Reset -9-
腫れぼったい目をタオルで冷やして、誘いに来てくれるギイを待っていたのだけれど、時間になっても彼は来ず、もしかしたらまだ帰ってきていないのかもしれないとの結論を出し、一人でダイニングルームに向かった。
1階の廊下の角を曲がると、 この時間帯にホテル棟にいる事が珍しいミシェルが、ぼくに向かって片手を挙げた。 ”おはよう、タクミ” ”おはようございます。昨晩はありがとうございました” ”いやいや。これから朝食だろう?あちらの部屋で一緒にどうかな?” 断る理由もなく、ぼくはミシェルの後をついていった。 あまり進まない朝食を食べ、食後のコーヒーを飲んでいる時、 ”あの、ギイは?” この人なら知っているかもしれないと、気になっていたギイの居所を聞いてみた。 ”日付が変わってから帰ってきたよ” ”じゃあ、まだ寝てますよね” 無事帰ってきていた事に、ホッと溜息を吐く。 ”いや、いつもの場所に行っているよ” ”いつもの場所?” 休まずに、もうどこかに出かけている?いや、それとも、もしかして毎朝ぼくを誘いに来る前に、今までも行っていたのだろうか。 ぼくの不審げな表情に苦笑いし、 ”少し昔話をしてもいいかな?” ミシェルは軽い口調はそのまま、しかし真剣な目をしてぼくに問いかけた。 ”ぼくはね、貴族が嫌いなんだよ” ”はい?” 唐突な発言に、どんな話なのかと構えていたぼくは、ポカンと口を開けた。 貴族が嫌いって、ミシェルも貴族なんじゃ……。 意味がわからないと書いたぼくの顔を気にせず、ミシェルは話を続けた。 ”貴族制度なんてとうの昔になくなっていて、その時代に持っていた領地を切り売りして生きてきた。もちろんビジネスで成功している人もいる。けれども、見栄ばかり張って結局家名ごとなくなったところも多い” ”はぁ” ”僕の父親がこの城を抵当に入れ莫大な借金をしていたのを知ったのは、父親が亡くなったときだった。家を嫌ってアメリカに留学していた僕は、葬儀のために呼び戻されそこで知ったんだ” ”借金……ですか?” ”そう、とてつもない金額のね” この城が担保なら、いったいどれだけのお金を借りていたのだろう。 ”弁護士に我が家の内情を聞かされた。遺産を狙っていた親類も自分に火の粉がかかるのを恐れて、さっさと逃げ出してしまってね。元々貴族である事が嫌だったぼくは、さっさとこの城を手放そうと思ったんだが、この城を売っても借金はなくならない事に気付いた” ”えっ、どうして?” これだけの城だったら、かなりの値段で売れそうなのだけど。 疑問符を浮かべたぼくに、ミシェルは説明を続ける。 ”希少価値がある城であれば国から補助金も多少は出るが、なにしろこの国の城の数は4万を超えるからね。早々国から補助金なんて出るわけがない。一般庶民でも買える値段で売られている城もあるんだ。でも維持費が莫大にかかるから、結局は売りに出されてしまう。だから今では年間400件を超える売り物が出ている。そんな状態で、この馬鹿でかい城がいい値で売れるわけがない” そうだったんだ。 需要と供給があってこそ、売買は成立するんだ。売りたくても買ってくれる人がいなきゃ、どうしようもない。だからといって、値段を下げれば、それだけ借金が残るという計算か。 ”………そんなとき、ギイが来てくれた” ギイの名前が出て、ビクリと肩が揺れる。ミシェルは、一体なにをぼくに話したいのだろう。 ”ギイは、ルフェビュール家に関する調査書をテーブルに置いて言ったのさ” 『オレが、全て援助する』 ”ギイが馬鹿に見えたよ。こいつ、こんなに頭が悪かったかなって。投資ビジネスなんて言葉があるけど、あれは利益が出ると踏んで投資しているわけだ。もうすでにギイは大学より仕事の方にウェイトをかけていて、Fグループを動かす側になっていたのに、こんな計算すらできないのかと” ”ミシェル……” ギイは大切な友達を助けたかっただけなんだと思う。昔から全力で友達のために動いていた彼だから。 ”初めは断った。金銭的な問題を友人関係に絡ませたくなかったからね。でも……” 『気持ちはありがたいがな。城を守ったとしても、維持費ってのは莫大なんだぞ。維持費だけじゃなくメンテナンス代だって馬鹿にならない。これだけ古い城なんだ。石垣が崩れ落ちている箇所だってある。ホテルの経営だってうまく行ってないんだ』 『城を売っても借金は残るだろう?それにナタリーはどうする?』 『………別れるよ』 『ミシェル……!』 『名前だけご大層で借金だらけの貧乏貴族に嫁ぐよりは………ぐっ』 『愛してるんだろ?!』 『愛しているからだよ!!ナタリーには幸せになってもらいたいんだ!』 『生きる意味をなくすぞ、ミシェル………』 『ギイ?』 ”最終的に僕はギイの申し出を受け、父が道楽のようにやっていたホテル業をギイやコンサルタントの助言で、ここまで立て直すことができた。ナタリーにも全てを話した上でプロポーズをして、苦労を承知でついてきてくれた。優雅な貴族に成りきって客の相手をしろってのは、ギイのアイデアだよ” ”そんな事が……” 先代の残した借金で苦労していただなんて。何の障害もなく二人は結婚したのだと思っていた。 でも、こんなプライベートな事を、ぼくが聞いてもよかったのだろうか。 複雑な顔したぼくに、 ”ここからが本題だ” ミシェルは居住まいを正した。 倣って、ぼくも気持ちを引き締める。 ”毎年あいつがここに来るのは、僕達に会いに来るのが目的じゃない。ある場所に行く為だ” ”え?” ”今回、君と一緒に来てからは、一度もその場所に行っていなかった。行く必要がなかったんだよ” ”どういう意味ですか?” ”タクミがいたからだよ” それは、ぼくが邪魔していたってこと?ぼくに気を使って、行けなかった? 困惑したぼくに、 ”君が考えているような事じゃないから安心してくれ” ミシェルは、即座に否定の意を示す。 じゃあ、なぜ? ”そうじゃなくて………『一生分の幸せを貰った』相手と言うのは、君なんじゃないかと僕達は思っているんだ” ”ミシェル?” ”以前、恋人も作らず仕事ばかりしているギイに聞いたことがあったんだ。『お前の幸せはどこにあるのか』ってね。そうしたら『オレの幸せはもうないんだ。すでに一生分の幸せを貰ってるから』なにかを思いだすように遠い目をして静かに笑ってたよ。こんな笑い方をするヤツだったんだって、初めて知った。” ギイ………。 ”フランス人は、基本他人の恋路には首を突っ込まない。大統領に愛人がいようが隠し子がいようが、気にしない個人主義だ。でもね、タクミ。僕は友人であり恩人であるギイに幸せになってもらいたい。今朝のギイは以前と同じ瞳をしている。僕達がこの一週間見た瞳とは全く違う” それは、昨日見た瞳の事だろうか。 以前にも、どこかでぼくは見ている。深い悲しみと傷ついた色を写したあの瞳に。 ”ギイは、今どこに?” ”ギイとの交換条件で、これだけは壊さずに残しておいてくれと言われた場所だよ。タクミ、君にならその理由がわかるかもしれない” ギイを、頼むよ。 そう言って、ミシェルはぼくの肩を叩いて部屋を出ていった。 |