Reset -6-

”ナタリー、久しぶり”
”ギイ、いらっしゃい。はじめまして、ナタリーよ”
”葉山託生です。お世話になります”
 案内されたリビングは同じ城内ではあるものの、温かみのある優しげで家庭的な空間でホッとした。
 あぁ、やっぱり、ぼくは根っからの庶民だ。
 ナタリー・ド・ルフェビュール侯爵夫人は、とても笑顔が似合う素敵な女性だった。ぼく達を、手作りのクッキーとお茶でもてなしてくれ、
”私もナタリーと呼んでね”
 ぼくがミシェルと呼んでいるのを耳にすると、すかさずお願いされ、こちらは泣き落としではなかったけれども押し切られた。この夫婦は、もう………。
 話を聞くと、ギイとミシェル、そしてナタリーは、同じ大学の友人だったそうだ。卒業後もその仲は続き、年に一度、休暇を取ってギイが二人の下を訪れるらしく、そのオフにぼく達はバッタリと会ってしまったわけだ。
”ナタリーも、アメリカへ留学したんですか?”
”いいえ、私はアメリカ人なの”
”フランスの方じゃないんですか”
 何度も海外に行く機会に恵まれたが、未だにどこの国の人かとんと見分けがつかない。なんとなく、髪の色が濃ければ南、銀に近ければ北、それだけのことだ。
 それに、ぼくはアメリカには一度しか行った事がないし。
”ミシェルが留学しているときに知り合って、フランスまで連れてきちまったんだよな”
”お前が言うと、僕が悪者になったような気がするよ”
 席を外していたミシェルが、大きなケースをかかえて戻ってきた。
”これだよ、ヴィエル”
”うわぁ”
”見れば見るほど、ボロっちいな”
”ギイ”
 失礼な言い様にギイを睨むも、どこ吹く風で、
”開けてみろよ”
 ギイはぼくを促した。
 ケースに入っていたから埃こそかぶってはいなかったが、黒く変色した木目を見てかなり古い物だと推測する。
”触っても?”
”どうぞどうぞ。骨董品の価値もないから、壊してもいいよ”
 茶化すミシェルの声に苦笑いし、丁寧にヴィエルを膝の上に乗せて鍵盤を押してみる。重いキーや押せないキー。最初から聞いてはいたけれど、やっぱり音を鳴らすのは無理かな。
 残念に思いつつ、駄目もとでハンドルを廻すと………あ、廻る!
 ギギギギギギギギギギ。
 なんとも、耳障りで大きな音だ。
”……………”
”すごい音だな”
”メンテナンスが難しい楽器だし、中で松脂が固まってるんじゃないかな”
 これ以上鳴らすと迷惑になりそうなので、ぼくは音を出すのを諦めて、じっくりとヴィエルを眺めさせてもらうことにした。
 本当に、こんなチャンス滅多にない。
”あっちこっちに昔の物があって、その中から出てきたんだよ。誰もそれがなにかわからなかったから、そのまま倉庫に片付けていたんだけどね。そうか、楽器だったんだな”
 チューニングも演奏するのも難しいと聞いている。現存する楽器が壊れても部品がなくて、部品を手作りしている人も多いらしい。
 そんな難しい楽器ではあるけれど、昔から音楽は人々の近くに存在していたという事実を、この目で見る事ができたのはとても嬉しい事だった。
”このあたりは近くの村くらいしか観光できる所はないけど、城の中ならどこでも見てくれていいからね”
”ありがとうございます”
 ミシェルのありがたい申し出にお礼を言うと、
”城の中なら、オレが案内するぜ。絶対迷子になるし”
 ギイが案内役を名乗り出た。
 しかし。
 確かに、これだけ大きかったら迷子になる可能性もあるだろうけど、そうはっきり『迷子になる』と断言しなくても。
 ぼくの不服そうな表情を見ながら、
”だって託生、迷子になって霊廟には行きたくないだろ?”
 ニヤニヤと笑う。
”霊廟って、もしかして……”
”別名棺桶ルーム?”
 全力で遠慮させていただきます!
 ぶんぶんと首を振ると三人に笑われたけれど、これだけはイヤだ。
”一見の価値はあるんだけどなぁ”
”ううん、ぼく、いいよ”
”あのライティングが、やけにおどろおどろして”
”だから、いいってば!”
”ちなみに霊廟のプロデュースはオレ”
”そんな、おどろおどろしたの作るな!”
 3人の笑い声に囲まれなんとなく腑に落ちない気分だけど、やけに楽しそうなギイを見ているとどうでもよくなってしまった。
 絶対、霊廟は行かないけどね。


 ギイの昼間の話のせいだけではないとは思う。たぶんこの石造りの部屋が原因だとわかっている。
 わかってはいるけれど、やっぱりクラシカルすぎる雰囲気は少し怖くて、ぼくは疲れているはずなのに寝付けずにいた。
 もう、時計の針は11時半を回っている。
「参ったな……」
 寝返りをうって大きな溜息がこぼれた時、控えめなノックが部屋に響いた。
 こんな時間に?
「ギイ……」
 おそるおそるドアを開けるとパジャマの上にガウンを羽織ったギイが立っていた。
 なんだか、いい匂いがする。
「起きてたか?」
「うん、少し眠れなくて」
「昼間の責任を取って、ホットワインを持ってきた」
「あ……ありがとう」
 ギイはぼくをソファに座らせ、テーブルの上に湯気の立つマグカップを置いた。
 さっきの匂いは、これだったんだ。
 両手でカップを包み込んで一口飲むと、口の中に濃厚な赤ワインの香りが広がる。少し甘めのホットワイン。控えめなスパイスがのど越しを良くし、程よい熱さが体の芯まで温もらせる。
「美味しい」
「そうか。ゆっくり飲めよ」
 ギイは向かいの席で嬉しそうに笑い、ぼくが飲み終わるのを待っていた。
 二人きりの空間に最初は緊張していたのだが、漂うホットワインの香りが室内を優しく包んで、こんなゆったりとした時間を共有する事を、許してもらっているような気になってくる。
 ホットワインを半分ほど飲んだ頃。アルコールのせいか体が温まったからか、ふいに疲れと睡魔がぼくを包んでカクンと力が抜けた。一気に酔いが回ったようだ。
 あやうく落ちそうになったカップをギイが取り上げ、ぼくの体を支える。
「このまま眠れそうか?」
「うん……」
 ぐらぐらと揺れる視界に己の体調を考えず飲みすぎた事を知り、ベッドまで戻れるかなと心配になった時ぼくの体が宙に浮いた。
 え………?
「変わらないな」
 ギイは、そう呟いてぼくを抱き上げてベッドに横たえ、シーツを整えてくれた。
「ごめん、ギイ………」
 迷惑かけて。
「仕事の疲れが出たんだよ。ほとんど休みなしだったと佐智に聞いてる。ゆっくり休め」
 髪を梳く優しい指先に、睡魔が急激に襲ってくる。
「託生、お休み」
 ギイの声に見守られ、ぼくは深い闇に沈んだ。
 
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