Reset -4-

 今思えば、大人の恋と子供の恋だった。
「オレの覚悟はついている」
 何度も聞いて、そのたびに覚悟がついていない自分に歯がゆさを感じ、そしてギイの想いに応えられない申し訳なさを味わい……。ギイに愛されて幸せの中にいるはずなのに、時折大きな渦に飲み込まれそうな恐怖を感じていた。そして、卒業が近づくにつれて、携帯に出るギイの言葉が英語に変わっていくのに気づき、現実を見たくなくてゼロ番への足も遠のいた。
 側にいたいのにいたくない。もっと愛してほしいのに、それが怖い。
 まるで自分の心が揺れるやじろべえのような不安定な状態に耐え切れなくなった時、ぼくはギイに別れを切り出した。
 先の事はわからないから、今を大切にしよう。
 それは、ある意味、ぼくの逃げだった。未来を考えたくなかった、ぼくの我侭。
 卒業式の夜、ストラディバリを持って、ぼくはゼロ番を訪ねた。
「別れてほしい」
 震えそうになる言葉を叱咤して口に出すと、
「わかった」
 静かな了承を告げる声がし恐る恐る顔を上げた。ギイはこうなるのを初めから知っていたかのように、悲しそうな諦めた表情をしてぼくを見ていた。
 あぁ、ぼく達、本当に終わるんだ………。
 自分から言い出した事だけど、ギイに引き止められる事もなくあっさりと頷かれて、心も涙も凍りつく。
「今まで、ありがとう」
「オレこそ、幸せな夢を見せてもらった」
 差し出された右手を握り返しながら、ギイのこれからの幸せを切に願う。
 こんなに愛せる人は、もう現れないかもしれない。だからこそ、幸せになってほしい。
 しかし穏やかな別れの時間は、そこまでだった。
 ギイはストラディバリを返すことを頑なに拒んだのだ。
「オレは、今、返してほしくない」
「でも……!」
 これを持っていると苦しくなる。ギイを忘れる事ができなくなる。
 押し問答の末、ギイはバイオリンケースを開け、
「それなら、ここで壊してやる!」
 あのときと同じ台詞で、でも、あのときとは全然違う激情のままネックを両手で掴みテーブルに叩きつけようとした。
「ギイ、やめて!!」
 ぼくの悲鳴に、叩きつけられる寸前テーブルから数センチでギイの腕は止まった。未だ荒い息のまま震えるギイとストラディバリの無事な姿を見て、へなへなとその場に座り込む。
 目の前に差し出されたストラディバリを震える手で受け取り、そのまま胸に抱きしめた。
「頼む。持っていてくれ」
 そして、ぼくは今でも、ギイから借りたストラディバリを使っている。


「たくみ……託生」
 ギイの声。懐かしい花の香り。
「託生?」
 頭を撫でる優しい手と背中に感じる心地よいスプリングに、ゼロ番のソファにもたれているような感覚になった。………いや、違う。祠堂は遠い昔に卒業したんだ。
 左頬に柔らかな温もりを感じ、ぼんやりと目を開けると、
「起きたか?」
 ギイの茶色い瞳が心配そうに覗いていた。
「………ギイ?!」
 一気に意識が鮮明になり、状況を理解する。あぁ、そうだ。ぼく達はシャトー・ルフェビュールに向かっている所だった。
 のどかな田園風景が続いていたはずなのに、フロントガラスから見える風景はいつのまにか葉が枯れ落ちた木々に囲まれている。
「ごめんね!ぼく、寝ちゃって」
「いや、疲れが溜まってるんだろ?少し、顔色が悪かったからな。この森を抜けたらすぐ着くから」
 助手席で寝るという失態に慌てて謝り起き上がろうとしたぼくを手で制し、ギイは手元を操作して、リクライニングになっていたぼくのシートを戻した。ぼくにかかっていたギイの上着が、パサリと音を立てて膝の上に落ちる。
 さっきの匂いは、これからだったんだ。
「あ、上着、ありがとう」
「いや。……寒くなかったか?」
 上着を受け取りながら、心配そうに、聞く。
 ギイって、こんなに心配性だったっけ。
「寒くなかったよ」
 ぼくの言葉にやっと納得したのか、ギイはアクセルを踏み込んだ。
 ほとんど振動のない走りと音質のいいカーオーディオ、そして極めつけはこのシートの暖かさ。絶対シートヒーター入ってる。
 眠たくなくても、眠っちゃいそうな車なんだよね。
 そう心の中で言い訳しつつ、先ほど左頬に感じた違和感を思い出した。運転しているギイを見て、ふと浮かんだ都合のいい甘い考えを否定する。
 そんな事あるわけないじゃないか。
 頭を振って、邪な考えを追い払った。
 枯葉の舞い落ちる中を走りぬけ視界が開けると、壮大な城が忽然と目の前に現れその大きさに感嘆の声があがる。





「すごいっ……」
 いったいどれだけの高さがあるのだろう。随所に配置されたとんがり帽子のような円塔を繋ぐように城壁が取り囲み、その中に別の三角屋根の建物が見える。
 ギイは城の外周道路を回り併設された駐車場に車を止めた。
「中まで入れたら楽なんだけどな。ここから徒歩だ」
 トランクに入れた荷物を取り出し、城門を目指す。近くで見れば見るほど、その大きさに圧倒された。
「託生、上ばかり見ていると転ぶぞ」
「だって、すごいんだもん」
 こんなお城見た事がない。
 坂道を登り、今は飾りとなっている跳ね橋を渡って城門をくぐる。
「うわぁ」
 今度は中庭を取り囲むようにそびえ立つ城の全貌に、あんぐりと口を開けた。
 想像以上のスケールの大きさに度肝を抜かれ、あれほど拒否していた事もすっかり忘れてしまっていた。


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