を聞いたことはありませんが、副社長が託生さんの事を気にされているのは明白です。そのための事務所なのですから。何らかの理由があったとしても、やはり本人同士きちんと話し合わなければ何も始まりません。
「わかりました。私も託生さんの本当の音を聴いてみたいですから、できる限りの協力をさせていただきます」
「ありがとうございます」
 そうして始まった副社長と託生さんの仲直り計画。上手くいけばいいのですが……。
 そう言えば、最後に佐智さんが、
「ただ、桜井さんが、今まで以上に大変になるかもしれません」
 と言い残していったのですが、あれは、どういう意味だったのでしょう。



ブログより転載
(2011.6.30)
 
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