Reset -3-

 パリ市街を抜け、車は南に向かっているようだった。
 とりとめのない会話さえなく、カーオーディオから流れる音楽だけが車内を満たしている。居心地の悪さにもぞもぞと座りなおし、チラリとギイをうかがった。
 少し、痩せたかな……。
 ギイに会うのは10年ぶりではあるが、ギイの顔は経済誌などでよく取り上げられているので、たまに見かけるときがあった。すでにFグループの後継者として副社長の地位に付き、お飾りだと揶揄されていた時期もあったが、そんな世間の声などすぐなくなりメキメキと頭角を現して、今やギイの一声で世界経済が変わるとまで言われている。
 もう、ぼくの手の届かない場所にいったのだと二度と会う事のない人間だと思っていたのに、なぜこんな事になってしまったのだろう。
「どうした?」
 こっそり見ていたつもりなのに、急にギイが振り返って息が止まりそうなくらい驚いた。
「託生?」
「いや……えっと……急にお邪魔するなんて、迷惑じゃないのかなって思って」
「ホテルになってるから部屋はいくらでもあるし、スタッフが身の回りの事をしてくれるから、ミシェル達の手はわずらわせないよ」
「ホテル?」
「古城ホテルってやつだな」
「お城なんだ……」
 ぎこちなく感じているのはぼくだけのようで、ギイはこの状況に頓着せず、昔二人の間になにもなかったかのようにぼくに話しかけた。
 ……………ん?
「ホテルって、泊まるの?!」
「泊まるの?って、お前、荷物持ってきただろ?」
「さ……佐智さんに『荷物まとめて』って言われたから」
 てっきり、合流するには時間が合わないから、一人で帰っておいでという意味だと思っていたのに。
「じゃ、じゃあ、ヴィエル見せてもらったら、ぼく帰るから」
「あのなぁ。城って言うのは、大概人里から離れてるんだ。小さな村は近くにあるが、それなりの大きさの町までどれだけの距離があると思ってる?」
「タ……タクシーで………」
「あんな田舎に呼び出すのか?」
「でも……」
 ギイがどれくらい、そのホテルに泊まるのかはわからないけれど、その間顔を合わせないわけにはいかないだろう。でも、何日も顔を合わせているうちに、ぼくの気持ちがギイに伝わってしまいそうで怖いんだ。まだ、君が好きだって事を。
 口ごもったぼくに、
「ま、託生が気になるのはわかるけどな」
 ギイはそう言うと、腕を伸ばしてポンポンと頭を軽く叩いた。
「佐智が言っている『音楽の為』だと思って、城に泊まればいいさ」
 もしかして、ギイは10年前の別れを指しているのだろうか。別れを告げたギイに、ぼくがいたたまれない思いを抱いて拒否しているのだと。
 オレは気にしていないから、お前も気にするな。そう言いたいのだろうか。
 ギイの優しい瞳に、ふと気づいた。
 あれから10年も経っているのだ………。
 一昔前の恋が、思い出の恋に変わっていたとしてもおかしくはない。
 ぼくはともかく、ギイの中では消化できている終わった恋なのかもしれない。いや、たぶん、そうなのだろう。だからこそ、こんなぼくに笑顔を見せてくれているんだ。
 拒否している理由を勘違いしてくれているのなら、そう思っててもらったほうがいい。
「ありがとう」
 君への想いは胸の奥に閉まっておくから。
 その心遣いに、数日とは言え側にいる事を許してくれた事に感謝する。……だから、気づかないで。
 ギイは一瞬目を見開き、ふっと目尻に皺をよせて静かに微笑んだ。
「ところで、託生。お前、城と聞いてどんな城が思い浮かぶ?」
 話題転換が早いのは、昔からの癖だ。それでも、この重い空気を吹き飛ばすには十分で、ギイの言う「城」を思い浮かべてみる。
「ドイツのノインシュバンシュタイン城のような建物か、ヴェルサイユ宮殿のような建物か……」
「ノインシュバンシュタイン城は19世紀、ヴェルサイユ宮殿は17世紀。これから行くシャトー・ルフェビュールが作られたのは14世紀。どんな建物だと思う?」
「どんなって……見当つかないよ」
 そう。あまりにもヨーロッパには大小問わず城が多すぎて思い浮かばない。ただ、城として古い部類に入るのだろう事はわかるけど。
「全部石造りでな、外から見ると城壁がぐるりと取り囲んでいて、外側の窓は上部に小さいのしかついてないな。今は埋め立てられているが、元々周りは堀になっていたし。こっそり侵入するのは不可能だろう」
「侵入って?」
「他国との戦いに備えた要塞だったんだよ」
「要塞?!」
「だから託生が思っている優雅な城じゃなくて、無骨な感じだな」
「へぇ」
 あまりそういうお城は見た事がないかも。ぼくが頷いていると、
「それでな」
 ギイは、急に声を潜めた。
「………なに?」
 なんとなく嫌な予感がして、顎を引く。
「要塞なんだからもちろんあちらこちらで戦いがあってな、特に北側の一番戦いの激しかったあたりでは夜な夜な鎧を着た人間が彷徨い歩いたりしていてさ……」
「ギギギ………ギイ」
 それってそれって。
 血の気の引いたぼくの顔を横目で見て、ギイが盛大に吹き出した。
「変わらないな、託生」
「ギイ!ぼくが苦手なの知ってて言ってるだろ?!」
 悪戯っ子のようにニヤリと笑い、
「バレたか」
 悪びれずひょうひょうとのたまった。
 『出来る男』の代名詞のようにメディアがこぞって書き立てている冷静かつクールな男は、いったいどこに行ったのやら。
 でも、昔と変わらないやり取りに、涙がこぼれそうになった。
 
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