ラビリンス-4-

 この世界に唯一存在する建物、ルフェビュール城を目指しここまで来たが、何者かが出迎えることもなければ襲ってくることもなく、かと言って、都合よく元の世界に帰れるかと思えばそうでもないらしい。
 結局、行くところもないのだからと、とりあえずオレの部屋で休もうと話が付いたのだが……。
「託生、城の探検はダメだぞ」
 跳ね橋を渡り中庭抜け、ホテル棟のドアに手をかけたとき、背後から義一君の釘を刺す声がした。
「えぇ、どうして?」
「石造りの廊下でつまづきそうだから」
「大丈夫だよ」
 と言いつつ、中庭を抜けるだけで何度つまづいたことか。そのたびに誤魔化していたが、さすがに側で見ている方が怖い。
 まぁ、城なんて見学コースが決められていることが多いし、隅から隅まで見て回れる機会なんて滅多にないから彼女の気持ちもわからないでもないが、生憎ここは彼の言う通り足元が悪い。なにしろ作られたのは建築技術の発達していない14世紀だ。石垣が崩れている個所もある。
 そういえば託生とこの城に来たとき、目を輝かせて興味津々にあちらこちらに飛び回っていたことを思い出した。拷問部屋まで案内したのは、ちょっとした悪戯心。
 しかし、涙目の託生に上目遣いに睨まれてノックアウトされ、調子に乗った自分の行動を深く悔いた。己を押さえつけるのは並大抵の努力ではなかったのだ。
「ギイ、ちょっとだけ」
「託生……」
「ね?」
「あのな、託生……」
 そろそろ義一君が陥落しそうだなと、声のトーンでよくわかる。自慢じゃないが、あれには、オレも勝てたことがない。
 さっきまで「ラスボスが出てきそう」なんてあんぐりと口を開けて城壁を見上げていたのに、好奇心が旺盛なところは、やはり託生と同じだ。
「そういえば、こういう古城って昔は要塞に使われていたことが多いんですよね、義一さん?」
 説得を手伝ってくれと言わんばかりに、何気ない振りをして義一君が振った話の意図を察し、「そうだよ」と生真面目な表情を作って頷いた。
「この城も他国の侵略から守るために作られてて、ほら、城壁の周りに日本の城と同じように堀もあっただろ?地下には拷問部屋もあるし、当時は捕虜の悲鳴が絶えなかったらしい。今でも、夜な夜な廊下を彷徨い歩く人間がいるとかいないとか……」
「ぎ……義一さん、それって………」
「託生が鎧を着た人間にぜひとも遭いたいと言うのなら、オレは止めない」
 顔を引きつらせる託生ちゃんに、義一君がとどめを刺す。
「ううん、ぼく、止めとくよ」
 あっさり主張を退け、義一君の腕に抱き付きながら隠れる託生ちゃんに吹き出しそうになりつつ、ホテル棟の重厚なドアを開けた。素直なのはいいことだ。
「頼むから、大人しくしててくれ、託生」
「失礼だなぁ。ぼく、子供じゃないよ?」
 不服そうな口ぶりに、口唇を尖らせているだろうことが、見なくてもわかる。なにしろ、そのモデルがすぐ側にいるからな。指摘すれば、同じようにふくれっ面になるだろう。
 しかし、人気のないホテル棟に足を踏み入れた途端、
「美味しそうな匂い」
「ダイニングの方からだね」
「おい、託生」
「こら、託生」
 舌の根も乾かないうちに、さっさと二人で方向転換し、階段奥のダイニングに向かってしまった。託生が二人いると、マイペースぶりは倍ではなく数倍に跳ね上がるらしい。ってか、託生、お前一応年上なんだから、彼女を止めろ!
 二人を追いかけてダイニングルームに入ると、そこにはなぜか四人分の食事の用意がしてあった。
 なんだかなぁ。突っ込みどころ満載のロールプレイングゲームのような展開に、頭が痛くなってきた。誰が用意したって言うんだ、この食事は。
「あ、トマト」
「託生……!」
 さっさと席に着いた託生ちゃんが、皿に盛ってあったプチトマトを摘まんで、パクリと口の中に入れ、
「美味しいよ?」
 もぐもぐと咀嚼しながらニコリと笑う様子を見て、眩暈を感じる。
 もしも毒が入っていたら………!
「義一君……」
「四年間、危機管理を教え込んでいるんですが、まだまだ甘……」
「ギイ、食べないの?」
 同じように椅子に座った託生が、テーブルの上に置いていた葡萄を口の中に放り込み、キョトンとした表情で当たり前のように手招きして顎が落ちた。
 託生、お前もか……!
 彼女と一緒にいて薄々感じていたが、仕事中は桜井が付いているから安全なだけで、もしかしたら、託生ちゃん同様、託生もきちんとした危機管理を持っていないのかもしれないと、今更ながら気づき冷汗が流れる。
 お前、よくそれで、フランスに留学なんてできたな?!なにもなかったことが奇跡だぞ?!
「義一さん……」
「オレも、今、とんでもなく不安を感じている」
 ガックリと脱力しドアに懐いているオレ達に、
「早く早く」
「お腹、空いちゃった」
 と急かす二人に大きな溜息を吐き、渋々食卓に着いた。
 ………まぁ、誰が用意したのかわからないが、毒は入ってなさそうだな。
「ギイ、トマト」
「ほら。トマト以外も食べろよ」
「うん」
 いそいそと自分の皿にある手つかずのトマトを、託生ちゃんの皿の上に乗せる義一君の様子に首を傾げ、託生にこっそり聞いてみる。
「託生は、特別トマトが好きなわけじゃないよな」
「うん、ぼくは人並みだね」
 同じ託生でも、食べ物の好みはまた違うのか。
「妊娠してから、異様にトマト好きになったんです。今はマシになりましたが、初期の頃は三食トマト尽くしで………」
 そんな疑問を的確に見抜いた義一君が、苦笑いしながら説明する。
「へぇ」
 あまり妊婦と縁がないから、世間一般の知識程度しか持っていないが、そこまで味覚が変わるものなのか。
 そんなにトマトが好きならばと、託生ちゃんの皿の上にトマトを置くと、同じように思ったのか、その横に託生もトマトを並べた。とたん、彼女の目が輝く。
「ありがとうございます!」
 嬉しそうに食べる託生ちゃんは見ていてとても微笑ましいが、これが三食?
「生命の神秘だな」
「ですね」
「と言いつつ、期待を込めた目で、ぼくを見るの止めてくれない、ギイ?」
 やはり無理か。


 食後、これ以上二人を放牧……基、自由行動をさせておくと、オレ達の寿命が縮みそうなので、真っ直ぐオレの部屋に案内した。閉じ込めておけば、なんとかなるだろうという、かすかな望みをかけてのことだ。
 意気投合したタクミーズほど、怖いものはない。
 鍵もなく開き、いつもと変わらぬ部屋の中、ある一点を見て託生が驚きの声を上げた。
「あれ、ヴィエル?」
「わぁ、ヴィエルですか?」
 さすが音楽家の卵。託生ちゃんもヴィエルを知っていたようで、二人がヴィエルに群がる様子を見て心の底から安堵の溜息を吐く。

「どうせ誰も使わないから、お前の部屋に置いておくよ」

 と、ミシェルが電話を寄越していたが、この世界のオレの部屋にもあるとは思わなかった。しかし、こういうときにおもちゃがあるのはありがたい。
 義一君もやっと一息つけたらしく、目が合ったとたん頬を緩ませた。
「以前、これを見に、この城に来たんだ」
「そうだったんですか。ぼく、ヴィエルを見るの初めてです」
「でも、これ壊れちゃってるんだよね。数百年前の物だし物置に置きっぱな………え?」
 託生がハンドルを回した途端、独特の音が流れ始める。
「わ、鳴ってる。バグパイプみたい」
「直ってる……」
 素直に託生達は喜んでいるが、オレはヴィエルを凝視した。
 あれだけ壊れていたんだ。部品を交換したって、ここまで完璧に直すことはできないし、修理を請け負う人間も少ないはず。楽器に明るくないミシェルに、そのような伝手もないだろう。
 この世界は、まさか………。


「託生、先に休ませてもらえ」
「え、ぼく、大丈夫だけど……」
 その後、散々ヴィエルで遊び、しかし、まだまだ遊び足りないと不満そうに見上げる託生ちゃんに、義一君が真剣な表情でベッドを勧める。
「ギイ、もう少しだけ」
「だーめ」
 彼女自身、色々と興奮しているから自覚がないらしいが、少し顔色が悪いことにオレも気づいていた。
「お前はそうでも、赤ん坊は疲れてると思うぞ。今日は結構歩いているはずだから」
「そうかな………」
 両手で腹を撫でながら「疲れちゃった?」と話しかける託生ちゃんが微笑ましい。自分の体調には無関心でも、赤ん坊のことはやはり心配なのだ。
「託生さんも、よかったら託生と一緒に休んでください」
「え、ぼく?」
 続けて託生にかけられた言葉に「おや?」と思った。
 この四人の中で、一番守らなければいけないのは、もちろん妊婦の託生ちゃん。それは、ここにいる三人の一致した意見だ。その次を考えれば、義一君には悪いがオレの託生。
 けれども、男である託生が、託生ちゃんの横で休むのは失礼な気がして言い出せなかったのだ。子供のようだが、れっきとした人妻だしな。しかし、義一君からそう言ってもらえるのならありがたい。
「託生、そうさせてもらえよ。二人一緒にいてもらった方が、オレ達も動きやすい」
「そう?」
 託生は、同じく頷いている義一君を交互に見て、
「じゃ、託生ちゃん、ぼく達、先に休ませてもらおう」
 あとのことはオレ達に任せて、自分は託生ちゃんの護衛代わりになることに決めた。
「はい。じゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「ゆっくり、休めよ」
 二人がベッドに入ったのを確認して部屋の照明を落とし、ソファ横のスタンドのスイッチを入れる。
 オレ以外の人間が託生と同衾とは少々複雑な気分だが、託生の妹だと思うことにしよう。
 しかし義一君は、オレより懐が大き………、
「託生の兄弟だと思えば………」
 ……いわけないよな。うん。もう一人のオレだもんな。
 二人とも、疲れていたのだろう。ベッドに入って、あっという間に深い寝息が聞こえてきた。
 無理はない。こんな不可解な世界に放り込まれ、オレ達に会うまで一人で心細い思いをしていたはずだ。強がっていても託生。寂しがり屋で泣き虫で、オレの愛しい………。
「さてと。義一さん、隣の部屋、空いてますか?」
「義一君?」
「ここじゃ煙草も吸えませんし、二人を起こしたくないですしね」
 やれやれといった体でオレを誘うが、どういう意味で彼はこの部屋を離れると言ってるんだ。
「でも、君………」
「あの二人を襲うような物がいないのは、貴方が一番よくわかっていると思いますが?」
 真っ直ぐに視線を合わせ、今更隠すなよと自分の手の内を見せてくる。
 あー、気付かれていたのか。考えてみれば、彼もオレなんだよな。こういうとき、自分の勘の良さが苦々しい。
「………さすがと言えば、自画自賛しているみたいで照れ臭くなるんだが、よく気付いたな」
「そりゃ、オレは貴方と同じですから」
 クスリと目を細め、返事を待たずに義一君はソファから立ち上がった。
 
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