波間を照らす月-13-

 あれから何年経っただろうか。
 目の前には鬱蒼とした雑草だらけの空間があった。まさか数年前、ここにログハウスがあったことなど誰も想像できないだろう。
 あのとき警察でさえ確認できないほど、完璧に隠蔽したんだ。そのまま放ったらかしにすれば、自然が全てを覆いつくしてくれる。
 ぼんやりとした月明かりしかない闇に、小さな光が見えた。車のエンジン音が近づいてくる。
 車が止まり、後部座席から島岡とあいつが降りてきた。その周りをSPが取り囲み、抵抗する様子も見せず、オレに向かって歩いてくる。
「理由はわかっているな?」
「はい。副社長に気付かれているなとは思っていました」
「へぇ。いつ?」
「葉山さんを巻き込んでいるのに、情報提供者を探さなかったからです」
「なるほど」
 だよな。託生のコンサートを使うということは、それを知った提供者が託生を襲う危険性があった。
 数年、オレの側にいたんだ。思考回路は充分把握していただろう。
「副社長こそ、いつ僕だと気付いたんですか?」
「あまりにもお前が託生に構いすぎたからだよ。託生が不自然に感じるほどイートンとバッティングさせたろ?あいつがイートンの名前を出さなければ、オレ達はいつまでも辿りつけなかったんだからな。釜をかけたら、お前は見事に引っかかってくれた。……最後のデータは研究員には公表していない。知っているのは、オレと島岡とお前だけだ。念のため中身はまるっきり別のデータに変えているけどな」
「それで……」
 納得したのか、緊張した面持ちの表情を緩め肩の力を抜いた。
「予想は付くが、一応お前の言い分を聞いておこうか、松本?」
 イートンが産業スパイだと確信を持った時、ふと託生の口からイートンの名前が出た不自然さが浮き彫りになった。
 オレを事務所に迎えにきたこと。ドイツの佐智のコンサート。DVDを事務所に届けたこと。
 全てに関わっていたのは、松本だった。
 託生が気にかかるくらいイートンをぶつけ、そしてオレに調べさせた。
「リチャード・エドワーズをご存知ですか?数年前、孫娘のメアリーに殺された」
「あぁ。あのときは、オレも多大な迷惑をかけられたからな」
「……そうでしたね。祖父を殺したのは副社長と結婚するためなんて、妄言を言ってましたね」
 こいつは真相を知っているのか?それとも、メディアの情報だけなのか?
「リチャード・エドワーズは、お前の父親の義父だろ?」
 話を長引かせるのは面倒なので、こちら側が知っている情報を先に出した。こいつも説明する手間が省けるだろうし。
「……ご存知だったんですか?」
「そりゃ、秘書にしようとする人間の素性は調べるさ。一般の社員とはわけが違う」
「そうですね。僕の父の再婚相手の……いえ、僕の母とは結婚していないから、単純に父の結婚相手がリチャード・エドワーズの娘だっただけなんですが」
 松本は一呼吸置いて説明を続けた。
「僕は父が学生のときの子供で、日本人だった母は父の一族に反対されて、けれど子供は寄越せと言われて逃げたんです。Fグループのような大きな会社でもなかったので、調査できるほどの情報収集力がなく母は逃げ切り僕を産みました。その数年後、父の一族の会社が倒産の危機に陥り、ちょうど娘しかいなかったリチャード・エドワーズが次男であった父を婿養子に迎え、一族の会社はエドワーズのグループ下に置かれて、なんとか持ち直したそうです」
「メアリー・エドワーズはお前の異母兄妹だな?」
「そういうことです」
 松本は、自分の父親がエドワーズの婿養子に入っていることを知らなかったらしい。いや、知る必要もなかったんだろう。自分の生活に関係なかったのだから。
「母と二人、静かに暮らしていたのに。それなのに、エドワーズは簡単に見つけました。そして脅迫状が届いたんです。持ってきたのは父の兄でした。二週間後に僕を殺すと。助けたいのなら、自分が死ねと。その場で脅迫状を燃やし証拠隠滅を図り、その日から僕は毎日死ぬほどではないけれど、いたぶるように狙われ、それに耐え切れず母は自殺しました。僕の代わりに。……あいつらに殺されたと一緒だ!」
 やり場のない怒りが松本を包む。
 エドワーズの娘が夫の過去を知り『気に入らない』とでも言ったのだろう。
 あれだけメアリーを溺愛していたヤツだ。自分の娘も溺愛していたのだろう。だから、ゲームのターゲットに松本の母親を選んだ。
「母の仇を討ちたくても表向きは自殺だから、警察も動いてくれません。証拠もないし、僕自身もまだ子供でした。その後、父親と再婚相手が事故で死に、リチャード・エドワーズもメアリーに殺され、メアリーも数ヶ月前死にました。……残るは父の一族のみ」
「フェラー・コーポレーションだな」
 ほんの少し驚いたように目を見開き、静かに頷いた。
「ハロルド・フェラー……僕の祖父で、現社長は僕の伯父です。あの脅迫状を持ってきた」
「それで、フェラー・コーポレーションに行くときに眼鏡をかけていたわけだ」
「顔を覚えられている可能性がありましたので」
 松本の話に、こいつがメディアのみの情報しか持っていないことを確信した。さすがに当時学生だった松本が、裏の情報を手に入れることは不可能だ。
 さて、どうするか。こいつのこと、結構気に入っているんだよな。
「ようするに、お前は父親の一族への復讐を企て、それを完遂させたわけだ」
 ただでさえエドワーズの死後、資金繰りが危うい状態だったのに、この漏洩事件により、各方面への賠償金が発生し、それ以前に信用ががた落ち。
 それだけならいいが、データが完成したとき、万が一のことを考え軍部には直接話をつけた。このデータの使用はFグループ内と軍部だけに留め、もしも外部に漏れた場合は、漏らした人間及びデータを知った人間の処理を軍部に任せると。
 暗に、どう処理しようと……この世界からその人間がいなくなろうと、オレは関知しないと明言してある。
 数ヵ月後、フェラー一族の人間が生きている保証は限りなくゼロだ。仲介をした、イートン、田村。そして、情報提供者の松本も。
 ……ということを、こいつはもちろん承知している。
「僕が情報を流しました。出頭する準備も終わっています」
 出頭すればどのようになるかは、自分が一番よく知っているだろうに。最初から覚悟を決め、父親一族を道連れにするつもりだったのだ。
 だからこそ、ここに連れてきた。松本を見極めるために。
 
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