Love Messages(2013.7)

「お帰りなさいませ。義一様」
「あぁ。託生は?もう、休んでいるのか?」
 いつもとそう変わらない時間にペントハウスに帰り着き、玄関ロビーで出迎えた執事にいつもと同じように問いかけた。
 託生がNYに来て、一緒に暮らすようになってからの日課だ。
 このペントハウスで執事を初め数人が働いているが、今まであまり会話なんてものは必要なかった。この家の管理は執事に任せているし、オレの指示を仰ぐような余程のことがない限り、必要最低限の会話のみで済んでいたのだ。
 だいたい、オレがこのペントハウスにいる時間なんて、一日の内たった数時間のこと。出張も多いから月の半分は留守だ。
 ここは家と言うよりは、寝る場所を確保していたに等しい。いっそのこと本社近くのホテル住まいにした方が、楽だったかもしれない。
 しかし、託生がNYに来たことにより、ここはオレの帰る家となった。
 託生も仕事を持っているとは言え、レコーディングやツアーなど忙しくなる時期を除き、決まった時間に事務所に行き、そして夜には必ずここに帰ってくる。
 それに気付いたとき、初めてペントハウスの存在を家なのだと認識した。
 忙しい日々に変わりはないが、オフを取らないようなワーカーホリックから、少しは人間らしい生活になっていると思う。
 執事に脱いだ上着を渡しネクタイを緩めながら、いつもどおりの返事を期待していた耳に、
「いえ、まだお帰りになってません」
 予想に反した言葉が届き、唖然として少し顔を曇らせた執事を見返した。
「帰ってない?」
 腕時計に目を落とし時間を確認する。既に時刻は午後十一時半を回っていた。
 託生も子供じゃないのだから、付き合いで遅くなる日もあるし、仕事が長引くときもある。しかし、そのようなときは、必ずメールを入れてくれていた。オレが心配するだろうからと。
 ただし、事務所スタッフが有能揃いなので、突発的な付き合いはともかく、ほぼスケジュール通りに事が進み、イレギュラーな行動はなかったのに。
「連絡は?」
「桜井様より、もしかしたら事務所でお泊まりになるかもしれないと」
「泊まり?なんだ、それ?」
 追い討ちをかけられたような気分で反芻する。
 本来は、別に託生が事務所に毎日行く必要はない。ただ、日本にいた頃から、毎日事務所に顔を出していたことと、気持ちの切り替えがしやすいかららしいのだが、コンサートツアーが終わった今、スケジュールも特に入っていないはずなのに、事務所で泊まりになるような仕事があるのか?
「桜井に電話してみるからいいぞ。お前も休め」
 心配そうな表情をしている執事に指示を出して足早に自室に入り、桜井の携帯を鳴らす。
 コール一回鳴るか鳴らないかで繋がったライン。
「桜井、どういうことだ?」
 しかし、その素早さに疑問を感じることもなく、単刀直入切り出したオレに、
「申し訳ありません。託生さんが作曲中なので、いつ終わるのかわからない状態なんです」
 少し落とした桜井の声が聞こえてきた。
「………作曲?」
「はい。作曲されている時は、声をかけない方がいいと佐智さんに言われておりまして……」
 ………あぁ、そうだった。託生はバイオリニストであり、作曲家でもあったんだ。
 オレとしたことが、忘れていた。
 それで、桜井が声を潜めているんだな。託生の邪魔をしないように、配慮しているというわけか。
 佐智の助言ならば、桜井が託生に声をかけるのを躊躇うのはわかるし、オレだって、そのような状況になれば、託生の邪魔をせず見守ろうと思うだろう。
 創作活動というのは、人それぞれ。どのような状況で、どのような作り方をするかなんて、他人にはわからない。
 第一に、オレはこれまで託生の作曲する姿を見たことがないのだから、下手に口出しするよりは、ここは桜井に任せるのが賢明だとは思うのだが………。
「メシは食ったのか?」
「いえ、ずっとピアノに向かったままなので……」
「食べてないんだな?」
「はい」
 予想通りの答えが返ってきて、前髪をかき上げ大きな溜息を吐く。
 学生時代、当時はバイオリンの練習だったが、集中すると周りの一切が目に入らなくなり、気付けば時間が過ぎていた……ということが何度もあった。
 あまりにも変わらない託生に懐かしさを感じるが、付き合わされる桜井も気の毒だし、体にも悪い。
 それに、託生が晩メシを食っていないのであれば、桜井も食べていないはず。
「わかった。今からそっちに行くから待ってろ」
 そう言い置いて携帯を切り、スーツからカジュアルな服に着替え車のキーを手に取る。
 途中ファーストフード店でテイクアウトした食料を手に事務所のドアを開け、薄暗い廊下を進むと防音室の向かいのソファに座っていた桜井がオレに気付き立ち上がった。
「託生は?」
「まだ、防音室におられます」
 ガラス越しに部屋を覗くと、真剣な顔をした託生が五線紙に向かって書き込んでいた。ときおり確かめるように鍵盤を鳴らし、またペンを走らせる。
 ペントハウスに帰ればキーボードを弾くだけで楽譜ができあがるのに、その時間さえ惜しかったのか。
「何時間くらい、あそこにいるんだ?」
「約六時間でしょうか」
「六時間……ものすごい集中力だな」
 こんな状態を目の当たりにしたら、集中力をそぐような真似はしたくないけれど、このまま脱水にでもなって倒れられたら、それこそ一大事だ。
 買ってきたバーガーの袋を桜井に押し付ける。
「お前も食ってないんだろ?」
「でも、託生さんが食べていらっしゃらないのに………」
「食べさせるから気にするな」
「え……でも………」
 慌ててオレを止めようとする桜井に、人差し指を口の前に立て防音室のドアを開ける。
 さらさらと、ペンを走らせる音だけが響く室内に足を踏み入れ、静かに託生の側に寄り、袋から取り出したバーガーを託生の口元に当てた。
 託生は、当たり前のようにパクリと一口かじって咀嚼し、また一口かじった。その間、視線は五線紙から微塵も外れない。
 三口ほど食べたあと、もういいという風に微かに首を振った託生にアイス・オ・レを差し出すと、これまたパクリとストローを咥え喉が鳴る。
 まるで親鳥から餌を貰う雛のようだな。
 あまりにも無防備に食べるものだから、半ば呆れ半ば感心し、しかし、このまま放っておけば、食事も睡眠も取りそうにない無頓着ぶりに、一度説教しなければと心に決める。
 オレ達の様子を心配そうに見ていた桜井にウインクして、口パクで「食え」と首を振ると、安心したように微笑みソファに座った。
 ピアノの上の五線紙が、途切れることなくどんどん音符で埋め尽くされる様子に、もう少し時間がかかりそうだなとバーガーとアイス・オ・レを交互に口にあて、ようやく食べ終わった託生を横目に、手早くゴミを片付け、託生の視界に入らないように一歩後ろに下がる。
 オレには全く理解できない音符の羅列だが、託生の頭の中ではきちんとした音楽として再生されているのだろう。
 NYに来てからも、いくつかの作曲をしているのは知っている。現に先日発売された恋シリーズは、全てこちらに来てからのものだと聞いた。
 しかし、一緒に住んでいるとは言え、すれ違いが多いこの生活の中で、託生がどのような毎日を送っているのかオレは把握していない。
 垣間見た「音楽家、葉山託生」の顔。
 オレの最愛の恋人で、託生の全てを知っていると思っていたのに、それは違ったようだ。音楽という神聖なオーラに包まれた託生に、ゾクリと鳥肌が立つ。
 オレの前で指鳴らし程度に曲を弾くことはあっても、託生は絶対にバイオリンの練習をしない。
 白鳥が水面下で激しく足を動かしているのと同じように、練習している姿は絶対に見せるべきではないと、プロとしてのプライドを持っている。
 優雅で華やかに見えるかもしれない音楽の世界は、実際は己の腕一つで勝負しなければならない孤独で厳しい場所だ。
 こうやって今まで生きてきたのか………。
 初めて見る表情が、離れていた十年間を彷彿させる気がして苦く微笑んだ。


「おっと」
 しばらくするとようやく終わったのか、ピタリと託生の腕が止まった。……と同時に、そのまま頭を落とした託生と鍵盤の間に腕を差し入れる。
「託生?」
 そっと呼ぶ声に答えたのは、小さな寝息。
 ほんと、羨ましいくらいマイペースだよな。
 クスリと笑いドアから顔を出した桜井を指先で呼んで、託生を抱えなおす。
「託生さんは?」
「眠っているだけだ。このまま連れて帰る」
「はい。よろしくお願いします」
 ゆっくりと椅子から抱き上げると、桜井がバイオリンケースを持ち、あとを付いてきた。防音室はそのままだから、車まで荷物を持ってくれるつもりなのか。
「こういうことは、今まで何度かあったのか?」
 毎回こんな状態だったのなら、さぞかし桜井も大変だっただろう。……と同情したのは、ほんの欠片ほど。桜井の腕に抱きかかえられたことが何度あったのだろうかと考えると、腸が煮えくり返りそうになる。
 今更言っても仕方がないことだが。
「事務所で作曲されることは何度もありましたが、そのまま眠ってしまわれたのは初めてです」
「初めて?」
「はい。それに、副社長のように、部屋に入ることも近寄ることも不可能でした」
 てっきり同じことを繰り返していると思っていたから、桜井の言葉は意外だった。
 人当たりのいい……それこそ、ペントハウスの使用人相手でも、いつの間にかオレよりも託生の方が親しくなっていたりするのだが、音楽が関わると自分のマネージャーであっても寄せ付けなくなるのか。
 だからこそ、桜井がじっと待っていたのだろうが、裏を返せばオレだから近寄ることを許してくれたのかもしれない。こうやって眠ってしまったのも、オレがいるからと無意識に安心して甘えてるのだと思えば、優越感に頬が綻んでくる。

『ぼくの作った曲は全部ギイを想って書いた曲だから、ギイに選んでもらうのは恥ずかしいんだよ』

 以前、恋シリーズの選曲メンバーに混ぜろと言ったとき、少し目を伏せて告げられた言葉。
 女性スタッフがなにを思ってインストゥルメンタル集に必ず『恋』の文字を入れているのか知らないが、託生の気持ちと一致していたからこそ、バイオリニスト葉山託生の名を浸透させたのではないだろうか。
 留学時代から作り始めたという曲。
 ここまで身を削るような無茶をしなくていいのにと思いつつ、曲を作っている間中、オレのことを想ってくれていたのだと認識すれば、その深い想いに感謝と感動がない交ぜになってオレの心を占めていく。
 一枚目の恋シリーズを聴いた当時、オレは復讐を終え、託生との幸せな思い出を胸に生きていこうと決めたところだった。託生が誰を想っていようとも、誰と結ばれようとも、見守らなければと自分を諌め、心を封印した。
 二度と託生と会うことはないと。
 それなのに、託生は自分の想いを曲に秘め、人知れず「愛してる」と言い続けてくれていた。
 それが、大胆かつ究極の告白であることに、託生自身気付いていないだろうけど。
 オレの腕の中で、子供のように安心しきった表情で眠る託生に愛しさが募る。
 オレは託生のように想いを形することはできないけれど、いつも、いつまでもお前に誓うよ。
 命の尽きる瞬間まで、託生を愛し続けることを………。



以前、小話ついったーで、「押してだめなら引いてみろ」というような小話を流したと思うのですが、そのときに書いていて放り投げたものを仕上げてみました。
Resetの設定ファイルのようなものなので、いちゃいちゃしてません。
それどころか託生くんの台詞がない;
こういう感じで、託生くんはお仕事してます、という話でした。
(2013.7.5)
 
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