動き始めた時計(2012.10)

「託生が足りない……」
「………副社長」
 ボソリと呟いたオレの隣で、呆れたように脱力した松本が大きな溜息を吐いた。
 ただの独り言だ、独り言。
 秘書なんだから答えがいるかいらないか瞬時に見分け、そのくらい受け流せ。
 証拠に、島岡を見てみろ。聞こえていただろうに、右から左に通り抜けただけ。……それはそれで、なんとなく腹立たしいがな。
 だいたいな、オレ達は新婚なんだぞ。
 やっと託生がアメリカに来て、一緒に暮らしだして二週間。それなのに、託生の寝顔しか見ていないってのは、どう考えてもおかしいだろうが。
 寝込みを襲うようなマネをすれば、翌日から寝室は別にされてしまうから、あの無防備で可愛い託生の寝顔を見るだけで我慢しているんだ。
 と、口に出したら情けなくもなるので心の中で叫び、むっすりと腕を組む。
 そんなオレに声をかけても仕方がないと思ったのか、松本が窓の外に視線を移したとたん、なにかに気付いたように、
「あ……」
 と呟いた。
 その声に釣られて窓の外に視線をやると、小さな子供が悪魔の仮装をして手にカゴを持ち、はしゃいだ様子で母親の手を引っ張っている。
 そして「Trick or Treat?」とでも言っているんだろう。
 店先で配っているお菓子を貰い、母親に見せ嬉しそうに笑っていた。
「お前も、あぁやって子供の頃、お菓子を貰いに行っていたのか?」
「えぇ、友達と一緒に家を回ってお菓子を貰ってましたね。その夜は母がパンプキンパイを焼いてくれて………」
 懐かしいなぁと目を細める松本が見ているのは、あの小さな子供ではなく、後ろを歩いている母親の姿だろうか。
 今日はハロウィン。
 もうすでに、仮装をした人間がいたるところに見受けられ、店のディスプレイも全てハロウィン仕様に変わっていた。
 元から、イベントごとになると、とことんまでお祭り騒ぎを楽しむアメリカ人。ハロウィンは、子供だけじゃなく、大人もパーティやパレードを楽しむ一大イベントだ。
 でも、眺めるだけだったよな。オレには、松本のような思い出はない。
 「Trick or Treat?」なんて、各家庭を回るようなことは、セキュリティ上できるわけがなく、せいぜい絵利子と仮装してペントハウス内の使用人に声をかけたくらいだ。
 ぼんやりと子供の頃を思い巡らせていたとき、車が予期せぬところで止まり、島岡がドアを開けた。
「島岡?」
「今日のスケジュールは、託生さんの事務所訪問で終わりですので降りてください。松本君も」
 有無を言わせぬ物言いに首を傾げるも、託生の事務所訪問が仕事だと言われれば、託生不足のオレ的にはありがたい。
 しかし。
「どうして、松本まで?」
 託生の事務所に行くのに、こいつはいらんだろ。
 不服な口調のオレに、
「………ハロウィンですので」
 島岡は意味深に笑ってオレと松本をその場に放り、一人車に乗り込んでさっさと立ち去った。
 邪魔者はいるけれど、寝顔以外のナマ託生だ。
 気持ちを切り替え嬉々として事務所のフロアまで上がり、エレベーターのドアが開いたとたん、目の前の光景に思わずサイドの操作盤を確認した。
 ………合ってるよな。
 ドアが閉まりそうになり、松本がOPENのボタンを咄嗟に押す。
「この階でしたよね?」
「あぁ」
 エレベーターを長時間停止させておくのも迷惑なので、一歩ホールに足を踏み入れた。
 ここは、いつのまにお化け屋敷になったんだ?
「副社長!」
 警備に当たっている忍者が駆け寄り………忍者ぁ?
「誰だ?」
「マイケルであります」
 黒尽くめの衣装の胸元に折り紙で作った手裏剣を挟み、見えているのは目だけ。これで判別しろというのは無理だ。
「どうしたんだ、これは?」
 山ほどのジャック・オ・ランタンに、色とりどりのオーナメント。ロビーの隅には蜘蛛の巣まで張っている。
「ハロウィンですから」
 ………あぁ、ハロウィンだから。
 マイケルは島岡と同じ台詞を口にし、………それで、オレは納得しないといけないのか?
 一歩、事務所内に入ると、今度はオレに気付いたフランケンシュタインが近づいてきた。
「これは、副社長」
「………桜井、それは自前か?」
「えぇ、まぁ」
 元から強面なのに、子供がいたら「本物のフランケンシュタインだ」と、間違いなく泣くぞ?
 いつもなら託生のバイオリンが流れているのに、今日のBGMはアヴェ・サタニ。確かオーメンのテーマ曲だったな。
 厳かなと言えば聞こえはいいが、悪魔礼賛の曲。
 この雰囲気にぴったりな曲を流すとは、ここのスタッフは趣味がいい。
 ハロウィンのデコレーションに凝りに凝りまくった事務所内。薄暗い廊下の先には、電気キャンドルが揺らめき、天井から吊るされているオーナメントの影が、不気味なほど大きく壁に映っている。
「島岡さん、言ってくれれば、僕だって着替えてきたのに……」
 背後にいる松本が恨みがましくボソリと呟いた。
 松本も、こういうの好きそうだよな。
 でも、島岡がわかってて送り込んだということは……。
「その心配はしなくていいと思うぞ」
「え?」
 託生がどこにいるのかは、もうすでに予想はついているが、ここはとりあえずスタッフルームに足を向ける。この調子でいけばスタッフルームも、とんでもないことになっていると思うが。
 と、開けたドアの向こうから、
「Trick or Treat!」
 あちらこちらからうようよと、お化けが寄ってきた。
 誰が誰だか全然わからないが、こういうのは久しぶりだ。今まで、イベントを楽しむ気にもならなかったからな。
「すまん、なにも持ってないんだ。どんな悪戯してくれる?」
 ニヤリと笑うと、心得たもので、
「お菓子を持っていない副社長と松本さんには、お仲間になってもらいまーす」
 その言葉に松本の顔が輝き、手招きされて入った応接室の有様に歓喜の声を上げた。
「すげーっ!どれ選んでもいいんですか?!」
「はい。お好きなのをどうぞ。着替えはそちらにパーテーションがありますから」
「やりっ!副社長、どれ選びます?」
「オレは………あぁ、これにしよう」
「じゃ、僕は……」
 と、選び出した松本を尻目にさっさとパーテーションの奥に移動し、ネクタイに指をかける。
 どうせ仮装するなら、託生に気に入ってもらえるものにしないとな。
 数分後。
「おい、松本。着替え終わったか?」
「は……い……。よっこらしょ……」
 よっこらしょ?
 なんだ?こいつ重量級のなにかに仮装し…………はぁ?
 パーテーションの影から出てきたのは全身緑の……。
「………河童?」
「はい!一度、日本の妖怪をやってみたかったんです!」
 頭に皿を乗せ、背中に甲羅を背負い、全身タイツの嬉しそうな松本がそこにいた。
「あれにしようかなと思ったんですけど、邪魔になりそうだったんで」
 と松本が指差したものは、ぬりかべ。
 そのチョイスは、なかなかのものだぞ。さすがオレの秘書。
 しかし、託生の仕事関係には必要ないから、ここにある衣装は全てハロウィン用なのだろう。誰の趣味かわからないが、よく集めたものだ。
「どうだ?」
 応接室を出ると、スタッフ達はオレを見て溜息を吐き、続いて出てきた松本に容赦なく爆笑した。
 気を良くした松本をその場に置き、オレは廊下の先に向かった。絶対、託生は防音室にいるはずだ。
 案の定、防音室の前には、トトロの着ぐるみを着たガードのジョンがいた。………が、なぜ、トトロ?
「ふ……副社長」
 オレに気付いて慌てて立ち上がり一礼をする。
「今日はジョンがガードか」
「はい。託生様の指名で。マイケルだと見えにくいからと」
 それらしい託生の言い訳が、やけに可愛らしい。
 あの黒装束はたしかに闇に紛れて見にくいが、100パーセント、それが原因じゃないと思うな。
「なんで、トトロなんだ?」
「え?……あぁ、ジブリのファンなのと、都市伝説なんですけどトトロは死神だと言われているので」
 頭を(もちろん着ぐるみの上から)照れくさそうにかき、ジョンが答える。
 そういうことなら、ハロウィンにはもってこいの仮装だな。託生も、助かったと思っているだろう。
 ドアの前でしゃがみこみ、そっとドアを開ける。疑問符を浮かべたジョンに、「静かに」と人差し指を立て、防音室の中に忍び込んだ。
 ポーン、ポーンと、ピアノの音が響いているが、託生の姿はピアノの陰に隠れて見えない。しかし、下部の空間から託生の生足が見える。………生足?
「Trick or Treat!」
 オレの声に、傍目にもわかるほどビクリと驚いて立ち上がった託生が、オレの姿を見てポカンと口を開けた。
 が、それはオレも同じ。
「託生、それの格好は……」
「………鬼太郎」
 あぁ、そうだ鬼太郎だ。ご丁寧に、頭に目玉親父を乗せて、わらじまで履いて。
 これを選んだのは託生なのか?それともスタッフか?
 いや、どちらでもいい!すらりとした生足はGood Jobだ!
 ゴクリと生唾を飲んで、その場から動かない託生の側に足早に近づき抱きしめた。
 驚きすぎて固まっていた託生の腕が、ぎこちなく背中に回り、やっと落ち着いたのか、体の力を抜いてホッと溜息を吐きながら肩に頬を預ける。
「……驚かせるなよ」
「ごめんごめん」
 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに訴える託生にクスリと笑って、背中を宥めるようにポンポンと叩いた。
「ギイ、それ、懐かしいね」
「だろ?」
 祠堂の文化祭で扮したドラキュラ伯爵。
 怖がりの託生は、3−Bの教室には頑として入って来ず、結局、朝チラリとオレの仮装を見ただけだったが覚えていたらしい。
 可愛らしく頬を赤く染めている託生にキスをしようとして、
「………」
「どうしたの?」
「いや」
 ちらちらと視界に入る目玉親父が非常に気にかかるが、気を取り直してキスをした。
 柔らかく甘い口唇を堪能してピアノに視線を移すと、そこに置いてある五線紙は案の定、白紙。
「なにしてたんだ?」
「なにも………」
 託生は口唇を尖らせて、あらぬ方向に視線を向けた。
「託生くん?」
「だって………怖いんだもん」
 やはりな。あの三年の文化祭のときでさえ、教室に入らなかった託生だ。
 予算なんてないに等しかった高校生が作るお化け屋敷とは雲泥の差の出来栄えに、逃げ込むしかなかったということか。
「日本でもやってたんじゃないのか?」
「まさか!事務所を飾り付けるまで、ハロウィンは浸透してないよ」
「じゃ、これ、初めてなんだ」
「うん。なんか、みんなすごく盛り上がって、桜井さんなんて、あれで迎えに来たんだよ?」
 真面目な顔をして、あのペントハウスのロビーで待っているフランケンシュタインを思い浮かべ吹き出しそうになったが、泣きそうな顔をして切々と訴える託生に顰蹙を買いそうでグッと堪える。
「それは、大変だったな」
「うん。事務所に着いたら着いたで、お化け屋敷みたいになってるし、みんな仮装して怖いし、これ着てくださいとか言われて着替えさせられるし」
「まぁ、あいつらも久しぶりにアメリカに帰ってきたから、嬉しくなったんだろ」
「あ………そうか。みんな、元々こっちにいたんだよね」
 この事務所の裏事情を忘れていたのか、こくこくと頷いて納得する。
「託生にアメリカのハロウィンを教えたかっただけだろうから、あまりふくれるなよ」
「ふくれてなんかいないよ」
 怖かっただけ。
 ボソボソと言い訳する託生に、もう一度、口唇を重ねようとした瞬間。
 ドン!ドン!ドン!ドン!
「副社長ーっ!葉山さーんっ!」
 ………まーつーもーとーっ!
 慌てて託生がオレを押しのけ、ドアに駆け寄って開いた。が、ノブを握り締めたままその場で固まる。
「ぶっ……ま……松本さん、それ……」
「河童です」
 顔を覗かせた松本の姿に吹きだし、託生は腹を抱えて笑い出した。
 おい、レベルアップしてるぞ、松本。いつの間に顔まで緑のファンデーションを塗ったんだか。
 松本の背後に見えるジョンも、声も出せずにソファに突っ伏している。
「あ、葉山さん、それ妖怪の大元締めですよね?!」
 嬉しそうに松本が指摘するが、そうなのか?鬼太郎って、そういう漫画だったか?
 託生も疑問に思ったのか、首を捻りながら、
「ギイ、そうだったっけ?」
 と、振り返る。
「そこまで日本文化は知らんぞ」
 それよりも、自分の国のことを、アメリカ人のオレに聞くなよ。
 相変わらずな託生に笑いそうになったが、松本の存在が邪魔だ。
「で、なにか用か、松本?」
「あ、そうです!これから、ハロウィンパーティをするらしいので、会議室に来てくださいって」
「……パレードにでも繰り出すんじゃないのか?」
 オレ達は無理でも、あそこまで仮装してるんだ。松本もスタッフも、そのままパレードに紛れ込める。
「いいえ。先ほど島岡さんから連絡が入ったのですが、事務所の引越し祝いも兼ねているそうです」
 後半は、託生に聞こえないように、こそっと松本が耳打ちする。
 なるほど。だから、オレと松本を、ここに送り込んだのか。
 オレは事務所のオーナーとして。松本はムードメーカーとして。さすが島岡、気が利くな。
 会議室に移動しようと廊下に一歩踏み出したとたん、くいっとマントが後ろに引っ張られた。
「託生?」
「ううん。なんでもないんだけど」
 引きつり笑いを浮かべつつ、オレを盾にしてお化け屋敷が目に入らないように隠れる託生をマントで包み込む。
「ちょ……ギイ」
「ドラキュラには獲物が必要だよな」
「獲物って……」
 呆れながらもマントの中から出てこないのは、深い意味はない。単純に怖いから。
 変わらない託生に頬が緩み、左手でマントを上に上げ影に隠れてキスをした。
 会議室の中は、すでにパーティの準備が整い、乾杯を待つばかりだ。
「すごい」
「島岡さんがケータリングを手配してくださったんです」
 託生の感嘆の声に、フランケン……いや、桜井が答え、多少この状況に慣れてきたのか、それともオレが側にいるからか、託生が嬉しそうに微笑む。
 シャンパンが配られ、桜井がオレに挨拶を頼んできた。
「慌しい事務所の海外移転、大変にご苦労だった。本拠地を移し戸惑うことも多いだろうが、これだけのチームワークを見せてもらったので、全くオレは心配していない。これからも、バイオリニスト葉山託生を盛り上げていってくれ」
 同意の拍手の中、託生が隣でペコリと頭を下げた。
「料理が冷めてしまうので乾杯と言いたいところだが、こういう面子が揃っているのだから、今夜はこれだよな。Happy Halloween!」
「Happy Halloween!」


 ハロウィンパーティは深夜まで盛り上がり、アメリカ式のパーティに託生も徐々に慣れてきたようだった。
「楽しいか?」
「うん!」
 弾けるような託生の笑顔が、すぐ側にある。託生が、ここアメリカに来たのだと実感する。
 こうやって時間を重ねていけば、十年のロスなんて、いつか笑い話になるのだろうか。
 もう一度刻み始めた運命の時計。
 今度は止めることなく、永遠に回し続けよう。




ハロウィンが終わるまでに間に合わないと思っていたのだけれど、半端ない集中力を使ってしまいました。
すげーと、自画自賛(笑)
一応、時流に乗りましたよ〜♪
(2012.10.31)
【妄想BGM】
⇒Still…(動画サイト)
 
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