月夜に揺れる白い花-6-

「置いていくか」
「置いていきましょうか」
「あーけーてーくーだーさーーーいっ!」
 防弾ガラスの窓の向こうで、松本が喚いている。
 片倉のところから松本を拾うために仙台駅まで来たものの、そこで見たのは女といちゃついている松本だった。
 お前、仕事中だろうが!なに、やっていやがる!
 もちろん、託生と二週間会ってない八つ当たりが込められているのは否定しない。
 しかし、駅前で、これ以上注目を浴びるのも面倒なので、
「島岡、うるさいから開けてやれ」
「仕方ないですね」
 オレの指示に島岡がロックを外しドアを開けてやると、松本が車内に転がり込んできた。
「副社長、島岡さん、ひどいじゃないっすか!」
「お前、アバンチュールに忙しそうだったから」
「忙しくな………忙しかったですけど、仕事です、仕事!」
「いいのか、さっきの女は?」
「全然知らない人ですってば!話しかけられて困ってたんです!」
「鼻の下が伸びて、困っていたようには全然見えなかったがな。てっきり三日前の女だと思ってた」
「副社長………」
 三日前、報告をしてきた松本の背後から聞こえてた甘い声を指摘すると、気付かれていないと思っていたらしい松本がガックリと肩を落とした。
 別に松本のプライベートに興味はないし、三日前の女は情報を集めるために引っ掛けたのだろう。趣味と実益、どっちにウェイトをかけていたのかは知らないが。
 オレ達と同じく渡日し、松本には仙台で情報を集めるよう指示を出していた。片倉をはめた男の行方について、どんな些細なことでも構わないので集めろと。
 本国とは違い、日本の、しかも初めて訪れた仙台で、どれだけ情報を集められるかと思っていたのだが、なかなかどうして、松本の情報収集能力は相当なものだと証明された。
 調査機関の人間が協力していたとは言え、たった数日で実に有益な情報を手に入れていたのだ。
 ま、ほとんとどが、女経由だろうが。
「もう、ヘトヘトですよ。九月なのに、なんすか、この暑さと湿度」
 日本の夏初体験らしい松本が、ハンカチでは事足りなかったのか、滝のように流れている汗をハンドタオルで拭きだした。
「なんで、お二人とも、そんなに涼しげなんすか?」
「日本には、冷却スプレーや冷却シートなんて便利なものがあるんだよ」
 訝しげに見る松本に鼻で笑う。
「副社長、それなら最初に教えてください!」
「そのくらい、自分で調べろよ」
 情報を集めるのが得意なくせに、変なところで抜けてる松本が不思議だ。
「そんな便利なものがあるなんて詐欺だぁ。知ってたら、拷問のような暑さをしのげたのにぃ。まとめ買いしてNYに送ったのにぃ」
「うるさいぞ、松本」
「だって、副社長〜」
「あぁ、松本、これをやる」
 ブツブツとうるさい松本に、ポケットに入れっぱなしの飴を一つ渡した。口になにか入れておけば、大人しくなるだろう。
「………なんすか、これ?」
「片倉んとこで貰った塩飴。熱中症予防にいいんだぞ。ほら、島岡も」
 島岡にも一つ渡し、残りの一つを口に放り込んだ。
「………甘いんだか、しょっぱいんだか、よくわからない味ですね」
「そうか?これはこれで、なかなか美味いぞ」
「手軽に塩分を取るには、ぴったりですね」
 リムジンの後部座席で塩飴を舐める男三人。託生が聞いたら、笑い転げそうだな。
「見つかったらしいな?」
「えぇ、香港に逃げたようです。物もあちらに転売してました」
「やはりな。国内じゃないとは思ってたんだ」
 なにしろ物が鉄製品。日本国内じゃ大きさ的に目立つし、おのずと足がつく。船なら、仙台港から香港へコンテナ船の定期航路もあるしな。
 三日前に貰った松本からの報告と話を総合すると………。
「島岡。香港のチャンと連絡取れるか?」
「今夜、託生さんのコンサートに招待させていただきました。ただし、義一さんは途中で抜けて帰国していただかないといけませんが」
「さすが、島岡」
 オレが片倉と話をしていた間に、松本の報告を受けて連絡を取ってくれてたんだな。ついでに、少しでも託生のバイオリンを聴けるとはラッキーだ。
「へ?まさか、これから香港………?」
 指示よりも早い島岡の的確な動きに驚きつつも、このままNYに帰れると思っていたらしい松本が引きつり笑いを浮かべ顎を引いた。
 お前が集めた情報なんだから、このくらい予想の範囲内だと思うのだが。
「託生を悲しませてくれた礼はしなきゃあな」
 笑ってられるのも、今のうちだ。


 チャーターしたジェットで仙台空港から香港国際空港に直行し、用意されていた車でコンサートホールまで向かうと、もうすでにコンサート開始から三十分ほど時間が過ぎていた。
 あらかじめ遅れるとの連絡は入れてあったから、もうすでにチャンも中に入っているのだろう、それは、あちらこちらでガードしている異質な男達で証明されている。
 顔見知りのスタッフに案内されバルコニー席へのドアを開けると、託生のバイオリンの音がオレを出迎えてくれた。
 託生のアジアツアーも、今日が最終日。
 本来なら、香港に訪れることすら予定にはなかったのだから、これ以上贅沢は言えないが、こんな密会の場のBGMではなく、きちんと聴きたかったものだ。
 託生のバイオリンを楽しんでいたらしい男が、オレに気付き振り向いた。
「やぁ、ギイ。ご招待ありがとう」
「久しぶり、チャン」
 片手を挙げチャンの隣に腰掛け舞台に目をやると、二週間ぶりに見る託生がスポットライトを浴びながらバイオリンを奏でていた。空間全てが託生の音に満たされ、圧倒的な響きで自分の世界に聴衆を引き込んでいる。 
 この時間だけは共有することが叶わず歯痒く感じることもあるが、託生が安心して音の世界で舞えるのならば、オレは何者からも守りたいし、それが義務だとも思っていた。
「なにか、厄介ごとでも?」
「いや、オレの方ではなにもないんだけど、ちょっと忠告をな」
「忠告?」
「最近、日本から密輸されてきた鉄製品があるだろ?ついでに、日本人の男が一人そのままこっちに来てるよな?」
 いぶかしげに眉を潜めたチャンに視線を流し、確認がてらに指摘する。
 密輸の大元締めのこいつが知らないわけがない。そもそも、香港に逃げ込むには、この男を通さないと無理だ。もちろん保護してもらうために、いくらかの金を渡して。
「………それで?」
「匿ってても、いいことなんてなにもないぜ?なにしろ、そいつは、騙し取った分け前を分配することなく全てを独り占めして、こっちに飛んできたんだからな。今、血眼になってヤクザが探してる。このままだとチャイニーズマフィアとジャパニーズマフィアの全面戦争だ」
 三日前、松本が仕入れてきた情報。
 組員、構成員全員が借り出されているらしく、おかげで他所者である松本にまで行方を尋ねられ………裏の商売をしている店に、女の紹介で入り込めたためだが、それはともかく、行方よりも先に男の状況を把握した。
「それで、忠告か」
「あぁ。ま、少しばかりその男に腹を立ててるんで、チャンに懲らしめてもらおうって魂胆だけど」
「おやおや、君のような大物を怒らせるなんて、あの男がなにをしたんだい?」
 チャンが楽しそうに口元を歪ませ話に食いついてきた。ここのところ、たいした事件もなくて退屈だったようだ。
「………六千万」
「六千万?」
「あの鉄製品を騙し取られたのは、オレの知り合いなんだよ」
「なるほど」
 だからと言って、今更こいつに返せとは言えない。もちろん正攻法で手に入れたわけではないが、こいつだって金を出している。
 なんのリスク負担もせず笑っているのは、片倉を騙した男一人のみ。
「追いかけているのは、どこの組だ?」
「チャンが最悪だと思うところさ」
 とたん、嫌そうに眉間に皺を寄せる。
 小さな組なら、相手がチャンとわかった時点で金を渡せば黙ってくれるだろうが、お互いの力は五分五分。組のプライドにかけて正面衝突は避けられない。
 しかし、匿い賃をもらっていても、そこまで義理立てするような男でもないはずだ。所詮、小物。たった一人の男のために全面戦争なんて分が合わない。
「わかった。あそこと揉めたら面倒だからな。その間に本国の勢力争いが過激になる可能性も出てくる。あとで連絡を入れてみるよ。友好的に」
「よろしく」
「こちらこそ、情報提供感謝する」
 取引成立。
 ニヤリと笑って了承したチャンに、男の運命は決まった。
 向こうの要求は、入るはずだった金と、自分達をバカにして逃げた男の身柄。それさえ渡せば関係ない。その後の男がどうなるかなんて、オレが知る必要もない。
「しかし、これが君だったんだね」
「え?」
 台詞の意味が読み取れず、チャンを見返したオレに、
「大切なものが戻ってきたからかな?」
 そう言いながら、舞台の上でバイオリンを奏でている託生に目を向けた。
「………チャン」
「今の方が君らしい。いい感じに人間らしいね」
「まるで、オレがロボットみたいな言われようだな」
「あぁ、ロボット。言いえて妙だよ。初めて会ったときの君は、細部までプログラミングされたロボットのようだった。復讐の文字しかプログラミングされていない」
「そうだったかな?」
 意味深に見やるチャンに苦笑する。
 十一年前、託生を殺そうとした奴らを探していたとき、手当たり次第、コネや人脈を辿って、表世界、裏世界の人間を片っ端から当たっていた。
 チャイニーズマフィアのアジトにアポも取らずに押しかけるという無礼な行為に、周囲の人間の反感を買い命知らずと言われたものだが、当のチャンにはなぜか気に入られ、あれ以来、公私に渡って付き合いを続けている。
「度胸もあるし、冷徹だし、邪魔者はどんな手を使っても排除する。ビジネスもプライベートも。一歩間違えば、我々マフィアより怖い存在だ」
「マフィアの首領にそう評価されるとは、喜んでいいのやら悲しんでいいのやら」
 大仰に嘆いて見せたオレに、「さぁ?」と面白そうに笑う。
 あの事件の結末は伝えていないが、こいつの情報網なら、すでにオレが復讐を成し遂げたことを把握していただろう。そして、託生がこの腕に戻ってきたことも。
「心が洗われるような音色だよ。まるで闇を照らす月のような、柔らかな色合いのね。我々のような黒社会(ヘイシャーホェイ)で生きている人間には、眩しすぎる光だが。………ギイ、君にはこの光が必要だ」
「チャン?」
「君が一番よくわかっているんだろ?」
 言い切ったチャンの目が、マフィアらしかぬ優しい色を乗せて微笑む。
「そうだな………」
 呟いて舞台に目を移すと、託生の弓が大きな曲線を描いてピタリと止まった。
 一瞬の静粛のあと拍手が空間を揺るがし、晴れやかな託生の笑顔が飛び込んでくる。一礼して舞台袖に下がったと同時に十五分間の休憩を知らせるアナウンスが入り、明るく照らされた客席から夢から覚めたような人々のざわめきが耳に届いた。
 休憩時間に入るのを待っていたのか、ノックと共に島岡が顔を出し、チャンに挨拶をしたあと、
「失礼します。義一さん、お時間です」
 告げてドアの向こうに消えた。
「チャン、申し訳ないが、時間のようだ」
「相変わらず、多忙だね、君は」
 やれやれと肩を上げ、見送りに立ち上がったチャンに右手を差し出す。
「仙台の片倉鉄工所だったかな。折を見て見舞金を送っておくよ」
「それは、助かる」
 銀行からNOと言われることはないだろうが、金があるに越したことはない。
「よかったら最後まで聴いていってくれ」
「あぁ、喜んで。また、一緒に酒でも呑もう」
 軽く手を振り見送ってくれたチャンに別れを告げ、楽屋に寄る時間もないままNYへの帰路に着いた。
 
PAGE TOP ▲