ラビリンス-1-

ResetシリーズとSecret内Lifeシリーズのコラボです。
Lifeをお読みいただいていない方は、ご注意ください。




 背中に柔らかな感触を感じる。草木の青臭い匂いが鼻をつく。まるで祠堂の陽だまりの中で昼寝をしているような懐かしく安らかな気分に、しばし身を任せようとしたのだが、頭の冷めた部分が危険信号を鳴らした。
 だいたいオレが、人に狙われるような場所で、呑気に眠るわけないじゃないか。
 そこまで考えて重い目蓋を開けてみると、木々の間から透けるような青空が見え、眩しさに目を細めた。
「ここ、どこだ?」
 体を起こし注意深く周りを見回す。
 ……公園か?いや、どこかの森のようだ。鬱蒼とはしているが暗いわけではなく、何かが襲ってくるような様子はない。しかし、風の音さえ聞こえないってのは不自然だ。
 と冷静に今の状況を把握しようと、頭をフル回転させているオレの耳が、微かな音を拾った。
「………ィ………」
「託生?」
 その場に飛び起きて、全神経を集中させる。今、聞こえた声はどっちだ?もう一度、オレを呼んでくれ、託生。
「……ィ……」
「そっちか!託生!そこを動くな!」
 聞こえたと同時に草木の間に飛び込み、道なき道を走り出す。邪魔な枝を押しのけ、へし折り、オレを呼ぶ声だけが蜘蛛の糸のようにオレ達を繋げているようで、ただただ託生に向かって一心不乱に悪路を突き進んだ。
「託生っ!」
「ギイ!」
 飛び込んだ木の陰の向こう。両手を広げて駆け寄ってきた愛しい姿を抱きとめ、安堵の息を吐く。
 こんなところに、たった一人でいて、さぞ心細かったことだろう。
「よかった、無事だったか、たく……………ん?」
 抱きしめあうなんて、数えきれないほど繰り返してきたシチュエーションで、オレが託生を見間違えるはずがないし、もちろんいつもの託生の甘い匂いを感じているし、なにより「ギイ」と言って飛び込んでくるのは、この世で託生のみ。
 しかし、なんとも言えない違和感を感じる。と同時に、自分がイケナイ親父のような気分にもなってきた。
 いつもより抱きしめた感触が柔らかいような気がするのだ。まるで、女の体を抱いているような………って、マジに胸あたってないか?
 飛び込んできた体も、オレの腕の中でピシリと固まっている。
 ゆっくりと腕を外して一歩後ろに下がり、お互い顔を見合わせた。
「託生か………?」
 託生にそっくり……というより、託生そのものなのに、いつも見慣れている託生よりもずいぶん歳若い。祠堂にいた頃の託生のようだ。いや、それよりも服の上からでも分かる柔らかな丸みを帯びた体つきに、頭が一瞬にして錆付き思考が固まった。
 『託生』は『託生』だけれど、『オレの託生』じゃない!
 同じくオレの顔をポカンと見ている託生に、念のため聞いてみる。
「君の名前は?」
「崎託生………」
「崎?」
 ちらりと左手をみれば、銀色のマリッジリングが目に入る。
 この子のオレ、やるなぁ。
 結婚するには早すぎる歳のように見えるが、確かに託生が女であれば、オレだってさっさと結婚してそうだ。
「ついでに聞いてみるけど、旧姓は葉山?」
「うん」
「じゃ、君の配偶者の名前は崎義一?」
 コクリと頷き、反対に問いかけるようにオレを見る託生に、
「オレの名前も、崎義一だ」
 そう自己紹介すると、
「あ、やっぱり」
 あっさり頷くと同時に、お互いなぜかしら納得した。
 オレという人間が二人いて、託生も二人いて、違う世界でそれぞれ巡り合って共にいる。
 それが、なぜかしら嬉しい。
 別の世界の託生が、オレ以外の人間と一緒にいるだなんて考えたくないじゃないか。
 しかし、オレではあるけれど、自分のオレではないことに力を落とした託生が、
「ギイじゃないんだ………」
 その場にペタリと座り込み、慌てて隣に膝をついた。
 オレの託生じゃないけれど、ここにいる託生も託生なわけで、こんな表情をさせたくないし見たくない。
「大丈夫だって。託生を置いて消えてしまう人間じゃないのは、このオレがよく知っている」
「ギイ……」
「とりあえず、これからのことを考えようか」
 心配いらないと、にっこり笑ってやると、おずおずと頷き、ホッと表情を和らげた。
 託生って女の子になっても可愛い……。
 と思ったものの、すぐさま頭を振る。なんとなく………いや、たぶんこの子のオレも、オレと同じ性格をしているような気がする。可愛いなんて一瞬でも思ったことを、この子のオレに知られるとやっかいだ。
 ………まぁ、オレが託生を見て可愛いと思わないことはありえないから、全部筒抜けになるだろうけどな。
「まずは、君のことは、託生ちゃんと呼ばせてもらうよ」
「え、どうして?」
「同じ思考だろうから、わかるんだ。オレが君を『託生』と呼んだら、君のオレは絶対いい気はしない」
 確実に。
 オレだって、オレの託生を他人にそう呼ばれたら、ムッとするしな。
「じゃあ、ぼくは義一さんって呼びますね」
「………それも微妙だけど、今回は仕方ないか」
 この不可解な世界に、オレの託生と、この子のオレも、来ている可能性があるし。
「しかし、この森はどこまで続いてるんだ?どこか通り抜けられるところは……」
 オレが目覚めた地点からだいぶ移動しているはずなのに、周りの景色が変わった様子はない。まさか同一地点をぐるぐる廻るリングワンダリングじゃないだろうな?
「あ、あっちに建物がありましたよ」
 そんな心配をよそに、託生ちゃんが自分の背後を振り返り、歩いてきたらしい方向を指差した。
「建物?」
「木の間から、小さく見えただけなんですけど」
「へぇ、じゃ、とりあえずそこまで戻るか」
 ここで立ち止まっていても仕方ない。手掛かりになるものは、片っ端から調べていかねば。
 オレ達は、建物が見えたらしい地点に向かって歩き出した。


「君のギイって、ものすごい心配性なんだ?」
「心配性ってものじゃないですよ。ぼくが外出しようとしたら、滑って転ぶからダメだなんて無茶言うんだから」
 世間話ついでに、もう一人のオレのことを聞いてみると、多少耳に痛いような気はするけれど、それは行き過ぎだろ?と思われることのオンパレード。
 滑って転ぶから外出禁止なんて、さすがのオレも言わないぞ。
「まぁ、なんだ。オレも託生に心配性すぎるとよく怒られるけど、君のギイは心配性を通り越して過保護なんだな」
 それとも、オレもこのくらいの歳のときは、そこまで過保護に考えていたのだろうか。その頃は、託生と離れていたから、わからないが。
「祠堂を卒業するときに心配をかけまくったから、仕方ないんですけどね」
「祠堂?君達の世界では、祠堂は共学なのか?」
「いいえ、男子校です」
 あっさりと否定して苦く笑い、
「ぼく、卒業間際に女の子だってことがわかったんです」
 オレ達の世界と枝分かれした地点を明確に示した。
「……インターセックス?」
「はい」
「それは………大変だったんだな」
「でも、ギイがいてくれましたから」
 自分のことのように、誇らしく嬉しそうに笑う託生ちゃんに、苦しんだ影はない。
 この子の今の姿を見れば、それまでの男としての人生を捨て、新しい人生を生きているだろうことは明白だ。しかし、そこに至るまで、どれだけ苦しんだだろう。普通の人間ならば心を壊してしまっても可笑しくない、天地が引っくり返るような出来事だ。
 こうやって笑えるのは、もう一人のオレが必死に守っていたからだというのがわかる。
 オレは託生の命を守るために別れ、もう一人のオレはこの子の心を守るために側にいた。
 あのときの選択をオレは後悔していないが………。
「あっ!あれです!」
 託生ちゃんの声に顔を上げると、木々の隙間から小さく見えるあれは………ルフェビュール城!
 なぜ、この城がここに………。
「託生ちゃんは、あの城を見たことはないか?」
「いいえ。初めて見ました」
「そうか」
 ということは………。
「よし、あの城を目指そう」
「え?」
「この辺りに目印のようなものはないし、あの城に見覚えがあるというか、何度か行ったことがあるんだよ」
「義一さんの世界で?」
 そう、オレ達の世界で。
「もしも、君のギイとオレの託生が、この世界に来ているのならば、あれを目指すと思うんだ」
 オレと同じ考え方をする人間ならば闇雲に歩くはずがない。なんらかの目印を目指すだろう。託生は言うよしもがな。よく知っている城だからな。
「そうですね。貴方がそう思うのなら、ギイも同じことを考えると思います。行きましょう」
「………君も思いきりがいいな」
「そうですか?」
「あぁ。どこまでも真っ直ぐだ」
 オレの託生と同じように。
 どうして、ここに飛ばされたのか。交わるはずがないパラレルワールドのもう一人の託生が、ここにいる理由はなんだ。
 いくつもの謎を胸に秘め、オレ達は、遠くにそびえ立つルフェビュール城に向かって歩き出した。
 
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