背中で感じる恋 -4-

 託生が検査を受けている間、オレは桜井から事の次第を細かく聞いた。
 きっぱりと断った託生に、いやらしい笑みを浮かべ、
「後悔しますよ。気が変わったら、こちらへ連絡ください」
 と言い残し、その翌日から全ての仕事をキャンセルされたらしい。
 そのときの事を思い出したのか、桜井の顔が嫌悪に歪む。
「モリスの件はオレが動く。スタッフには、何も心配するなと伝えてくれ。託生を………いや、いい」
 付き合いの長さで行けば、オレよりこいつの方が長いんだ。わざわざオレが口を出さなくとも、託生の事はわかっているはずだ。さっきも、こいつらの絆の深さを目にしたばかりじゃないか。
「副社長。私は、託生さんが怒鳴ったり殴ったりしたのを見た事がなかったんです」
「え?」
 押し黙ったオレに、桜井がおもむろに口を開いた。
「バイオリンを弾いている時は、もちろん真剣な表情をされていますが、それ以外はいつも穏やかな笑みを浮かべて………初めて副社長を殴ったのを見た時、心の底から驚きました」
「それは、誰でも驚くだろ?」
 一応、託生の後見人だからな。
 例えは悪いが、部下が上司を殴るようなもんだ。
「いえ、殴った事実に驚いたのではなく、託生さんの表情に驚いたんです。これが本当の託生さんだったのだと、私達はこちらに来て初めて知りました」
 オレには昔と変わっていないと思っていた託生を、5年も一緒にいたのに初めて知ったのだと桜井が言う。
「表情が豊かになったと同時に音も変わりました」
「そうなのか?」
 CDでしか聴く事がなく、こちらに移ってからも練習を見せてもらえないオレには、よくわからないが。
「佐智さんに『これが、本当の音だ』と教えていただきました。聴いているこちらまで幸せな気分になるような、とても優しい音なんです。NYに来てからの託生さんが、本来の託生さんだったんですね」
 感慨深げに桜井が目を細めた。
「託生さんにとって、副社長はとても大切な方なのだと、私は思います」
 5年間、託生の側にいたスタッフより、たった2年の付き合いであるオレの方が深いと、そう言いたいのか?
 それでも、満たされない想い。心の渇きは、いつまでも潤ってはくれない。
 こんなに愛しているのに………。


 看護師に無理やり張られた湿布を目にし、島岡が「どうしたんです?」と問いかけてくるのをひらひらと手を振ってやり過ごす。
 託生を殴っただなんて、口に出したくはない。
「何かわかったか?」
 数時間そこらで大した事はわからないだろうが、それなりに束となった報告書を島岡はデスクの上に置いた。
 クリップで挟んだ報告書を一枚一枚捲り、頭に叩き込んでいく。さすが業界人。交友関係が多岐に渡っているな。
「モリスが寝たとされる人物はこれだけか?」
「いいえ、まだ調査中です。モリス自ら声をかけた人物は、明日にでも出揃うでしょう」
 なるほど。こいつらは、自分からモリスに体を売り込んだ人間なんだな。
「数回はモリスの番組に出ているはずです。その後は、さっぱりですが」
「そんなもんだろ。一応ヤツはNYのトッププロデューサーだからな。掃いて捨てるほど代わりはいる」
 それなのに、託生に目を付けた。
 怒りに頭が沸騰しそうになるのを奥歯を噛み締めてやりすごし、報告書を閉じる。
 人気プロデューサーとは言え、所詮テレビ局の一局員。
「どうします?」
 オレの考えは既に理解しているだろうに、わざわざ聞いてくるとは島岡もいい性格をしている。
「オレ、ハムラビ法典の支持者なんだよな」
 ニヤリと笑い、写真を指で弾く。
「だが、まだ材料が足りない。託生を傷つけたんだ。それ相応の報復はさせてもらう」
 ピーター・モリス。
 笑っていられるのも、今の内だ。
 オレの託生に手を出した事を、死ぬほど後悔させてやる。




 その夜、シャワーと仮眠を取るために戻ったペントハウス。
 ベッドに腰掛け、丸くなっている託生の髪をそっと撫でた。手のひらから伝わる熱が、切なく心に染み渡る。
「いつになったら、お前の一番になれるのかな?」
 高校時代、オレはいつもお前の兄貴に負けているのだと思っていた。勝ったつもりでいたのに、渡辺綱大の出現によりわかった敗北。
 そして、今は………。
 託生の気持ちを疑っているわけじゃない。愛されていると思う。
 しかし、お前が大切にしている人間の中の一人なだけで、特別だと実感できないんだ。
 狂ってしまいそうなくらいの空虚感。
「愛してるんだ、託生」
 零れ落ちた言葉に、目の奥が熱くなる。お前を求める心が底なし沼のように、深く沈み込んでいく。
「愛してるよ」
 柔らかな頬にキスを落として、バスルームに向かった。


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