波間を照らす月-7-

 空中公園ハイライン(High Line)。二〇〇九年に廃線を利用して作られた二キロメートルにも及ぶ公園だ。
 廃線であることを前面に押し出し線路や枕木などもそのまま、ここが人工的に作られた公園であるにも関わらず、本当に打ち捨てられた廃線の横を歩いているような不思議な感覚になる。 
 また、ハイラインから見える看板はアーティスト達の発表の場となり、建物と植物とアートが融合した人々の憩いの場になっている。
 セントラルパークのような公園とは違い、ビルの間を通る長細い公園なので、NYの空気を感じながらのんびりと散歩するには丁度いい。
 ぼくは休日によくここに来てニューヨークの風景を堪能していた。
 今日も、緑を楽しみながら歩いていると、通りのカフェテラスに見覚えのある後姿を見つけ、階段を下りてみた。
「松本さん?」
「はぇ、ひゃひゃひゃひゃん」
 ぼくの声にクルリと松本さんが振り向いたのだが、Fグループの秘書というエリートな職業についている大の大人と口いっぱいに頬張ったハンバーガーとのギャップに、思わず吹き出してしまった。
 慌てて松本さんがハンバーガーをビッグサイズのコーラで流し込んだものの、口の横にケチャップ……。
「ここ、ついてますよ」
 テーブルにあった紙ナプキンを差し出し、自分の口を指差して指摘した。
「え、あ?……あぁ!」
 そんなに強く拭かなくてもいいのに、渡した紙ナプキンでごしごし口をぬぐっている松本さんのいちいち大袈裟なリアクションに、笑いを止めようと努力するものの止まらない。
 黙っていれば格好いいのに、松本さんって……。
「そんなに笑わなくても………」
「す……すみま………ぷっ………」
 笑いを堪えるように口を手で覆ったものの、その情けなさそうに目尻を下げた表情が、またツボに入る。
「葉山さんって、意外と笑い上戸なんですね」
「すみません………」
 失礼なことに散々笑って、やっと笑いが止んだものの、笑い疲れてぐったりして、松本さんの呆れたような拗ねたような目に謝罪して小さくなった。
 ごめんなさい。こんなに笑うつもりはなかったんです。
 アメリカ生まれでアメリカ育ちの日系人だからかもしれないけれど、松本さんがオーバーアクションすぎるんです。
 けれども、そんなぼくの失礼な態度に頓着せず、
「あ、そうだ!先日は、すみませんでした!」
 反対に松本さんが足に胸がつくくらい頭を下げた。
「えっと、なにか松本さんしましたっけ?」
「ほら!葉山さんをドイツに無理矢理連れて行ったでしょう?」
 そう言えば、そうだった。思い出せば松本さんと会うのも、あれ以来だ。
 でも、あれに関しては松本さんは全然無関係なんで、
「気にしてませんよ。元はと言えばギイの我侭のせいですし」
 とギイに責任を丸投げしたけれど、どちらかというと煽ったぼくのせいだと言うか。
 しかし、ドイツと聞いて、またあの女性が脳裏に浮かんだ。
 ここまで気になる自分はおかしいのだろうか……。でも、なんとなく胸の中がもやもやして、すっきりしないんだ。
 ふと、同じFグループの松本さんなら、あの女性を知っているかもと思いついた。
 忙しくてギイと話す機会もないし、聞いてみようか。
「あの」
「はい?」
「以前、ギイを迎えに事務所に女の人が来たんですけど、あの人は………」
 と、話始めたはいいけれど、いったいどう聞けばいいんだろう。
 一番知りたいのは、コンサートに来ている理由だけど、そんなプライベートなことを松本さんが知るはずないし……。
 と悩んでいると、松本さんはその女性が誰なのかわかったらしく、
「あぁ。秘書室のエリザベス・イートンですね。島岡さんも僕も手が放せなくて、一度頼んだことがありました。ミス・イートンがなにか?」
 すんなり名前を教えてくれた。
 エリザベス・イートンというのか。
 ギイ付きの秘書と秘書室の秘書との違いが、ぼくにはわからないけれど、それならギイの出張に付いてドイツに来ていても不思議じゃないかな?と思い、続けて聞いてみる。
「じゃ、ドイツに行った時も、一緒だったんですね」
「ドイツって、こないだの出張ですよね?ミス・イートンは一緒に来てませんよ」
「そうなんですか?」
「だって、常時副社長に付くのは男と決まってるんです」
「はい?」
 男限定?なに、その規則?
「ほら、女性が出張に随行すると、変な噂を立てられるかもしれないじゃないですか。そういう面倒なことに時間が割かれるのを副社長が嫌っているんです。だから、秘書ではあるんですけど、副社長とは別のルートで情報などを集めるため各国を飛び回ってます」
 確かにギイ、そういうことに煩わされるの、すごく嫌がりそうだ。
 女性蔑視、女性差別だと指摘されそうな内容だけど、ギイにとっては区別なんだなと納得した。
 火がないところに煙は立たぬ。それなら、最初から女性の専属秘書はつけない。
 合理的なギイがやりそうなことだ。
 しかし、世界中を飛び回っているとは。
「すごい女性ですね」
「数ヶ国語を操る才女なので」
「へぇ」
 なら、ドイツで見かけたのも、別件の仕事だったのか。その合間の余暇に、佐智さんのコンサートを聴きに来ていた………。
「葉山さん?」
 じっと考え込んでしまったぼくを、松本さんの声が引き戻した。
「いえ、なんでもないんです。あ!松本さん、時間大丈夫ですか?」
「あぁ、そうでした!」
 松本さんは時計を覗いて、
「じゃ、仕事に戻りまーす」
 と、慌ててゴミを集めてゴミ箱に投げ入れ走っていった。
 あの女性、ミス・イートンがドイツにいた理由はなんとなく理解できた。
「けどなぁ」
 やっぱり、なにかが引っかかっている。
 
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