波間を照らす月-12-

 幕が上がった。
 まばゆい光の中に託生がいる。
 全てを共有したいオレにとって、見ていることしかできない歯がゆさを感じるが、この光の中にいる人物がオレの恋人なのだと思うと、誇らしいような、少し寂しいような複雑な気分になる。
 バイオリニスト葉山託生の世界が、そこに広がっていた。
 物々しい雰囲気の一角を除いて、客席に座っている全員が託生の音に引き込まれている。
 オレのことをすごいとよく言うけど、託生、おまえこそすごいよ。己の腕だけで、これだけの聴衆を幸せにできるんだからな。
「しかし、残念だな」
 同じ建物の中にいるのに、託生の演奏をこんなモニターでしか見れないのは。
「託生さんの生の演奏は次回のお楽しみですね」
 クスリと笑いつつも、島岡もモニターから目を離さない。
 どのような受け渡し方法が取られるかわからなかったため、あの二つの席の周りには三百六十度死角がないように隠しカメラが仕込まれている。よって、目の前には幾つものディスプレイが配置されていた。
 第一部、そして十五分間の休憩を挟み第二部と、二人に動きはなかった。
 情報を売っているのは、こいつらじゃないのか?
 いや、そんなことはない。いつか必ず動くはずだ。
 じりじりとした心境で待ち続け、アンコールが終わり幕が下り始めた直後、イートンが二つ折りにしたプログラムを落とした。
 紙を落としたにしては空気の抵抗を感じないような不自然な落ち方に、モニタールームに緊張が走る。
 そしてイートンが、落としたプログラムに目もくれず立ち上がった瞬間、田村が素早くプログラムを拾った。
 これだ!
 捜査官が二人を挟んでいる部下に指示を飛ばすや否や、隣の人間が田村の腕を捕獲しプログラムを取り上げ、そして、前席にいた人間がプログラムを広げ頷いた。
 反対に歩き出そうとしたイートンも、FBIに阻まれ逃げ場を失っている。
 一角でそのような捕り物劇が行われているとも知らず、人々は感動に浸りながら出口に向かっていた。
 潮が引くようにホール内は空になり、残されたのは、イートンと田村、そしてFBIだけだった。
『イートンと田村を確保。証拠品も押収した』
 インカムから聞こえてきた声に、モニタールームに歓声があがる。
「やりましたね」
「あぁ」
 FBIがいっせいに動き出し、ホッと一息ついて椅子の背もたれに体重をもたせ掛けた時、控えめなノックと共に託生が顔を覗かせた。
「ギイ?」
「託生、お疲れさん」
 インカムを外して席を立ち、両手で託生の肩を寄せ頬にキスをした。
 コンサート直後の紅潮して汗ばんだ頬は桃のように瑞々しくて、本来なら強く抱きしめたいところなのだが、こんなに人間がいる場所では託生が嫌がるだろう。
「どうなった?」
 託生はオレの背後にあるモニターを覗き込むように視線を移し、小さく聞いた。
「あぁ。無事容疑者は確保したよ」
「そっか、よかった」
 安心したように笑う託生に、釣られて笑った。
 この数日、ぴりぴりと集中していた神経が落ち着いていく。………まだ終わってはいないけれど。
「オレは後片付けがあるから、もう少しここに残るよ」
「うん、じゃ、ぼくは先にペントハウスに戻ってるね」
「あぁ。桜井、託生を頼む」
「はい。託生さん、行きましょうか」
 軽く手を振り、桜井と共に出て行った託生を見送りながら、島岡に目で合図した。頷いたのを確認して、FBIの責任者に声をかける。
「あとは任せてもかまいませんか?」
「はい。なにかありましたらご連絡さしあげます」
 慌しく動いている部屋をあとにし、無機質な廊下を歩き裏口から外に出ると、いつものリムジンではなく、目立たない普通のセダンが二台待機していた。
 よくここまでオレの思考を理解しているもんだな、島岡は。
「気に入りませんでしたか?」
「いや。さすがだなと思っていたところだ」
「恐れ入ります」
 人の悪い顔で島岡が笑う。
 お前も気付いていたか、あいつに。
「さてと。そろそろ黒幕に出てきてもらうかな」
「そうですね」
 今頃、あいつも覚悟を決めているだろう。今か今かと迎えを待っているはずだ。
「島岡。あの場所にヤツを連れてきてくれ。オレは先に行っている」
「わかりました」
 オレの言葉に頷き、島岡が携帯を手に取った。
 
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