Reset -8-

 どのくらいの時間が流れたのか。
 気がつけばぼくの腕にもギイの腕にも時計が存在せず、たぶん男達に取られたのだろうけど窓もないこの空間では今の時刻が全く読めない。
 頭痛も少しは楽になり、「休め」というギイの言葉に首を横に振って壁にもたれていた。いつでも動けるようにしておかなければ。
 ギイの体からは絶え間なく緊張感が漂い、室内にいる男の一挙一動を見逃すまいと神経を張り詰めている。
 その時だった。
 いきなりドカンという大きな爆音と共に、床を揺るがすような振動が響いた。
”な……なんだ?!”
 男がよろめいた一瞬の隙をついて、ギイが銃を蹴り落とす。そして、そのまま首の後ろを殴り昏倒させ、零れ落ちた銃をすかさず拾った。
「ギイ!」
 ドアの向こうから響く荒い足音にギイはぼくを背後に隠し、飛び込んできたもう一人の男の頭に銃を突きつけた。
”銃を捨てろ”
”なぜ、ここが”
”オレがSPなしで本当に動けると思ってるのか?側についていなくても、空から監視されてるんだよ”
 鬱陶しい事この上ないけどな。
 頭に突き立てられた銃への恐怖なのか、計画が失敗した事への悔しさなのか、男の顔から血の気が引き体がガタガタと震える。
”オレが憎かったのならさっさと殺してしまえばよかったんだ。欲ばって金なんかに執着するからこうなる”
 ギイは大勢の足音が近づいてくる気配にニヤリと笑い、
”ゲームセットだな”
 セーフティを戻すと、男の手からガチャリと重い音がして足元に銃が転がった。
 部屋に雪崩れ込む警察官の姿を見てやっと助かったとの安心感からか、ぼくの膝から力が抜ける。
「託生!」
 咄嗟に腋に差し込まれたギイの腕と背後の壁に支えられ、なんとか体勢を整えた。
「すまなかった。もう大丈夫だから」
 心配げに覗くギイの目が赤く充血し、疲労の色が見える。きっとぼくより何倍も疲れているはず。
 神経を張り詰めていたギイを少しでも安心させたくて
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
 ギイを見上げて笑った。上手く笑えたかはわからないけれど。
 その瞬間視界が閉ざされ、口唇に柔らかな感触を感じた。
 な……に…………?
 それがキスだと本能では理解できたけれども、心が追いつかない。
 すぐに離れてギイは苦しそうに、
「ごめん」
 と呟いた。
 この瞳、どこかで見た事がある………?
 確かめる間もなく、その後それぞれ車に乗せられ、薬品を嗅がされたぼくはそのまま病院へ、ギイは事情聴取のため警察署へ送られた。
 処置を受けたぼくは入院する必要もなく、付き添いに駆けつけてくれたナタリーと共に城に戻り、ミシェルの心配そうな顔に出迎えられ、ぼくは部屋で休む事にした。


 眠れないのは、事件のせいだけじゃない。
 あのキスはどういう意味だったのだろう。
 もしかして、ぼくの気持ちに気付いて同情したのだろうか。それとも……。
 口唇に手を当てると、あの温もりがよみがえってくるような気がした。周りにたくさんの人がいたのに、一瞬なにも聞こえなくなった。そこだけがポッカリとした別の空間になったようで、ギイの口唇の記憶だけが鮮明に残っている。
 大きな溜息を吐いた時、部屋にノックの音が響いてぼくはギクリとした。
 反射的に時計を見ると、午後10時半。いつもギイがホットワインを持ってきてくれる時間だ。
 慌ててドアを開けると、そこにはギイではなくミシェルが立っていた。
”ミシェル?”
”ギイに頼まれてね。事後処理が忙しいらしく帰るの夜中すぎるそうだから”
”あ、すみません”
”いやいや、謝る事なんてないよ。今日みたいな日は、ホットワインでも飲まないと神経が高ぶって眠れないだろうからね”
 我が家秘伝のレシピなんだよ。ホテルでも、これを出してるんだ。
 ぼくに気を使ってかやけに陽気に振舞って、ミシェルはホットワインを置いて部屋を出ていった。
 一人きりになった部屋でいつもの通りソファに座り、マグカップを両手で包みこんで一口飲んだ。
 味が違う……?
 あぁ、我が家秘伝のレシピと言っていたな。ルフェビュール家のホットワインなんだ。
 1/4ほど飲んで、カップを置いた。
 美味しいのだろうけど、スパイスが効きすぎてぼくには少し合わない。
 ギイが持ってきてくれたホットワインは、甘くて優しくてぼくの好みにぴったりとあって……。
 このホットワインは、今日のキスのようだ。少しだけ甘くて、ほろ苦い。………そして涙味。
 
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