月夜に揺れる白い花-1-

 ギイとNYで暮らすようになって初めて迎えた夏も、そろそろ後半に入っただろうか。
 NYもそれなりの暑さで、少々グロッキー気味ではあるけれど、三日後からアジアツアーに出発するため、事務所での最終打ち合わせに出席していた。
 今までも、アジアの各都市でコンサートをすることはあった。でも、ここアメリカから行くとなると、どうしてもツアーにしてしまわないと効率が悪いということで、二週間の強行軍で数箇所回ることになっている。
 曲の順番を覚える以外は、ほとんど桜井さん任せではあるけれど、修正の入ったスケジュール表の変更箇所をひとつひとつ確認し頭に叩きこんだ。
 ふと目を上げると会議室の窓から見える高層ビルが、西に傾いた太陽の光を反射し赤く染まっている。
 あぁ、同じ夕日の色だ………。
 祠堂の寮の屋上で、ギイと二人、沈みいく太陽を見ていたときと同じ色。
 黄色からオレンジ、そして真っ赤に染まり、徐々に姿を隠しながら、鮮やかなグラデーションを空に描いていく。漆黒の闇に包まれる直前にしか見れない自然のプリズム。
 同じタイミングで指差した一番星に、どっちが先に見つけたかと言い合いになり、でも、そんな些細なことで口喧嘩している自分達にハタと気付いて、どちらともなく吹き出した。
 本気で怒って、本気で泣いて。でも、最後には二人で笑いあって。
 鮮やかに彩られた思い出が、この夕日の色に溶けている。
 ギイともう一度思いを交わすまで、ぼくはこの夕日を見ながら、ギイを愛し続けている自分を感受していた。そして夕日が落ち訪れる一人きりの宵のうち、ギイへの想いを胸に抱いて眠りについていたんだ。
 今、ぼくの側にはギイがいて、もう二度と離れないと覚悟を決めた。ここNYで、ギイと一緒に生きていく。
 ギイが、どう思っていようとも。
 ぼくは、そう決めたんだ。


 打ち合わせが終わり、桜井さんに送られて帰ってきたペントハウスのドアを開けると、楽しそうなギイの笑い声が奥から聞こえてきて足を止めた。
「託生様、お帰りなさいませ」
「ただいま。ギイ、帰ってるの?お客様?」
「はい、つい先ほど、お客様とお帰りになりました」
「へぇ」
 珍しいことがあるものだ。なぜなら、ギイはペントハウスに他人を入れたがらないと思っていたから。
 四六時中、島岡さんや松本さん、そしてSP集団が側にいて、仕事だってよくは知らないけれど、人と話すことが多いだろう。
 だからこそ、プライベートの空間は自分を休める場所だと位置付け、玄関ホールより先は滅多に人を入れることがなかった。
 そんな中に招待し、そして談笑しているというのは、ギイに近しい人なのだろう。
 出迎えてくれた執事に荷物とバイオリンを渡し、でも、ギイ個人のお客様なら邪魔になるだろうと、自室に向かおうとしたぼくの背後から、
「お帰り、託生」
 弾むような声がぼくを引きとめ、いつものようにくるりと長い腕がぼくを包み込んで頬にお帰りのキスをした。
「相変わらずだなぁ、お前達」
 直後、呆れ半分、笑い半分、懐かしい声が耳に届き、慌ててギイを押し返そうとするも、がっちりと抱き締められていて、肩口から顔をあげることもできやしない。
 でも、ギイがわざとこういうことを見せ付ける人間は、昔から決まっている。
「章三、邪魔すんなよ」
「こっちは客だぞ。自重しろ、自重。よ、久しぶりだな、葉山」
「………赤池君!」
「いてーっ」
 ギイの足を渾身の力で踏んで、腕の中からもがき出たぼくの前には、数ヶ月ぶりに会った章三が笑いを噛み殺していた。


「僕も急だったし仕事が立て込んでいたから、自分の空く時間がわからなくて、なかなか連絡が取れなかったんだよ。スケジュールが合わなかったら仕方がないなと諦めていたんだ」
「いつから、こっちに?」
「一週間前だな。明日の便で帰るから、最後に会えてよかったよ」
 厨房から酒とつまみをプライベートの居間に持ち込んで、小振りの応接セットを囲んだ。
 章三なら今更飾る必要もないし、それこそ他の人に邪魔されたくはない。
 こうやって三人で集まることなんて、祠堂卒業以来だ。まるでゼロ番で談笑していたときのような和やかな空気と懐かしさ。
 もちろん、ギイと章三は、ぼくの壮行会で十年ぶりに顔を合わせていたが、あのときはお互い嫌味の応酬に忙しかったようで、それに、ほかの友達も来てくれていたから、それほど親密に話はできなかった。
 しかし、どれだけ離れていても相棒は相棒らしく、十年のブランクなんてなんのその。すっかり元鞘に収まったようだ。


 去年、ギイとフランスで再会したあと、アメリカでギイと暮らすことになったと、章三に伝えたとき、
「十年もかかるとは、ギイにしては手際が悪かったのか、相手が悪かったのか。それとも解決したのに、臆病風吹かせて葉山に会わなかったのかの、どれかだな」
 と、章三は皮肉った。
 しかし、その目が安心したように微笑んでいるを見て、章三がこの十年なにも言わずに見守ってくれていたのだと、そのとき知った。
 十年前の事件の全容は知らずとも、ギイの周りでなにかが起こっていたことには気付いていたらしい。
 さすが相棒と感心したのだが、
「三年生に上がったとき、チェック組の争奪戦に巻き込まないように、僕達と距離を置いたじゃないか。それと同じだよ。根が単純だから行動がわかりやすい」
 その解釈に、なるほどと思ったものだ。


「あ、そうだ。赤池君、利久のことなにか聞いてない?この一ヶ月、連絡が取れないんだ。なにか事故でもあったんじゃないかと心配してるんだけど……」
 あっちこっちに話題が飛びながら、それなりに酒の空瓶が並びだした頃、ずっと気になっていたことを思い出し、ここぞとばかりに聞いてみた。利久本人じゃなくとも、どこからか耳に入っているかもしれないと。
 利久とは、日本にいるときも、月に一度くらいの割合で連絡を取り合っていた。お互い仕事があるし、今は時差もあるからメール中心になっているけれど、利久から返事が来なかったことは今まで一度もない。
 それなのに、この一ヶ月返事がないのは、あまりにも違和感を感じる。
 初めは、仕事が忙しいのかな?と考えて数日待ってみたけれど返事は来ず、それならメールが届いていないのかもと電話をかけたが、結局利久には繋がらなかった。
 こうなれば、事故か体調を崩したかくらいしか考えられなくて、心配をしていたのだ。
「いや、なにも聞いてないな」
 そう答えて、章三はグラスに手を伸ばした。
 でも、ぼくは気付いてしまった。口を開く直前、章三が視線をギイに滑らせたのを。ほんの瞬きをするくらい一瞬の出来事。
 その動きに、利久になにかがあったんだと直感した。
 ギイの相棒を名乗るだけあって、章三はギイの言動を誰よりも理解している。ギイが一番に考えるのは、ぼくを守ることだと。
 だから、たぶんこれは、ギイがぼくに聞かせたくない話、イコール、利久の身に良くないことが降りかかっているってことなんだ。
 しかし、章三の口の固さは相当なものだ。今までの経験上、こうなれば絶対口を割らないだろうことを知っている。
「………赤池君、ぼく三洲君からブレーメンの写メ譲ってもらってたんだけど、奈美子ちゃんに送っていい?」
 とたん、章三はビールを気管に詰まらせ、勢いよくむせ返った。
 いつだったか三洲と呑む機会があって、そのときに「昔の携帯から、懐かしいものが出てきた」と見せてもらい、そこにギイが写っていたから譲ってもらった物だ。
 一度しか使えない奥の手だし、ギイの赤鼻のトナカイも消えてしまうけど、利久のことがわかるなら仕方ない。
「はや……ま、お前………っ!」
「知ってるんだろ?」
 でなければ、ギイにあんな視線を送らないはず。
 この二人にかかれば、適当な理由でぼくを誤魔化し、気付かせないようにするのは簡単だから、卑怯な手かもしれないけれど背に腹はかえられないんだ。
「容赦ないなぁ、託生」
「ギイは、知ってたの?」
「いや、オレはなにも聞いてない」
 軽く笑いながら首を横に振ったギイだけど、その目はとても複雑な色を映していた。
 章三のあの視線に気付いていただろうし、相棒がそう判断したものをぼくに聞かせたくないのだろう。
「葉山、写真は消せ」
「利久のことを、嘘偽りなく教えてくれたら消す」
 睨み合いの続く中、先に視線を反らした章三は、どっかりとソファの背もたれに体を預けて舌打ちし、ギイを睨んだ。
「ギイ、葉山の教育間違ってるぞ」
「オレのせいかよ?」
「お前が、葉山に交換条件なんて教えるからだろうが」
「でないと、なかなか託生といちゃいちゃできなかったしなぁ」
「いちゃいちゃせんでいいわ!………ギイ、きっちり責任取れよ」
 いつものような軽い応酬の結末は、含むような章三の大きな溜息だった。
 
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